2015年4月2日木曜日

4月1日、198年目の開導聖人のお誕生日に拝見させていただいた御法門

御教歌   平成二十七年四月一日 月始総講

楽しみはさかぬ間にあり桜花 さけばちるてふをしさかなしさ
三界遊戯抄(一)・扇全六巻三二四頁

本日、198年目のご生誕日、お誕生日をお迎えになった、佛立開導日扇聖人お示しの御教歌です。

御題「本果妙より本因妙は御すきと奉存候」
本当の楽しみは、咲く前にある。
積功累徳、罪障消滅。その先にこそ現証の御利益がある、花咲く春がある。
私たちは、つねに種まきのご奉公に精進することが大切であるとお示しの御教歌です。

御教歌を再拝いたします。「楽しみはさかぬ間にあり桜花 さけばちるてふをしさかなしさ」

「此歌東京の三條公の歌の友 井上何かしか 大路玉田の手にある短冊をこひてもてかへりたり
さくと見は やかて櫻はちりそめぬ 花やなるゝるをいとふ成らん」

「本当の楽しみは、咲く前にあるのが桜の花ではないだろうか。なぜなら、咲いてしまえば散ることを惜しみ、哀しい気持ちになるのだから。」

桜は、菊と並んで日本の国花です。その国民が最も愛し、国を代表する花ということですね。
ですから、日本人の誰もが、その桜の真骨頂である、この春の素晴らしい、見事な満開の美しさを知っていますし、満開の桜を楽しみ、お花見もあちこちで行われます。
これは日本人であれば誰もが持っている心のはずです。

しかし、桜の花はほんの一週間で散ってしまう。満開の桜を楽しみながら、どこか寂しさを感じるもの。
つまり、無常を感じるのですね。
無常を感じるからこそ、愛や恩を感じられる。
もし、無常を感じられなければ、愛情も、感謝も、生まれては来ません。

桜。

「楽しみはさかぬ間にあり桜花 さけばちるてふをしさかなしさ」

○春の喜び。良潤の卒業と結婚、スリランカへの帰国、妙深寺スリランカコロンボ別院への着任。

喜びの溢れ出る、感動の春を迎えました。妙深寺の境内で咲き誇る今年の桜は、例年以上にひときわ美しく輝いて見えました。

三月十九日、ディリーパ・マドゥシャーン・良潤師が、優秀な成績で佛立教育専門学校を卒業いたしました。翌二十日、本山宥清寺のご宝前に於いて、佛立第二十五世講有・山内日開上人御唱導のもと、かねて妙深寺や長松寺で花嫁修行をしていたケネカさんとの結婚式を挙行していただきました。本当に素晴らしい日でした。

六年前、来日直後のディリーパ君の本堂でのご挨拶は英語でした。つまり、日本語ですることができなかったのです。その後、横浜国際教育学院に入学し、日本語を修得してゆきました。彼の努力と才能によって今では会話はもちろん、日本語の読み書きに苦労することもなくなりました。そして、見事優秀な成績で佛立教育専門学校を卒業することが出来ました。これほどの喜びはありません。
本門佛立宗の宗義を身につけた、英語、日本語、シンハラ語を堪能に話す佛立教務が誕生しました。このことがどれだけ未来の可能性を広げるか図り知れないほどです。
三月末、彼はスリランカに帰国しました。今後、生涯の伴侶となったケネカちゃんと手に手を取って、スリランカでのご弘通、ひいてはインドや南アジア全般のご弘通に力を尽くしてくれるでしょう。

昨年夏、妙深寺はスリランカ別院の地所と建物を、約二八〇〇万円の浄財を投じて購入いたしました。日本の本堂も老朽化が激しいのですが、向後のご弘通を確信してスリランカへの御有志を決断したのです。たくさんの方から結婚のお祝いもお預かりいたしました。

妙深寺教講の支えがあればこその旅立ちです。担任となる良潤師は、その決意や愛情、信頼の重さを噛みしめて、法城を護り、ご弘通の地歩を確かなものにしてくれるはずです。この場をお借りいたしまして、スリランカのご弘通、良潤師とケネカちゃんを応援してくださる皆さまに心から御礼申し上げます。

良潤の誕生、その存在は、皆さまのおかげです。本物のご信心を求める、確かなご信者方が、スリランカには存在しています。そのことを、今回の御講席でも確認しました。約一五〇軒の正宗徒の方々です。

本堂を眺めながら、今日の日が迎えられたのは、妙深寺の皆さまのおかげだと、つくづく考えておりました。満開の桜の花を見たようでした。
いや、だからこそ、この御教歌のように、結果だけではなく、これからのご奉公、ゼロからの出発を目指して、良潤と共に頑張ってゆこうと、誓い合っていました。

