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藤村さんとネパールのこと。

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午後、藤村さんに会うために、瓜生さんと、姉と、一緒に病院に行き、直接お会いすることが出来ました。
4月の最終日。
このまま、もし、死んでしまったら、絶対に後悔すると思って。
ほんとーに、藤村さんに会えて、よかった。
身体中に管が入っていましたが、意識は戻り、血圧も安定、筆談も出来ました。
昨日は、血圧も上が70、下が50だったのだから、本当に危険な状態でした。
もちろん、今も全く油断できない。
腹膜炎を起こしたら、長くかかるに決まってる。
生命にかかわることは、よくよく分かります。
油断せず、ご祈願させていただきます。
重ねて、ご祈願のほど、よろしくお願いいたします。
ネパールの大震災についてですが、今日も様々な動きがありました。
支援活動にしても、お助行にしても、お願いばかりで申し訳ないです。
インドのシェーカーは、陸路での支援活動を申し出てくれています。
本日、福岡御導師からもお電話をいただき、本門佛立宗スリランカ(インド)教区長として、このネパール大震災についての支援活動についてお話することが出来ました。
これほどまでにご縁の深い国や場所で、ただお金をどこかの団体に振り込むということではなく、スマトラ沖大地震・津波や、東日本大震災の支援活動と同じように、しっかりと顔の見える、ご本人に届けられるようなご奉公をさせていただこう、と。
インドのシェーカーを中心に、スリランカから良潤師とカルパ、日本からも何人かが合流して、ご奉公させていただこうと思っております。
宗門要路の方々からもご連絡をいただきました、ありがたいです。
妙深寺も、いくらでも後ろに下がって、ぜんたいが一致して、いい形の支援活動が出来ればと願っております。
ひたすら。
それにしても、阪神淡路大震災、スマトラ沖大地震と津波、東日本大震災と、いろいろな経験が私たちに教えてくれます。
時事刻々と、ニーズが変わってゆくこと。
支援活動に駆けつけた者たちが、かえって現地を混乱させること、救援・支援活動を遅延させることがあるということ。
支援活動や、復旧活動を旗印にして、売名や利益誘導が横行していたこと。

藤村隆正さんのご祈願をお願い出来ますでしょうか

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藤の花が、咲いています。
笑顔で手術に向かった藤村隆正さん。
初期の胃がんを手術するとのことで、みんなに励まされ、ご祈願をしていただきながら、入院、そして手術へと向かわれました。
発見の経緯、そこに至るまでのながれや、「初期」ということを聞いて安心していたのですが、手術後、容体が急変して、腹膜炎を起こし、緊急の再手術後、危険な状態が続いていると言われています。
昨日の未明から、この連絡に愕然として、ひたすらご祈願をさせていただいておりますが、担当医から「厳しい」との言葉。
そう言われても、いっそ手術などしなければよかったと恨めしく思います。
このようなことがあるのかと、忸怩たる思いです。
藤村さん。
しかし、この事実、現実を前に、自分を捨てて、考えを抜いて、ご宝前に向かわなければならないと、先住の佛立魂を思い起こして、そう言い聞かせています。
どうか、みなさま、ご宝前に向かわれる際には、藤村隆正(ふじむら・たかまさ)さんの当病平癒のご祈願をお願い出来ますでしょうか。
どうか、どうか、よろしくお願いいたします。

