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腫瘍が小さくなった!!

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昨日の夜、思わず電話を投げ出して、その場に突っ伏してしまったことがあった。  それは、深恭師からのメールだった。携帯電話に入っていた。題名は「ありがたいです」。内容は「ありがとうございます。今、音美さんから連絡がありました。和長さん癌が小さくなっているとのことです。」とあった。  もう、何より、何より、有難い。年末になり、ご家族はどのようにお過ごしなのだろうか、大丈夫だろうか、と思っていた。和長さんの調子が悪くなり、年末にかけて入院したと報告を聞いていたからだった。  しかし、この報告。何と嬉しいことだろう。年の瀬にあって、ご家族にとってどれだけ嬉しいニュースだろう。これをお計らいと言わずして何というだろう。ありがたい、ありがたい。思わず、携帯のメールを読んだ瞬間に投げ出してしまった。突っ伏してしまった。  ただ、先程来、報告があり、京都の高校生の男の子、具合が悪いと病院に行き検査をすると、肝臓に腫瘍があると言われた、と。しかも、悪性との診断だった、との連絡。すぐにお助行を開始するしかないと淳慧師から連絡を受けた。先ほど17時からの御礼のお看経にてご祈願を開始。  それぞれの年の瀬。それぞれのお正月。とにかく、御法さまのお見守りとお導きがありますように。

お題目ストリート

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ひろし君のお友だちで、11月にご信心を始められ、そこから朝参詣を続けてこられた方がいる。社会的に有名なお方なので実名は載せないが、本当に真摯で素敵な方で、お参詣を続け、御題目をお唱えする姿に、心から随喜していた。  朝参詣の後、本堂を振り返るとその方がおられる。深々とご挨拶をくださる。ご信心を始められて、ほんの数週間。本当に有難い。  お忙しい方で、スタジオに入ってお仕事をされている時は、一睡もせずにお寺までお参詣される。職場もお住まいも東京。横浜の妙深寺までお参詣するのには、いつも第三京浜を使われる。そして、その方が命名した第三京浜の別名が、この記事の題名にもさせてもらった「お題目ストリート」という名前なのである。  そんな言葉に、心から感激していた。その方からのメールには、ご信心に出会えた喜びが満ちていて、「御題目ロード」についても明記されている。ぜひ抜粋したものをご紹介したい。  「ありがとうございます。出来る限り、朝、自宅から、第三京浜を通りお寺まで、、、私のお題目ストリート、、でお寺に行けるよう日々がんばっています。本当にありがとうございます。真の仏教に出会えた喜びは、本当に、ヒロシに感謝です。そして、御住職、、、感謝しています」  こんなメールをいただいて、胸が熱くなる。本当にありがたい(涙)。  12月29日、お餅つきのご奉公があった。その機会に、この方はご長男と実のお母さまをお連れになった。お母さまは神経痛などで苦しんでおられ、「朝念仏・夕題目」ではないが、仏壇に手を合わせているが、仏教的な知識が雑然としていて、「ナムアミダブツ」と唱えたり、「ナムミョウホウレンゲキョウ」と唱えたり、般若心経を唱えたりしているという。対象も、仏壇の中央には日蓮宗の方からいただいた「仏画」があってそれを拝まれたり、観音像を置いて拝んだりしてきたという。  普通の方はこのような状態で仕方がないと思う。いろいろな人から良いと言われたことを全て受け入れていくと、そうなってしまう。しかし、どこかの誰かから「仏さまにお願いごとをしてはいけない」と教えられたそうで、仏壇では全くお願い事をしない。神経痛がひどいので、毎日毎晩「早く迎えにきてくれ」ということばかりを思い、憤懣やるかたない気持ちを抱いていたという。  お参詣をはじめられたその方は、そんなお母さまを心配になって、正しいご信心の仕方を…

妙深寺報 平成20年1月号 出稿

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今朝、何とか「妙深寺報 平成20年1月号」が出稿した。本当に、今度こそはダメかと思ったが、特に清従師のど根性によって出稿。有難かった。

 今朝9時、少々永田さんをお待たせしたが、印刷所に全原稿が回った。29日の夕方には出来上がってくる。その後、妙深寺内での配布と御縁の深い全国各地の寺院へ発送を行う。

 また、韓国、ブラジル、ドイツ、イタリアにも寺報を送付させていただいている。少々配送費などお値段は高いが、海外弘通の一助になるという思いでさせていただいている。スリランカには日本語の分かる人が皆無であるため、送っていない。しかし、半年に一度くらいの割合で持って行くことにしている。写真だけでも楽しめるだろうと思って。

 今月も20ページのボリュームとなった。これでも取り上げられない記事で溢れている。妙深寺報は余り統一感がなく、企画記事というものは極めて少ない。ただただ、ご信者さんの生の声をお伝えしようとしている。何かを考える時期かも知れないが、一ヶ月間で起きるドキュメントの記録。こんな会話、こういうお話が出ている「お寺」ということを知っていただくだけでも良い。劇的なドラマが毎日のようにあるということ。

 とにかく、今朝は満足した。これから初総講の御法門を作らせていただかなければならない。また、明日は妙深寺の大掃除だ。明後日は9時から大鏡餅つき。

 ありがたい。

明日、寺報の出稿

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明日、寺報の出稿期限。もう、時間がない。今日は朝からボロボロ。寝不足。過密。山積。原稿を明日の朝までに書き上げなければ。妙深寺報の1月号は年賀状の意味もあるのだから。頑張らないと。

