2010年1月16日土曜日

説の如く

 夜の住職御講が終わり、少し体調も戻りつつあります。またまた、真理先生が点滴を打ちに来てくださり、フラフラになっていた私を復活させてくれました。あまり、身体にはいいことではないかもしれませんが、不思議にちゃんと歩けるようになり、ご奉公させていただくことが出来ました。
 明日は成人式と、夕方には私の教化子の自宅でご回向が予定されています。しかし、今日で教区御講が終わりましたから、少し気持ちに余裕が生まれました。御講が終わるまでは、と思って、気持ちを張ってきました。
 年末から、いろいろなことが重なり、今日までは必死でした。「もうすぐ」という気の緩みが、体調を崩した原因かもしれません。でも、今夜の御講まで、何とか身心がもちました。
 何より、今後の、自分の教務としての人生すべてに於いて、決して忘れることのない出来事、藤本御導師のご遷化。藤本御導師のご遷化について、深く深く、ご宝前にお伺いしながら、無我夢中で過ごしました。藤本御導師のご家族、良風寺のご信者皆さまは、私など足下にも及ばぬご奉公を、いま、してくださっている、と思えば、何も言うことなどできません。本当に、申し訳ない思いです。
 私は、藤本御導師ほどのご信心家、ご弘通家はおられないと思って、心から尊敬していました。本山で、何度も三日四晩で100本祈願をされ、御法さま、ご弘通のためならば常に命を懸けておられました。ブラジル団参のお看経のお姿、サンパウロでの深夜までのお助行、藤本御導師が並大抵の御導師でないことは誰もがご存じのことです。すぐに涙を流してくださり、誰の気持ちにも共感してくださり、感動してくださる御導師。お給仕のまことを尽くされ、ご弘通ご奉公を最大の御報恩と、誰よりも励まれていました。
 そんな御導師に伏してお願いし、立正安国論上奏750年 御正当日の報恩記念大会としての開導会にお迎えし、本当に有難く、お祖師さまの御意をお伝えいただきました。藤本御導師の情熱、藤本御導師のあたたかさ、藤本御導師の憂い、藤本御導師の涙、一つ一つが、忘れられません。
 藤本御導師。如説院日修上人。まさに、藤本御導師そのもののお名前、院日号であらせられました。「説の如く説く修行する」ということの意味を、私は、いまの私たちに、間違いなく、教えてくださっていると思います。そうした「お知らせ」「ご因縁」があまりにも多く出ています。「地獄の蓋をしてくださった」と書けば、大げさに聞こえるかもしれませんが、私は、本当に、そう思います。命を懸けて、教えてくださった、お折伏をしてくださった、と。本門佛立宗と共に、藤本の名、如説院日修上人の名は、永遠に刻まれると信じています。そうしなければなりません。
 こうして書かせていただいても、書ききれず、また誤解されるかも知れません。ただ、私、長松清潤は、生涯をかけて藤本御導師が教えていただいたことをお伝えし、それを忘れずにご弘通ご奉公に励ませていただこうと思っています。そして、申し訳ないことですが、特別の御縁をいただいていた者として、ここにも、これからゆっくり書かせていただきたい。分かっていただきたいです。いま、ようやく、ゆっくりと考え、書けると思うのです。
如説修行抄
「真実法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには、三類の敵人決定せり。されば此経を聴聞し始めん日より思ひ定むべし。況滅度後の大難の三類甚しかるべしと。然るに我弟子等が中にも兼て聴聞せしかども、大小の難来る時は今始めて驚き、肝を消して信心を破りぬ。兼て申さざりけるか。経文を先として猶多怨嫉況滅度後況滅度後と朝夕に教へしこと是なり。予が或は処を逐れ或は疵を被り、或は両度の御勘気を蒙て、遠国に流罪せらるるを見聞くとも、今始て驚べきにあらざる物をや。」
「哀なる哉、今日本国の万民、日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められ、大苦にあうを見て悦んで笑ふとも、昨日は人の上今日は身の上なれば、日蓮並びに弟子檀那共に霜露の命の日影を待つばかりぞかし。只今佛果に叶ひ寂光の本土に居住して自受法楽せん時、汝等が阿鼻大城の底に沈み大苦に値はん時、我等何計り無慚と思はんずらん。汝等何計り羨しく思はんずらん。一期をすぐる事程なし何に強敵かさなるとも、努努退く心なく、恐るる心なかれ。」

