ページ

2015年8月30日日曜日

今夜の『おしゃれイズム』

六本木から、世田谷へ。

朝のレッスンは、やはり違います。

勉強になりましたー。

気持ちのいい汗を流し、世田谷別院にお参詣させていただき、そのまま会議でした。

今夜、篠原涼子さんが溶岩浴についてお話をしてくださるのですねー。

ありがたい。

この後、10時からの放送だそうです。

『おしゃれイズム』

富士山溶岩浴、インシー、マグマ、本当に気持ちいいです。

今朝はインシー六本木店

今朝は9時30分からインシー六本木店にてレッスンを担当させていただきます。

日曜日の朝、どんな時間になるかな。

《御教歌》
国のため わが家のため 身のためと
なるもみのりの 声のひびきに

レッスンの後、世田谷別院に向かいます。

2015年8月29日土曜日

復刊「ピカッ、ドーン!!(原爆)九死に一生を得た一銀行員」熊巳武彦:著



戦争や原爆の記憶を風化させてはいけない!

戦争は二度としてはいけない! 戦後70年を機に刊行。

『ピカッ、ドーン!!(原爆)
九死に一生を得た一銀行員の記録』 熊巳武彦著

昭和20年(1945年)8月6日(月曜)、

この朝、広島市の空は一片の雲もなくカラッと晴れ上り風もほとんどなく真夏の太陽がギラギラと照り輝いていた   (本書冒頭より)

 本書の原本は和紙に毛筆で書かれたものです。平成五年(一九九三年)熊巳さんは、原本を当時の内閣総理大臣だった友人の福田赳夫さんはじめ政府高官、アメリカほか各国大使館、原爆資料館、勤務されていた三菱銀行などに、英文の翻訳本といっしょに寄贈しました。熊巳さんの病床に、福田赳夫さんから電話があるなど多くの方から反響があったそうです。この頃はまだ、戦争は二度としてはいけない。原爆の悲劇を伝えなくてはいけない。そうした思いは、与野党を問わず広く共有されていたのでした。

 しかし今はどうでしょうか。戦争、原爆の記憶をもつ体験者も歳をとられ、いつの間にか風化が始まっています。核の脅威はいっこうに減らず、世界では戦火が止むことなく、日本が戦争に巻き込まれる危険は、以前にも増しています。

 熊巳武彦さんが体験した原爆の悲劇を、これからの世代にどうしても伝えていかなければいけない。こうした思いで、淑子夫人はご主人の武彦さんの遺された本書の刊行を決意されました。                      (本書「出版にあたって」より抜粋、大原哲夫)

熊巳武彦(くまみ・たけひこ)

明治40年(1907年)広島県双三郡八次村(現在の三次市)生まれ。法政大学卒業後、三菱銀行に就職。昭和20年(1945年)8月6日三菱銀行広島支店勤務時代に、原爆に遭遇。運良く九死に一生を得る。市民の血液たる銀行の再建に力を尽くした。三菱銀行退職後、昭和63年(1988年)80歳の時に広島での自らの被爆体験をもとに「核」の脅威を訴え、二度とこのような悲惨な戦いが起こらぬことを祈る思いで本書を執筆し、知人、親戚に寄贈。その後、平成5年(1993年)85歳を機に、一部修文し英語の翻訳本とともに政府高官はじめ各国大使館など、国内外の関係各所に寄贈。平成7年(1995年)87歳、東京、東中野で永眠。

『ピカッ、ドーン!!(原爆) 九死に一生を得た一銀行員の記録』

著者:熊巳武彦

編集・発行:大原哲夫編集室

印刷:大日本印刷株式会社

刊行:2015年6月30日

判型:活字普及版A5判変型 ソフトカバー 96 頁(写真入り)

