2005年4月20日水曜日

JOHN FITZGERALD KENNEDY

1960年代初頭、最年少、初のカトリック教徒の合衆国大統領として注目をあびたが、任期中の63年に暗殺され、世界中の驚きと哀悼をうけた。 1917年、マサチューセッツ州ボストンに、銀行家ジョセフ・パトリック・ケネディの次男として生まれる。父はフランクリン・ルーズベルト大統領政権の駐英大使をつとめた。40年にハーバード大学を卒業。第二次世界大戦への準備不足を指摘した卒業論文、「イギリスはなぜ眠っていたか」で注目される。アジア太平洋戦争がはじまると海軍に志願、魚雷艇の艇長となりソロモン沖海戦で撃沈されたが、部下を救助する軍功をたてた。戦後、民主党に入党したケネディは1946年、マサチューセッツ州から下院議員選挙に出馬して当選。52年には上院議員に選出された。53年、ジャクリーン・ブービエと結婚。57年には英雄的政治家の伝記「勇気ある人々」をあらわし、ピュリッツァー賞を受賞した。 1960年の大統領選挙では、リベラル派を代表して立ち、選挙参謀に弟ロバートら、才能ある若い政治家をすえて、指名を獲得。彼らは、大衆や進歩的知識人の関心をよぶニュー・フロンティアをスローガンにかかげるなど、巧みな選挙運動を展開した。共和党大統領候補ニクソン副大統領とのテレビ討論では、防衛・経済問題がとりあげられ、ケネディは落ち着いた若々しい話しぶりで、新指導体制の必要性をうったえ、わずかの差で勝利した。ケネディ大統領の演説は、彼らしく理想に満ちていた。『「この地上に大学ほど美しいものはめったにない」と、ジョン・メイスフィールドはイギリスの大学への賛辞のなかで述べている。そして、この彼の言葉は、今日、ここでもそのまま通用する。彼のこの言葉は、大学の塔や学園の芝生の、ことを言っているのではない。なぜならば、彼の大学賞賛の言葉は、次のような言葉だからである。「無知を憎む人々が、知る事に努め、真理を知っている人が、他の人々の目を開かせようと努力する場所が大学である。」だからこそ私は、無知がしばしばはびこり、真実がごくまれにしか理解されない地上の問題を論じる為に、今日、この場所をえらんだのである。この問題こそ、地上の最も重要な問題、すなはち平和ということである。今日、われわれがそれを使う必要を確実になくすために調達される兵器に毎年費やされている何十億ドルもの支出は、平和を維持する為に絶対に必要である。しかし、破壊することができるだけで、決して創造することのできない、これら遊休兵器の蓄積が、平和確保の唯一の方法でなく、いわんや最も有効な方法ではないことは確かである。』彼の理想は、第二次世界大戦という混迷の時代を乗り越え、新しい世代の台頭を意味していたと思う。人々が模索し続けた末に、新しい未来が訪れようとしていた、その予感の中心にいた人がケネディだったのだろうか。

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