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2005年5月14日土曜日

バス・ボイコット運動

公民権運動の、大きな発端となった事件、そしてキング牧師が公民権運動の指導者となる事件が、モントゴメリーで起きた「バス・ボイコット事件」でした。その当時のバスが、博物館の中に置いてありました。

1950年代の南部では、未だ公共機関のバスの座席は、白人用と黒人用にはっきりと区別されていました。モントゴメリーの市バスでは、36席のうち、全部の10席は白人専用で、たとえ後部が満席で前部に空席があっても、黒人が白人用の席に座ることは許されませんでした。さらに、白人席が満席の場合、黒人が席を譲らなければならないと決められていました。
この不条理な規則に立ち向かったのが、42才の黒人女性ローザ・パークス。デパートに勤めていた彼女は、1955年12月1日、仕事を終えて帰宅するために乗ったバスで、白人席のすぐ後ろに座りました。その途中、運転手が立っている白人を見つけ、運転席から同じ列の黒人3人と共に席を立つように命じました。ところが、これを拒否した彼女たちは、ついに逮捕されてしまったのでした。
ローザはすぐに釈放されましたが、当時のNAACP(全米黒人地位向上協会)は裁判にあわせてバスのボイコットを計画します。当時、これだけ不平等の条件だったにもかかわらず、モントゴメリーのバス利用者の3分の2が黒人でした。そのバス・ボイコットを成功させるために、デクスター・アベニュー・バプティスト教会に協力が依頼され、その指導者となったのが、その前年に牧師に着任したばかりの、弱冠26才のキング牧師だったのでした。

ローザさんは90才で、いまも健在とのこと。彼女は、この事件で仕事を失い、いやがらせも続いて引っ越しを余儀なくされましたが、公民権運動の英雄の一人として今も人権活動家の人々から尊敬されているということです。

このバスの中には、彼女を模した人形があります。そして、私たちが収録をしていると、次々と黒人の女学生が乗ってきて、彼女たちとの写真会になってしまったのでした。

博物館の中で

博物館の中に入る前に、4~5台の大型バスが停まっていました。私たちはモーテルの前でラジオの収録をしていると、そのバスからたくさんの学生たちが降りてきました。彼らは校外学習のために、きっとこの博物館の見学に来たのでしょう。あっという間に囲まれてしまいました。
しばらくすると、あることに気づきました。学生たちは黒人と白人、様々な人種の子どもたちが一緒にバスから降りてきて、私たちもそれを当たり前だと思っていたのですが、目の前に集まってみると、ピタッと白人のグループ、黒人のグループに分かれてしまったのでした。私たちは西海岸のアメリカは良く知っていて、そこでの学生たちやよくある青春映画で描かれるようなアメリカの学生たちは知っているのですが、南部の学生たちと接するのははじめて。ここは、人種差別の愚かな歴史を刻んだ博物館であり、そこから人種差別が撤廃され、アメリカは様々な努力を尽くして年を重ねてきたのですが、目の前のこの学生たちを見ていると、やはりその傷の深さ、解決しようと努力していても、まだ至らない「壁」のようなものを感じました。
その後、この博物館の中に入りましたが、そこでも子供たちは別々に廻っていきます。その内容は強烈なものです。それを、白人の子、黒人の子、双方に学ばせることで、いつかきっと人種差別の愚かな「壁」も取り払われていくでしょう。

恐ろしい差別の実態を表す標識が展示されています。「公共プール 白人のみ」という標識や「公衆便所~白人のみ~」「飲料水←白人 黒人→」などなど。シャワーも分けられていました。こうした展示物が所狭しと並べられています。さらに、最も衝撃を受けたのは、木から吊された黒人の写真などです。こうした展示物を学生たちと一緒に見て回ったのでした。

さらに驚いたことですが、私はこの博物館に改良服とお袈裟をかけて参りました。すると、黒人の子供たちは合掌して頭を下げてゆくのです。本当に、何人も何人もの子供たちに、極めて真面目で、尊敬してくれている姿で、合掌して頭を下げてくれるのでした。有難いことでした。

