宗教者が、その宗教を「表現する人」「体現すべき人」であるとすれば、その人の生き方、理想も迷いも全て含めて、宗教者の一生は、全て大きな意味を持っているでしょう。ある意味でキングは、誤解されていた、間違ってきた宗教解釈も、その一身をもって正し、改めよと説いた。その生き様に、やはり強く惹かれます。
私たちには「法は人によって弘まる」という教えがあります。どれだけ素晴らしい「教え」「法」でも、それは「人」を介して伝わり、弘まっていきます。どこまで行っても、この人間界でブッダの法を弘めるのは「人」だと教えられている。だから、御法を手にする「人」は、佛法を体現する者として生きられるように努めなければならないのだ、と。間違った教え、法を信じていても、それに関係する「人」が様々な要因から魅力的であれば広まってしまう可能性があります。逆に、正しい教え、法を信じていても、そこにいる者が教えを体現せずにいればどうか。私は、このキング牧師の生き方を見ていると、真実の仏教・本門佛立宗の僧侶として、「何をしている」「もっと精進せよ」と思えるのでした。
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