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2012年2月29日水曜日

「どうぞ、どうぞ」

ラージギルに向かっています。子どもたちの学校が終わる15時から村の中でセッションを行います。

ブッダガヤとラージギルを結ぶT字路があり、ここが大変混みます。一昨日はすぐに通れたのですが、今日は全く動きませんでした。鳴り響くクラクションは当たり前のBGMですが、みんなイライラしているようです。

ギリギリのつば競り合いのように、我れ先にと車の鼻先を入れてゆきます。大型のバスからトラクター、車もバイクも、オートリキシャも人力車も、牛だって、この大渋滞の中で鼻先を入れ合っています。

実は、この前とてもスムーズに通れたのは、白髪のおじいさんがトラクターを運転していて、モタモタしていたので、私たちの対向車線側が一気になだれ込み、その流れが全く止まらなくなって、トラクターのおじいさんが立ち往生していたからでした(長い文章、ごめんなさい)。

かわいそうなおじいさん。後ろの大渋滞を引き起こし、いつにも増したクラクションの嵐をみんなから受けていました。

このインド。ちょっとでも「どうぞ、どうぞ」的な動きをしようものならば、そのまま前に進めなくなり、逆に大渋滞を引き起こしてしまうようで困ったものです。でも、ここにも、佛立仏教のエッセンスがあると思うのです。

私たちは、ただ単に「どうぞ、どうぞ」が良いことであるとは教えていただいていません。ただの「いい人」は「どうでもいい人」になってしまうことを知っています。迎合するわけでも、厭世的になるわけでも、善人ぶるわけでも、ただ傍若無人に生きていいと教えているわけでもありません。ここは、とっても大切なことだと思います。

前回も書いたように、菩薩行を深く捉えておかなければ、圧倒的な末法の嵐や人間の三毒の渦の中では翻弄されて終わってしまうことがあるから。正しく教えを理解し、実践し、厳しい社会の中で佛立菩薩として生きてゆかなければならないのですね。簡単なことではありませんが、このインドの大渋滞、「どうぞ、どうぞ」が通用しないほどの厳しい状況の中で、感じることがたくさんあります。

でも、救われるのは、クラクションを鳴らしながらも、そんなトラクターのおじいさんに対して本気で怒ってる様子ではなかった。「まったくぅ」という感じで諦めているような。そこが日本と違うかな。日本の方がすぐ「切れる」かも。アブナイ切れ方が多いのは、日本かも知れませんし。

雪の中の寒椿

うれしい。僕の寒椿。雪の中の寒椿になりました。

美しい。まだ小さいけれど、本当にきれい。

桜の木々にも雪が

こんな写真をインドの子どもたちに見せたいな。そういえば、インドへ出発する日も長野の雪景色の中にいました。

桜の木々にも雪が積もっています。慣れない雪に転んでしまう方がいるのではないかと心配です。桜の開花が遅れてしまうかな。

本当に、こんなに積もったのは珍しい。

妙清師の御一周忌

4年に一度の閏年。2月の最終日。さすがに珍しいことが続くのかな。

今日もラージギルに向かい、村の学校で子どもたちとセッションを行います。

今回のインドへのご奉公。このスケジュールしか取れませんでした。明日は妙深寺の月始総講で、妙清師の御一周忌を勤めさせていただこうとしていました。妙清のご遷化から、もう一年なのです。あっという間です。

しかし、6月1日を控えてインドへのご奉公を進めてゆくことが大きなテーマになっていますから、ここでタイミングを失することは出来ません。

昨年、妙清師がご遷化される直前、やはり海外のご奉公でした。妙清師にご挨拶すると、気をつけて、頑張って行ってくるようにと送り出してくださいました。そして、帰国するのを指折り数えて、待っていてくださった。一度は息を引き取る直前まで行き、みんなの御題目で息を吹き返したのですから、最後に「妙とは蘇生の義」を教えてくださった。