法は人によって弘まる

仏教徒である私が、何故キング牧師に共感を覚えるかといえば、それはキング牧師がキリスト教的な価値観を超えて、東洋的な価値観、仏教的ともいえる思想で行動したと思えることからです。彼は「兄弟愛」を説いて、聖書によって人種差別を正当化しようとする勢力、暴力によって白人と対決しようとする勢力を説き伏せてきました。彼の伝記には、その両勢力から強い批判や中傷を受け、傷つきながら公民権運動のリーダーとして立ち続けていくキングが見えてきます。キリスト教の「牧師」ではなく、「宗教者」として素晴らしい、学ぶべき点がある、と思うのです。
宗教者が、その宗教を「表現する人」「体現すべき人」であるとすれば、その人の生き方、理想も迷いも全て含めて、宗教者の一生は、全て大きな意味を持っているでしょう。ある意味でキングは、誤解されていた、間違ってきた宗教解釈も、その一身をもって正し、改めよと説いた。その生き様に、やはり強く惹かれます。

私たちには「法は人によって弘まる」という教えがあります。どれだけ素晴らしい「教え」「法」でも、それは「人」を介して伝わり、弘まっていきます。どこまで行っても、この人間界でブッダの法を弘めるのは「人」だと教えられている。だから、御法を手にする「人」は、佛法を体現する者として生きられるように努めなければならないのだ、と。間違った教え、法を信じていても、それに関係する「人」が様々な要因から魅力的であれば広まってしまう可能性があります。逆に、正しい教え、法を信じていても、そこにいる者が教えを体現せずにいればどうか。私は、このキング牧師の生き方を見ていると、真実の仏教・本門佛立宗の僧侶として、「何をしている」「もっと精進せよ」と思えるのでした。

クー・クラックス・クランの白装束

ジーン・ハックマン主演の映画、『ミシシッピバーニング』という映画を覚えていますか。社会的な問題作を描くアランパーカー監督の作品で、1988年に公開されました。実話をもとに製作され、扱っている問題とFBI捜査官に扮したハックマンの迫真の演技が強烈で、一度見るとなかなか忘れられない映画だと思います。
アメリカの病巣、ほんの数十年前に起こっていた人種差別問題。その中心的な存在だったKKK(クー・クラックス・クラン)によって引き起こされた殺人事件を中心に、人種差別が色濃く残るアメリカ深南部の実態と人間の愚かさを描いた映画でした。一般的には「KKK」として知られる「白人至上主義」「反外国人主義」の秘密結社ですが、その名称はギリシア語の「車輪・円」を意味する“クークロス Kuklos”に由来します。また「クラン」とは「クランズマン」=「会員」という意味から来ているようです。

64年、ミシシッピーの小さな町で、3人の公民権運動家の行方不明事件が発生し、そこにFBIの若きエリート捜査官と、たたき上げのベテラン捜査官が捜査に乗り出してゆきます。ところが、住民は彼らに敵意をもった目を向け、KKK団が執拗に捜査を妨害する。困難な状況のもと、思想も捜査方法も正反対の2人は、対立しながらも事件の真相をひとつひとつ暴いていくという映画。あの時代とはどういうものだったのか、当時の南部社会がどうなっていたのか、実にリアルに描かれています。人間の尊厳や誇り、憎しみや悲しみ、怒りについて問いかけてくる社会派サスペンス映画です。
政治家から警察官という公職にある人が、ある種の自信と自覚をもって「人種差別主義」を標榜していたのは何故なのか。単純に「いじめ」のようなことをしていたのではありません。彼らはある種の目的や使命感を持っていました。現代の私たちから見て、「あれでも人間か」と明らかに憤りを覚えるような行為も、白人至上主義の彼らにとっては正当性があり、崇高な使命のためにやっているような感覚を受けます。
この映画をここで取り上げた最大の理由は、捜査に協力するはずの警官が、実はKKKのメンバーであることが判明し、包囲網が犯人に迫ってくる段階で、ここで警官の妻がジーン・ハックマン扮するFBIの捜査官に告白をするシーンがあるのです。彼女は苦しそうにアメリカ南部で人種差別が残り、夫もそれに巻き込まれてしまった理由を語ります。「教育が悪いのよ。子どもの頃から『聖書の創世記9章27節に書いてある』って教え込まれる」、と。人種差別は、南部の敬虔なキリスト教信者たちが最も敬い崇める聖書(バイブル)からきている、というのです。このことを知っていただきたいと思うのでした。