 写真は横浜の繁華街。教講納会の夜に撮影したらしい。
 年の瀬の横浜。


 それにしても、今日もたくさんのことをブログに書きたかったのだが、こうして時間だけが過ぎていく。

10大ニュース

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今年の10大ニュース。例年、ご奉公の中での10大ニュースを発表している。今年は盛りだくさんで、当てるのも大変だと思う。
 年頭からのスケジュールを見返しても、過密なスケジュールの中で既に忘れていることも多いと気づく。「あれは今年だったかな」と、右から左へ受け流し(笑)てしまうこともあるから、「10大ニュース」と区切って考えることも大事だろう。  2月2日から電撃的にスリランカを訪問した。このご奉公は、特に福岡御導師とスリランカ大統領との邂逅を実現するためのものだった。アヌラダープラでの大きなセッションは永遠に忘れられない。目の前に「天空の城・ラピュタ」が出現したかと思った。また、旧国会議事堂の正面の階段から、独立記念日のパレードを眺めたことも、大統領官邸での対談も忘れがたいご奉公となった。  続いて、2月15日から18日間の海外出張ご奉公があった。ブラジル、イタリアでのご奉公だった。特に、ブラジルでのご奉公は、100周年を目前にしたブラジルの盛り上がりを目の当たりにし、私自身も27年ぶりとなるブラジルの空気、雰囲気、斉藤御導師や高崎御導師、コレイア御導師、その他のご信者方との再会など、大変に有難かった。サンパウロやリンス、アラサツーバ、クリチーバやモジダスクールゼスでの出会い、会話、笑顔、忘れられない。  ブラジルからミュンヘンに飛んで、ミュンヘンからフィレンツェへ直接入った。フィレンツェでの御講、お役中に「ディフェンダーレ」とイタリア語を教えてもらって話し合いを行ったこと。ひろし君のスピーチ。ピサからの新しいご信者方との出会い。これも有難かった。  1月から3月だけでもこの勢いだったのだが、これを後で書き足さないといけない。ブラジルでのご奉公とイタリアでのご奉公、そして韓国の姜ご住職との出会いは、今後のご弘通ご奉公にとって大きな意味を持つと考える。それを書き足したい。  来年も、1月24日からスリランカ。2月14日からイタリア。3月20日からブラジル本門佛立宗100周年記念ご奉公のために離日する。妙深寺、大丈夫かな????

明けの鐘の音

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このブログ、このままでは見捨てられてしまうかも知れない。更新できてないから。すいません。  今日は本年最後の門祖総講。9:30からの奉修。この門祖総講では、通常来年度の受持発表などを行う。しか~し、残念ながら今回は間に合わなかった。資料を集め、吟味しようと数週間調整してきたのだが、その資料の到着も間に合わず、吟味も出来ず、仕方なく「受持御講師の発表」は数日遅らせることにした。申し訳ない限り。  門祖総講では本年最後となる御法門。 御教歌は、 「世の中はまだしづかなり長きよの 心晴ゆく あけのかねのね」 といただいた。この御教歌は、平成19年の初総講と1月の教区御講で拝見し、説かせていただいたものであった。  佛立開講150年の奉賛ご奉公を終えて迎えた平成19年。「結前生後」と題して、奉賛ご奉公によって生み出された喜びの波を、どのように実感できるか、結実させ育てられるかを問う一年間であったと思う。  一方、世は混迷を深めたように思う。経済は、地雷を踏まないように足踏みしているような状態のようだ。偽装や偽造事件は増加の一途をだどり、私たちが抱いている「食の安全」という前提は崩れてしまった。新聞には「親殺し、子殺しの時代」と烙印を押されてしまった。  その一年の中、私たちは「明けの鐘の音」を聞いて、「心晴れやか」になれただろうか。いや、私たちは、そうならなければならない、と教えていただくのだ。末法の長い闇の世にあっても、私たちは、さらに晴れやかに生き抜こうと決意する。しかも、まだ闇の世にあって眠っている人、暗闇に迷う人の支えとなり、励ましとなる生き方を志す。  誰が聞いても、ふさぎ込みたくなるニュース。平成19年は1月1日から3日までの間だけで以下のような事件があった。 ・長男火付け自宅全焼、78歳父遺体で 茨城1月1日配信 毎日新聞 ・母親刺殺、長男を逮捕=「なじられ恨み」-神奈川県警1月1日配信 時事通信
・母が包丁で1歳長女切りつけ逮捕 千葉市1月1日配信 毎日新聞 ・72歳父、酒に酔い41歳息子を刺殺…東京・東大和1月2日配信 読売新聞
・小2二男殴るける、1週間のけがさせた父親逮捕…姫路1月3日配信 読売新聞 ・父親に殴られた1歳男児、死亡 千葉・市原1月3日配信 毎日新聞
・女子短大生の切断遺体 渋谷 自宅でポリ袋に入れられ発見。弟逮捕。1月3日配信 産経新聞
・倉敷の4歳児虐待死:暴行…

