2013年9月9日月曜日

『社員をサーフィンに行かせよう』





まったく、へそ曲がりなのかもしれないが、今はそっちではなく、こっちを見てる。

僕にも、まだ知らない世界がある。みんなにも、まだ知らない世界がある。

それが、とってもいい世界であれば、見せてあげたいし、紹介したいと思う。

こんな風景もあるんだということを、伝えられたらと思う。

こんな考えもあるのだということを、伝えられたらと思う。

それは、変な宗教の話じゃないよ。

かたい、肩肘を張った話じゃないよ。

とっても、身近な話。

でも、知らないと、もったいないし、考えていないと、行動も変わらないし。

そっちじゃなくて、こっちもあるよー、と言いたい今日のこの頃。

さて、もし、まだ読んだことがなかったら、ジャック・ジョンソンの曲でも聴きながら、読んでもらいたい本があります。

それは、邦題『社員をサーフィンに行かせよう』、原題『Let my people go surfing』。http://www.amazon.co.jp/dp/4492521658

これは、パタゴニアという企業の創業者、イヴォン・シュイナードという人が書いた本です。

彼の会社は、アウトドア用品の会社からはじまり、今では衣料品メーカーとして知られています。僕の普段着はほとんどこのパタゴニア。長男の帽子もパタゴニア。

世界で初めてシャツなどすべてのコットン製品をオーガニック(有機)コットンに代えた会社であり、衣料品メーカーとして初めてペットボトルからフリースを作った会社。こう書くと、単に「環境に優しい会社」などという柔らかいイメージを持つかも知れないけれど、その反骨精神たるや恐るべきものがあって、正真正銘の深い哲学を持って挑戦し続けている方。アウトドアの精神は同じと言っても、ジェットスキーをしていた僕など叱られそうです。

偏っているとか、独善的とか、そういう批判など彼の深い洞察力、行動力、実行力の前には遠く及びません。

「創業以来、ずっと企業の責任とは何かという課題を格闘してきた。ビジネスとは実のところ誰に対して責任があるのかということに悩み、それが株主でも、顧客でも、あるいは社員でもないという結論にようやく達した。ビジネスは(地球)資源に対して責任がある。自然保護論者のデイヴィット・ブラウアーは『死んだ地球からはビジネスは生まれない』と言った。健康な地球がなければ、株主も顧客も、社員も存在しない」

「会社は誰のものか」

この命題に、悩みながら、明確な答えを持った経営者。

この世に、神と悪魔との戦いなどない。

始まりも分からないほど、永遠の時の流れの中で、気づいた者と、気づけぬ者とか、争いを続けている。

この宇宙の神秘と、人間本来の使命に気づいた者は、少なく、気づかぬまま命を終える者は圧倒的多数だ。

敵は、他の動物でも、宇宙人でも、この自然ですらない。

人間自身。自分自身。

常に、いつも、永遠に。

想像もつかない程、長い時間をかけて、気づいた者たちは、人間自身、自分自身に打ち克ってきた。

それはまるで、未踏の大陸、未踏の大地、高峰を踏破する最初の人々と同じように、あるいはこの宇宙に宿る微細な法則を発見する人々や、全く新しい技術を発明する人々のように、彼らの不断の前進の後に従って、皆は歩みを進めるのだ。

それは、魂の前進であり、人類の前進であり、宇宙の試みの前進である。

イコロイ族は、七世代計画を大切にして意志決定を行う。この世代のために全てを費やして、後の世代が枯渇し、困窮することなど、思いもよらない。

しかし、現代の、すべての判断基準は、近視眼的である。

「自分のアイデアをみんながいいと褒めたら、そのアイデアは時代遅れだ」― ポール・ホーケン

「平和で完全な心地よい環境においては、人間の魂のいかに速く滅びることか」― ロビンソン・ジェファーズ

「地獄の一番熱い所は、道徳的危機に瀕しているときに中立を標榜する輩が堕ちる所である」- ジョン・F・ケネディ(ダンテ『神曲』より)

