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2009年12月29日火曜日
かりそめの父 清風
2009年12月28日月曜日
いのち
人が生きる姿を見て、いのちの重さを知り、苦悩する人を見て、いのちの痛みを知り、病床にある姿に、いのちの強さを知り、突然の別れに、いのちの淡さ、もろさ、はかなさを知る。
いのちとは、いのちとは。いのちを、知らなければ、生きていることにならない。いのちを、考える。
2009年12月27日日曜日
29日はお餅つき。是非、妙深寺へ。
お餅のつけない子どもたちは、大広間で小餅を作っていただきます。みんな、小さな子も安心してきてくださいね。
年末年始の風情に溢れた妙深寺。ありがたいです。
ブラジルで元気にやっています
日程表では、ブラジルのご信者さんのお宅にホームステイのプログラムもあったし、きっとインターネットのない環境にいたり、忙しく充実した毎日を送っているだろうなぁと思っていました。メールを読んで、「そのとおり!」とのこと。うれしい。二人が、遠いブラジルで、健康で、元気で、楽しく毎日を過ごしていてくれるなら。二人にとっては、真夏の、サマータイムの年末年始ですね。ありがたい。
2009年12月26日土曜日
幸せになって
今日は、名古屋に。建國寺の石川清優師と絢子さんの結婚式です。今年、本当に、みんなが月々に幸せになってゆくのが、一番嬉しかった。ありがとうございます。
二人とも、幸せになってください。
世界中が盲目になってしまう
「金スマ」という番組。オノ・ヨーコさんが出ていて、まさに、先日書いた記事の内容と同じことが放送されている、と。そして、同じく紹介した「HAPPY XMAS(WAR IS OVER)」のビデオクリップが全編にわたって放送された、と。素晴らしい機会を与えていただきました。あの、衝撃的な映像が、民放で流されるなんて。すごいことです。
そうでしたか。よかった。世界が、分裂と対立、中傷や誤解から解放されるよう祈りたい。恐ろしい兵器や銃器が人を殺すのではなく、一人一人の心の中にあるものが人を殺すということを、世界中の人々が気づくように。
「目には目を、では、世界中の人が盲目になってしまう(ビデオクリップの最後に紹介されるマハトマ・ガンジーの言葉)」
2009年12月24日木曜日
クリスマスイブの待合室
2009年12月23日水曜日
2009年12月22日火曜日
大、大、大渋滞
ところが、もう信じられないくらい混んでいて、新幹線で考えたら大阪まで往復して帰ってこれるくらいの大、大、大渋滞。こりゃ、もうたまりません。
年末だから車が多いのも当たり前、渋滞するのも当たり前、ということですが、この渋滞が、やはりいつも混む場所で起こっているから嫌になってしまうんです。運転は、行きが私で、帰りが清顕師。もう、会話もなくなりました(涙)。
渋滞緩和のために随分前から工事をしていますが、何年経っても完成しません。これは一体どういうことなんでしょうか?
イライラして書いたらいけないかも知れませんが、民主主義はコストと時間がかかるという一例?だって、明らかにソウルの渋滞とは意味が違います。いつ通っても、あまり作業している人を見ません。いや、もちろん、パラ、パラっとは作業員の方がいます。でも、主要幹線道路の工事って、これでいいんでしょうか?国や地域の血管、大動脈の手術なのに、あまりにものんびり。ずーっと工事です。
あまり早く仕事をしたら、会社がつぶれてしまうとか、公共事業に特有の事情があるのかしら。でも、この道路を作る企業や人の数より、この道路を使う会社や人の方が圧倒的に多いだろうし。
以前、IHIで働いていた山ちゃんから聞きましたが、横浜駅近くの陸橋は、工場で橋脚を作ったのに、あまりにも工場が長引いて、橋脚の鉄骨が錆びてしまい、作り直さなければならなくなったとか。なんのための、なんの工事や事業か分かりませんね。
ピラミッドを作るようにとはいかないでしょうけど、本来の「公共事業」の目的を根っこまで掘り下げて、技術を駆使して、たくさんの人の力を結集して、できないものかしら。どんな会社が何人規模でやっておられるのかなぁ。
ナガマツ兄弟
留守がちな父親として、昨日は二人を連れ出して、ちょっと散歩。車に乗ってドライブなんて、滅多にあることではない。長男は「男チーム!」と叫んでいたが、3人でのデートも悪くなかった。
みなとみらいに行って、気持ちのいい空気を吸った。さすが、横浜。しっとりとした海の香り、高い空。本当に、さっぱりした。