12月19日 京都

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12月19日の早朝、京都に戻った。今月は4度目の往復。昨日は13時からの新横浜教区の教区御講だった。とんぼ返り。素晴らしい御講だった。  明日、京都での締めくくりのご奉公。次の日は本年最後の清和会御講があり、そして最終年末の御総講へと向かう。今年も本当に年の瀬。どんな一年だっただろう。来年はどんな一年になるだろう。  何度も言っているが、佛立信者の年末に思うことは2つ。「感謝」と「御懺悔」。  「ありがたい」ということに気づかなければならない。一年を振り返って。そして、「よい事をして懺悔をばしたるかな~」で、普通は良いことをしたら「御礼を言われて当たり前」となるところだが、佛立信者は振り返って「良いことをしたつもりだけど、その中でも反省点がなかったか」と振り返る。そういう意味に於いて、感謝と御懺悔が大事だと思う。  そして、佛立信者は知っている。こうした締めくくりが出来ない限り、良い年など来るはずがない。正月に、ちょろっと神社や仏閣に詣って、賽銭箱に小銭を投げ入れても、良い年になるはずなどない。そんなことがあるわけない。あったとしても因果から外れているから後が怖い。  とにかく、一年を振り返れば途中で失速したようにも思うし、反省点も多々ある。来年はさらに決死の覚悟で、全身全霊で御弘通に挺身しなければならないと反省している。  妙深寺のご奉公では感謝感謝しか浮かばない。本当に多くの変化の菩薩方が現れてくださったと思う。本当に充実の一年だった。多くのご信者さんに支えられ、盛り上げていただき、お教化も育成も大躍進を遂げた一年だった。特に、今年お寺にお参詣するようになった方々、新教化の方々は「花の19年組」と謳われる。ありがたい。老いも若きも、和気藹々の雰囲気を楽しんだ。先日のひろし君の部御講には、他の教区長もお参詣くださって、初心のご信心を分かち合ったという。まさに、変化の菩薩方に支えられた一年だった。  開導聖人の御指南、 「衰える時分時分には、地涌の大士、立ちかはり、入れかはりに出世ありて御弘通絶えることなし。弟子となり師匠となり、旦那となり無令断絶、疑いなきこと也」 を実感した。必ず、出てきてくださるんだなぁ、と。「衰える時分」が今だと言う気はないし、昨年までの妙深寺が「衰えていた」と言うつもりはないが、それでも問題や課題はたくさんあった。横浜という範囲に限定して「衰える」という…

改めまして 『Moment』

動作がうまくいかなかった田口くんの作品。再アップしてくれたので、改めて紹介する。「世紀のダ・ビンチを探せ!国際アートトリエンナーレ2007」のグランプリ作品。ありがたーい。

 『Moment』


行弘くんからのメール

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まだ京都。今回の京都は天気がすぐれない。今朝もどんよりと曇っていて、雨がパラパラと落ちてきている。麩屋町から北野に向かう車のフロントガラスに冷たい雨の粒。

 冬の京都は冷え込む。身体の芯まで冷えるような寒さがある。まだ、冬は本番を迎えてはいない。今日などは温かい方だろう。お正月を迎えて、1月から2月になると、信じられないほど寒くなる。そんな京都の冬は、つくづく春が待ち遠しくなる。

 京都から田口くんについて第二回目のブログをアップした。今朝、メールをチェックしたら本人からメールが来ていた。ありがたい。それを紹介したいと思う。

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清潤御導師、

 ありがとうございます。

 日本では短期間の帰国にも関わらず、長松寺を参詣させて頂き、御導師に再会できた事をありがたく思います。

 先日の御導師のブログ、拝見させて頂きました。たくさんお褒めのお言葉を頂きありがとうございます。少々、照れくさいです(笑)。

 しかしながら、今回の受賞は、当然のことながら、決して僕一人の力で頂いたものではありません。それは、もちろん、母、父、家族、友人の支えがあり、いろんな人から頂いた力(知恵)の一つの結果だと確信しております。

 毎月、妙深寺様から送ってくださる寺報には、御導師をはじめとする、御信者様などが書かれた言葉に知恵が多く詰まっております。それも御導師がおっしゃる、「サイン」だと思っています。

 僕はそれを美術の世界で実行、行動に移したまでに過ぎません。ちなみに、御導師がイタリアで色々と話してくださった中で「負を取れ」という話が分かりやすく非常に印象深く、それを実行させて頂く為に、御宝前にお願いさせて頂いております。

 その他、もちろん、様々な方々の助言や出会いで、今の僕に至ると考えております。

 そういう思いから、今回、受賞で頂いた賞金を僕を育ててくれている縁のあるお寺(本成寺、遠妙寺、妙深寺)に御有志させて頂きました。
 こんな時しか、まともに御有志させて頂けないということがまだまだ未熟ではありますが・・・

 また、今回の受賞は勿論、ありがたい事ですが、一つのステップだと思っております。跳び箱で言うならば、踏み台のようなものだと思います。
 これから、もっとデカイ跳び箱を跳ぶために、御信心を絶やさず、精進させますので今後もよろしく御願いいたします。

 妙深…

アッシジでの水彩画

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アッシジは、チベットのポタラ宮を思わせるような岩山にそびえ立つ大聖堂。ここは、聖フランチェスコの生まれた街。彼はシエナのカタリナと共に、イタリアの守護聖人になっている。

 アッシジや聖フランチェスコを知らない人でも、アメリカの「サンフランシスコ」という都市の名前は知っているだろう。名曲「慕情」の舞台にもなっているアメリカ西海岸の「サンフランシスコ」もブラジルの「サンフランシスコ川」も、彼の名前にちなんでいる。マザー・テレサも彼の生涯を知って修道女になることを決めたといわれるし、それほどキリスト教世界、カトリックでは有名なのが、このアッシジ出身の聖フランチェスコだ。

 キリスト者ではない仏教徒の私から「フランチェスコ」を見ると、彼は所謂それまでの「カトリック」を否定し、カトリックの教義に大転換を迫った存在であったと思う。厳格な教義の解釈よりも霊的な啓示によって多くを感じ指導する「密教的」な側面を強く持ち、人々の生活から乖離した教会とキリスト教を復興させようとした。当時のカトリック教会は保守的で、多くの信仰復活運動を弾圧したが、ローマは当時からアッシジのフランチェスコ派を利用して再生を目指していくことになった。

