2017年10月26日木曜日

追い込み






本当に申し訳ないことですが、次回展示の追い込みで追い込まれています。


何のためにこのような展示をするか。何のために努力しているか。


今回は、150年前の明治維新の前後、世界に冠たる日本型の民主主義国家建設を夢見た人びとがいたこと、そこに思想や信仰の対立があったことなどを紹介したいと考えています。


そして、その激動期に生きた長松清風という宗教家の存在、鎌倉期に出現した世界的宗教家・日蓮聖人の唱えた国家観、立正安国の思想、そこに含まれる民主的思想を、ご紹介したいのです。


この展示を通じて、これからの日本や世界の在り方を考えていただきたいという情熱があります。


11月4日には、長崎国際大学名誉教授、日本社会事業大学名誉教授、関家新助先生にテラコヤスコラ「明治維新×仏教」を開催いたします。


講演会のテーマは「私達にとってデモクラシーとは何かーその原点を探る ~幕末期の『藩論』を中心に~」です。


極めて貴重な講演になることは間違いありません。


昨日はブライトンホテルで日蓮聖人門下連合会 京都理事会に出席させていただきました。


大きな会議場でビックリしました。


日蓮聖人御降誕八〇〇年の慶讃事業について、お役目で説明しなければならないこともありましたが、京都佛立ミュージアムのチラシや関家先生の講演会のご案内もお配りさせていただきました。


また、ワイルド・アインシュタイン・塩澤文男先生の京都市上京区を活性化させるイベントについてもご案内させていただきました。


とにかく、私たちは次回展示について作業を進めますー(汗)。

2017年10月24日火曜日

明治維新150年記念展示「維新外伝 ~日本のアナザーストーリーズ~」 オープニング映像




今を遡ること150年。

この京都を舞台に、歴史は大きく動きました。

大政奉還、小御所会議、王政復古の大号令。

日本は「明治維新」という他に類を見ない大転換によって近代国家としての歩みを始めました。

『歴史はいつでも敗者に背を向けて、勝者を正しいとするものだということを忘れてはならない。』(シュテファン=ツヴァイク)

「歴史」とは、連続した“事実”が積み重ねられた一つのストーリーです。しかし、その傍らに幾多の選択肢があったことも“事実”であることに変わりはありません。

『巨大な「もし」を考えるとき、何より必要なのはこの構想力なのである。
歴史に「もし」は禁句だ、などと歴史家がいうのは、自分にそういう構想力が欠けていることを隠すためではないか。』(会田雄次)