価格:本体 1,400円+税   ISBN978-4-907523-02-2 C0023

*中高生にも読みやすいように、

 毛筆の原本を活字に起こし現代用語にあらため、脚注をつけました。

   戦後70年を機に刊行。多くの人に読んでいただきたいと思います。


*ご注文はこちらから
http://goo.gl/k4laCb
http://www.amazon.co.jp/dp/4907523025

「呪殺」という言葉

「呪殺」という言葉を、久しぶりに目にした。

オウム真理教の事件後、宗教団体が引き起こした一連のテロ事件を理解するために密教を学んで以来だ。

オウム神仙の会というヨガのグループが暴走を始めた時、ヒンドゥー教というよりもチベット仏教などの奉ずる密教に傾斜していった。

「密教(みっきょう)」とは、仏教のいわゆる「顕教(けんきょう)」に対する言葉だ。

日本では空海の創始した真言を指していたが、現在はインドやチベットに継承されている後期大乗仏教を総じて呼称する。

その名のとおり「秘密の教え」という意味を持っている。

これに対して「顕教」は、秘密にすることなく、明らかに説かれた教えである。

こうした区分は密教の優位性を説くために空海が設定したものだが、私は仏教の本質を壊しかねない乱暴な解釈だと思う。

すでに、空海については拙著『仏教徒 坂本龍馬』で矛盾を指摘した。

その指摘は空海の自伝小説を書いた司馬遼太郎の言葉を引用したものだが、私自身は全くそのように空海や密教を理解している。

「空海はさらぬ抜け出し、密教という非釈迦的な世界を確立した。密教は釈迦の思想を包摂してはいるが、しかし他の仏教のように釈迦を教祖とすることはしなかった。」

ほぼ、司馬の『空海の風景』の冒頭に出てくる文章だが、まさに彼らの「仏教」というものの本質を言い得ていると思う。

報道では、8月27日の午後、僧侶の集団、自称「呪殺祈祷僧団四十七士(JKS47)」が経済産業省前に集まり、「呪殺」という幟を立てて「呪殺」のための祈祷したという。

チベット仏教の創始者の一人、ドルジェタクは呪殺の名人であったという。

ダライ・ラマはドルジェダクという呪術師を信奉している。彼の自伝には、チベット脱出の直前、苦悩する中でドルジェダクを憑依させる専門の霊媒師を訪ね、ドルジェタクの霊を呼んで、彼に進退を問いかけていた。

今なお、チベット仏教徒が信奉しているこのドルジェダクという人は、敵を呪い殺すのに長けていたとされる人物だった。彼については、オウム真理教によるテロ事件が起こり、宗教者、仏教者が何ら事件の総括を行えずにいる中で、正木晃氏が『性と呪殺の密教 怪僧ドルジェタクの闇と光』(講談社選書メテエ / http://www.amazon.co.jp/dp/4062582570)という名著を出版して一石を投じてくれた。