さすが、海外弘通の先駆者である日博上人のお弟子さまでした。私の帰国から数日後、周りの者に今生最後の挨拶の機会を与え、様々に指南してご遷化されました。妙清師がいなくなり、その存在の大きさに、今さらながら気づかされているけれど、残されたもので頑張っていくしかない。そう思っています。

今回、明日の月始総講と妙清師の御一周忌に私は日本におりませんが、霊鷲山でご奉公、ご回向させていただきたいと思います。

妙深寺のみなさま、日本でのご奉公、よろしくお願いいたします。

雪景色

横浜は雪景色。梅の花や椿の花に、雪がかかっているのではないかな。きれい。

この前、開導聖人が好まれたという白い椿と「京椿」とも呼ばれる「曙」という椿を植えたのだけど、その花や蕾にも、きっと雪がかかっていますね。

今日、インドの子どもたちに見せてあげたいと思います。

東京も、横浜も、雪。転ばないように、気をつけていただきたいです。

2012年2月28日火曜日

ネーランジャー河の川床

ネーランジャ河。スジャータの村から数キロ、干上がった大きな川床が姿を表します。向こう側に大菩提寺の仏塔が見えます。

6年間、厳しい苦行に身を投じていた仏陀は、これでは覚りに至らないと苦行を止め、憔悴した身体のままネーランジャー川(尼連禅河)の畔まで沐浴しに来られたといいます。

スジャータは、苦行で身をやつした仏陀に乳がゆ(P y sa)をご供養しました。このお話はスッタニパータなど多くの仏典に寄せられていますから、ほぼ、こうした出来事があったのだと想像することが出来ますね。

仏陀は、スジャータの乳がゆをいただき体力を回復されて対岸の菩提樹の下に赴かれました。

当時のネーランジャー河は豊かな水をたたえていたかもしれません。私たちは、干上がった川床を歩いて、
対岸に渡りました。

セーナー村の子どもたち

セーナー村で壮絶な夫婦喧嘩に遭遇。奥さんが旦那さんを怒鳴りつけていて、隣りの奥さんが仲裁に入ろうとしたら彼女も巻き込まれて大騒ぎに。周りは楽しそうに見てたから、エンターテイメントみたいなものなのかもしれませんが。

子どもたち。やはり、かわいい。

蹄の音を聞きながら

馬車を拾ってスジャータの村と伝えられるセーナー村へ。大菩提寺からネーランジャ河を渡って約2キロほどの場所にあります。

馬車の上で蹄の音を聞きながら、ゆっくりと時間が過ぎています。

マハーボディーテンプル

ホテルでのセッションが終わりました。朝からインターネットも携帯電話もつながらず、政府系の通信会社のトラブルとのこと。

大菩提寺に来ました。まさに世界中の仏教徒が集まっています。

生き残れるか

仏教が、生易しいだけの教えだとするならば、やはりインドでも、いやその他の国でも、受け入れられることはないだろう。この点は、よく知るべきだ。

混沌としたインドで生き残るためには、戒律や禁欲を求めるだけの仏教は特殊なもの、奇異なものに映る。そうした教えが尊いことは分かるが、自分の人生に取り入れられるわけがない、と考える。それよりも、弱者である自分たちを救ってくれるパワフルな神々に祈った方がいいとする。過酷な人生、過酷な過当競争の中で生き残りをかけた戦いを日々続けているからこそ、仏教が高尚な哲学や人生の倫理を説き、戒律を求めていると考えている人々は、仏教を避けるか、自分の人生には必要ないものとして避ける。

これらは、仏教の間違ったイメージか、あるいは法華経本門の教えとは異なるものなのだが、これを念頭に置かなければ、インドでも、いや日本でも、本当の意味での仏教の実践というものは出来ないと思う。

いま、世界中で生き残りをかけた戦いが激しさを増しているし、これからも増していくと思う。その時に、私たち自身も、余裕のある人がするチャリティやボランティアの一つのように菩薩行を捉えたり、耳触りのいい「善行」に加わるという単純な気持ちだけでは足りない時が来ていると思う。