日本の夜明け、近代日本の転換点となった「明治維新」から150年。

今こそ、ここで、歴史に埋もれた、あるいは隠されたままの、明治維新のアナザーストーリーにスポットを当てて、知られざる史実、事実を知らなければなりません。

あなたの知らない明治維新の真実。

「明治維新」という歴史的スキャンダル。

明治維新の背後には権謀術数渦巻く壮絶な権力闘争、思想や信仰の対立が存在していました。

その闘争や対立は凄惨な国内戦争となり、後の日本人の歩みにも暗い影を落とし、得体の知れない暗い影は現代にも深い闇を生み出しています。

私たちは、明治維新の「光」に目を奪われ、その「影」を見落としているのではないかー。

影の中には、これまでの評価が一変するほどの謀略、世界史を覆すほど純粋な理想や理念がありました。

前者は天皇を利用した政治工作、後者は日本人が日本人のために初めて唱えたデモクラシー。

京都佛立ミュージアム 明治維新150年記念展示 「維新外伝~日本のアナザーストーリーズ~」

日本が歩んだ道、日本が歩めなかった道。

日本に芽生えた思想、彼らが夢見た国づくり。

今だからこそ、明治維新という近代日本の原点に立ち返り、あのとき選んだ道、これまで歩んできた軌跡を見つめ、紡げなかった物語に思いを巡らせていただきたいと思います。

その物語の数々は、日本や、日本人を知る、新たな発見となり、同時に、私たちの希望や可能性にもなるはずです。

未完の明治維新。

私たちはどこから来て、どこに向かおうとしているのか。

平和を愛する、平和をもたらす、徳高く、美しい国・日本、そこに暮らす私たち日本人の誇りや実りある生活のために、ここで共に考えていただければと思います。

京都の秋のはじまり




御会式の翌日から次に向けて猛ダッシュ。


長野に行けず、京都に帰り、清康師を呼びつけて、2人で次回展示の準備をしています。


昨日、遣田御導師や奥さま、団参の皆さま御一行が、予定どおりのフライトで、台風が近くを北上中のはずなのにほとんど揺れることなく旭川までお帰りになられたとご連絡をいただき、本当に、何もかも有難く、感謝しかありません。


あぁ、ありがたい。南無妙法蓮華経ー。


京都はグッと冷え込んで、秋が一気に深まっている感じです。


とにかく、あと1週間。


京都佛立ミュージアムのご奉公に集中しなければ。

2017年10月22日日曜日

最高の御会式
















本日、旭川寺のご高職・田日植御導師にご唱導の栄を賜り、妙深寺の高祖会を奉修させていただきました。


超巨大な台風も迫り、大切な選挙も重なり、皆さんにとって大変な日だったと思います。


心ザワザワ、危険も迫り、それでも大変多くのお参詣をいただき、本当に有難いと多います。


御導師から御法門いただいたことは、そのまま現証の御利益ではなかったか。


難しい中、厳しい中のお参詣、ご奉公を、喜んでする、楽しむ、という実践に、仏教が説き続ける「功徳」がある、ということ。


昨夜から、本当に感動しっぱなしでした。


真里奥さまは、これまでのご奉公をお聞きしているだけで頭が下がる、本当にこちらが申し訳なくなるような極北の地でのご奉公。


福岡清耀師、奥さま、八重ちゃんにもお参詣いただき、これまで数年間のご奉公を振り返り、彼がいなかったら出来ていないと思い、素晴らしい節目となりました。


遠く北海道をはじめ、各地からお参詣いただいた皆さまに心から感謝です。


そして、何より妙深寺でご奉公くださった皆さまが有難く、本当の本当に宝物と感じて、感激しております。


厳しいスケジュール、厳しい状況であったから。


本当に、この数日間でお聞きしたことが、頭の中をグルグルと巡っていました。


特に、大親友の正ちゃんの家で聞いたお話が、グルグルと巡ります。


大物ではなく、本物になりたい。


あまりにも、表と裏があり、見方によって変わることも多く、そうであるとしたら何も信じられなくなるのは当たり前だと思います。


伝えたいのは、信心。


信心が、特異なものではなく、大切なものであるという到達点。


しかし、それが難しいものであるとなってしまう現実。


つくづく、この娑婆世界は、誰が本物か選手権です。


この壁を乗り越えて、ずっと寄り添っていきたいと思いました。


どこにもいかず。


利害関係でも、何でもなく。


南無妙法蓮華経ー。


涙が出ます。


本当に、今日は大変な中、ありがとうございましたー(涙)。


だからこそ、これまでで一番、最高の御会式でした。

2017年10月21日土曜日

明日


明日、やはり雨はたくさん降るでしょうか。


そんな中の、奉修、お参詣。


すでに北海道から、近畿、大阪、京都、長野などなど、遠方から横浜までお越しくださっている皆さま(涙)。


今夜の横浜は、しっとり穏やかな、恋人も濡れる街角です。


今夜は、外を歩くにも、全く傘もささず、御導師や奥さまにお給仕させていただけたのですが。


明日は雨。


めちゃくちゃに、ビシビシ、バリバリに、お参りしただけで、御利益がいただける、そんな御会式にしてみせる!