密教、いや宗教の中の「奥義」なるものに潜む深い闇。

なぜ、オウム真理教が誕生し、彼らは無条件に殺人を受容し、教祖に対して性を開放していたのか。

本当に、闇は深い。

ドルジェダクが提唱していた奥義は、「無上ヨーガ・タントラ」というものだった。

その儀式は、西欧の秘儀などよりもおぞましい。

まず、師となる者が処女の女性と性交し、射精する。

その精液と血を、2つに分けて取り出し、弟子となる者が飲み干す。

その後、弟子がその女性と交わるが、射精はしてはいけない、というもので、この儀式を行ったものだけが出家することを許されたという。

実は、現在でもチベット仏教の出家式では、ヤクのミルクと赤い染料の水を弟子が飲み干すことになっている。

それは、このドルジェダクの儀式のなごりである。

果たして、これを「仏教」と呼べるか。

先日来、妙深寺から支援活動に入っていたカトマンドゥは「魔都」と呼ばれていた。

仏陀の仏教が、時間の中で発酵してゆく時、様々な化学反応が起こったのは事実である。

しかし、密教化は、仏陀の説いた仏教のエッセンスを飛び越え、発酵というにはあまりにも乱暴な方法で、時代に同化し、人びとに同化し、「宗教」という魔物に同化した。

仏陀は、人間の創始した「宗教」というものから離れたとすら思えたのに、密教は人間の求める「宗教」というものに、いかんなく「仏教」を放り込んだように、私には思える。

いずれにしても、「呪殺」という言葉を久しぶりに聞いた。

しかも、仏教徒から、僧侶から。

「ダイバーシティ」という掛け声のもとに、何でもアリの時代なのだろうが、仏さまの教えも、お坊さんも、何でもいい、誰でもいいというなら、何も無いのと一緒だ。

何でもいいなら、何も無い。

安易な自己解釈が、とんでもない禍根を残すことになる。

敢えて言うなら、どんな宗教団体でも、宗教者でも、常に権威的になる誘惑があり、教条主義に陥る甘い罠があり、ある意味で密教化する要素を多分に持っている。

私たちも、私も、持っている。

そう自戒すべきことは、仏教史が証明している。

ドルジェタクに代表される「呪殺」という密教的な儀礼や祈祷は、顕教の「祈願」と本質的に異なるものであることを明確に示さなければならない。

密教的なこと。

人生を空虚にし、誤らせる密教的な危うさは、東欧キリスト教に出現した鞭身派、ラスプーチンやオカルティズムの行方とあわせて検証してゆかなければならないことなのだが。

とにかく、本当に、こうした集団が「仏教」や「僧」の名の下にいることが嘆かわしい。

これを起点として、正しい仏教の解釈、生きた仏教への注目が集まることを期待したい。

これでは、仏教が世の中の希望であると、言うことも出来なくなる。

はたして、本当にそれは仏教か、仏教のエッセンスを継承しているか。

産地偽造や、遺伝子組み換え仏教なんて、とても食べられないし、健康に害があることを知って欲しい。

===========

・スッタニパータ第1章8「慈しみ」145〜147句 (清潤校閲)
他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。
一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
いかなる生物生類であっても、
怯えているものでも強剛なものでも、
悉く、長いものでも、大きいものでも、
中ぐらいのものでも、短いものでも、
微細なものでも、粗大なものでも、
目に見えるものでも、見えないものでも、
遠くに住むものでも、近くに住むものでも、
すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

・慈悲の瞑想
~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

 この世界には仏教という希望がある。

「願わくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」(法華経化城喩品第七)

佛立開導日扇聖人 御教歌
「となへよや 上行所伝の題目に 秘事も口伝も入った物かは」

2015年8月27日木曜日

万華鏡

窓を開けると、虫たちの鳴き声が聴こえます。

鈴虫かな。

コオロギかな。

季節の移り変わり。

月曜日の長野、火曜日の大阪、それぞれに、感じ、考えることばかりでした。

こんな僕でも、思わず、立ち止まりそうになります。

願いと、誓いを持たなければ、人生も、仏の道も、成り行き任せの、無気力なものとなってしまう。

願いを誓い。

願いを祈り。

立ち止まったまま現実を見すぎると、願いも誓いも失せてしまって、情熱が何処かへ行ってしまいます。

続けることは、難しいです。

イヤになったら、何でも止めればいいという世の中で、真実修行の道を歩むことは困難に違いない。

「受くるは易(やす)く、持(たも)つは難(かた)し」

アイデアを「サーフィン」してるだけだから、いつまで経っても迷うのです。

「インストール」しなければ身にはなりませんし、幸せには結びつかない。

また、ゆっくり書きます。

現実は現実で大切ではありますが、巨大な壁を乗り越えるためには、狂気的情熱が欠かせないと思います。

今年も、残すところ4ヶ月。

さらに、狂気的情熱を傾けて、精進し直さなければなりませんね。

そう言い聞かせています。

気づいたら子どもたちの学校も始まり、8月も終わりが近づいています。

いただいた小さな万華鏡。

その美しさを感じられるようになりました。

本当に、美しい。

大好きな空や雲が見えない時、この万華鏡を覗いて、ボーッとしてみます。

ありがとうございます。

2015年8月24日月曜日

関西情報ネットten.戦後70年企画 「だから、知る」

13才の夏

昨夜、青少年の一座から戻ってきたメンバーを本堂で迎えることが出来ました。

長男も。

彼は、この夏、「自分の心を強くしたい」と言い出し、「そのためには修行しかないと思います。どうかお寺に入れてください。」と言い、家を出て教務室に行ってしまいました。