 それにしても、キリスト教の教会、特にアッシジはおっそろしい教会だった。もう、その教会の内部は表現しかねるほど重たい空気だった。フランチェスコの遺体は今でも教会の下部に埋葬された棺の中にある。その棺は階段を下りて来た者は見ることが出来る。私たちの団体では数人の女性の気分が悪くなり、教会内部に入ることは出来なかった。本当に恐ろしいほど重たい空気だった。

 聖堂の内部にはジョットによるフランチェスコの生涯を描いたフレスコ画がある。1997年9月26日に発生したウンブリア・マルケ地震でフレスコ画と丸天井が崩落して大事故となり、数名が死亡した。それだけでも恐ろしい。「世界の衝撃映像」などのテレビ番組で、この丸天井崩落の衝撃的な映像を見た方もいると思う。現在は、極めて精力的な修復工事によってほぼ元通りになった。

 重たい空気の教会内部とは裏腹に、6月のアッシジの空は澄み渡っていた。教会の中を柔らかい光が包んでいて、鳩が日だまりの中を歩いていた。田口くんは、この場所でもたくさんのデッサンを描いてくれていた。

 全く上手に描いてくれている。穏やかな田園地帯の空気まで表現してくれている…

ダ・ヴィンチのデッサン

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「世紀のダ・ビンチを探せ!国際アートトリエンナーレ2007」でグランプリを取った田口くん。彼と共に廻った2005年6月のイタリア。フィレンツェで合流し、ローマまで一緒に移動して過ごした。

 この田口くんの快挙を妙深寺のご信者さんにご披露したところ、大変な反応があった。イタリアに行った人たちは彼のことをずっと覚えていたらしい。

 そう、前回は書いていないが、ローマのカンツォーネ・ディナーの時、オランダから来た他のテーブルの観光客の方々がダンスをしはじめて、私たちも川上さんご夫妻を筆頭にダンスを披露してくれた。

 その時、田口くんも一肌脱いで「剣舞」のような独演をみんなに披露してくれたのだった。拍手喝采だった。それにしても、この時の田口くんがとても「貧しそう(笑)」だったので、ダンスの後に田口くんの被っていた「麦わら帽子」を回して、みんなが帽子の中に「チップ」を入れてくれた。このエピソードを私は忘れていたのだが、12月の御講で田口くんの話を聞き、瓜生さんが感激して教えてくれた。「彼の踊りが素晴らしくて、そのチップを集めて彼に渡したんですよねー」って。そんなことまでしてたんだなぁ。彼は幸せ者。そんな彼がグランプリを獲ったなんて、みんなにとっても大変な喜びであり、驚きなのだ。

 今回、このブログで大切にしていた田口くんのデッサンを載せちゃおうと思う。本当に素敵だ。彼がTシャツに短パン、麦わら帽子にリュックサックという姿で現れた時は「なんじゃー?」と思ったが、食事代として書かせた絵を見てうなった。本当に素晴らしい。ぜひ、見てもらいたい。ダウンロードして壁に掛けていただいても良い。いや~、価値があると思うなぁ~。

 最初の絵はフィレンツェの中心、アルノ川に掛かるポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)である。水彩画で色をつけてくれた。本当に素敵な画。僕はこの画が大好きだ。右側の絵は、まさに鉛筆によるデッサン。フィレンツェの街角から見えるサンタ・マリア・デル・フィオーレ寺院である。この大聖堂は140年をかけて建設された。フィレンツェの代表的な建築物であり、中世のキリスト教勢力の強大さを痛感させられる。天井画の地獄図は「恋人たちのドゥオモ」には似つかわない恐ろしいものだが、それでもフィレンツェに君臨する中心的存在になっている。フィレンツェでは、どの街角からもこの大きな円屋根が見える。

 それにし…

世紀のダ・ビンチを探せ!

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こんなに嬉しいことは無い。こんなことがあるんだ。すごい、すごいことだなぁ。

 満を持して書かせてもらおう。
 12月4日18時。何が嬉しかったって、田口行弘くんがベルリンからわざわざ京都・麩屋町の長松寺までお参詣してくれた。しかも、完全なる凱旋帰国!もう、嬉しくて嬉しくて、感激した。

 もはや、世界的な芸術家となった田口くんのことを書くのは少々気が引ける。しかし、書かずにはいられないので、一気に書いてしまおうと思う。彼と出会ったのは何年前だっただろう、3年近く前だろうか。お母さんからのご紹介で連絡を取り、お会いしたのが最初だった。