本気の住職でいきます。

「清地師」の誕生






















本日、アシェス・カドゥカを改め、出家得度して佛立教務「カドゥカ・清地」が誕生いたしました。


立派に御法門させていただくことが出来ました。


今日まで温かくお見守りいただき、感無量です。


ネパール人では2人目の僧侶となり、ギャヌは「清天」、アシェスは「清地」と名前をいただきました。


世界最高峰の山々をいただくネパールの「天」と「地」を思い浮かべて名前を選ばせていただきました。


今日は台風と秋雨前線の影響でずっと雨が降っていましたが、「雨降って地固まる」を思い、さらなる改良と精進を誓うしかありません。


末法悪世の中、妙深寺としては今年3人目の得度式となりました。


「天」に「嵐」に「地」。


どのような苦難困難でも、跳ね除ける、突き破るようなエネルギーを発揮してもらいたい。


いま速度を上げて北上している台風21号は、中心気圧925hPa、最大瞬間風速70メートルの超巨大、超強力の台風です。


「牛を転がすほどの風」ということは軽自動車なども動かしてしまう強烈なものです。


しかも、秋雨前線を刺激して大変な豪雨も予想されています。


本当に、十分に注意していただきたいです。


このタイミングでの高祖会、得度式でしたが、何とか奉修させていただいて、身を引き締めて、次に向かいたいと思います。


重ねて、明日、お参詣、ご奉公、よろしくお願い申し上げます。

2017年10月20日金曜日

明日、明後日









明日、明後日は、妙深寺の高祖会です。


台風が真っ直ぐ北上していますが(汗)、決して動じず奉修に臨みます。


お祖師さまに試されていると感じる今日この頃。次から次へと様々なことが起こります。しかし、絶対に負けてはならぬ。そう言い聞かせて前に進むのみ。


悪いところは頭に火の粉がついたかのように素直に改め、信心と信念は何があろうとブレずに貫く。


南無妙法蓮華経ー。


それだけ。シンプルなこと。


明日はアシェスの得度式を執行させていただきます。


先ほど、彼が改まって「2分だけください」というのでお控えの間に座ると、深々と得度式に望む自分の気持ちを話してくれました。


「生涯、見習いの気持ちを忘れず精進いたします」


日本人の得度者でもなかなかこのような清々しい気持ちや言葉は出てこない。


明日、また新たな同志、佛立教務が誕生します。


彼らは、きっと世界をより良く変えていってくれるでしょう。


昨夜、妙深寺インド親会場から清朋師が帰国帰山してくれました。


体調を崩し、経由地のカトマンズで清天師と合流し、彼が心配して病院に連れて行ってくれました。


そこは、私もよく知っている、旭が最初に運ばれた病院。


ギリギリのタイミングです、すべて。


すべては完璧なタイミングで進行している。


導かれていることを実感します。


日本で検査、しっかりと治療した方がいいと判断し、そのまま帰国いたしました。


今日、朝から千延姉が付き添って病院に行き、そのまま大事をとって入院することになりました。


お医者さまの診断でも大事には至らず、本人は元気でおりますが、じっくり、ゆっくりと、体調を回復してもらいたいと思います。


いろいろなことがあります。


この連日、京都佛立ミュージアムで次回展示の資料づくりに追われていました。


今日、高知県立歴史民族資料館の学芸員の方から連絡を頂戴いたしました。


山内容堂が慶喜に提出した大政奉還建白書と副書、これについての長岡謙吉の書状。


日本の最重要の分岐点の、ほとんど知られていない事実をご紹介したいと思います。


御会式の前日ではありましたが、今夜は大切な方との面談があり、東京にいました。


いま、横浜に向かっています。


とにかく、清朋師のご祈願と、明日、明後日は万難を排して、高祖会へのお参詣、ご奉公、なにとぞよろしくお願いいたしますー。

2017年10月18日水曜日

“Nagamatsu Seifu Ten”