彼なりに、自分のアイデンティティに悩んでいるのだと思います。

息子ということ。

ハーフであるということ。

こちらも、伝えたいことがたくさんあるのだけど、今は、簡単には、伝えられない。

勝手に頭を丸めて、毎朝5時過ぎに起きて、若い御講師方に教えていただきながら、彼は過ごしていました。

そして、岡山で開催された、青少年の一座へ。

広島から、突然電話がかかってきました。

「どうした?」

「いま、資料館を出たところ。」

「どうした?」

「ここで、ここで、たくさんの人が、原子力爆弾で死んだんだよ(涙)。」

「うん。」

「みんな、みんな、一瞬で、死んでしまったんだよ(涙)。」

「そうだ。」

「なんで、こんなバカなことをしてしまうの?なんでこんな恐ろしいことをしてしまうの?」

「うん。本当だな。なぜか。なんでか。とことん、考えような。」

そんな会話をしました。

神奈川布教区から参加した同世代のみんなと夜を過ごし、翌日はご講有ご唱導の一座へ。

13才。

長男にとって、今年の夏は、本当に濃密な夏だったと思います。

そして、同じくらいの年齢の少年と少女が、命を奪われた夏。

大阪の高槻市で起きた遺棄事件は、この夏の痛ましい事件の中で最たるものと思います。

マクロとミクロで、戦争と平和を見なければ、見たこと、考えたことにはなりません。

国と国との問題は、すなわち人と人の問題に共通するということ。

一面、優しい心も持っている人間が、凶悪な犯罪を行うということ。

すべては、マトリックスに、裏と表に、これとあれに、つながっています。

まだ幼い子どもを傷つける凶悪な犯罪。

鬼のような、悪魔のような、所業です。

私たちは眉をひそめ、犯罪者の断罪を望む。

それは、そのとおりです。

しかし、性的な交錯、偏向も、表面ではなかなか分かりません。

スイッチ1つで、鬼になる脆さを、多くの人が抱えて生きていると思った方が正しいと思います。

何十ヶ所も、傷つけられていたという少女。

1ヶ所だって、猛烈な痛さのはずです。

それを繰り返されている、その時、その空間は、どれほどの地獄、どれほど狂気の空間でしょう。

こうした、おぞましい事件を見聞きすると、深く感じて、深く考えてしまって、苦しくなります。

無機質な、ニュースで流れる言葉ではなく、傷の、一つ一つの痛さ、熱さ、恐怖、空間、叫び声や、狂気に支配された人間の満たされた心まで見えるようで、苦しくなります。

宗教者としてニュースを見るということは、そういうことだと思うのですが、あまりにも酷い事件が続きました。

しかし、敢えて、ここに、学ばなければならないことがあると思うのです。

その目を覆いたくなるような、狂人が作り出す狂気の空間が、戦争というものだから。

犯罪を冒す本人は、いたって平然と、いたって普通に、それが仕方のないことであるかのように、たくさんの真っ当な理由が存在していたかのように、それを行い、それを正当化するものだから。

人間というモノの本質を見据えなければ、戦争と平和は語れない。

長男が、戦争という蛮行や狂気に触れた時、自分の中、人間の中に潜む、同じことを仕出かす性質にも、少し気づけたらいい。

禁欲的になれとか、倫理的に生きなければならないとか、そういうことじゃなく。

人間とはそういうもの。

だから、深い愛が必要だし、それ以上に信仰が必要だということ。

み仏は、菩薩にもなれば鬼にもなり得る人間というものに、魂の手綱として、教えを説かれたのだから。

地獄の鬼にもなれば、餓鬼にも、畜生にも、修羅にもなるけれど、菩薩にもなれる人間に。

こんなことを思いながら、それでも、この世界は、もっと、もっと、もっと良くなると、信じて、信じて、生きることが、一番の幸せであり、一番すてきな生き方なのだと思います。