まず、大前提として、油断していたら、すべてを失うということ現実を知るべきだ。嫌気が差すほど冷酷で冷徹な「因果の道理」というものの本質を知るべきだ。その上でこそ、本物の仏教、その本当の価値に気づくはず。

とにかく、甘い生き方では全てを失って当然、という厳しさを知らなければならない。

また、朝焼けを見ることが出来ました。

2012年2月27日月曜日

HBS Mission India 2011

2011年、良潤師のインド弘通記。同行したアヌラーダがまとめてくれました。スリランカの青年が編集した映像です。



インドの踏切

インドの踏切。もうぐっちゃぐっちゃで、笑えてしまう。次から次へと車やバイク、自転車が前に突っ込んできて、右車線も左車線も関係なくなる。久しぶりに長い時間列車が通るまで待ったので人間ウォッチしてました。いや、彼らの方が珍しい生き物を見つけたみたいに、着古した作務衣を着た坊主頭の東洋人をギョロギョロ見てましたが。

ようやく列車が通って踏切が上がっても、左右が車やバイクで埋まってるんですから前に進むはずはない。壮絶なクラクションの応酬が始まってグリグリ進んでいくんです。

嫌いじゃない、こういうインドのぐちゃぐちゃな感じ。

ちなみに最近スリランカではクラクションをやたらと鳴らすのが禁止になったのこと。シートベルトも着用が義務付けされました。シートベルトをしていないとお巡りさんに捕まるそうです。でも、アベイさんの車にはシートベルトそのものが付いてない(汗)。

そんな車も多いので、古いレギュレーションの車は見逃してくれるそうです。すごい。

西遊記の終着点

古代都市「王舎城」は文化遺産として保護されているのが幸いして、乱開発というか、どこにでも広がっていく人々の暮らしを受け入れず、深いジャングルとなっています。

仏陀釈尊が確実に暮らしたラージギル。第一次結集も第二次決集も、この地で行われています。この都市で仏陀の教えは編纂を開始し、この街の近くに巨大な僧侶たちの研修施設、ナーランダ大学が建設されました。あの三蔵法師・玄奘も、「西遊記」で有名な天竺を目指した旅の目的地は、このナーランダ大学に入学することでした。言い方を変えれば、西遊記の終着点、彼らが目指した天竺とは、このラージギルだったと言えます。

仏陀がみて、仏陀が歩んだ景色。仏教の原点。仏陀が法華経を説かれた地。

今日は霊鷲山の頂を見上げながら、ブッダガヤへの帰途につきました。古代の城壁が聳えるラージギルの峰々の向こう側に、夕陽が落ちてゆきました。

ビハール州の政変

いま、ラージギルは大きなプロジェクトが進められています。実は、ビハール州はインドの中で最も貧しく腐敗した州として知られてきました。ところが、2005年の選挙で政権が交代。約15年続いた「政府がマフィア」という状態は崩壊し、ビハールの人たちは歓喜したといいます。

シェーカーによれば、実際にこの数ヶ年で人々の暮らしは劇的に良くなったと言います。その中でも教育改革が進み、子どもたちの未来が開けるようになりました。

そういえば、2004年に福岡御導師に随行してインド開教御講に来た時、ガイドさんや現地の方々から「大切な選挙がある」と聞いていました。冗談みたいですが、その時、開教御講の後は必ずこの地は良くなるよ、と話していたんです。これもおはからいではないかしら。いつものように、完璧なタイミングは。仏教の場合、思い込みではないはず。シェーカーにちゃんと伝えました(笑)。

とにかく、州を挙げて、このラージギルにナーランダ国際大学が建設されることになっており、巨大な土地が区割りされています。すでに国際プロジェクトとして知られていました。警察官の養成所も建設されていて、すごい勢いです。