この章、創世記は旧約聖書の冒頭。ご存じの方もいると思いますが、特にこの27節の前後は「ノアの箱船」で有名な物語が書かれた部分です。箱船から出たノアとその家族が農夫になった後、ささいなことからノアが怒りだします。ノアにはセム、ハム、ヤペテという3人の息子がいますが、そのハムはしたことに激怒し、ハムの息子カナンを名指しして、25節「彼は言った。カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える」、26節「また言った。セムの神、主はほむべきかな、カナンはそのしもべとなれ」、27節「神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるように。カナンはそのしもべとなれ」。仏教徒の私からすると、この部分だけでも偏った考え方に恐ろしさを感じますが、これを「黒色人種はその特別な堕落の状態が述べられている」として、「カナンの末裔が有色人種である」という見解に発展し、「彼らが我々の奴隷となることは神が定めたのである」という解釈に至るのでした。

私は、このロレイン・モーテルの中に作られた国立公民権博物館で、この中に飾られたKKKの実物のコスチュームを見ました。映画の中でしか見たことのない、あの恐ろしい白装束が飾られ、それを小学生や中高生の黒人と白人の学生たちと共に見て回ったのでした。

2005年5月10日火曜日

あれから、2週間

帰国から、あっという間に時間が経ち、明日で2週間です。秋田にご奉公に行かせていただき、横浜妙深寺に帰山したのは30日の午後2時過ぎでした。そのまま夕方の4時から佛立開講150年奉賛記念大会の会議があり、布教区の管内寺院の有志者にご参集いただきました。この「グランデ・ファミリア」と名付けられた奉賛記念ご奉公は、今後の妙深寺、そして神奈川県下の寺院では最も重要なご奉公と位置づけており、30日の会議では奥山氏が事務局長に就任下さるなど、私にとっては非常に嬉しく、充実した会議となりました。時差ボケで頭がボーっとしていましたが、そんな疲れも飛んでしまうほど嬉しい第一歩でした。
次の日は5月1日。例月のお寺の行事では、最も忙しいのが1日です。月始総講があり、協議会という役中(ご奉公くださる方々)の会議があり、教務会もあります。しかも、5月1日には最近購入を果たした隣接地の地鎮の法要があり、この日も目一杯に充実した日でした。次の日の2日には、これも新しい試みで、妙深寺の近くにある「エンクエントロ」というレストランで、「ともしび法話」という会が催されたのです。これは、それこそ本当の有志の方々、高島さんという素晴らしいパーソナリティーと感性を備えた方がリードして開催にこぎつけたサロンのような試み。普段は固くなり過ぎて、実は住職とは話が出来ていないということで、こうした場所で「ティーパーティー」のような形で、住職を囲んでみよう、と。小さくて、本当に落ち着くレストラン、「エンクエントロ」は「出逢い」という意味だそうで、実は横浜経力寺のご信者さんが経営されているお店。そして、その名前の通りに、当日はご信者さんだけではなく、芸術家から詩人、歌人など、多くの方々が参集されていたのでした。ここでは、妙深寺所属で、ローマ芸術家協会名誉会員の詩人、安彦志津枝姉の詩の朗読会も開催。本当に素敵な会でした。和やかに、暖かく、盛り上がりました。そして、京都のご奉公に上がり、長松寺で御講有猊下の随身をさせていただき、横浜に帰山してから連日教区御講、布教区総会、御総講、神奈川布教区住職会、等々、、、、と。あっという間の、2週間で、今日、今さっき、夕方になって、ようやく落ち着いてPCに向かい、「ブッディスト・トランス・アメリカ」のことを考えられるようになりました。ようやく写真も整理して、見直して。
上のこの写真はグランド・ゼロ。あの時のこと、ご回向のこと、私の気持ち、御題目口唱の御声。それらを思い起こしていました。次の写真は、ロレインモーテル前のストリートにそれとなく置かれたテーブルに、キング牧師の写真が飾られていたもの。非常に印象に残っている風景です。
アメリカでは、何とか御祈願してくださっている方々のためにも、このブログで報告したい、と思って頑張って書いていましたが、読み返してみると誤字脱字ばかり。しかも、内容も単なる旅行記になってしまっていて、ラジオ収録で話をしたご信心的な中身が薄い。これは大変に申し訳ないな、と。運転して、深夜にホテルに着いて、そしてブログに書き込んでいたので、こうなってしまいましたきちんと、続けて書いていこうと思います。TJSラジオでは、5月13日(金)から放送という連絡がきました。ケンジ君が編集作業を続けてくれています。