 私は毎月2度ほど京都・長松寺でご奉公させていただく。通常は4日と16日、7月の祇園祭と8月の大文字の時だけが混雑するために15日になっているが、ほとんど欠かさずに京都に帰って18時からの御総講のご奉公に当たる。 この3年間ほど、大阪から足繁くお参詣してくださるご婦人。優しい笑顔の田口さん。毎月二回、大阪から京都までお参詣に通い続けてくださっている。並大抵のことではない。本当に有難い。 その田口さんから息子さんを紹介していただいた。いや、「いただいた」というよりも、ご苦労を重ねてきた田口さんが東京で芸術を志して生活している息子さんに、何とか立派になってもらいたい、ご信心も相続してもらいたい、という思いだったと思う。たぶん、長松寺だと思ったが、私は初めて彼に出逢った。行弘くん、東京芸大に通う芸術家の卵だ。 私は、ご苦労を重ねて行弘君を育ててきたお母さまを見ていたので、芸術家を志すといっても、さぞお母さんにとってはその生き方が不安であろうと感じていた。いつになったらお母さんを支えられるか。そういう息子になれるか。芸術家を目指す者などごまんといる。いくら感性が豊かで、アートやクリエイティブなことが好きでも、そんな若者は数え切れないほどいる。そして、女手一つで行弘君を育ててきたお母さん。うーん、と考えていた。 だから、最初に会った日、私は彼にお話しした。とにかく、左側の脳で芸術なんてできないのが良く知っているだろう、もっともっと根っこの、右の脳、もっと言ったら心の奥の奥から湧いてくるインスピレーションの世界だ。だからこそ、信心をしっかりして、御題目をお唱えしてくれ、その部分を磨いてくれ、と言った。それが最初の出会いだったと思う。 それから、メールを交…

はやて君、和長さん、

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週末の日曜日、朝から新幹線に乗って長野に向かった。日曜日の東京駅は各地からの観光客でごった返していた。

 お寺を出て約3時間で長野駅のホーム。早い!今日は平成19年度を締めくくる御講席。石田さんのお宅にはたくさんのご信者さんがお参詣くださっていた。そのお参詣者の中に、この数ヶ月、ずっと御祈願させていただいてきたご家族がいた。

 生後11ヶ月の岡田はやて君。はやて君は長野でご奉公してくださっている岡田さんの三番目のお孫さん。以前から息子さんやお嫁さん、2人のお孫さんたちとお会いしていた。幸せそうなご家族、立派な息子さん、素直で綺麗なお嫁さん、そして活発な二人のお孫さん。そして、今年の1月、はやて君が誕生。私は7月にはじめてはやて君に会った。

 今年の秋、深恭師からの報告で、そのはやて君が数日間の高熱にうなされ、非常に危険な状態であると知った。入院、検査。そして、御祈願がはじまった。40度の高熱が続き、両手のひら、両足の裏側まで皮膚がめくれてしまったという。原因不明の病気、ただ血管の病気であると言われた。同時に肝臓にもダメージを受けていて、その数値次第とのこと。

 いつも書いていることだが、私たちは医者でも何でもないし、まして家族でもない。ただ、こうした出来事があった際に、同じご信心をしている者同士で「ご祈願」をさせていただく。祈りの力を信じ、御題目の御力を信じ、必ず、はやて君や看病しているご家族に届き、支えられる、と。

 教区の方々をはじめ、妙深寺の朝のお参詣とお助行でも、すぐさま「はやて君」への御祈願が始まった。これが「菩薩の誓い」をしている妙深寺の連係プレーで、お助行の輪、心のネットワークが困っているご家族をサポートしようと動き出してくれる。

 私も毎朝はやて君の「当病平癒、検査結果良好」の御祈願を続けさせていただいた。本当にご家族の献身的な看病と、もちろん岡田さんのお祖父さんはじめ、みんなのお助行と御祈願によって、お医者さまが言っておられたことよりも早く退院、そして元気に御講席にお参詣してくれた。ありがたい。

 そして、何よりも有難いことは、この「はやて君」の突然の病気を通じて、家族がもっともっと一つになり、二人の兄弟もお母さんをサポートしようと賢くなり、もっと言えば、ご信心にも御法さまにもご両親の心が向いたということだ。そう考えれば、「はやて君」は、ご家族にとっての「菩…

John Winston Ono Lennon

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今日は彼の祥月命日。そう、1980年12月8日に逝ってしまったJohn Winston Ono Lennonの。

 実は、最近毎年オノ・ヨーコさんが提唱してライブが開催されている。今年は12月8日の命日に開催されることになった。この「Dream Power ジョン・レノンスーパー・ライヴ」は、ジョンが歌った音楽を中心に、ジョンが残したメッセージ、愛と平和のスピリットを受け継ぎ、それを次の世代に伝えていこうとするイベント。コンサートの売上は、アジア、アフリカの子どもたちの学校建設資金になるという。

 そう、このブログでも何度か書いてきたが、私はジョンが大好きだ。といっても、私からするとジョンは何世代も前の人。だから、実は最初彼の音楽に惹かれたというよりも、最初から違う角度から彼に惹かれていったのだった。

 ラジオやテレビで彼の曲を何度か耳にしていて、どこか心に残っていた。先輩に教えてもらって聞いたこともあった。しかし、それはそれで、そのままに終わっていた。幼かった自分にとって、ビートルズもイーグルスも、いやモンキーズも、大した違いがあるように思えなかった。しかも、英語力が全くなかったのだから、歌詞の意味も分からなくて、日本の歌の方が親しめた。そういう音楽センスしか持ち合わせていなかったのだ。

 ところが、ある時「どんな人だったのだろう」と、ふと彼について調べたくなったことがあった。そして、自分なりに色々な本を読み、彼のメッセージや生き様、彼が目指した平和、宗教に向き合う姿勢、宗教(宗教のもたらす弊害)への批判と希望について知るようになって、「何てスゴイ人だったのだろう」と感銘したのだ。

 今日は、その彼の祥月命日。Yaccoさんはジョンの映画のチケットを2枚もプレゼントしてくれた。ありがやい。Yaccoさんもジョンを心から敬愛している。明日はヨーコさんが舞台挨拶するステージにも行くそうである。