とにかく、この本のタイトルは『社員をサーフィンに行かせよう』。

パタゴニアという会社では、本当に社員はいつでもサーフィンに行っていいことになっている。勤務時間中でも。いい波が来ているのに、サーフィンに出かけない方がおかしい。

多くの日本人の皆さんには、「えー?」と思ってしまうことですよね。

こういう世界、知らないと思います。日本には、あまりないですから。いや、世界にも、あまりない。

このテーマから、深い、深い、パタゴニアの哲学に入ってゆく。サーフィンとは何か。スポーツとは何か。社員をサーフィンに行かせるには、何が必要か。責任感。効率性。フレキシビリティ。協調性。フレックスタイム。ジョブシェアリング。

そして、彼は世界的に稀な、すてきな会社、素晴らしい商品を、作り出しています。

その彼が、言っていること。

「おそらく、人類という種は役割を終えつつあり、そろそろ姿を消して、できればもっと知的で責任能力のあるほかの生命体に座を譲る時期なのだろう。」

そして、言います。

「憂うつにならないためには、とにかく行動を起こすことだ。」


今さらですが、このままのやり方を続けていて、いい世界を、次の世代に引き継げるとは、到底思えません。

日本に限らず、全世界、つながっていて、そうです。

自然が持たない。地球がもたない。

いま、行動を起こしてゆかないと、間に合わないと思うのです。

2020年、東京五輪が決まりました。

経済効果は4兆円~4.5兆と言われます。大変な効果です。

きっと、これで消費税の増税は決定的となり、日本は財政再建への足がかりを与えていただいた、ということになりました。

私は、辛気くさい坊主です。だから、坊さんらしく、考えています。

五輪の招致を決定づけた安倍首相の発言。

「フクシマについてお案じの向きには、私から保証をいたします。状況は統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも及ぼすことはありません。」 

この「東京には」という言葉。

「汚染水による影響は福島第一原発の港湾内で完全にブロックされている。日本の食品や水の安全基準は世界でも最も厳しく、健康問題は今もこれからも全く問題ないことを約束する」

健康問題は、今も、これからも、全く問題ないことを、約束してくれました。

とっても、大切なことですし、有難いことです。

極めて強い疑念を抱きますが、これらの言葉は世界的な公約になりました。これで、汚染水の対策が進み、福島原発事故は東電の「under control」ではなく、国家としての「under control」にしなければならないことになったはずです。

これは、2020年、つまり、平成32年、7年後の東京五輪へ向けた希望です。

現在の自然環境の状態、リーダーが『社員をサーフィンに行かせよう』のような危機意識を持てば、56年前の東京オリンピックとは全く異なる大会になりますね。

『仏教徒 坂本龍馬』にも書きましたが、私はこの国の在り方が、世界を破滅から救うと信じて止みません。これは、まえがきの結びに書きました。新しい地球世紀のオリンピックを成立させ、成功させてもらいたいと思います。

坊主だから、辛気くさいのです。

オリンピック景気がオリンピックバブルにならないように。大型投資が先行し、大企業優先、貧富の差、地域格差が進み、自然破壊が進むだけならば、長い目で見れば、逆効果となります。

昨日は敬老会でした。77才の喜寿の方のお祝いに、妙深寺の博士が77年前の出来事を紹介してくれました。

77才のおじいちゃんやおばあちゃんが生まれた年、1936年(昭和11年)にも7月に行われたIOC委員会で1940年(昭和15年)の東京が開催地に決定しました。つまり、東京オリンピックは昭和15年に開催が決定していました。