ネパール大震災義捐金 振込先について

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ネパール大震災義捐金 受付態勢について
ありがとうございます。
ネパール大震災の義捐金について、振りこみでの受けつけ態勢がととのいましたので、ご披露をもうしあげます。
振込先は下記となります。 郵便振替 口座番号 00250-6-131490      加入者名 妙深寺
郵便局で【郵便振替払込用紙】に「ネパール」と明記の上、ご依頼者名・住所をご記入の上、お手続きください。
地震発生から72時間がすぎ、ネパールのコイララ首相は4月28日、通信会社ロイターに死者数は1万人にのぼる可能性があるとの見方をしめされ、29日の朝日朝刊ではネパール警察当局により、死者4,800名、負傷者9,000名超とのこと。またネパールのレンガ造りの家々はもろく、多くの人々が道路や公園で手製のテントですごしているとの報道です。
各国から救援がよせられる状況で、必要な物資は時間の経過とともにめまぐるしくかわりますから、どうかみなさまのおこころざしは、募金という方法であらわしていただきたく、よろしくお願いもうしあげます。                         平成27年4月29日                               妙深寺

生活支援課

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立教開宗の日、朝から不動産屋さんに同行し、そのまま神奈川区役所に来ています。
生活支援課で、生活保護の申請をお願いしています。
彼は、ずっと一人で、生活保護を受けながら生活をしていましたが、精神的な疾患を抱えていて、良くなるよりも徐々に悪くなっていました。
不安が襲うと、同じ心配事が頭から離れなくなり、安心するように言って電話を切っても、すぐに電話がかかってくるという悪循環。
落ち着いている期間はいいのですが、悪くなると1日に5回から10回の電話が来るようになります。
本人が一番つらいはずです。
ですから、先方の生活支援課の方とも連絡を取り、不動産屋さんをしている小学校時代の友人に、お寺の近くにある、生活保護をいただいている人でも借りられる物件を探してもらいました。
先日、いろいろな意味で最高の物件が見つかり、今日の引っ越しとなりました。
前回、一緒に精神科に行きました。
今日は生活支援課。
診断書には、統合失調症とパニック障害とあります。
彼の場合は、穏やかですが、ただ不安や焦り、後悔が強く出てしまうようです。
お寺の近くで、しっかりと目の届く範囲で、お参詣、お看経、ご奉公をさせていただいてゆけば、必ず良くなると思います。
とし子さんに農園のご奉公を教えていただいたり、平石さんとお看経させていただいたり、旭くんと一緒にお参詣したり、励ましあったり。
絶対にありがたい。
生活保護のまま悪くなってゆくのを見ているのは申し訳ないので、これを貴重な、ありがたい期間だと思って、心身の健康回復を目指します。
とにかく、彼にとって、4月28日の今日がスタートです。
スタートにはこれ以上いい日はないですね。
妙深寺にとっても、新しいスタートです。

ネパール大地震復興支援勧募について

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ネパール大地震復興支援勧募について
さる4月25日の日本時間午後3時11分、ネパールの首都カトマンズ北西約80キロを震源とするマグニチュード7.8の大地震がおき、27日付けの朝日新聞朝刊では死者数が2500名を超え、けが人も5000名近くにのぼると報じられました。
インド・ビハール州東部やチベットでもそれぞれ58名と17名のかたが亡くなっています(ビハール州ガヤにすむ、妙深寺信徒シェーカーさんとその家族は無事です)。また余震も数十回にわたり続いているとのことです。
この地域は、妙深寺インド親会場のあるラージギルから400キロほどの距離で、横浜・陸前高田間が約500キロですから、それよりも約100キロ近く、自動車で9時間ほどの距離です。
過去80年で最大といわれるこの地震により、首都カトマンズでは世界遺産登録地をふくめ、ひろい地域で建物が倒壊し、電気や水道が損害をうけ、街は停電、政府は国家緊急事態宣言を発令、学校は数週間の閉鎖が決定されました。エベレストのベースキャンプでもなだれが発生し、50代の男性日本人ひとりをふくむ、17名の死亡が確認されています。
さらに周辺地域の被害状況は未だくわしいことはわかっておりません。1月の妙深寺オープンデーで「ガール・ライジング」という女性差別をとりあげたドキュメンタリー映画を上映していただいたNGO団体・プランさまをはじめ、さまざまな支援・救援のための調査隊が現地に入り、インド、中国、アメリカ、日本など世界各国・各機関から救援部隊がかけつけている状況です。
妙深寺では、東日本大震災の経験と南アジアとのご縁をかんがみ、なんらかの支援をおこないたいと考え、情報収集をはじめましたが、まさに東日本大震災のときの陸前高田や大船渡と同じことがおきています。
今後どのような支援活動が展開できるか、できればスリランカやインドのご信者さんと力を合わせて現地に入らせていただきたいとも考えますが、まずは義捐金のよびかけをさせていただきます。どうかみなさまには、4年前の東日本大震災を思い返し、それぞれにおこころを添えていただきたく、お願いをもうしあげます。必ず被災した方々の手にお届けできるようにご奉公させていただきます。
重ねて、救援活動の進展を祈り、犠牲者のご冥福を願うばかりです。
よろしくお願いいたします。
平成27年4月28日
妙深寺

