2007年5月23日水曜日

息子たち

 息子たちと一緒に写真を撮った。

 長男は4才で7月に5才になる。今年3月に次男が生まれた。私は生まれる直前の2月にスリランカ、ブラジルとイタリアに行っており、6日間しか日本にいなかったので、妻や母に任せっきりとなった。心から申し訳なく思う。
 なかなか子どもたちといる時間もなく、家の中のことは母と妻に任せっきりで本当に可哀想というか、申し訳なく思う。

 ただ、御法さまのお計らいで、長男は弟を大事に面倒見てくれている。お寺の薫化会(子どもたちの会)でもお母さんやお兄ちゃんに囲まれて、スクスクと育ってくれている。有難いことである。

 私は、子どもの頃は自分でも自覚しているがどうしようも無いやんちゃだった。「ヤンチャ」というと聞こえは良いが、そういうレベルではないほどグレていた。曲がっていた。間違っていた。

 学校からの帰り道、校門を出ると母親とすれ違う。なんで母親とすれ違うかというと学校から呼び出されていたからだ。中学校でも傷害事件を起こし、少し大きくなっても学校から呼び出されることが度々あった。こんなことを書いたらいけないのかもしれないが、正直に書かせてもらうと無免許運転で警察に捕まったり、母と一緒に家庭裁判所に行ったこともある。

 裁判所で小さな部屋に入り、その方から「お父さんのお仕事は何ですか?」と聞かれて、母親が顔を真っ赤にして「お寺の住職です」と答えたのを見ていた。その時、本当に申し訳ないと思ったのだが、まだまだ分かっていなかったと思う。そういう、どうしようもない人間、子どもだった。

 そういう人間が、いま住職なのだから申し訳ないのだが、だからこそ謙虚に、いま道を外れているような人にまで心をくだいてご奉公させていただかなければ申し訳ないと思う。

 いま、子どもたちを見ていて、将来真っ直ぐに育ってもらいたいと思うが、そうは簡単にいかないだろう。自分が親に迷惑をかけたのだから、子どもにだけ素直さを求めるのは都合が良すぎると思う。ただ、何とか御法さまにお願い申し上げて、お見守りとお導きがいただけるようにしたい。

 父はいつも教えてくれた。

「御法さまに申し訳ないと思わないのか」
「御法さまはいつもお前をみているんだぞ」

と。お寺の息子に限らず、家庭の中に御法さまがおられること、敬うべき対象があることは絶対に大事だと思う。だからこそ、何とか私は道を外れないでいられたのだと思うし、いま命があるのだと思う。
 親が親の権限で怒っているのではないということを子どもたちに伝えなければならない。そう思う。家の中に仏も神もいないで、怒っても人間は限界があるのではないか。現代のおぞましい事件がそれを象徴していると思う。

 息子たちに、御法さまを中心にした教育、どんなにヤンチャであっても御法さまが見ておられるということを伝えたい。
 

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