しかし、次男坊がウロチョロウロチョロするので、オチオチ空も眺めていられない。なだめたり、すかしたり、誉めたり、叱ったり、もう大忙しだった。
座るたびに手を洗わせたりするのだが、洗っても無駄だと諦めたくなるくらい、すぐにしゃがみこんで、何かを触る、いじる、グリグリ、ホジホジ。
しかし、さすがに長男は、よく面倒を見る。「寒い?」と聞いて「うん」と言うと、弟の手を握って「ハー、ハー」と息を吹きかけて温めてあげていた。本当に、やさしいなぁ、と思って、ナガマツ兄弟を見ていて、嬉しくなった。
どんな大人になるのやら。
23日9:30 本年最後の御総講
初めての 願主うれしや年の瀬に
2009年12月21日月曜日
心の病と向き合うこと
是非、現薫師のブログを読んでみてください。
ここにも、現薫師の書いてくれた文章を載せさせていただきます。
昨日、大阪堺で、Yちゃんの御祈願お助行があるとお知らせをいただき、お参詣させていただいた。市内の大渋滞に巻き込まれて15分ほど遅刻してしまいましたが、何とか間にあいました。お寺では、若い青年会から年輩の方まで沢山の方が御看経をされていてびっくり。熱烈な御題目の声が本堂に響いていました。
僕が、Yちゃんと出会ったのは、もう、一年くらい前になるでしょうか。長松寺のカフェに妹さんと一緒に何度か来てくれていたのを覚えていますが、その後、彼女の妹さんが長松ご住職にお姉ちゃんのお話をされ、それ以来、御祈願をさせていただいていました。
今回は、妹さんと友人の本成寺の松本君、扇田くんの呼びかけにYちゃんやご家族が応え、副導師とお寺の青年会を中心にお助行が開催されました。青年会はもちろん、本成寺の御講師や青年会、スカウトのつながりのある方、いつも長松寺の御修行にお参詣になっている方達など30人あまり集まり、遠くは姫路からTさんもお助行に駆けつけてくれていたのには、驚きました。
お助行が終わって座談会のようなになり、はじめて会う人も多かったので自己紹介をすることに。30人が自己紹介したのでちょっと時間がかかりましたが、それでも一言づつ励ましの言葉を語ってくださっていました。
はじめに、副導師が、これで何かを達成したのではなく、これからがはじまりですとお話になりこれからも家族と一緒にお助行を続けていくといってくださっていました。
中でも、Iさんのお話は本当に心に響きました。Iさん自身も統合失調症と診断をされていますが、松本くんからお助行があると聞いて、今回は、お助行をさせていただく立場でお参詣したそうです。ところが、自分の体調もすぐれないということで急遽、御祈願の言上をしてもらうことに。
それでも、挨拶の時には、自分も統合失調症で苦しんでいて、目には見えない心のことで、自分で何とかしたくてもどうしようもないというジレンマを抱えていることを同じ苦しみや辛さを持つものとして赤裸々にお話をしてくださりました。Yちゃんへの励ましの言葉だけでなく、周りの者もあまり、焦って求めずとにかく見守っていてほしい、そして、ここまでこれたのも、ひとりじゃないということと、御題目のおかげであるとお話をしてくださいました。
こうしてお話をされるということ自体が本当にすごいと思いました。その後に、ご主人の挨拶もありましたが、そばで温かく、そして根気強く、深い愛情とご信心をもって見守ってこられてきたのだと感じました。
また、Tさんは遠く姫路から駆けつけてくださり自分の体験を語ってくださいました。
3年前、仕事の同僚上司、家族友人といった周りの誰も信じることができなくなり、普通の生活ができなくなった時に、長松ご住職へ連絡をし助けていただいたんだそうです。病院にも行っていないので病名などはわかりませんが、一年ほど京都の長松寺でご奉公をしながら、ずっと御祈願を続けてこられ、その後、横浜妙深寺でたくさんの人たちに支えられ、ようやくいま仕事にも復帰することができたとお話をしてくだっていました。
Tさんは、当時のことをほとんど覚えていないと仰ってましたが、それでも、長松ご住職からのお折伏、言葉は心に残っていたそうです。Tさんは、Yちゃんに、今の状態は、信じる心が弱っているから、不安でも怖くても信じられなくても、御法様は裏切らない、御法様を信じて、たとえその御法様を恐ろしいと思ってもひたすら御題目をお唱えしていけば、昨日より今日、今日より明日と薄皮をめくっていくようにだけども、良い方向に向かっていく。
そして、自分が不安でしょうがなかった時、いつも後ろにはご住職や昔の妙深寺の仲間や青年会、ご信者さんが座って一緒に御看経をしてくれていた。だからこそ、逃げ出さずに続けてこれたし、いまでは仕事にもついて生活ができるようになった。だから、これからも御祈願を続けていこう、ゆっくりでも必ず必ず良い方向に向かうし、僕たちがついていると心強い言葉をかけてくださっていた。Tさん、すごい。本当にありがたいです。