 その映画は、「PEACE BED ~アメリカ vs ジョン・レノン~ 」というもので、彼の端的なメッセージ「もし変えようと思うなら。本当に変えようと思うなら。世界は変えられる。」とチケットに寄せられている。もう、今なお語り継がれる彼の表現者としての強いメッセージは、羨ましい気持ちすらする。是非、横浜か京都で時間をつくって観に行きたい。

 2005年、私はロスからアメリカを横断してニュー…

心の中の大掃除

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昨夜、京都から横浜へ移動。

 今日から12月の教区御講がスタートした。平成19年の締めくくり。ここから全教区の席主のお宅にお伺いし、御講を奉修する。お看経と御法門。今日は天気も良かったが、お参詣者の顔が明るい。有難いことだ。

 実は、妙深寺は寺内だけの変更を行った。通常、宗門の弘通年度は11月で締められ、12月に新弘通年度がスタートする。しかし、これもレベルの高いご信者や役中陣が揃っていれば頭の切り替えも出来るのだろうが、今の妙深寺でそれを理解できる人は少ない。12月が「新弘通年度」、1月が「新年」、4月が「新年度」と。指導がままならず、非常に複雑に受け取られてしまった。そう考えに考えて、12月で締め、1月の元旦をスタートとした。

 だから、正真正銘の締めくくりが12月。大いに1年を振り返り、ご信心・ご奉公の面、家庭や社会生活の面に於いても振り返ってお懺悔をさせていただく。「心の中の大掃除」をして、越年迎春を期していただきたい。

 写真は12月2日の朝の横浜。本当に朝焼けが綺麗だ。

堀田さんのご信心

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妙深寺の堀田さんは、長年東京都庁に勤務され、重要な職務を歴任されてこられた。この度、その功績が認められるところとなり、《瑞宝小授章》を受賞された。奥さまは戸塚教区四部で部長のご奉公をされており、長女の薫さんは青年会の会長のご奉公をしてくださったこともある。堀田さんご自身も評議員として妙深寺の中核を支えてくださっている。
 その堀田さんが、皇居から妙深寺へお参詣くださり、御宝前に御礼の言上をされた。ちょうど私も本堂に行かせていただいて、堀田さんにお会いすることが出来た。本堂の御宝前に向かって正座をされ、深々とご挨拶される堀田さんと奥さま。その姿勢、ご信心を、ぜひ学ばせていただきたいと思った。  今月の妙深寺報には詳しくご本人が感得されていることが掲載されている。このような受賞を通して、それを御宝前のご加護、お導きと受け取っておられるところに随喜させていただく。生い立ちからお母さまのご信心、そして奥さま、ご家族への感謝。  加えて、その心境を御教歌をいただきながら説明してくださっていた。  第一には、 「うたがひて見んと思へど疑へぬ 信じて利益かうむりし身は」 との御教歌であり、現在の堀田さんの心境であるという。御利益を実感した、体感された方だけが分かるご信心の心境。いつでも、どこでも御法さまに見守られているということ。 第二には、勲章の伝達を受ける前にお参詣された折、正教師が御法門された御教歌。 「世の中の苦楽は夢のしばしなり 御法にあいし大事忘るな」  この御教歌をいただき、ご本人は『堀田さん、勲章をもらったといって浮かれちゃだめですよ、夢のようなものかもしれませんよ、もっと大事なことがたくさんありますから、しっかりご信心に励んでください』と言われたような気がしたという。これもまた感服。ありがたいではないか。  私たちは、社会人として生きている。その責任を、それぞれの職場の中で果たさなければならない。それは大切なことだ。しかし、その上で、さらに人生の先輩である堀田さんのように、もう一つ上の心境、ご信心に向かう姿勢ができれば有難いと思う。

トルンに感激! 小栗久美子さんの演奏会

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12月2日14時から壮年会の住職御講が奉修された。
 壮年会というのは、妙深寺の男子信徒の方々で構成される会のこと。今年から新しい会長に野崎さんが就任していただいて、また新たに屈強な方々が役員になってくださり、ご奉公が進められている。その新会長の下、最初の住職御講が今回。忙しい野崎会長をサポートして、みんなでご奉公を分担されていて、内容はとても充実していた。
 その住職御講の第一部は、お看経と住職からの御法門。それはともかく、、、、精一杯させていただいた(汗)。ちなみに、壮年会さんは固い、いや真面目と言うべきか。昨日の月始総講のお参詣者は、良い意味で非常に柔らかくて、反応が大きかったが、壮年会さんは「ここだ」と思う部分でも、「シーン」って。とっても緊張した(汗)。だって、子どもの頃からお世話になってきたおじさんやお兄さんばっかりだから。野崎さんだって、私がボーイスカウトに入った頃は横浜35団のボス猿のような存在だったのだから、やりにくい(笑)。  それはともかく。いや~、今回は素敵な企画があった。奥山さんからのご紹介をいただき、そのご尽力が実って、トルン演奏家の小栗久美子さんをお迎えしてミニ・コンサートを行っていただいた。もう、それはそれは素敵な演奏、音色で、本当に大感激。  トルンというのは、ベトナムの楽器。歴史を紐解くと数千年前にまで遡るという。最初は農作業をする人たちが作物を鳥などから守るために自然に発生したらしい。竹を切って筒状にし、音によって鳥たちを追い払っていたのだろうか。それが、少数民族に受け継がれてきて、今世紀に入ってベトナムの都会に出てきた。そこで音楽家たちの目にとまって発展を遂げてきたのだという。  演奏家の小栗久美子先生は、東京外国語大学のベトナム語学科、その後は大学院まで卒業された。元々はマリンバをされていて、その師範として教室もされている。2000年にこのトルンと出会い、ベトナムに1年間留学までして研鑽を重ね、今では日本第一人者となったとのこと。今回、男性信徒に女性まで加わって、興味津々の観客を前に演奏してくださった。  その音色は本当に不思議なもので、なにか「懐かしさ」を感じる。「トルン、トルン、ポロン、ポロン、、、、」と、スーッと心に音が入ってくる。  眼を閉じながら、ゆっくり、ほっこり、まったりとなれる。それでいて、眼を閉じて聞いていると、何と…