ネパール大地震について

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ネパールの大地震、大変な死傷者が出ていると報道されています。
余震が続き、倒壊を恐れて多くの人が建物の外にいるとのこと。
膨大な瓦礫の中には、未だ多くの方々が行方不明になっていると言われています。
午後、シェーカーに連絡しました。
彼の親族やインドのご信者さまに被害は無いものの、北部ビハール州でも3分ほど揺れていたとのことでした。
清康師と良潤師が帰国したばかり。
ネパールは、昨年も私たちが訪れた場所です。
カトマンズには世界遺産となっている仏教遺跡がいくつもありますが、その多くが今回の地震で倒壊したとのこと。
恐るべきことです。
54年ぶりに、チリのカブルコ火山が大噴火し、凄まじい大噴火の模様も報道されています。
人間の力など全く歯が立ちません。
地球。
自然。
人間の叡智を、人類の想像力を、僕たちの欲望を満たすためだけではなくて、天地、大地との、調和のために、活かすべき時が来ています。
大地震。
大噴火。
大津波。
本当に、恐ろしいです。
防潮堤とか、そうしたことの、もっと、もっと奥の、大きな、人間の営みの在り方に、みんなでメスを入れないといけないように思います。
今日、4月26日は、1986年のチェルノブイリ原子力発電所の大事故、爆発から29年目。
170トンの溶けた核燃料は、技術が確立されていないとして、未だにそのまま手つかずに放置されています。
石棺で覆われてきましたが、現在はさらに大きなアーチ型の構造物が建設されています。
耐用年数は、100年とか。
その間に、技術を進化させて、核燃料棒を取り出そうとしているのだそうです。
とにかく、何もかもが、いつでも、災害と災害の間。

生命の体験

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静かに湖面に浮かぶー。
空が映っていました。
ゆっくりと湖面を滑るように進んでゆくと、桜の花びらが浮かんでいて、通り過ぎてゆくことに気づきました。
小さな虫たちも。
自然を、そんな流れや、微細な、雄大な営みを、ゆっくりと感じられるなんて、なんて気持ちがいいんだろう。
また今回の生命を面白くする体験でした。
お兄に乗せていただきました。
いつもながら学ぶことばかりです。
今日は、大和法深寺の門祖会です。
素晴らしいお天気ですー。

レストラン指帆亭で結婚式

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毎日が記念日。
必ず誰かの記念日ですねー。
今日はレストラン指帆亭で、説雄さんと早苗さんの結婚式を司式させていただきました。
指帆亭は、西湘の海が見渡せる素敵なウェディングレストラン。
6年前、同じくこの素晴らしい場所で結婚式のご奉公をさせていただきました。
とても緊張します。
本当に、今日こそが2人にとって人生の記念日。
10年以上、毎月毎月、自分が席主となって御講を奉修してきた彼は、本当にすごい。
末永く、家門が興隆してゆく姿が見えるようです。
昭和39年、今から51年前、日博上人と共にブラジルに随伴ご奉公してくださった、佐野富雄さんの孫にあたる説雄くん。
素晴らしい花嫁をいただきました。
愛でたい日です。
御芽出度うー。