○春の喜び。清行の得度、誕生。

そして、三月二十一日、昨年十月十三日から妙深寺に入寺し、見習いとして修行してきたコレイア・悠時くんが、晴れて出家得度をいたしました。僧名を「清行」といただきました。今や、本門佛立宗だけではなく、仏教界の宝物・コレイア御導師が、十五才で、はじめて日本の土を踏んだのも、三月二十一日。そして、コレイア御導師が明子奥様と結婚されたのも三月二十一日。

そのお二人の間に次男として生まれた悠時は、いわゆる未熟児で、生後間もなく心臓が何度も止まり、お助行で生命をいただいた子だと言います。その子が発心して得度することになり、そんな過去を知る由もない私が得度式に選んだ日が太陽黄経の0度となる二十四節気の春分。三月二十一日だったのです。単なる偶然とは思えません。御法さまのお導き、日水上人や日博上人をはじめとする先師上人方のご采配を感じてなりません。

翌二十二日、小山ご講尊のお慈悲をいただき、浅草清雄寺にお参詣させていただきました。茨木日水上人がブラジルに仏教を伝えるために旅立たれたお寺です。妙不可思議の連続。考えて日程を組んだわけではないのです。有難いことでした。

本人は、今日からコレイア御導師と合流すべく深夜バスで京都に向かいます。五ヶ月間、一度も妙深寺の外に出さなかったのです。よく耐えました。
もちろん、これから羽を伸ばす、ということではありません。ここから、菩薩行の出来る、本物の佛立教務、弘通家を目指して、ゼロからの修行が始まります。
新しい仲間も来ました。一緒に、励まし合い、高め合い、ご奉公に、激しく、厳しく、精進してもらいたい。

○春の御利益。ニマシャとビハンガ。

ニマシャさんは、美しく若き女性。昨年六月のスリランカご奉公、シャンタさんのグループのお助行の席で、彼女が原因不明の頭痛に悩まされ、病院を転々としていると聞きました。
ご供養の席で、テーブルの前に座り、医師から告げられている非情な診断と、突然襲ってくる頭痛について、聞いたのです。
お家が大豪邸で、お父さんはビジネスで大変成功されていました。
ご回向の大切さ、罪障消滅の大切さを説き伝え、御祈願させていただくと約束し、妙深寺のご宝前でも御祈願をさせていただいてきました。
今回、真っ先に、真っ正面に座って、お参詣してくださっていました。聞いてみると、時を選ばずに襲ってきていた頭痛が、全く消えたというのです。
何度も聞き返しましたが、本当に消えた。本当に、ありがたいです。

同じく前回、ビハンガくんという3才のお子さんと会いました。
ご両親から彼を紹介された時は、3才を過ぎても全く言葉を話さず、お医者さまから発達障害を告げられているとのことで、お母さんは心底滅入っておられました。
あの時、ビハンガに声をかけても、ほとんど反応がありませんでした。事前に聞いていたので、日本からTシャツを買っていったのです。
しかし、約2週間前、シャンタさんからメールをいただきました。
「ビハンガが当然話せるようになりました。」
ビハンガくんのご両親も、御講席の時には真っ正面に座っていました。あの元気のなかったビハンガが、よく喋って、僕を見ては笑って、しかも、前回にプレゼントした「侍」というTシャツをわざわざ着てくれていました。
御講ミーティングが終わってから、ビハンガを抱き上げて、少し一緒に遊びました。本当に、ご両親が感激してくれていました。
この春の喜びは、格別です。

こうした御利益を目の当たりにして、御講終了後はご信者さまに囲まれることになりました。

・チンタ・アベイスリヤさん。ご高齢の方ですが、娘さんが近寄ってきて、
「重い病で母が苦しんでいるのです。どうか御祈願をしてください。何とか助けてあげてください」
と言われます。私からも、
「分かりました。ニマシャやビハンガと同じように、御祈願させていただきます。しかし、御利益は誰かからもらうのではなく、何より自分でお参りし、お看経して、いただくものです。もちろん、日本から願いを込めた御題目をお送りします。でも、それを受け止められるのは、純粋な、あなたのご信心。どうか、よろしくお願いいたします。」
と申し伝えました。

・もう一人、リキタ・ラトヤナヤケちゃん。ご両親、ご長女と一緒に近づいてきて、
「この子は6才ですが、障害を持っています。カタコトしかしゃべれません。4才の時に異変に気づきました。どうか、この子のために御祈願を御願いします。」

ビハンガの時も同じでした。同じように御利益をいただいてもらいたい。私からはチンタさんご家族にしたお話と同じことを伝えました。

とっても嬉しい春の御利益談。しかし、すぐに次の春、次の御利益を目指して、ご奉公が始まります。
ここが、本当の楽しみです。このことをお示しくださっている御教歌なのです。