残念なのは、2004年と2011年に訪れたあの村が、この立ち退き対象となっていることでした。いろいろなサポートの方法を考えて、進めています。

ラージギルの畑

ラージギルとナーランダの中央に位置する村に来ました。広大な畑の中を、1時間ほど歩きました。

アヌラーダとダクシタ

スリランカから合流してくれた良潤師、続いてダクシタ君、アヌラーダ君。

これから打ち合わせをしながら早めの昼食を済ませてラージギルに向かいます。

アヌラーダは映像ディレクター。昨年10月のインドでのご奉公も、アヌラーダが編集してくれました。青年会では総務部長。

ダクシタは青年会の会計のご奉公をしています。元気なスリランカ青年会の中心に明るい彼がいます。

今年の8月の青少年の一座には青年会長のデュランとダスン君。ダスン君は青年会のオーガナイザーでFacebookの担当です。会長のデュランはものすごいイケメンで、先日の会長選挙で会長に再選されました。

今年の夏は熱くなりそうですね。

ブッダガヤの朝焼け

インド。朝の5時。目が覚めてしまった。タイから来た巡礼の人たちが慌ただしく準備をしているらしい。廊下で声がする。きっと、ラージギルか、大菩提寺に行くのだろう。

一人で屋上に上がってみると雄大な朝焼けが広がってた。大きい。本当に雄大な風景。少し肌寒いが、この独り占めは嬉しい。

昨夜、良潤師とアヌラーダ、ダクシタが到着した。シェーカーと清康師、全員でスケジュールの確認。6月10日、スリランカから30人がパシフィコ横浜・国立大ホールにお参詣してくれると聞いて驚いた。自費でのお参詣は大変なはずだが、30人も(涙)。ありがとうございます。

一方、スリランカで少し問題が起こっている。一般の新聞で私たちとは関係ない記事にHBSの御講の写真が使われているという。日本の仏教を攻撃する内容。ひどい内容だだ。「HBS」という名前こそ出ていないが、無垢なご信者の方々は動揺するだろう。誤報か何らかの意図があるのかは不明だが、冷静に異議を申し立てたいと思う。末法ではつきものの出来事だが、冷静に対処したい。こうした問題が続くなら、いっそ法廷に立って説明したいとスリランカ側に伝えた。

昨日の夜から朝にかけて、こんなことを考えていたから5時に目が覚めてしまったのかもしれない。でも、すてきな朝焼けが見れたから良しとしよう。

デスクの上にご奉安させていただいた懐中御本尊に御題目をお唱えして、今日のご奉公成就を願う。

2012年2月26日日曜日

インドの三日月

シェーカーと打ち合わせをしていました。しっかりとご弘通を考えてくれていて本当に嬉しい。去年のツアーの思い出話にも花が咲きます。今や彼はホテルの共同経営者。すごいなぁ。

インドの夕焼け。朝焼けも夕焼けも雄大で美しい。今日は三日月も出ています。見えるでしょうか。

子どもたちの笑顔

シェーカーのホテル、とても立派です。綺麗なお部屋に案内してくれました。

少しだけホテルの周りを歩きました。去年泊まったホテルのすぐ近くでした。懐かしい。余りにスケジュールがタイトで、どのホテルか記憶が定かではないけれど。

歩いていたら、子どもたちに囲まれて写真の取り合いっこをしました。無邪気です。

でも、写真を撮ってとせがんで来た少し小綺麗な服を着た女の子たちが来たら、裸足の男の子が離れてしまった。恥ずかしいとかではなくて、カーストや貧富の差で子どもたちの間にも壁がある。スリランカでは感じないインドの中の苦々しい想いがまた蘇る。