湖畔

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河口湖の湖畔。
おやっさんの霊前にお参りして、驕りや焦り、相変わらずバカなナガマツを反省。
ゴツゴツした、バカな僕たちを、かわいがってくれたおやっさん。
いく晩も、おやっさんのマンションに泊まり、朝はうどんを食べに連れていってもらい、またジェットスキーをして。
忘れられない思い出は、テツが事故で意識不明になった時のこと。
頭蓋骨骨折、脳挫傷。
おやっさんからの電話で、お袈裟とお数珠だけ持って、山梨日赤病院に駆けつけました。
集中治療室に入れていただき、おやっさんと一緒にテツの手を握り、死ぬんじゃない、がんばれ、負けるなよ、大丈夫だ、テツオ、テツ、死ぬんじゃない、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と、祈り続けた夜。
住職就任式にも来てくれたおやっさんですが、数年前に亡くなられてしまいました。
この世のことを、たくさん教えていただきました。
昨日、23日がおやっさんの月命日。
お参りさせてもらいました。
今夜はこの湖畔で大切な方々が集まる夜会です。

スリランカのためのミーティング

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今日はスリランカのご奉公について打ち合わせをさせていただくため、福岡御導師と一緒に大阪清風寺さまにお伺いいたしました。
はじめて、福島駅を利用し、駅から歩いてみました。
本当に大きな本堂を、あらためて実感。
反対車線から見る機会も少ないので、写真をパチリ。
スリランカのご弘通の現状を共有して、未来に向かえたらと思います。
異体同心はご弘通の基本。
異体同心であるためにご奉公があり、異体同心であるからこそご奉公になる。
テーブルを囲みながら約2時間、貴重なお時間をいただきました。
スリランカのご弘通が、益々発展してゆけばと思います。
明日は河口湖に参りマッスル。

大原哲夫編集室にお伺いしました。

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階段を上るように、ひとつ、ひとつ、積み重ねてゆけたら、いいですよね。
もちろん、人間だから、盛り上がっている時もあれば、沈んでしまう時もあります。
落ち込んだり、調子に乗ったり、イライラしたり、自信を失ってしまうことも、あるんですよね。
でも、そこで投げ出したり、あきらめたら、もったいないから、泣きべそかいても、スピードは遅くなっても、歩く。
藤村さんの手術、ジェッドのお母さんの手術と退院。
藤村さんの手術は無事に成功し、ジェッドのお母さんも退院できて元気そうだと聞き、本当にありがたいです。
毎朝、ご祈願させていただく方は増えるばかりですが、大切な方、関係のある方が増えているのだから当たり前。
これからも共に歩んでゆくのですね。
今日、お着物を着て、大原哲夫先生にお会いするために、編集室にお邪魔しました。
終戦70年ー。
『トランクの中の日本』を中心に、戦争と平和、そして仏教を考える特別展を、京都佛立ミュージアムで開催させていただきます。
20年前、大原先生は編集者としてジョー・オダネル氏と共に『トランクの中の日本』を世に送り出されました。
今日、お会いできて、本当によかった。
先生は小学館在籍当時から『モーツァルト全集』全15巻+1巻、CD190枚、『バッハ全集』全15巻、CD154枚などを出版されてこられた知る人ぞ知る出版界の巨人。
本当に、ありがたいご縁をいただきました。
何もかも、御法さまのお力添えをいただいております。
焼き場に立つ少年をはじめ、写真が物語る現実を通して、70年前の戦争を、一人でも多くの方の心にお伝えすることが出来ます。
次回の企画展には、小学館さまにもご協力いただけることとなりました。重ねて有難く思います。
先日、米国のジョー・オダネル氏のご遺族が、京都佛立ミュージアムでの展示を了解くださったとの知らせを聞き、嬉しくて嬉しくて、御講に出掛ける前に、あまりにも嬉しそうにしていたらしく、アレックスが何で嬉しそうにしているのか聞いてきました。
『トランクの中の日本』を見せながら、
「この少年を見て。この背中の子どもを見て。戦争がどれだけ怖いか分かるでしょう?この大切なお写真を使わせていただけることになったの。戦争と平和を伝えるご奉公に、使わせていただけるようになったの」
そう伝えました。
すると、
「それでダディはたくさんお金が儲かるの?」
と聞いてきました(笑)。
おもしろーい!
そっかー、…

