2012年2月10日金曜日

「各々思い切り給へ」

あと4ヶ月で横浜国立大ホールです。息やアゴを上げている場合ではありませんね。

つくづく思うのですが、シンプルな問題を、わざわざ複雑にして、論点を曖昧にしたまま結論を出さず、まるで意図的に時間の経過を待ち、なし崩しのように決着や結論を見ることばかりのように思います。

議論は極めて大切だとしても、単なるディベートなら意味がない。「民主主義は時間と金がかかるんです。韓国には民主主義がないから空港もわずか数年で出来る。日本は民主的な国家だから空港一つでも数十年かかっても解決できない」と話していた議員の方が現在大臣席に座っていますが、こうした考え方を曲解しているように受け取れる政策ばかりです。

復興政策、原発事故のこと、その対応の失態、避難区域の設定と実施方法、情報伝達の遅さ、あるいは隠蔽、賠償問題、今後の原発政策、電力政策、がれきの受け入れ、東電について、電気料金の値上げ等々、もう語り尽くせないほど山積みになったままの問題。

その他にも様々ありますが、本当は極めてシンプルなはずです。

私は、あの大震災と津波や原発事故を、人類や日本のリセットのタイミングだと信じています。しかし、現実はリセットどころか、全く今までと同じ価値観のままに全てが動いている、いや、動かそうとしている。これで進むわけはないと思うのです。また、焼け石に水となり、対処療法で済まそうとしているように見えます。問題の先送りが許されないところまでシステムが疲弊しているのに。

私は悲観的ではありません。むしろ楽観的な性格なのですが、危機は危機として認識しなければならないと思います。

私たちは「異体同心」と言いますが、世の中で100%賛成されることなどありません。必ず利害が発生し、時には51対49ということもある。社会のシステムで言えば、それを変えようとすれば今のシステムで権益を得ていた人がそれらを失うことになるということですから、新たな道を歩もうとすれば軋轢が生まれるのは当然です。軋轢などという生易しいものではないですね。

問題を先送りにして、論点を曖昧にしている間に、みんなが「同床異夢」の状態に置かれています。当事者意識もなく、誰かに任せてボーッと寝ていて、起きた時に、「こんなはずじゃなかった」と言っても遅いような気がします。

まさに、「同床異夢」の世相だと思います。何とかアクションを起こさなければなりません。これは、社会に限ったことではない。

「各々思い切り給へ」とはお祖師さまのお言葉です。「思い切る」とは、「心を決める」「覚悟する」と「あきらめる」という意味もあります。利害を超えてゆかないと。実際、末法では100%の一致はなかなかありません。だからこそ、利害を超えて、我見や我欲を超えて、「各々思い切り給へ」なのだと思います。

弱っている場合ではない世の中ですね。

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