2007年5月15日火曜日

アンベードカル博士のこと

 私たちにとってインドは三度目となった。平成18年は佛立開講150年ご正当年。私たちは福岡御導師を筆頭として、この記念すべき年に3度目となるインドへ上行所伝の御題目をお伝えしようと弘通行を実施したのである。
 インドへのご弘通は、インド出身の佛立信徒であるラジ女史の尽力に負うところが大きい。2度目の弘通行を終えて、彼女はいち早く次なる構想を描いていた。故国インドに上行所伝の御題目を流布することは極めて難しい。現在インドの仏教徒は11億の人口の1%しかおらず、ヒンドゥーとイスラムの対立は激化しており、原理主義的な傾向もある。御題目を聞かせ唱えさせる機会を設け、重ねて会合を持つことは勿論、様々な角度から次なるご弘通の一手を考えていた。それが、このダライ・ラマ師とのセッションであった。

 2度目のインドへの渡航も有意義この上ないものだった。それはアメリカを横断した時に訪れた公民権運動のルーツ、キング牧師に多大な影響を与えたガンジーの足跡を追い、彼と特に協調し、最終的には対峙したアンタッチャブル(不可触民)の指導者、インド憲法の父・アンベードカル博士の足跡を辿り、彼の信奉者たちとセッションを持てたからである。

 アンベードカル博士とは、数千年来ヒンドゥー文化の中で忌避されてきたアウト・オブ・カースト、つまり手を触れることも、見ることさえ毛嫌いされてきたアンタッチャブル出身であり、初代インド法務大臣、最後には50万人と共に仏教に改宗をした偉大な人物である。実は50年前、彼が出席した世界仏教徒会議に本門佛立宗の代表団は彼との邂逅を果たしていた。その50年後、彼がアンタッチャブルと忌避されてきた人々、50万人と共に仏教に改宗したナーグプルを私たちは訪れ、彼の弟子たちと共にチャンティング・セッションを持ったのであった。

 そして、その一年後。インドの地で、今やインドの1%の仏教徒が認識するマハー・ボディー・ソサエティーと、インドに亡命しているチベット仏教界の最高指導者とのセッションが実現するとは、この上ないことだと思えた。
 アンベードカル博士のことを語り出したら、この章は終わらない。またの機会にゆっくりと、仏教を再認識するために、書いてゆきたいと思う。



 

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