そう思う夏でした。

朝のお給仕に出る時、本当に涼しくなったことを感じました。

いま、長野に向かっています。

明日は大阪へ伺います。

2015年8月23日日曜日

夏の終わりに

号泣しました。

ヒック、ヒックと、泣きました。

東日本大震災、終戦70年のご奉公、感極まって、涙を抑えることが出来ませんでした。

多くの人々の心を震わせ、動かすとは、どういうことか。

今回、極めて貴重な機会をいただいて、本物を真近に実感し、勉強させていただきました。

自分の過去、自分の弱さも、至らなさも、不甲斐なさも、痛感しました。

レベルが違います、本物は。

「売れているものが良いものなら一番うまいラーメンはカップラーメンだ。」ヒロト兄

とことん突き詰めた本物の凄さを、痛感いたしました。

本物を前に、自分のニセモノが浮かび上がり、恥ずかしくなるくらいでした。

そこまで、本当に自分を磨いているかな。

そこまで、本当に命懸けで取り組んできたかな。

グルグルしました。

甲子園ー。

あの球児たちの立ち居振る舞い、まっすぐな眼差し、言葉に、70年前には普通にあった日本男児の姿を見ました。

焼き場に立つ少年と、同じものを。

では、私たちは。

本物の、本当の、火傷するくらい真剣の、呆れられるくらい情熱に燃えた生き方を、求めて、求めたいと思います。

憧れるのではなくて、生かされている以上は、そこに近づけるように、反省したい。

儀典祭礼では張本人が分からない。

坊さんの枠を出て本物の坊さんを目指せ。

心が、震えるようなこと。

愛する人を守るために、愛する人を残して、独り旅立つ人の心。

愛する人を、戦場に送り出し、待ち続ける人の心。

その心、その痛みを分からなければ、何をしても無意味なことのように思います。

家族を失う苦しみと、知らない人の命が失われる苦しみには、絶対的な違いがあるから。

命の、重さや軽さを選り分けるもの。

生まれ変わり、死に変わり、永遠の時に託す人間の愛に、涙が溢れるのでした。

ここから、また小さな、意気地なしの自分を励まして、また一から頑張ります。

貴重な機会をいただいたことは、忘れません。

これを活かすことが、感謝であり、恩返しであると思って、生きます。

ありがとうございました。

2015年8月21日金曜日

凱旋帰国

よくやりました。

素晴らしいご奉公でした。

無より有を生ず。

ダメなものがダメでなくなる。

妙とは蘇生の義なり。

まけん気と根気と慈悲。

行ッテ。

行ッテ。

行ッテ。

佛立魂。

素晴らしい。

佛立男児の凱旋帰国。

みなさま、ご祈願、ありがとうございました(涙)。

ありがとうございます。

2015年8月20日木曜日

ネパール大地震HBS支援チーフ報告 5 ネパール男児と佛立男児 ミッション 完了

チーフの清康師が、Facebookを更新しました(涙)。

ネパール大地震の支援活動、今回のミッションを、無事に、奇跡的に、お計らいの連続で、御法さまのおかげで、みんなの力で、完了できたとのこと(涙)。

すごい体験、壮絶なご奉公だった様子が、ヒシヒシと伝わってきます。

無より、有を生ず。

何もなかったところから、無償の慈悲を奮い立たせて、行動を起こし、尊い種を蒔き、有難い芽が出てくることを、私たちは目の当たりにしています。

いつも、支援活動は、この世の中も、人間も、捨てたものではないということを、被災地の方々とのふれあい、そこに辿り着こうと奮闘する支援者の姿が教えてくれます。

本当に、みんな、よくがんばったな(涙)。

ネパール男児の根性もすごいが、佛立男児の佛立魂を見せてもらっている。

出来るからしているんじゃない。

すべきだと信じているから、出来ないながらも準備を整えて、させていただいている。

本当に、有難いご奉公を、大過なく、完了してくれたこと、ご奉公者はもちろん、世界中でご祈願してくださっている皆さまに、心から御礼申し上げます。

本当に、本当に、ありがとうございました(涙)!

