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2007年5月18日金曜日

嬉しい知らせと哀しい知らせ

 千葉から帰ってきた。有難いことに、金曜日はいつも首都高速は混雑するのだが、今日は全く快適な往復で夕方のご奉公に間に合った。有難い。
 御講の間に留守番電話。現薫師からだった。7月15日の本山開導会・青少年の一座で、吏絵ちゃんのご家族が吏絵ちゃんのご病気とご家族の体験についてお話をしていただけるという。これほど感激したことは久しぶりだ。
 吏絵ちゃんとは、いま13才の女の子。一昨年、11才の吏絵ちゃんは体調を崩して病院に行った。部活のテニスのし過ぎで、身体が疲れていて風邪がなかなか治らなかったからだ。しかし、病院で告げられたのは「白血病」というものだった。
 私は、京都の長松寺で本山でご奉公くださっている吏絵ちゃんのお祖父さま(吏絵ちゃんのお母さまのお父さん)、前川さんとお会いした。そして吏絵ちゃんのことをお聞きした。その頃、本山には妙深寺から清水清康師がご奉公しており、学生師をはじめ、お助行を開始してくださった。吏絵ちゃんのお母さまが嫁がれてからご信心をされていなかったということだが、吏絵ちゃんのことや皆さんのお助行もあってご主人の暖かいご理解もあって御本尊を奉安し、お参詣や御祈願をされるようになった。
 私は、この時から今まで、約2年間、朝夕のお看経、妙深寺本堂でのお看経、長松寺の御総講でも言上と御祈願をさせていただいてきた。朝参詣終了後、妙深寺の教区長が病気の方へのお助行をされているが、その中でも御祈願言上をしてくださり、その輪は広がっていった。その御祈願をロスに出張中のひろし君に伝えたところ、ひろし君はホテルのPCの前で泣いてくださり、ロスでも御祈願してくれた。ベルリンに留学している田口くんにも伝えたところベルリンでも御祈願をしてくださり、イギリスのヴァネッサに伝えたらヴァネッサも御祈願してくださるようになり、ブラジルでも吏絵ちゃんへの御祈願をしてくれるようになった。スリランカでは青年会がこれまでに2度、24時間の口唱会を開催しているが、24時間口唱会の直前にも電話で連絡を取り、「これから吏絵ちゃんの御祈願をさせていただきます」と若者たちが言ってくれていた。まさに、地球を一つに結んでくれた吏絵ちゃん。吏絵ちゃんの御祈願。
 その吏絵ちゃんは、厳しい抗ガン剤治療を何度も何度も頑張ってくれた。髪の毛だけではなく、眉毛、いや睫毛までが強い薬によって抜け落ちてしまう厳しい治療だ。それを彼女は乗り越え、これまでずっとずっと頑張ってきた。今でも「定業能転、病気全快、学業成就」と御祈願させていただいている。
 その吏絵ちゃんとお母さまが、本山の御宝前の前で、イジメや自殺の問題など「命を見つめ直そう」という青少年の一座でお話をしてくださるという。何と有難いことだろうか。16日の長松寺の御総講で前川さんとお会いした時にも、「今回のお話は奇跡談のようなものでなく、ご家族のありのまま声をお話していただけたらとありがたいです。そのお話を通して、生きることとは何か、私たちの命とは何かをみんなで噛みしめてもらいたいと思っている」とお伝えした。先ほど、現薫師からの連絡で、お母さまが快くご理解をいただき、ご奉公してくださるとのこと。もう、感謝感激、有難い。6月にもう一度抗ガン剤治療があるとのこと。何としても無事に乗り越えられるように御祈願をさせていただきたい。
 哀しい知らせとは、先日お助行に伺った小泉さんの呼吸が止まったとの連絡。今日は日赤の元看護婦長であった妙深寺の瓜生さんが朝から小泉さんのお宅に詰めてくださっていた。正教師も私の姉も、ずっと小泉さんの家でお助行してくださっていた。約2年間、いろいろな小泉さんの姿が頭に浮かぶ。奥さまのお姿、ご家族のみなさま。さっき、御宝前で小泉さん心肺停止との言上をさせていただいた。その後の連絡を待っている。
 お祖師さまの御妙判、