だからこそ難しいし、だからこそインドにカーストを越える仏教というアイデアを届けたい。取り戻して欲しい。仏陀が生きた国なのだから。

苦々しい気持ちが交錯しながらも、子どもたちの瞳や笑顔はいつも美しい。彼らの可能性を信じて、真に平和で、差別のない教えを伝えたいと願う。

ガヤ空港

インド、ビハール州のガヤに到着しました。心地よい気候です。機内が寒過ぎて震えてたからそう感じるのかな。

ガヤには、仏陀釈尊が覚りを開かれたブッダガヤ、菩提樹を擁する大菩提寺(マハーボーディー寺)があります。ネーランジャヤー(尼蓮禅)河のほとりにありますが、この河は写真のとおり季節によっては干上がっています。対岸には、仏陀に乳粥を供養したスジャータが住んでいた村・セーナー村があります。

とにかく、ガヤ空港まで無事に着きました。入管の方が一人しかいない(涙)。長蛇の列。最初は誰もいなかった(汗)。これは1時間以上かかります。いきなり、インドらしい。

ありがとうございます。

インドへ

ようやく搭乗しました。GAYAに向けてのフライトです。

空港のベンチで少しだけ身体を横にして寝ました。数分で起きてしまうけど。

あと4時間くらいでガヤに着きます。良潤師たちも、1時間のラグでパトナに着いているそうです。シェーカーのホテルで合流します。

それにしても、ご信者さんが経営されているホテルに泊まらせていただいてご奉公できるのは、有難いことです。志賀高原の一望閣を思い出します。一望閣、行きたいなー。日本一の温泉に入りたーい。そうしたら身体も治る気がする(汗)。

インドへのフライトです。

真実の出家

今ごろ、大阪の本泉寺では橋本宗之くんの得度式が行われているのかな。参列させていただきたかったけれど、彼が一番よく知っていると思うけどご弘通ご奉公で立ち止まってしまったら僕は死んでしまうし、彼の大切な得度式の日にインドでのご奉公に出ていたというのも、何かしらのメッセージになると思う。

今日、彼は「宗之」から佛立教務に生まれ変わる。同志の誕生を心から嬉しく思う。まだ18才。これからたくさんのことを学び、たくさんの壁に突き当たる。僕もそうだった。それでも、末法は本物になれるか選手権。御法さまから離れず、本物の佛立教務を目指して欲しい。いや、本物にならなければ容赦しない。

彼が小学校の卒業文集に寄せた文章が園美さんのブログに載っていて、小さな字だけど読んだら泣けたよ。12才から18才。いろいろなことがあった。僕は走っているだけのように思うけど、小さな瞳で、見てくれていたんだね。ありがとう、宗之くん。

末法でも、一般社会でも、「品質」が保たれているから一つの集団として成立し、そのアイデンティティを認められる。「佛立」「本門佛立宗」という看板は一つでも、「教務」の「品質」がバラバラで、そのご奉公(英語では「サービス」という)の内容も均等化されていなければ、全く社会に通用しない。

ここではこんな人がいるが、こっちに行くとこんな人がいる。個性は大切だが、その根底に流れるスピリット、佛立教務としてのご信心は一つで、そのご奉公は「ご弘通」「菩薩行」という一点で厳しく「品質管理」されなければならない。

ご弘通が低迷していたら、何が出来てもダメ。菩薩行に動けていない者は「佛立」ではない。品質検査で落ちてしまう。

僕が言うのも変だが、残念ながらお坊さんの世界は甘い。本来は最も厳しい世界のはずだが、他の宗派でも潰れるお寺は少ないように何とかやっていけるものなんだ。「佛立」では「何とかやっていける」程度のご奉公を許さないはず。しかし、
現実にはご弘通は伸びていないし、その伸びていないことを真摯に受け止めて厳しく改善を求める、というシステムが無いか、機能していない。

長松清風というお方は「ボウズ」が大嫌いだったんだよ。もちろん、「真実の出家」はこの上なく尊いものだと仰せになっている。しかし、とことん、とにかく、徹底的に、「生臭坊主」「回向坊主」は嫌いだった。

