2007年8月1日水曜日

横浜の花火大会

 横浜名物、神奈川新聞社の花火大会。確か毎年8月1日に開催されている。
 私は、原稿を3本仕上げなければならず、昨夜からトホホな状態であった。今日も月始総講、教務会とあり、PCの前で腰を落ち着けられない。落ち着けられないと原稿に集中できなくなる。結局、時間ばかりが過ぎてしまって完成しない。
 しかも下の階から「食事ですよ~」の声。いや、こういう時には食事も何も無いんです、勘弁してくれ、と思いつつ無視していると長男の声。続けて母の声、妻の声、妻の怒声、内線電話。よっしゃ、もう原稿いいや、子どもたちと一緒にご飯を食べよう、やーめたっとPCの前から階下へ。美味しい夕飯だった。いつも声を掛けてから時間が掛かるので、妻は「せっかく一生懸命作ったのに、冷めちゃうでしょ」と怒る。申し訳ない。
 あー、お腹がいっぱい、と思っていたところに、「ドーン、ドーン」と窓の外から花火の音。そうだ、今日は横浜名物の花火大会。長男が落ち着かなくなる、もうご飯どころではなくなる、「早く花火見にいこうよー、行こうよー」とダダをこねる。私を置いて、妻と長男、望ちゃんが教養会館の屋上に出て行った。私も行くつもりは無かったが、夕食を終えてからフラッと上がってみた。
 教養会館の屋上からは、横浜港の上に打ち上げられる見事な花火が綺麗に見えた。こんなに綺麗に見えるんだ。うわー、キレイだなー、すごいなー。
「ドーン、ドーン」。
本当に素晴らしい。久しぶりだ、花火を見るのは。
 花火を眺めながら、妻が隣に来て言った。
「覚えてる?」
 そう、忘れられない思い出がある。もう8年近く前の花火大会。その年の春、妻は甲状腺に癌が見つかって手術をした。全く予想だにしていないことだった。あんなに元気だったのに。病気なんて信じられない。しかも癌なんて。妻の甲状腺癌は、蝶々のような甲状腺の片側に大きく出来ていた。全部摘出すると一生薬を飲まなければならない。しかし、妻の場合は、片方だけの摘出で手術を終えた。
 担当医から、甲状腺の癌は手術した後でも脳か肺に転移する可能性がある、と言われた。しかも、「もう大丈夫」と言ってもらえるのは10年から15年かかるという。この時、妻ははじめて御宝前の前で一緒に御題目をお唱えした。御祈願した。あの当時、私はお寺の外に出ていたので、家族の中だけの話だったが、父も母も、一緒にお助行してくれた。手術の当日、父も母も姉も、病院に来て手術室の外で妻を見守ってくれていた。家族4人で妻の手術を見守っていた。
 その夏、手術の傷も生々しい妻と、横浜港に程近い高島町から花火を見上げた。歩道橋から二人で手を取り合って、今日と同じように見事な花火を見上げていた。その時、妻が私に言ったのだ。
「これが最後の花火になるかもしれないね。忘れないでね」
 花火を見ながら二人で泣いた。
 今日、教養会館の屋上で、突然妻が同じ言葉を言った。ギュッと胸が締め付けられて、あの時のことを久しぶりに思い出した。そう、あの日、あの夜、あの言葉、忘れるわけがないじゃないか、と。
 今、あれからあっという間に時間は流れて、再発することも転移することもなく、二人の子どもに恵まれ、家の中で元気にしてくれている。無常であることを忘れているわけではない。幸せを噛みしめている。私がこうして元気でご奉公できるのも、妻や母のお陰だと感謝しているし、心から家族を、今の健康を、幸せを大切に思っている。
 横浜港に打ち上がる見事な花火を眺めながら、あの日のことを思い出していた。そして、今年も横浜の花火は浜ッ子を満足させるトンチとパンチの効いたド派手なフィナーレで夜空を彩った。この花火大会を見る度に、あの日のことを思い出す。そして、今の幸せを噛みしめる。今日の花火のことも、妻の口から二度目となる「あの言葉」を聞いたことも、忘れないようにしよう。
 そして、花火を見終わって感慨ひとしおになりつつ、先ほど原稿も出来上がった。あー、すっきり。やっぱり、集中すれば早い早い。ありがたい。

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