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ありがとうございます。
お身体の調子はいかがですか。

周りから清潤師は非常に素晴らしく
ご奉公をされているカリスマ的お教務さん
だとお伺いし、ブログを拝見いたしました。

そこで、コメント欄にこんな個人的な相談を
するのは恐縮ですが、最近非常に悩んでいる
ことなので投稿させていただきました。
名前は訳あって名乗ることができませんこと
をお許しください。


藤本御導師のことでも感じたことですが、
本当に命とは儚いものだと思います。
懸命に生きる人もいれば、
一方で生きることに興味関心を示さない
人がいるのも事実です。
私の友人も、そんな人間の1人です。
どうすれば友人に命の大切さや
生きることの重要性、楽しさを伝えることが
できるのでしょうか。
どうすれば生きることに興味関心を
もってもらえるのでしょうか。
宗教が嫌いな友人なので、
宗教に関係ない方法を模索しております。

何か一言でもいただけますと
有難く存じます。
お忙しいところ恐れ入りますが、
お時間がありますときにでも
お返事いただければ幸いです。

Seijun Nagamatsu さんのコメント...

ありがとうございます。
なかなか返信が出来ず、申し訳ありません。

命の尊さについて一言と仰せいただきましたが、私にはとても難しいです。いま、言葉が見つかりません。しかし、ご友人を何とかしたい、支えたいというお気持ちは分かります。

宗教嫌いということですが、私は、私の友人やご信者さんのお連れになった方とお話しする際にも、「宗教」や「信仰」を前提にして接していないつもりです。一人の人間として向き合い、お話を続けるようにしています。もちろん、そこに人類の叡智、人生の叡智である御仏の教え、お祖師さまの教えをお伝えしてはいます。しかし、単純に自殺願望のある人になかなか伝わらない。

とにかく、全身でぶつかり、全身でお伝えしていく以外に、大切なことは伝わらない、と自分自身に言い聞かせています。そして、まず、自分が『いのち』の重さ、はかなさ、尊さを知り、体現しているかどうか。ご信心で教えていただいていることを本当に『消化』しているかどうか。生きていることの真の意味を知り、心から『有難い』と感じて、苦しいことがあっても、明るく、楽しく、心豊かに生きているかどうか。そこが、とても大切だと思います。別に、無理をして生きる必要はありませんが、愚癡っぽい人や何事も暗く浮かない顔をしている人が何を言っても、伝わらないように思います。もし、自分を見てくれて、生きる力を感じたり、こんな生き方があるのかと思ってくれたりすれば、その人が生きることの重要性や楽しさ、命の大切さも分かってくださる、と信じたい。

先週、私の携帯のメールに、自殺未遂を何度も繰り返して薬物過剰摂取(OD)をしてしまったと連絡がありました。御講の帰りの車中でしたが、ご家族に連絡をとり、帰宅したお父さまが救急車を呼び、事なきを得ました。しかし、その後も本人とメールのやりとりをしています。

ただ、そうした状態の方とは、世間的な方法かもしれませんが、私は約束をするようにしています。「死なない」という約束。何かを納得させて死なないようにする、生きれる、生きる希望を持ってもらう、というよりも、まず「死なない」という約束をします。そして、死なない約束をした上で、とにかく繋がり、繋がり続けるようにしています。そして、一緒に御題目を唱え、一人で御題目が唱えられるように、「信」を得るようにお伝えしています。

すいません、回答になりませんね。もし、お時間があれば、私もお友だちにお会いしたいです。お会いしなければ何も始まりませんが、お会いできれば何かが始まる、何かが生まれると思います。お願いします。

お願いします。

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