下記、清康師からのレポートです。

----------

今日は奇跡の連続でした。

朝から強い雨が降り続いていたので、土砂崩れの情報もあって、目的の村には辿りつけないかと思っていました。

しかし、その村から、20人くらいの若者からお年寄りまでが集まってくださり、土砂を取り除く作業に取りかかりました。

もちろん、私たちHBSメンバーもシャベルや鍬を借りて、土砂を取り除く作業に参加。

標高が高いので、通常より短い時間で息があがり、頭がクラクラして、すぐ気持ち悪くなってしまいました。
(年のせいかな)

土をかいて、かいて、かいて、かいて、、、

途中、また土砂が崩れてきて、危うく事故になるところでしたが、間一髪、逃げることができ、すごっ!

Miracle!

約二時間ちょっとで道ができ、これだけで感無量!

It's a miracle!

しかし村までまだ7キロぐらいあり、道はひどく、支援物資を積んだトラックの運転手は、これ以上進むことを嫌がっていましたが、何とか説得。

再び進みはじめ、他は大きな土砂崩れではなく、何度か四駆の車を降り、坂を押しがけし、車のタイヤに大きな石を挟んでスリップを回避しましたが、この大きな石にネパール人のボランティアスタッフの一人が挟まれ、足の親指を恐らく骨折してしまったと思います。

それでも彼は村まで行くと言って、かなりの距離も歩いて付いてきました。すごい根性、ネパール男児の生き様を見せてもらいました。

そしてついに学校に到着!

こんな標高が2000メートルもある山奥の学校に、やはりたくさんの子供たちが待っていてくれました!

着くなり早速セッションを開始。

雨が強く降り始め、あの土砂崩れの現場が、再び崩れたらカトマンズに戻ることができません。

帰りの飛行機のチケットは翌日なので、もう同じように土を取り除く作業はできません。

同行していたインド人のシェーカー君は、しきりにそのことを心配していましたが、私は「祈るしかない。ナムミョウホウレンゲキョウを一生懸命唱えよう!それしかない。」といいました。

そして学校の校庭に、御本尊をおかけした途端に雨が弱まり、ついには晴れてしまいました!

お計らいをいただき続けています!

その後、私たちHBSメンバーの紹介と、良潤師からお題目口唱の説明と練習をしてもらい、本当に短い時間でしたが、かえってもっとお題目を唱えたいという気持ちになったのでしょう、あちらこちらで「ナム?」「ミョウ?」と唱え、教えあっていました。

その光景はとてもありがたく、涙が出てきました(T . T)

そして文房具のプレゼント。

素直で本当にかわいい子供たちに、日本の皆さまの思いを、やっと、何とか、奇跡的に、届けることができ、またもや涙。

(T . T)

たいへん短い時間でのセッションでしたが、中身の濃い時間で、先生方や子供たちとうちとけ、またの再会を約束し、学校を後にしました。

次に向かったのはその先にある村。

支援物資、お米1トンをはじめ、様々な生活必需品をトラックに満載、詰め込んでいきましたので、それも村にお届けできました。

あの道のりを、トラックの運転手もかなり嫌がっていましたが、本当によく来てくれた。

村人たちの喜びようは大変なものでした。

土砂崩れの現場も治してくれていましたし、もっと長い時間、ゆっくり話して滞在したかったのですが、すでに夕方5時近くなっていたので、またいつ雨が降りはじめるか分かりません。

すぐに村を後にして出発すると、車がまたもや坂道を登れない(T . T)

何度も、何度も、車から降りては押し、大きな石をタイヤの前に置き、車がスリップしてひかれそうになったり(T . T)、タイヤにかきだされた石が何人かの足に当たって、幸い大きなケガにはなりませんでしたが、もうヘトヘトになり、無事にあの土砂崩れの現場も通過!

有馬清朋師もヒルに血を吸われていましたが、全てのミッション、ご奉公をまっとうすることができました。

途中、何度も予定をかえ、あきらめかけましたが、その度ごとにお計らいをいただき乗り越えることができました。(T . T)

山道から舗装された道路に出たら、車内で拍手と、歓声があがり、また、カトマンズ市内に入ると拍手と歓声!

みんな、良くやった。

本当によく、全てをこなし戻ってこれました。

世界中でご祈願をくださっているご信者さまがたのお陰です。

本当にありがとうございました。

これから空港に向かい、帰国いたします。

m(_ _)m