“Nagamatsu Seifu Ten”
Capa:
Nissen Shounin (Nagamatsu Seifu), este ano completa 200 anos de nascimento. A foto da capa é uma raridade, fotografada em seus últimos anos de vida. Nascido em Kyoto, tornou-se renomado em meio ao povo, numa época de mudanças radicais na história do Japão. Foi aclamado como notável reformista budista, que reinstaurou a prática religiosa. No semblante de sua foto, podemos sentir tudo isso. 
Na sua vestimenta e faixa monástica preta, na poesia e desenhos do leque em suas mãos e em seu olhar compenetrante, além da profunda naturalidade podemos sentir a sua vivacidade em seu aguçado olhar. Também é possível visualizar a cicatriz em seu nariz descendo sobre o seu rosto.
Em meio aos senhores feudais, revolucionários e defensores da pátria que fizeram nome em sua época, Nissen Shounin desponta como um ilustre religioso. Dentre mestres religiosos, é raro encontrar uma foto tão notável como esta de Nissen Shounin.
Esta foto se encontrava guardada, no Templo Tyoshoji, em Kyoto, Shijyo, onde passou seus últimos anos. Algo que, nitidamente o simboliza como monge reformista que atuou no auge do período e restauração da Era Meiji, no Japão. Sua vestimenta e faixa monástica preta, simbolizam a sua advertência aos monges de seguimentos budistas tradicionalistas da época que priorizavam a hierarquia acima da salvação das pessoas.
O lindo leque nas suas mãos e a sua postura estática em que fita a quem observa, denota o seu raro perfil artístico, além parecer desafiar aqueles que buscam por glória e fama e que discriminam as pessoas. Suas cicatrizes, são traços da crueldade que, em prol do Darma, teve que enfrentar em sua época.
Contrariou as ostentações, despojando-se da hierarquia e de renomes. Foi alguém que simplesmente se entregou em busca da restauração religiosa, e que não titubeou diante das tentações e distúrbios da vida.
Qual seria então o budismo que ele almejou e qual foi o budismo que ele reinstaurou?
Todas essas respostas se encontram nas exposições que já realizamos em nosso Museu do Budismo Primordial, em Kyoto. Já foram realizadas as seguintes exposições:
“O Budismo e Sakamoto Ryoma”, “O poeta Miyazawa Kenji e o Sutra Lótus”, “Uma gota do Beija-flor”, “O Brasil e o Budismo”, “A Sri Lanka e o Budismo”, “O Japão em uma mala, nos 70 anos pós-guerra & A Paz e o Budismo”, todas foram exposições focadas na ótica e trabalho de vida desse grande Mestre Nissen Shounin.
Em Kyoto, de fato, existiu Nissen Shounin, um nobre a ser redescoberto. Além de notável monge, foi também um nobre herdeiro das artes e da cultura do período Edo. 
No entanto, lembremos, Nissen Shounin foi um reformista e não um revolucionário. Foi alguém que lançou uma pedra em busca da restauração no mundo budista, e que aplicou nisso todas as suas habilidades, fazendo voltar às origens o budismo propagado por Nitiren Daibossatsu. E dessa forma, do alto da sua despojada simplicidade, devolveu ao povo os ensinamentos budistas, e como devoto do Sutra Lótus, desde o início ao fim, viveu exatamente este estilo de vida. Realmente desconheço outro religioso assim.
Quando descobrimos a sua vida, ao mesmo tempo, redescobrimos a importância da prática budista como a esperança neste mundo conturbado de hoje. Pode-se dizer que, pela correta prática budista, em nossas vidas reacendeu a lamparina da esperança. Espero que todos possam deslumbrar-se na vida de Nissen Shounin, que percorreu a cidade capital, Kyoto, e que hoje faz correr em nossas veias a sua própria energia.
Palavras do Curador do Museu do Budismo Primordial, em Kyoto,  Nagamatsu Seijun. Pag. 3 do catálogo da Exposição “Nagamatsu Seifu Ten”, março de 2017. A quem também agradecemos o gentil fornecimento da foto da capa, propriedade da família Nagamatsu.