Iさんのお話もTさんの言葉も、どん底で苦しんだからこそ、語れる言葉やし説得力がある。僕なんかよりずっと深い部分でYちゃんのことを理解して、言葉をかけてくださっていた。Iさんが言っていた。病気だから不幸、健康だから幸せという価値観じゃはかれないものがありますと。病気だから気づける大切なことがある。健康だから見失ってしまう大切なものがあると。真理だと思います。
本当にたくさんの方が彼女のために集まり、御祈願をしてくださいました。みな、ご信心の絆でつながって、苦しんでるって聞いたらいてもたってもいられないという気持ちで集まった人ばかり。佛立宗すごい。ありがたい。
ちょっと気がかりだったのは、ご家族がお助行に来た人達を気遣って頑張っておられたので、申し訳ない気持ちで、大丈夫だったかなということでした。Yちゃんもみんなの気持ちが強すぎて、プレッシャーになってないかと心配でしたが、帰り際に話をした時にしっかとした目で、最近仕事を始めたということを教えてくれたので、少し安心しました。
でも、まだこれから。妹さんからも御礼のメールをいただき、本当にありがたいお助行でしたが、一喜一憂することなく、これからも御祈願を続けてさせていただいて、少しでも支えにならせていただけたらと思います。
ありがとうございました。
2009年12月20日日曜日
昨夜、大阪で
本当は京都に行かなければならなかったのですが、年末の予定が立て込み、横浜からウェブでの参加となりました。移動がない分、身体は楽。肩は凝りましたが、よかったです。
夜は今年最後のボーズ・バーで、22時くらいまで、たくさんの方々とお話できました。ご信者さんではありませんが、千代さんのご友人である弁護士の先生がお二人、毎月来てくださっていて、こちらも勉強になります。とても楽しく締めくくることができました。
いま、横浜から長野に向かっています。長野は雪が降っていて、とても寒いと聞きました。今年最後の教区御講です。ありがたい。
昨日は、大阪で大切なお助行のご奉公をしてくださったとのこと。21時頃、現薫師から電話をいただいて、そのお助行が本当に素晴らしいものだったと聞きました。
私が、統合失調症を患っているY美ちゃんと出会ったのは、もう随分まえのことです。ちょうど、一年くらい前かな。松本くんが紹介してくれて、彼女の妹さんからお話を聞きました。それ以来、彼女や彼女のご家族は京都までお参詣くださるようになり、先日は車で横浜まで来てくださいました。
一年間、いろいろなことがあり、いろいろな日がありました。メールの交換や電話など、いろいろな機会を通じて彼女とつながってきて、ほんの数日前、仕事に行けるようになったと、彼女自身から報告してくれました。それは、彼女が抱えている病気からすれば、とても大変なことです。涙が出るほど嬉しかった。
今回、大阪近郊の布教区の青年会を通じて、岡山や京都まで若い佛立菩薩たちが集まり、彼女のいるお寺までお助行に行ってくれたのです。昨夜、そのお助行がありました。同じ病気から御利益をいただかれた方、岡山からはTABEちゃんも駆けつけ、励ましてくれたと聞きました。本当に嬉しい。ありがたい(涙)。もったいないです。
どうか、Y美ちゃんが、昨夜のお助行やみんなからの励ましを、プレッシャーに感じず、ただただ感謝して、ゆっくりでもいいから前に進んでくれたらと思います。これからも、ご祈願、サポートをさせていただきます。
本当に、ありがとうございます。
2009年12月18日金曜日
筋の通った男の言葉
大きな大きなホールでしたが、私の前にお焼香台が並べられており、私がお焼香させていただいた後にご家族、そして参列くださった大勢の方々も祭壇近くの焼香台まで出て、霊前へお焼香、弔主へご挨拶、という流れでした。
横浜で一番のレストランは
もちろん、値段ではありません。横浜の港近くでも歴史のある建物、ずっと変わらない内装、素晴らしいお料理、大切な方をお連れするには、最高のお店です。あまり行くことはありませんが、特別な時には必ず使わせていただきます。
山下公園から歩いて大桟橋に曲がる交差点の角にあります。一生に一度しかないご挨拶だったので、お連れできてよかった。私も幸せでした。ありがたい。
本当に、おめでとうございます。ありがとうございます。
2009年12月17日木曜日
京都の風情
