2014年11月18日火曜日

志士たちの論文


龍馬サンの『藩論』という出版物-。

これも、あまり世の中に知られていません。

正式な著者名は書いてありません。

明治初年度の偏った政治状況の影響です。

しかし、『閑愁録』『和英通韻以呂波便覧』『藩論』という3つの出版物は、「海援隊の三部作」とされています。

これは、間違いありません。

残念ながら、『閑愁録』と同じく、この『藩論』の研究も、ほとんど進んでいません。

この『藩論』の内容は、「龍馬の政見」とも言われています。

龍馬をはじめ、海援隊の彼らが考えていた政治、日本の政治のあり方、民衆、選挙、いろいろなことが示されています。

こういうことを、しっかりと学んで、幕末の志士たちの素養の凄まじさを知り、龍馬の実像に迫り、私たちの無知や無関心を恥じたりできたらいいと思います。

彼らは、真剣に国づくりをしようとしていたから。

一部ではありますが、『藩論』の原文と現代語訳。

権謀術数、解散総選挙が取り沙汰される中、ここは読んでいただきたいと思います。

ちなみに、「ブラジルと仏教展」でも紹介していますが、ブラジルに於ける選挙は「権利」ではなく「義務」「責務」です。

もし、選挙に行かないと、罰金を取られ、パスポートも交付されなくなり、公務員試験も受けられません。

字の読めない人でも分かりやすいように電子化されています。

圧倒的に日本の方が遅れているんです。

政権を永らく独占してきた政党に組織票が集中してきた日本は、投票率を低く保つことが政権を安定させることだと思われてきました。

罰金があったり、パスポートが取れなくなると言われたら、みんな選挙に行きますよね。

国家の行く末、選挙は大切です。

そう、龍馬の『藩論』。

もっと、もっと、深いです。

日本国のこと。

これが、維新の大業を遂げようとした、志士たちの論文です。

『藩論』は、「藩」のことを書きながら、実は「国」のことを示しています。

原文
「夫レ天下国家ノ事、治ムルニ於テハ、民コノ柄ヲ執ルモ可ナリ。乱スニ於テハ至尊之ヲ為スモ不可ナリ。故ニ天下ヲ治メ、国家ヲ理(おさ)ムルノ権ハ、唯人心ノ向フ処ニ帰スヘシ。藩内封土ヲ治ムルモ。亦之ニ他ナラス。

現代語訳
「しかるに、天下国家に於いての政治は、人民が政治権力を執ることも可能であるし、逆に政治が混乱に陥るならば至尊、即ち天皇や朝廷が政治を執るべきではない。いずれにしても、天下を治め、国家の是非を判断する権限は、ただ人々の心の向かう所、世論に帰結すべきである。これは藩の政治に於いてもこれ以外の法はない。」

原文
「凡(およそ)百ノ事、之ヲ経シ之ヲ営スルニ、其名天理ニ由ラサレハ成ラス。其実時勢従ハサレハ得ス。天理ニ順逆(じゅんぎゃく)有リ。時勢ニ向背(こうはい)アリ。然トモ、天理ヲ度(はかっ)テ予(あらか)シメ興廃ヲ知ル者寡(すくな)ク、興廃ヲ見テ、後ニ順逆ヲ知ルモノ衆(おお)シ、」

現代語訳
「あらゆる分野に於いて「経営」とは、その名分から天地自然の理に由るものでなければ成功しない。具体的には時勢にも従わなければ成功しない。天地自然の理には、従うか逆らうかの二筋がある。時勢にも、乗るか、背くかの二筋がある。しかし、この天地自然の法則を考慮して、その事業が興隆するか廃退するかを自然に知る者は少なく、ほとんどの人間が興隆と廃退という結果を見た後で、それが天地自然の理に適ったものであったか否かを知る。」

原文
「又時勢ヲ察シテ、疾(はや)ク成敗ヲ知ル者少ク成敗ヲ見テ然シテ向背ヲ知ル者多シ。」

現代語訳
「同じように、時代の趨勢を察し、あらかじめ成功と失敗を知る者は少なく、ほとんどの人は成功と失敗を見た後でそれが時勢に従っていたか、背いていたかを知るのである。