『本当の宝物』 高祖会の御法門

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『信心の 起こるばかりの 御利益は 世にたとへなき たから也けり』 (妙深寺住職 高祖会第一座御法門)  私たちにとって、最たる現証の御利益は、迷い多き我が身、我が心に、「ご信心をいただけた」ということ。その尊さ、ありがたさ、喜びを感じなさい。そして、だからこそこの御題目ご信心という万病に効く「お薬」を、今苦しみ悩む人に伝えなさい、手渡しなさいとお教えいただく御教歌です。  ご信心をさせていただく。御宝前に向かい御題目をお唱えして必死にお願いをすると、必ず、現証の御利益をいただきます。ダメなものがダメではなくなる、真っ暗な中に光が見えてくる。「もう、ここはお看経しかない、おすがりするしかない」と思って、御題目をお唱えしたその瞬間から、必ず「サイン」…身の回りで不思議なことが起こってくる。何も起こらないことは断固としてない。それが妙不可思議の、私たちのご信心。御仏が、大慈大悲の全て、御力の全てを込めてくださった、尊い言葉「ナムミョウホウレンゲキョウ」こそ、万法具足のお薬ですから、服用すれば必ず変化、効果が出てきます。  このお薬を私たちに届けるために、お祖師さまはご苦労くださいました。大難四ヶ度小難数を知らずのご奉公は、ただ一点、このお薬を世界中の人々の口の中に入れさせてもらって、その人が抱えている背負っているあらゆる苦しみや悩み、痛みを取り除こう、というご覚悟のご奉公です。 「信心のおこるばかりの御利益は 世にたとへなきたから也けり」  御利益をいただいた人の、その瞬間の顔を思い浮かべていただきたい。それは本当に素晴らしいものです。悩みを抱え、誰にも相談できず、一人で苦しんできた。しかし、御宝前に座ってお看経し、泣きながら、おすがりしながら、ご祈願させていただく。そして、御題目というお薬の御力で、ダメなものがダメではなくなった。その、どうしようもなかったことが解決される瞬間に立ち会う。それは何ものにも代え難いありがたい体験です。  「現証の御利益」の「現証」とは「御題目の尊さを現前に証明していただく」ということです。「やっぱり、お祖師さまの仰っていたことは本当だった」とそれは、自分で体験しなければ分かりません。「現証」とは「実体験・事実」のことです。御題目をお唱えして、確かに目の前に現れる。家庭内の問題、仕事上の切羽詰まった問題、心と身体の病気、ガンとか、深刻な怪我、世間でいう…

百本祈願のススメ

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悪い出来事、不慮の災難や事故、自分や家族に降りかかる突然の病。そうした最悪の事態も仏教的には本人や家族が背負っている大きな『流れ』から出た一つの『サイン』に過ぎないと見て取る。対処療法に終始しているだけでは、根本的な問題は解決しないと考える。

 この『流れ』は『カルマ』『業』と呼ばれるものである。それは、『動き』の積み重ねから生まれる。『動き』は降り続ける雨の一滴のようなものだ。人間は一日だけで八億四千万回以上もの『動き』を為すと考えられるが、それが降り続いて、上流で小さな川となり、河口では大河となって流れ出る。

 過去世からこの一生に至るまで、連綿と積み重ねてきた『動き』が自分の『カルマ』『流れ』となる。いま悪いことが続くのもサインの一つ。病気もサインの一つ。その奥に根本的な何かがあると考える。そこが最も大切な部分なのである。

 好ましくないサインが出たら、『流れ』を変える努力をすべきだ。簡単な工事で川の流れは変えられない。より上流に立ち返ったり、もっと大規模に、もっと本格的に取り組んだりしなければ『流れ』は変わらない。

 大きな動き、尊い動きによって、『流れ』はより良く変わる。その『動き』が『御題目を唱える』ということであり、それは私たちの『動き』に『御題目を添える』ということであろう。無為に過ごす一瞬一瞬の動きを、最も尊い動き、『カルマ』の因である『御題目』にしてしまうことによって、悪い流れは大きく変わってゆく。

 十一月の冒頭、妙深寺の本堂で百本祈願が始まった。「百本祈願」とは、一本四〇分~一時間も点るお線香を百本あげさせていただき、その間、御題目をお唱えし続けること。その百本祈願は、小泉氏が始めたのだった。

 小泉氏は、ご信心をするようになって今年で七年目。といっても、本当にご信心の有難さを実感したのは二年ほど前。以来、開門参詣を通じて御利益を実感し、多くの方々にご信心の素晴らしさを伝え、お教化は二十戸以上にもなった。

 その彼が十一月初頭、仕事上のトラブルにぶつかった。ここでは内容を記せないが、会社の経営が頓挫するような事態だった。当然、出来得る手を全て打ち尽くして、その上で彼は私に言った。
「今回、これまで引きずっていた自分の悪い面を教えていただいた。だから、これで会社が倒産しても仕方ないと思っています。ただ、自分の失敗で御法さまやご信心に傷が付いたら申し訳が立た…