京都に生まれて、横浜に育ったことで、伝統的で保守的な側面と、開明的でリベラルな側面の両方を学ばせてもらったように思います。どちらにも、プラスとマイナスがあり、双方に学ぶべきことがあり、その都市にも文化にも人間性にも、そのバランスが必要だと思います。
しかし、長い年月をかけて培われてきた文化や、守られ、続けられてきたものというものは、簡単に立ち上げられた「イベント」や「建物」とは違って、本当に深い趣を持つものです。続けることが大切で、守ることが大切という意味ですね。この麩屋町の長松寺も同じです。
16日夜、年末の御総講を勤めさせていただきました。一年の締め括りということで、開導聖人の御宝前に大勢の方がご挨拶のお参詣をくださいました。毎年毎年、伏見からも松本御導師をはじめ、大勢のお参詣をくださいます。守ってくださっています。守り続けてくださっているのですね。ありがとうございます。
年末の京都の風情。その中に、開導聖人がお住まいになった頃から125年目を迎え、そのままに守らせていただいている場所、麩屋町の長松寺、年末の御総講。責任重大です。昨日の夜も、緊張しながらご奉公させていただきました。役不足で申し訳ないのですが。
この麩屋町のご法宅は、これから200年、300年と年月を重ねてもお守りしていかなければなりません。1000年後も、この麩屋町の法宅が、そのままの当時の御姿で残されているようにと願います。便利な世の中になり、街のたたずまいも変わっていくと思いますが、ここだけは変わらずに、お守りしなければならないと思います。駐車場もなく、不便をお掛けするかもしれませんが、それでもいいではありませんか。
イスラエルのガリラヤ湖の湖畔に行った際、古い古い教会を観ました。当然、イエスの足跡を称えた教会で、本当に小さな小さな建物でした。無駄なものは一切無く、風や雨が吹けばホールの中もずぶ濡れになるのではないかと思われる建物でしたが、それでも千年以上そのままそこに存在している何ともいえない空気がありました。
無論、地震の多い日本ですから、出雲大社のように建て替えることを命題としている場所もあれば、一千年以上そのままの建造物もあります。とにかく、大切に守っていきたい、できれば麩屋町の長松寺は、この京都の町屋のたたずまい、開導聖人がお住まいになった家の骨格をそのままに残して後世に伝えたいと思います。
開導聖人は、「因循」を嫌われました。「因循」とは、辞書を引くと「古くからの習慣・方法を守っているだけで、積極的に改めようとしない様子」とあります。京都と横浜、日本と海外、その双方で学びつつ、プラスとマイナスがあることを知り、何が代え難いもので、何を改めるべきか、ここを押さえなければならないのだと思います。海外でご奉公させていただくことと、横浜でご奉公させていただいていること、京都の麩屋町を守らせていただいていることの意義を、しっかりと噛みしめたいと思います。
少しだけ麩屋町の庭に出て、草木を眺めさせていただきました。歴史、空気、気持ちいい。重たい気持ち、愚かな気持ち、情けない気持ちも、圧倒的な時間の流れを知ると、どれほど小さなことが分かります。
今日は横浜。夜、大切なご奉公を控えて、準備をさせていただきます。ありがとうございます。
真夏のブラジル
2009年12月16日水曜日
ヴァレリオ君の引っ越し
今回、その素晴らしい邸宅の写真を送ってきてくれた。重たーいファイルで(笑)。50メガもあったぞ、ヴァレリオ(汗)。とにかく、ありがたい。御宝前も荘厳されていて、とても素敵な、広く動きやすい家への引っ越し。素晴らしい。
Sunday, 20, I'll meet Ryosei shi. Last time I was still in the previous dwelling: will be a pleasent surprise for him! I'm preparing a refreshment for the occasion, we should be ten people (five from Florence & five from Rome)....
I hope that the photos, encourages you in the path.
This new house is not the point of arrive for me, but only the point of a new beginning in the HBS.
They testify the great protection of the Gohonzon.
Namu Myohorengekyo,
Namu Myohorengekyo...