坊主の世界は、何度も何度も腐敗を繰り返してきたんだ。上座部仏教から大乗仏教、大乗仏教から密教と、教えの違いはあるけれど、衆生救済の使命を忘れて、僧侶たちが専門性と閉鎖性の中にあって、奇妙な独特の価値観や仲間意識に陥る時、その集団は存在価値を失ってきた。日蓮門下でも、同じく腐敗を繰り返してきたからこそ、門祖聖人があり、開導聖人がある。この「教訓」こそが「佛立」なんだよ。

坊主が坊主だけの価値観に陥った時、いい意味での疑問や期待を持っていた人たちは、お寺を離れていってしまう。しかし、それに気づく坊主は少ない。それで良しとしてしまう。「そうはさせるか」というスピリットが、佛立のアイデンティティだった。決して、分裂したり、独立したわけではない。「真実の出家」に最大の価値観を置いていた。

僕たちも、極めて厳しい客観性と品質管理の中に身を置いて、本物の「佛立教務」を目指そうじゃないか。

宗之くん、おめでとう。佛立教務として、真実の出家として、頑張ってください。

シェーカー君の御利益

バンコク時間で5時過ぎに着きました。横に広がった大きなハブ空港です。ここで6時間以上待つことになります。

今回のインドはブッダガヤをベースに、ラージギル・古代では「王舎城」と呼ばれ、法華経の説かれた霊鷲山のある街に往復してご奉公いたします。

昨年5月のインド・ツアーでシェーカーという青年に会いました。彼はガイドの見習いのように同行してくれていました。日本人が酔っていないのに、ガイドさんがバスに酔うという不思議な青年でした(笑)。

でも、そんな彼と野崎さんがゆっくり話をし、私もご信心についてお話をして、彼はインド人として正式な初の佛立信徒になったのでした。

シェーカーはすぐにバンガロールに住むアミット君をお教化をし、良潤師が2人に御本尊を奉安してくれました。ご家族は怪訝そうな顔をしていたそうですが、良潤師が丁寧に説明をして無事にご奉公が出来ました。

昨年の秋、間髪入れずにラージギルの村で下種結縁のセッションを行い、村人や子どもたちと一緒に御題目をお唱えしました。この時がラージギルでは3度目の口唱会です。

そして、今回。シェーカーは本門佛立宗のご信心をしてから、ブッダガヤで最も新しいホテルの共同経営者となり、栄達を果たしました。そんなベネフィット(御利益)を実感して、彼はさらにご信心を深めてくれています。

私たちは、今回シェーカーのホテルに滞在してご奉公を進める予定です。スリランカから良潤師やアヌラーダ君、ダヌシュカ君も合流してくれる予定です。そして、霊鷲山へ。何とか、ご弘通の端緒を開いてゆきたいと思います。

いま確認したところによると、飛行機が1時間遅れたみたい。まだまだ待たないと(汗)。

でも、バンコクの朝焼けが見れました。桜色の空。きれいでした。

2012年2月25日土曜日

仏法西漸

長野から戻り、準備をして妙深寺を出ました。空港に向かいます。0時20分のフライトです。バンコクを経由してガヤを目指します。

8年越しのインド弘通。昨年のインド団参で大きく動きました。インド人のシェーカーをお教化させていただき、シェーカーがアミットをお教化し、縁が縁を呼びました。鉄は熱い内に打つ。ここがタイミングと感得して、ついに霊鷲山での本格的なご奉公を開始します。仏法西漸。