原文
「凡ソ人物公撰ノ事ハ、西洋文明ノ各国、多クコノ法アリト雖トモ、彼ハ従来ノ常行ニ由テ童子ト雖トモ知ル所ナリ。然ルニ我カ列藩、未タコノ制アルヲ聞ス。故ニ其策最モ智ナリト雖トモ、闔藩必ラス愚ナキコトヲ得ス。其法素ヨリ文明ナリト雖トモ、闔藩カナラス野俗ナキコト能ハス。智者策ヲ愚人ニ決シ、明主法ヲ癡臣ニ程(はか)ルコト、恰モ瞎子(かつし)(盲人)ニ黒白ノ情ヲ尋ネ、聾児(りゅうじ)ニ清濁ノ声ヲ討(もと)ムルカ如キモノナリ。故ニ衆或ハ之ヲ領解セス。偶マ撰択ノ命ヲ被ルト雖トモ、或ハ能アルヲ問ハス、術ナキヲ論セス、吾カ私ノ愛憎ニ依テコレヲ別チ、或ハ又、才有ルヲ求メス、智ナキヲ撰マス、吾カ交リノ親疎ニ由テコレヲ部(わか)チ、或ハ貴顕ニ憚テ之ヲ挙ケ、若クハ卑賤ヲ忌テコレヲ除ク。」

現代語訳
「概して、有能な人物を選ぶ普通選挙は、西洋の文明諸国では古くから広く普及しており、子どもでも知っている。しかし、我国の諸藩ではまだこのような制度が存在していることを聞かない。故に、その制度が優れた政策であるとしても、藩内に於いては常に愚かな人々がおり、またその制度が真に進歩的な制度であるとしても藩にはその逆の者が少なくない。従って、智者の政策を多数の愚かな人々の決定に委ねたり、賢明な藩主が法案を愚鈍な家臣にはかったりするのは、まるで盲人に黒か白かを尋ねたり、耳の悪い人に音の清濁の判を求めたりするのと同じである。大多数の一般大衆は普通選挙の意味を理解していない。たまたま藩主から選挙によって人物を選出せよと命じられても、能力を問うことも政策の有無を論じることもない。ただ個人的な好き嫌いによってこれを判断し、才能や智慧のある人を求めず、個人的な交際の範囲の情実に従って判断し、あるいは高い地位にいる権力者に遠慮してこれを選挙したり、逆に卑しい身分というだけでこれを嫌って選ばなかったりする。」

原文
「俗諺ニ所謂親ノ心子知ラスト是ナリ。故ニ唯落札ノ多キヲ以テ、偏ニ之ヲ挙ルト雖トモ、必ラス適当ノ人物ヲ得可ラス。是レ、復択(ふくえき)ノ法ナキコト能ハサル所以ナリ。蓋シ此初撰ノ人ヲシテ反復誤撰ナカラシムルハ、即チ其初メ衆望所帰ノ故ヲ以テ、更ニ総藩(そうはん)ニ代ラシメ、任シテ清撰セシムルノ主意ナリ。」

現代語訳
「諺にいう「親の心子知らず」とはこのことである。こうした実情から、ただ単純投票で最多数を獲得した人を当選者と推挙してもその人が最適任者とは限らない。これが再投票の規定を設けなければならない理由である。まさしく、最初に当選した不適当な人材の再選を避けるために、第一回の選挙で大多数の信任を得た人物たちを総藩の意志として再び選挙を行い、優秀な人材のみを選び出すという考え方による。」

原文
「然レトモ其多才ヲ稟ル者寡ク其浅智ヲ賦スル者衆シ。故ニ下民ハ大率愚ニシテ一事安ヲ易ルノ小害ヲ忌ミ、朦朧トシテ大利ノ在ル処ヲ弁セス。夫レ薬ヲ飲ム者ハ苦ク、痤ヲ弾ル者ハ痛ミアリ。然レトモ此苦痛ノ故ヲ以テ薬ヲ飲マス、其痤ヲ弾セサレハ、病愈ル事ヲ得ス、身治ル事能ハス。政ヲ治ムルモ亦然リ。
 然ルニ游惰ノ子、何ノ功有テ坐ナカラ高位ヲ受ルノ理アラン。勉励ノ子、何ノ罪アツテ一生奴隷ニ終ルノ理アラン。罰モ其子ニ及スヘカラス。賞亦其子ニ及スヘカラス。」

現代語訳
「しかしながら、優れた能力を授けられた人の数は少なく、圧倒的多数の人々が浅学である。ゆえに、民衆は大部分が愚かで、彼らは目先の快楽を妨げるわずかな障害を忌み嫌う。彼らは朦朧としていて長期的な利益を識別することが出来ない。薬を飲むことは苦しく、潰瘍の手術には痛みが伴う。しかし、この苦痛を嫌って薬を飲まず、手術を拒んでいたなら、病は癒えず、身体が健康になることはない。政治とは同じことである。
いかなる功績によって、なまけ者が努力もせず高貴な地位につくのであろうか。また、いかなる罪によって、真面目に働き励む人間がその生涯を奴隷のような身分で終わるのだろう。父の罰がその子に及ばないのと同様に、父の褒賞もまたその子に及ばせてはならないのである。」

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