2016年1月2日土曜日

『今年こそ、今回こそ』 妙深寺報 平成28年1月号

『今年こそ、今回こそ』

ご信心をさせていただくということは、今回はじめての生き方をしているということです。

ここが分からないと、私たちがいただいているご信心も、仏教の本質も分からないことになります。

生まれ変わり死に変わり、輪廻を繰り返してきた自分が、前回や前々回、いや、この地球上にある砂粒と同じ数くらい、何度も何度も繰り返してきた「生きる」「死ぬ」という中で、前代未聞の生き方に挑戦している。これが、ご信心にお出値いした、今回の、私たちの人生です。

  「今生」の「今回」の生き方を、最良、最高のものとするために、私たちは挑戦しているのです。

あまり実感が湧かないでしょう。しかし、この世に生を受け、それぞれ持って生まれた運命を背負い、限られた時間の中で精一杯の人生を生き切るために、このことについて考えなければならないのです。

生まれ変わり死に変わり、輪廻転生を繰り返してきた私たちの命。今回は虫、今回は動物、今回は人間、今回は男、今回は女、今回は敵、今回は味方。いろんな人生があったはずです。今回はこの人と結ばれ、今回はこの人と別れて、この度は愛して、この度は憎んで、繰り返し、繰り返し、今回、今生を送ってきているはずです。

恵まれた境遇にいる人もいれば、不幸に嘆いている人もいます。

「それもこれも過去に原因がある」

などと言われても、納得できないこともある。しかし、人生を積み重ねてゆくと、やはり普遍の法則の中で今があることを悟らざるを得ないものです。どんなに不幸の中にあっても「あぁそうか。そうなのか」と。

ご存じのとおり仏教の創始者はブッダです。そのブッダが、故郷のカピラバストゥのお城を捨ててまで求めたのは何だったでしょう。

王子としての何不自由ない生活を捨てたのは、今回の人生の中で気づきたかったからです。

人間は老い、病にもなり、必ず死を迎える。

では、どうやって生きるべきか。

どのように命を使うべきか。

どのような道を歩むべきか。

どのようなことを為すべきか。

仏教の創始者・御仏が「覚りを開いた」という時、その「悟り」の中身とは、人間として命を受けた自分が、今回どのような生き方をするかということに尽きます。

それこそが悟りの中身なのです。

ですから、仏教徒であるならば、今回の人生をどのように生きるかが、最も重要なテーマとなるはずです。

もちろん、誰もがみんな忙しいです。現在の自分の生活のために信心することも間違いではありません。

「病気を治してください」

「今の生活を何とかしてください」

「家族が健康でありますように」

私たちにはいろいろな願いがあります。そして、この私たちの願いに応じて、生きてまします御仏は、確かに「現証の御利益」を顕してくださる。

しかし、「病気が治った」「仕事がうまくいった」「問題が解決した」と喜んでも、そこで立ち止まったままでは、仏教の大命題にたどり着けません。その現証の御利益を、どのように生き、どのように命を使うべきかという問いや答えに、結びつけてゆかなければならないのです。

運命に縛られ、感情に振り回され、日々の生活に追われる中ではなかなか振り返れないことです。それでも、愛する人や自分自身の死に直面した時、誰もが生きている意味を問い直すでしょう。

お祖師さまが最も死を身近に感じられたのは龍ノ口の御法難です。この時を振り返って記された文章が遺されています。

今夜頚切られへまかるなり、この数年が間願いつる事これなり、此の娑婆世界にしてきじとなりし時はたかにつかまれねずみとなりし時はねこにくらわれき、或はめ(妻)に、こ(子)に、かたきに身を失いし事大地微塵より多し。

法華経の御ためには一度だも失うことなし、されば日蓮貧道の身と生れて父母の孝養心にたらず国の恩を報ずべき力なし、今度頚を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん其のあまりは弟子檀那等にはぶくべしと申せし事これなりと申せしかば」云々

つくづく、お祖師さまのご信心の核心とは、この命を以て、どれだけ人間らしく、どれだけ正当な佛立仏教徒として生きるかということに他なりません。

「美しくもか弱い鳥に生まれてきた時には強い鳥に怯え、捕らえられて命を終えた。鼠に産まれてきた時には猫に追われ、食べられてしまったこともあったであろう。たまたま人間に生まれてきても、愛する人のため、子どもや家族のために必死で生きていたら、時が過ぎて終わりを迎えた。あるいは、戦いに明け暮れ、敵に狙われて命を落としたこともあった。

しかし、今回は、重ねて人間に生まれることが出来、しかもこの真実の仏法、御法に出値えたのだ。今回こそ、私は法華経のために、御法さまのために、命を使わせていただきます。その功徳を、両親のご回向に、周囲の弟子や信徒に巡り向かわせて恩に報いたい」

私たちは、何のために、ご信心をしているのでしょうか。なぜ、ご奉公させていただくのでしょう。

有限の命。逃れられない人生苦、老い、病、死。これらを前にして、強く、明るく、正しく、偏らず、空回りせず、縛られず、縛らずに、今回生きられるようになることが、私たちがご信心をさせていただく本当の目的であり、本当の御利益なのです。

御教歌
「のりのため
   御奉公にてしゝぬれば
  人とうまれし
      かひはありけり」

ピンと来ないかもしれませんが、生きるためにご信心をするところから、ご信心、ご奉公するために生きられるようになれば、人間に生まれてきた甲斐があると教えていただいています。

「煩悩で死ぬことなかれ」

「人死して其身を亡ぼすといへども、一生なしたる其善と悪との行は亡ず。譬ば火をともして、夜る書をかくに、火はきえても、文字存するが如し。今生になしおく所の行、身亡びて後の世に、その報いを得てこれを成ず。今生のつたなきを見て、過去の行をしり、今生の善根信行の力によりて、未来をたのしむべし」扇全⑮一四九

今年こそ、今回こそ、今生こそ、前回とも、前々回とも違う、最高、最良の生き方をしてみせましょう。

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