京都佛立ミュージアムで授業ー。

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昨日、同志社大学の社会学部メディア学科のゼミの皆さまが、京都佛立ミュージアムに来館くださいました。
ゼミの授業として、「HIROSHIMA APPEALS POSTERS展」の作品を取り上げ、お一人ずつ1枚のポスターについてレポートを書くそうです。
午前中も、京都造形大学の授業として亀村俊二先生が生徒12名をお連れになり、ミュージアムに展示された作品を見せながら講義をされていたと聞きました。
本当に、すごいことであり、素晴らしいことです。
ありがとうございます。

最高のメンタルヘルス

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4月の教区御講、たくさんのお参詣をいただき、ありがとうございました。
暮らしの中に、み仏の道をとりいれること、とっても大切です。
御講を尊び、御講を喜び、御講を守ってゆくことは、ご信心の要。
ここに、笑顔があふれて、涙も流れて、子どもから大人、お年を召した方まで、ご宝前を中心に、学び合えること、思いやれることが、ご本意に叶う御講、感動ある御講、目標とする御講です。
自分のお家に、御本尊さま、お戒壇をお迎えすることは、スーパースペシャルありがたいこと。
そこに想いを集めて、朝に、夕に、手を合わせて、日々を送り、過ごし、暮らすこと。
どこからどうみても、最高のメンタルヘルスに違いありません。
そして、そのご宝前を中心に、御講という法座を設けます。
御導師をお迎えして、御講師をお迎えして、お参詣者を募って、法苑を設けるということ。
今の世の中だと、親しい人を自宅に呼ぶハウスパーティーも珍しいのかもしれませんが、仏教数千年の歴史の中で、仏陀をお迎えして、法を説いていただいて、ご供養させていただくという行為は、連綿と続けられてきた基本中の基本の仏道修行なのですよね。
こうした尊さ、有難さを、受け継げないでいたら、大変です。
とってもさみしいこと。
喜びの中で、御講をさせていただくことが大切です。
開導聖人の御指南。「歓んで参詣し、喜んで聴聞し、喜んで身を労し、供養をなし等、其の行者の志の厚薄にありて、其の財の多少によらず。唯御法の為に惜しまず、喜んですれば其の功徳、虚空に及び十方に周し」扇全十一巻三一五頁
「自ら喜び難き。これ罪障なり。居眠り、退屈、懈怠等、みな罪障なり。弘法の為に、身を動かし、心を用ふる事、喜ばれざる者、これ未除者也。この障りを除きて、喜んで説き、喜んで聞き、喜んで口唱読誦する者、喜んで法筵を設け、喜んで供養し、喜んで人を誘引して参詣し、喜んで供養を受けする者、法華経の持者、弟子檀那の菩薩なり」(勤行の度常に忘れざる事・扇全十五巻四一五頁)
本当に、ありがたい。
法光師、立耕師、清行師も、デビュー。

焼き場に立つ少年

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「焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。
 少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で弟を見送ったのだ。
 私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭があたりにただよった。今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか?」
写真キャプション 「焼き場にて、長崎/この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ちつくしていた。」
【『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』ジョー・オダネル、ジェニファー・オルドリッチ:平岡豊子訳(小学館、1995年)以下同】
 オダネル氏も被ばくしており、2007年に亡くなるまで約50回も手術を受けていたとのことでした。
『爆心地が目の前に広がっていた。一瞬息が詰まった。地球に立っ…