「生生世世の間ちぎり(契)し夫は大海のいさご(沙)のかずよりもをゝくこそをはしまし候けん。今度のちぎりこそまことのちぎりのをとこ(夫)よ。そのゆへはをとこのすゝめ(勧)によりて、法華経の行者とならせ給へば佛とをがませ(拝)給べし。いき(生)てをはしき時は生の佛、今は死の佛。生死ともに佛なり、即身成佛と申す大事の法門これなり」
 永遠の時間の中の一瞬。その人生の中で、夫となり妻となり、法華経本門のご信心で結ばれた。一瞬の出会いではあっても、御法の御縁によって永遠のものとなるはず。速やかに娑婆に戻ってきていただいて、また共にご奉公させていただきたいと思う。今生では、わずか数年間のご信心だった。何かご奉公のお役を受けていただきたいと思っていたが、それは叶わなかった。しかし、不思議な魅力のある方で、古くから存じ上げているような、そんな気持ちを抱かせていただいていた。
「出る息は入る息をまたず(御妙判:御妙判とはお祖師さまのお手紙)」
とお諭しいただくのは、このことだろう。私たちこそ、無常の身の上。一日一日のご奉公に懈倦なくさせていただかなければならないと教えて頂く。
「出る息は入る息をまたず、いかなる時節ありてか毎自作是念の悲願をわすれ、いかなる月日ありてか無一不成佛の御経を持たざらん。昨日が今日になり、去年の今年となる事も、是期する処の余命にはあらざるをや。総て過にし方をかぞへて、年のつもるをば知るといへども、今行末にをいて一日片時をも誰か命の数に入るべき。臨終既に今にありとは知りながら、我慢偏執、名聞利養に著して妙法をとなへたてまつらざらん事は、心ざしのほどむげ(無下)にあひ(愛)なし」
「暮れ行く空の雲の色、有明方の月の光までも心をもよほす(催)思ひなり。事にふれ、をり(折)に付けても後世を心にかけ、花の春、雪の朝にも是を思ひ、風さはぎ(戦)村雲まよふ夕にもわするゝひまなかれ」
「春の花の風に随ひ、秋の紅葉の時雨に染る。是皆ながらへぬ世の中のためしなれば、法華経には「世皆不牢固如水沫泡煙」とすゝめたり。「以何令衆生得入無上道」の御心のそこ、順縁、逆縁の御ことのは既に本懐なれば、暫くも持つ者も又本意にかなひぬ。又本意に叶はば佛の恩を報ずるなり。悲母深重の経文心やすければ、唯我一人の御くるしみもかつがつ(方方)やすみ給ふらん。釈迦一佛の悦び給ふのみならず、諸佛出世の本懐なれば十方三世の諸佛も悦び給ふべし。我即歓喜諸佛亦然と説かせ給へば、佛悦び給ふのみならず神も即ち随喜し給ふなるべし」
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、

2 件のコメント:

  1. ありがとうございます。 体に病があるにもかかわらず、こうして私達に大切なメッセージを伝えようとしてくれている吏絵さんを素晴らしく思います。 そして、こうして様々な国、場所で国境を越えて、みんなの心を1つにさせていただけるきっかけをも作ってくれている様におもい、ありがたいと思います。今後とも、ささやかながら吏絵さんの御祈願をさせて頂きたく思います。
    ありがとうございます。 

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  2. 田口くん。
     ありがとうございます。
    ベルリンから読んでくれていたんですね。有難いです。
     いま、僕は「哀しい知らせ」の小泉さんのお宅に一人で伺ってきました。手を握り、顔をさすりながら、御題目をお唱えして。
     吏絵ちゃんの御祈願、遠くベルリンから田口くんが御祈願してくれていたことをお手紙に書いて吏絵ちゃんのご家族に伝えていたんです。本当に国境を越えて、みんなの心を一つにしてくれていると思います。この気持ちを、また多くの人に伝えたい。
     これからも頼みます。
     ありがとうございます。

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