2017年10月16日月曜日

長松清風展 終了のご挨拶



京都佛立ミュージアム「幕末維新の仏教改革者・長松清風展」が平成29年10月15日をもって無事に終了いたしました。

約1万2千名の方々にご来館いただきました。「幕末の京都に知られざる傑僧がいた」と銘打ち、その出現や存在の特異性についてお伝えしようと努力いたしました。

佛立開導日扇聖人ご生誕200年慶讃の一助となったのであれば何より幸いに存じます。

撤収前にあたり、館内の様子を撮影し、ご挨拶をさせていただきました。

数多くの方々のご協力、ご来館、本当にありがとうございました。

引き続き京都佛立ミュージアムの受付では、歴史ドキュメンタリー映像「幕末維新の仏教改革者・長松清風伝」のDVD、「幕末維新の仏教改革者・長松清風展」の図録を頒布しておりますので、お求めいただければと思います。

次回「明治維新150年記念展示 維新外伝 ~日本のアナザーストーリーズ~」もよろしくお願い申し上げます。

ありがとうございます。

京都佛立ミュージアム 長松清潤拝、

2017年10月15日日曜日

台風ー?!


今日は朝から来週末の高祖会の準備ご奉公でした。


雨の中、朝一番からガラス磨きのご奉公、本当にありがとうございます(涙)!


引き続き熱気あふれる総打ち合わせ会議でしたが、天気予報を見てガックリ(汗)。


はるか南の海上に典型的な秋型の台風が生まれています(涙)!


総選挙の行われる日曜日は大荒れになりそう?


本当に大変です!


なにがあっても、ゆめゆめ退く心も、恐れる心もありませんが、ヤダー(涙)!


南無妙法蓮華経ー!

2017年10月14日土曜日

誕生日プレゼント








妙深寺の教区御講は昨日で全て終了し、本年のクライマックス、来週末の御会式へ。


有終の美を飾るべく、心を奮い起こしてご奉公に臨みたいと思います。


佛立開導日扇聖人ご生誕200年慶讃本山法要で一番嬉しかったことは、妙深寺から秋元さんご夫妻が泊まりがけでお参詣できたことでした。


6月29日、がんセンターにお見舞いに行った時は想像すら出来ませんでした。


あり得ないほどの現証の御利益をいただいて、京都までお参詣できました。


恵美子さんが、涙を流してお話くださったことは忘れられません。


開導聖人への、何よりの花束、誕生日プレゼントに違いありません。


「御供水は水と見ゆれども水にあらず御題目なり。諸々の薬の中には南無妙法蓮華経第一の良薬なり。故に水に非ず。御題目なり。


どうしても分からぬものは此経の御利益也。仰いで信ずべきのみ。謗者堕獄。信者成仏の二つのみ。


所詮は弘通広宣折伏信行口唱 現証御利益宗なり。

我身罪滅の為には折伏第一也。所願成就の基本なり。」扇全十四巻一五四頁


「会者定離は娑婆の習い」「生老病死は人の定め」とはいえ、たった一度の人生に、かけがえのない救い、支えがあります。


分かってもらえなくても、自分の命、自分の人生、確かに分かること。


ありがたいです。


今日は長野に向かっています。


朝の横浜はグッと寒くなり、まだ雨が降っていました。


今日も北陸新幹線は観光の方々でいっぱいです。


2017年10月12日木曜日

この国のかたち







 