○春のお助行。

昨日、一席のお助行に伺いました。
岩城さんのお葬儀の際に感動してくださった関係者の方が、余命宣告を受けて、もう数ヶ月の命と言われている方を妙深寺にお連れくださり、私が教化親となって御本尊を拝受された方です。
スリランカにいる間、
「母の容態が急変し、危ない状態です。住職に会いたいと言っています」
と連絡をいただきました。昨日、清従師と一緒にお嬢さまのお宅に伺いました。
死を、前提として、覚悟した上での、お教化でした。
御本尊を護持されて数ヶ月。桜の花咲く春を迎えました。
今日、お助行に伺うにあたって、どうしても妙深寺の境内で咲き誇る桜を見ていただきたいと思いました。
ポンコツのプリンターを直しながら、ようやくプリントアウトできました。
ご本人は、とても穏やかで、お二人の美しい姉妹に介護されながら、待っていてくれました。
これほどの幸せはありません。
今朝、途切れ途切れの意識の中で、ちょうど桜が見たいと言っておられたとのこと。
本当に、よかったです。桜を見ていただけて。とっても喜んでくださいました。
薄れゆく意識の中で手を握り、帰り際にはわざわざベッドの上に起き上がってくださり、抱き合い、お別れをしました。
ご縁をいただいて、ほんの3ヶ月。
しかし、一生分のご縁をいただいたように思います。

○春の喜び。橋のない川辺に暮らすスリランカのご信者さま。

以前、橋のかかっていない川辺に暮らすご信者さんのお話をしました。何と、今回のスリランカ出張で福岡御導師、コレイア御導師と一緒に、彼女の家へお助行に伺いました。
その日はいつもより水が少ないと言っておられましたが、一番深いところで膝の下まである幅二〇メートルくらいの川。この川を、お参詣するたびに渡って、水に入って渡って、お参りされているのです。
日本では、いくらなんでも橋の架かっていない川を渡ってお参りしている人はいません。遠くて、不便で、大変な中を、お参りされているのです。だから彼女はたくさんの現証の御利益をいただかれている。
本当に、積功累徳、お参詣の功徳、本門佛立宗のご信心の有難さを痛感するお助行、地域、姿でした。

○御題「本果妙より本因妙は御すきと奉存候」

どこまで行っても、本因妙です。
因果の道理は誰もが知る言葉ですが、その本当の意味をしっかりと噛みしめている人は稀です。
因果でいえば、どちら側を大切にするか、どちらに焦点を当てるか、答えは歴然としています。

お祖師さまの、開目抄(下)の御妙判。
「心地観経に曰く「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」等云云」

もちろん、結果は大事です。しかし、結果を見ても、なお永遠の種まきを意識して、未来を見据えて、積功累徳、罪障消滅を願うのが、佛立教講のあるべき姿なのです。
満開の桜を楽しんだから、ここからまた来年の春を目指して、努力と精進の季節を迎える。
虫の付く夏を過ごし、枯れ葉舞い散る秋を経て、寒さ厳しい冬を越えて、喜びの、満開の春を迎える。

○「愚人にほめ(讃)られたるは第一のはぢなり。」開目抄(下)

現証の御利益をいただく。それはそれは有難いことです。しかし、そこにただ安住していることも、ましてや油断したり、自惚れたり、それで終わり、ということでは本末転倒です。
私たち人間に、老いという秋、病や死という厳しい冬がある以上、立ち止まることは出来ないはずです。

先住が愛された開導聖人の御教句。
○「散りますと 花のいふのを聞いて呑め」

四季の中に、教えがあり、ご信心があります。無常を感じながら、なおこれからの一年を大切に、大切に過ごす思いがなければ、本当の「お花見」にもなりません。浮かれて、騒いでいるだけでは、日本人らしい、佛立教講らしい、お花見の仕方ではないのです。

嬉しい結果、有難い成果、楽しい時を迎えて、なお、さらに、また、努力と精進の心をたくましくする。

○「冬は必ず春となる」妙一尼御前御消息

必ずや、現証の御利益が顕れる。そのためにも、積功累徳、罪障消滅のご奉公、中でも、菩薩行をさせていただくことができれば、何倍もの功徳になり、何倍もの罪障消滅ができる、例年に比べて何倍も美しい満開の桜が見れるというのです。

だからこそ、美しい桜の花を愛でながら、皆が皆まで、また、さらに、花咲く春を楽しみにして、ご信心に、ご奉公に、努力、精進させていただくことが、大事大切とお示しくださる、御教歌で御座います。

故に御教歌に、「楽しみはさかぬ間にあり桜花 さけばちるてふをしさかなしさ」

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