『妙深寺報』 12月号

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12月号の妙深寺報が完成。実は昨日の月始総講には間に合わなかった。月始総講の後には「役中協議会」といって妙深寺でご奉公くださっている方々が各教区毎に打合せをする。協議会の前後にご信者の皆さまにお配りするものなどを分けたりするから、1日に寺報が間に合わないというのは大変なことなのだが、今月はギブアップ。すいません。

 しかし、今月の寺報の出来には満足。表紙には毎年の越年迎春の模様を捉えた写真を使い、裏表紙は七五三で見られた子どもたちの顔、顔、顔。笑顔が溢れている。内容も高祖会の特集記事で、冒頭に小林御導師の御法門を掲載させていただいた。また、光薫寺の方々からいただいた信行体験談も掲載し、その高祖会の感動を教区御講で語ってくださった方々の声も掲載させていただいた。

 毎月、産みの苦しみはあるが、50年後の人たちにまで届ける、届けたいと思って寺報の編集作業に当たっている。というのは、はるか60年近く前に、この横浜妙深寺から日博上人が発刊していた『一実』誌は、今でも私たちの重要なテキストになっているからだ。発刊から50年以上経っても、若い私たちが読み返し、ご弘通の息吹を感じられる誌面。すごいなぁ、と思う。だから、難しい読み物よりも、生きた、生の、ドキュメントの、息吹、息づかいが伝わるように、何とか編集したいと思っている。そう、50年後に、妙深寺や本門佛立宗を背負う若者たちが見てくれているかもしれないのだから。

 顔写真もたくさん掲載しているので、この七五三の写真に載っている人も楽しんでみてくれないだろうか。50年後は7歳の子も57歳かぁ。「あら、あたしが写ってる」と楽しんでみてくれないだろうか。そうしたら、自分の写真を見ながら掲載されている御法門や巻頭言、体験談も読んでくれるかもしれない。とにかく、今の時代に生きている人だけではなく、50年後の方々のご信心が、少しでも前に進むのであれば嬉しい。そういう意識は、「モノづくり」をする人にとって大切だと思う。

 12月は師匠も走る「師走」。今日は14時から年に一度の壮年会の御講が奉修された。いま、久しぶりに教務室のPCの前にゆっくり座ることができた。

 これから、寺報に掲載された文章などを整理して、更新できなかった分をブログに載せようと思う。

ついに12月に突入

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ついに12月に突入。怒濤の11月末は、徹夜徹夜での寺報編集や住職会、来年度の青少年の一座のご奉公等々、つまりに詰まってブログの更新ままならず。はぁ~、これではいけない。

 12月1日の今日は、月始総講あり、協議会あり、教務会あり、局長室会ありで、まったく怒濤の一日。19時からの局長室会議が少し遅れている。
 それにしても教務会はスゴイ盛り上がり。さすが、仏教界のレアル・マドリッドを目指しているだけある(笑)。若い教務さんは特に気合いが入ってる。「地球防衛軍の会議」とか言って(笑)盛り上がって。  来年度の弘通方針、ご弘通の方策、誓願、率先して改良に挑まなければならない事項など、アグレッシブに議論が続く。本当に楽しみだ。

歴史に残る七五三

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今年の七五三は、大盛況だった。少子高齢化?どこ吹く風。大勢の子どもたち、ご家族と一緒に、御礼の言上とお祝いのお看経をさせていただいた。  総勢25組の子どもたちとご家族だったという。これは七五三祝参詣としては最高の参詣数だったと聞いた。スゴイ、ありがたーい。実は、今回の七五三は私の長男も5才で御礼の言上をさせていただいた。さらに、ありがたーい。  記念日というのは、思い新たに感謝する時だと思う。それが誕生日であれ、年末年始であれ、七五三であれ、それを「節目」することが大切だ。人間の場合、自然と「節」を作って高く伸びていく竹とは違う。精神的に「節目」を付けていかなければならない。もし「節」がなかったら、竹であってもあそこまでは伸びることが出来ないし、風や雪で簡単に倒れてしまうだろう。節があるからこそ、強く、高く伸びられる。  人間は、その「節」を精神的に作らなければならない。その一つが七五三。普段の忙しい生活の中では感じられないというか忘れてしまっていることを、今日は思い出すのだ。「健康でいてくれてありがとう」「今日まで元気でいてくれてありがとう」「これからも元気でいてください」「これからも、この子をお守りください」と。その節目の数だけ、親も子も強くなれる。  そういうお話をお祝いの言葉に代えてご家族にお話しした。子どもたちが我慢できないので(それでも今年は優秀で、よく我慢して座っていたが)、手短にお話をした。しかし、本当はもっともっとお伝えしたいことがあったのだ。  実は、子どもたちの健康や成長を祈り、祝ってさせていただく七五三だが、実際に私たちを取り巻く環境は悪化の一途を辿っている。特に、子どもたちの健康や未来に対する不安、実際の危機は背筋が寒くなるほどだ。  この十年来、日本では学校での障害児の増加が著しい。妙深寺のある神奈川県の場合、養護学校の在籍児童数は毎年2校分に匹敵する200~300人のペースで増え続けている。小中学校の特殊学級はさらにハイペースで、その学級の在籍児数は十年前に比べて二倍近く増加している。その多くが自閉症、学習障害、多動性、衝動性などの発達障害の特徴を盛る子どもたちだと報告されている。  こうした子どもたちについての「障害」という考え方は、医学が進歩し、「説明」が細かく出来るようになったために出てきているだけだという見方があったが、現在の状況はそ…