しかし、その後の歴史はご存じのとおりです。オリンピックの開催地が決定した翌年、盧溝橋事件が起こります。

そして、日中戦争が始まりました。

こうして、オリンピックの開催地に東京が選ばれてから2年後、1938年に、国家総動員法が制定され、昭和15年の東京オリンピックは返上されたのです。

国際情勢が地殻変動の中にあり、シリア問題を媒介して勢力の二極化が進む中、そんなことにならないように、日本は日本らしい徳と強さを以て、臨まなければならないと思います。

慢心や過信があれば、また同じ轍を踏むことになる可能性もあります。

そして、地球が悲鳴を上げている中、2020年の東京五輪は、日本にしか出来ない、出せないメッセージを発信して、人類の思想的な次元上昇に貢献してもらいたいと思います。

この国の在り方が、世界を破滅から救うと信じて止みません。

3 件のコメント:

唐澤平吉 さんのコメント...

ありがとうございます。

宮沢賢治の生き方を、私流に方程式であらわすと、次のようになります。

宮沢賢治=法華経(生活+教育+童話+詩+音楽+etc.)

この方程式は、佛立開導長松清風の生き方にも、あてはまるとおもいます。

長松清風=法華経(講席+御指南+御教歌+さとし絵+etc.)

僭越不遜を承知であえて申すならば、この二人の法華経の行者に共に通いあうのは、人間が生きることの深い悲しみと、生かされているものへの大きな慈しみの心ではないでしょうか。

合掌

Seijun Nagamatsu さんのコメント...

ありがとうございます。

感動的な書き込み、ありがとうございます。

私も、そのように感じております。

まさに今、京都佛立ミュージアムのスタッフが2名、2泊3日で花巻まで取材に行ってくれています。

夕方は、賢治の弟、清六さんのお孫さんである和樹さんと打ち合わせをしてくれています。有難いです。

重ねて、重ねて、資料を読み込み、彼の書いた文章も、読み重ねて、詩と詩の間の、たとえば賢治が宗谷岬を通過する前後に、何を考えていたかなども比較して想像したり、頭の中は、賢治でいっぱいです。

彼の目に映ったこの娑婆世界は、生死の境を超えて、まさに、法華経の信仰者で無ければ得られない娑婆即寂光、その永遠の寂光を、垣間見たものだったと思います。

修羅の如き人間への慈しみ、生命そのものへの慈しみは、苦悩しつつ賢治が垣間見た永遠の寂光から導かれたように感じます。

私は、『ひかりの素足』を読むと、胸が苦しくなって、苦しくなって、読み進めることも出来ません。いくら、永遠の命と言われても、如来寿量品と言われても、息子2人の姿が浮かんで、苦しいです。

命の脆さ。

ただ、死を忌み嫌う者と、死にゆく者が見ている世界は、こんなに異なるのだということを、彼は詩に遺しています。

この詩は、研修医のオリエンテーションで使われていると聞きました。医師や看護士が、死に向き合う時のテキストになっているとのことです。


『眼にて云ふ』

だめでせう

とまりませんな

がぶがぶ湧いてゐるですからな

ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから

そこらは青くしんしんとして

どうも間もなく死にさうです

けれどもなんといゝ風でせう

もう清明が近いので

あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに

きれいな風が来るですな

もみぢの嫩芽と毛のやうな花に

秋草のやうな波をたて

焼痕のある藺草のむしろも青いです

あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが

黒いフロックコートを召して

こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば

これで死んでもまづは文句もありません

血がでてゐるにかゝはらず

こんなにのんきで苦しくないのは

魂魄なかばからだをはなれたのですかな

たゞどうも血のために

それを云へないがひどいです

あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが

わたくしから見えるのは

やっぱりきれいな青ぞらと

すきとほった風ばかりです。

唐澤平吉 さんのコメント...

御こころのこもったお返事ありがとうございました。

如来壽量品につぎの一節があるとか。

自惟孤露
無復恃怙
常懐悲感
心遂醒悟


先日の宗門ホームページの「きょうの御教歌」に

きはまりてかなしき時にあらざれば
    まことの信はおこらざりけり



合掌

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