2005年4月20日水曜日

オクラホマシティーのテロ

世界の平和、今起きている紛争やテロを考える時に、欠かせない重要な出来事があると思います。
特に、アメリカを襲った悲惨なテロ攻撃とその犠牲者を忘れることは出来ません。アメリカという国家に対するテロは1993年から立て続けに起こり、何らかの関連性があるように思えます。1993年、ニューヨークの世界貿易センタービルで爆弾テロ。6人が死亡、1000人以上が負傷する事件がありました。そして、1995年4月、オクラホマ州オクラホマシティーの連邦政府ビル前で、爆弾が仕掛けられたトラックが爆発。168人が死亡。主犯とされたティモシー・マクベイ死刑囚は2001年6月に死刑になりました。続いて、1995年11月サウジアラビア・リヤドの米軍駐留地で車に仕掛けられた爆弾が爆発、5人が死亡。1996年、同じくサウジアラビアの米軍基地宿舎近くで爆弾事件。19人が死亡、372人が負傷。以降、1996年7月、トランスワールド航空800便が離陸直後墜落。テロの可能性あり、と。7月、オリンピック開催予定地のアトランタでパイプ爆弾のテロ。1人が死亡、111人が負傷。1998年、ケニアとタンザニアの米国大使館で同時爆弾テロ。224人が死亡。2000年、イエメンに停泊中のイージス艦「コール」に爆弾テロ。乗組員17名が死亡。2001年9月11日、ニューヨーク・世界貿易センター及びワシントンDCの国防総省ビルの同時多発テロ事件、死者・行方不明者2797人。
これだけ考えても、背筋がゾッとしますが、これが今の世界の現実。しかも、ごく身近にあります。一連の事件を見ても、米国を標的としたテロの初期に、オクラホマシティーでのテロが位置していることに気づきます。主犯格はマクベイというネオナチに傾倒している青年と報道をされ、捜査と逮捕が進み、結審して死刑も執行されましたが、当初から単独犯行説に無理があり、マクベイの背後に何らかの組織や主犯格が存在していることは知られており、現場を担当していた担当者・記者・後には国防総省の顧問弁護士も、そのように指摘していたのですが。
オクラホマシティーでのテロは、多くの人命を身勝手に奪いました。このモニュメントを前にして、そこにある墓標、死者が休めるようにデザインされた「シート」を前にして、また子供用の小さなシートを前にして、恐ろしいテロに巻き込まれる人々の苦悩、運命を無理に変えられてしまった家族の方々の苦悩を、目の当たりにしたのでした。私は、改良服でセレモニーの中に入らせていただくことが出来ました。


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