羽田空港の国際ターミナルからの出発なので、本当に便利です。妙深寺から僅か20分くらいで着いてしまう。帰りは成田着。残念ながら遠いです。

積雪2メートル超

長野県信濃町。雪深いことで知られています。軽く2メートルは雪が積もっています。まさに雪国です。

教区御講、無事に勤めさせていただきました。たくさんのお参詣、ありがとうございました。

長野へ

長野に向かっています。雨の横浜でした。

昨日忘れていた綺麗な夕陽の写真です。

2012年2月24日金曜日

夕日がとっても

横浜に戻りました。明日の朝は8時過ぎに長野に向けて出発します。本当は今日が長野教区の御講でした。急きょ予定を変更していただきました。ありがとうございます。

インドの準備が間に合いません。妙深寺の3.11や6.10も、その他も。まだまだ、まだまだ、デスクワークもある(涙)。

長野新幹線、飛行機で寝る!考える。

とにかく、今日は有難い一日でした。

帰り道、夕日がとっても美しかった。いつも、感謝しています。

天然記念物のコースター

こちらは、国の天然記念物、倒れた高田松原の松から切り出して作られたコースター。この一つ一つに、痛みもあれば、復興への希望もあるのだと思います。

大船渡の鹿児島屋さまが被災地復興のために作っておられると聞きました。橋本社長から頂戴いたしました。本当に、ありがとうございます。

きっと、僕の一生の中で、国の天然記念物で作られたお塔婆に浄書させていただくことは二度とないでしょう。そうでなくては困ります。倒れてはならない松だったのですから。そのくらい貴重な松でした。

このコースターも、国の天然記念物で作られたコースター。二度と手に入らない、手に入れてはいけない、手に入れたくない、しかし、倒れた高田松原の松が、高田松原の美しい海辺や松を愛した陸前高田の方々が再び強い歩みを始めてゆくために、再び、形を変えて大きな力を貸してくれているのだと思います。

樹齢を表す細かな年輪が、コースターに刻まれていました。大切にさせていただきます。

復興支援の白ワイン

今日見せていただいた「うごく七夕まつり」と書かれた復興支援のためのワインセット。

素敵なグラスもついていまます。グラスの模様を見せていただくために十六茶を入れていただきました(汗)。高級本物は白ワインです。

こうしたものが着実な復興に必要なのです。阪神淡路大震災は被災した地域が約100キロ弱。しかし、今回の東日本大震災では1000キロに及ぶ海岸線が甚大な被害を受けています。しかも、大阪や岡山という巨大な都市に挟まれていた阪神淡路大震災の被災地と異なり、決定的に深刻な経済的ダメージを受けています。

ですから、こうして被災地の産業や商品が新たに生まれてくることこそ、本当の復興となるはずです。

このワインセット、秋山ご住職などを通じて求めていただけると思いますので、よろしくお願いします。

木碑に寄せた想い

足腰立たなくなりましたぁ(涙)。でも、まさに精魂込めて、下手は下手なりに精一杯ご奉公させていただきました。

この巨大なお塔婆が、陸前高田に建立されることで、少しでも亡くなられた方々のご回向になればと思います。また、このお話は秋山ご住職がご遺族から手を合わせられる場所が欲しいという声を聞いたのが始まりだったように、そうとおりご遺族の心の傷を癒やす場所になればと思います。

高田松原の松を提供くださった大船渡の鹿児島屋さま、それを実現してくださった常陸大宮の橋本建設さま、橋本社長、関係者のみなさまに、ひたすら感謝です。まさに、たくさんの方々の想いが結晶となった木碑、お塔婆です。

橋本社長が1週間前は雨の予報だったのに、本当に今日は晴れてありがたい、と言ってくださっていました。本当に、綺麗な空の下でご奉公できました。墨の乾きも早かったです。

3月11日、私も陸前高田にお参詣させていただき、精一杯ご回向させていただきたいと思います。

大塔婆のご染筆

頭の中に、陸前高田の風景、避難所で出会った方々、亡くなったご家族、福田さんの言葉を思い浮かべながら、一文字、一文字、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経とお唱えしながら、下手な字ですが、書かせていただきました。

まだ、側面が残っています。足腰がガタガタになりました。腕もしびれて、仕方ないです。ただ、被災した方々のことを思えば、何のこともありません。

高田松原の松に

不思議なご縁が結ばれて、常陸大宮市の橋本建設・橋本社長のご尽力により、陸前高田に建立する大塔婆が、国の天然記念物でもある「高田松原の松」を削り出していただきました。

大緊張の中、ご染筆させていただいております。