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2007年5月23日水曜日

訓辞 ~日博上人 最晩年のお言葉~

訓     辞

 本日茲に宗門一大行事である門祖五百御遠諱を記念し、吾が妙深寺は第二連合より第九連合を、第四連合より第八連合を、第六連合より第七連合の三ヵ連合の分連合を行い、これが式典を挙行するに当り一言訓辞を述べます。

 顧るに、吾が妙深寺は昭和十八年大東亜戦酣であった時、師命を拝し、野納正深、二百戸足らずの信徒を以て布教所を設立し、昭和十九年三月神奈川妙証教会の公認を得て開筵式を挙行致しましたが、昭和二十年五月横浜大空襲の焼夷彈数発を蒙り消火に努力致しましたところ佛天の御加護により焼失を免がれました。又四百戸まで御弘通の成果を挙げましたが一挙に八十戸に減少致しました。

 尓後二ヵ年復興教化に精進して四百五十戸に増加し、本堂、教務室、旧事務室、台所及び離座敷等を増修築致しました。昭和二十二年十一月八日 第十一世講有日颯猊下御親修のもと清光山妙深寺と寺号公称の慶讃大法要を厳修し、参詣二千有余を数えたのであります。そうして、同年十一月三十日には直ちに十教区三十一部の分教区分部の式典を挙行し、昭和二十五年の仏立講有第八世日歓上人の御七回御諱には壇信徒一千を突破、第八世に因んで教務員八名の達成と海外弘通の先駆となって、宗内の一大寺院になろうと誓願し、その悉くを成就して来たのであります。

 今の連合制は昭和二十三年の暮に二連合制をしき、二十四年に第一連合と第二連合の一部をもって、第三連合を分連合しました。現在のお寺附近に保土ヶ谷、戸塚、大和方面を以て第一連合とし、反町、六角橋、小机、港北方面を以て第二連合とし、子安方面より中区、磯子、杉田方面を以て第三連合としたのであります。そして二十五年には三連合より一連合の前里町等の一部を加えて第四連合の分連合をなし、二十六年には一連合より今の第五連合を、二十九年には一連合より今の第六連合を分連合致し、本日又こゝに三ヶ連合の分連合となったものであります。

 此の間教化に、社会事業に尽して幾度か表彰を受け、教務員は十五名を数えた事もありました。南米に巡教して海外布教の約も果たした妙深寺は、今の教務室である隣家の買収、庫裡及び庫裡の裏の家屋二戸の買収より、敷地の購入を第一歩に、大和別院の建立地六百余坪、三ツ沢墓地納骨堂建立地の六百余坪に次いで隣地百坪の購入を成就したのであります。今日教務員は十三名、実動九名、壇徒は一千四十六戸、信徒三百余名、九ヶ連合十八教区六十三部で役中は六百二十三名であります。昨三十七年は宗門の門祖五百回御遠諱前年祭、即ち準備年であり本年は正当の年で大法要と共に記念事業結集の年でありました。明年はこの結集の上に立って、出発々足の年でありますが、吾が妙深寺は宗門のこの大号令を受けて立って、妙深寺の第五百回御遠諱の年とするのであります。

 先ず四月二十七日には吾が師第十五世御講有日晨猊下の御親修にてこの一大法要を奉修させて頂きます。この時 墓苑及び納骨堂の完成慶讃法要をすると共に、何の御礼言上を御願い申し上げ、何を誓願すべきか、今日のこのよき門出に十分考突せん事を望みます。

 思えば隣地の立退きと拡張、大本堂の建立を期する外、大和別院日伯寺の建設、海外弘通の達成再確認、ハワイへの末寺建立を始め、末寺五ヵ寺の設立、教務員二十名増加、所属壇信徒三千戸達成等々の誓願を興して横浜市昭和六十五年三百五十万工業港湾都市建設計画に対応したい存念であります。

 昭和二十二年の寺号公称慶讃法要の折に三宝御宝前で御誓願を申し上げた悉くを達成した過去を想い起し、全山増壇高祖日蓮大聖人の仰せられました
「日は西より出ずるとも、潮の満ち干ぬ事はありとも法華経の行者の祈って祈りの叶わぬ事はあるべからず」
と又
「疑うならば信ぜざれ、信ずるならば疑わざれ」
と又
「昔の月は今の月、昔の功力は今の功力ぞかし」
と仰せられました事を挙々服膺して勇猛精進、獅子奮迅せん事を切望します。

 吾が宗門にも冠たる上に、第四弘通区のいつも陣頭に立つ妙深寺の僧檀、優秀なる教講諸氏、
「今正に是れ時なり」
と本佛の金言であります。

 一天四海皆帰妙法の祖師の金言を身に体して雄渾なる理想のもと、強大なる希望を持って、明るく、朗らかに、そして上品の中にも日蓮魂、佛立根性で何事も信心の腹の中で、御本尊の御前に南無し奉って、御弘通の為には私を捨て、小異をなげうって大同につき、異体同心に協力一致、霊峰富士山のような姿をもって御奉公に精進せられん事を以て訓辞と致します。

 昭和三十八年十二月一日 本門佛立宗 妙深寺
                   権僧正 清照院 日博 印





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