明日は10月13日、お祖師さまの祥月ご命日。


連日、朝から教区御講を奉修させていただいています。


今日は池田さんのお席と鈴木さんのお席。


それぞれ思い出のたくさん詰まったご宝前です。


池田さんのマンションの裏には大きな森が広がっていました。


季節にかかわらず、お伺いするたびに、森の中から美しい鶯の歌声が聞こえてきて、それはそれは感動していました。


いつも、この季節は鳴かないよねーと言っていても、そんな時にも鳴いてくれるから、感動が何倍にもなって。


数年前、その森が切り拓かれてマンションになると聞き、どれだけ悲しい気持ちになったことか。


今日、お伺いして、立派なマンションが建っているのを見ました。


鶯の声は聞こえませんでしたが、手前の林の中から秋の虫たちの鳴き声が聞こえていました。


鶯も、森がなくなったのに時々戻ってきてくれていると聞き、嬉しかったです。


新しく建ったマンション。


まだ入居者は1組しかおらず、全く売れていないのだそうです。


全国各地で行われていることだと思いますが、貴重な森が失われて、人間のために開発されて。


しかし、そうしたことが見境なく過剰に行われていて、部屋が余ってるなんて愚かなことですね。


いま、僕たちが学生だった頃と同じくらいの「バブル」が来ているそうです。


いつの時代も官制バブルは読みが浅く、忍耐もない。


それだけお金を刷って回しても、潤うのは一部の人たちだけで、民の世界には回ってこない。


そうこうしている間に、バブルも終わる、大きな請求書の山だけが民の元に届くということになります。


ずーっと、こうです。


巨額の建設費や運営費を投じた御殿のような全国各地の保養施設が、たった1000円で売られていたニュースが、忘れられません。


中小企業であれば絶対に許されないこと、必死に働いている人たちであれば首を切られ、路頭を迷うようなことでも、国家事業では許されてしまうのでしょうか。


普通ならば、死に物狂いで責任を取る算段をするのに、誰もとらない。


そんな、また、バブルが来ていること。


余裕あって、いいですね。


お寺には様々な人がおられますが、一様に厳しい生活を迫られています。


偉い方々が内部留保をどのように民のために使ってくださるか、今か今かと待っていればいいのでしょうか。なんかおかしいです。


5年後には、住宅も供給過剰でパンクするんじゃないかな。


それでも、また変なルールでローンを組ませるために誤魔化すかな。


考えてしまいます。


総選挙。


政治家の方々が作ったテーマではなく、僕たちには僕たちのテーマがあるはずです。


ここまでグチャグチャなのに、大きな方向変化やシフトチェンジをするという総選挙が間近に迫って。


こういう悲しい世相を目の当たりにすると、こちらが選挙に出たくなります。


それは無理だけど。だからこそ選挙に行かなければならないけど、判断がつかない(涙)。


どの組織であっても、同じようなことが続いています。


改革と言いながら改革できない、する気もない。


運動方針、部局改変、人事考課やシステムなどなど、壇上では自分で褒め称えておきながら、内心では「このままではダメだ」「なんとかしなきゃダメだ」と思ってる。一番罪が重い。


戦争が始まっちゃうとか、始まらないとか、そういうレベルで考えてももはや仕方ないです。


もう、すでに戦争が始まっていると仮定する。そんな感覚で「この人にはこの国を任せられない」という、思想、行政手腕、根性が見えなければ投票できない。


バブルは終わる。しかも、気に入らないものが勝ったら、バブルを作っていた者たちはさっさと手を引き、内部留保が上手に使われてゆく。


あの時と同じように。


パフォーマンスなんかではない、大きな変革、根本的な地殻変動を起こさなさなければ、どこの国とも変わらない「日本」になってしまう。美しい日本などにはなり得ない。


『中朝事実』でも平田篤胤でもなく、この「日本」が歩んで来た稀有の道、その稀有の道こそが、人も文化も経済も含めて特別であったということ。


だから日本は美しいし、日本は愛される。


この国には美しい、美しいだけではなく世界に果たすべき役割がある。


徳を重んじる国。


とにかく、不在者投票をしたいし、絶対にしなければならないと思うのだけど、今はわけがわからない。


みんなが囚われの身。長くボーッとしていたツケだと思うしかないのかな。


なんとか、したいですね。

ガマゲさんのお参詣

ご弘通は一日にして成らず。もう一つ。3月末、スリランカのガマゲさんが妙深寺にお参詣してくださいました。 2006年、今から18年前にもなりますが、一緒にお助行に巡ったこと、今でも鮮明に記憶に残っている素晴らしい思い出です。コロンボ市内はもちろん、ゴール、カタラガマ、アヌラーダプラ...