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2007年6月30日土曜日

ひろし君の御講

 昨夜、ひろし君の自宅にて御講が奉修された。入信したばかりの方々、その方の友人までお誘いしての御講席。夜の19時からの御講となり、お参詣者は約12名。 和やかな、そして緊張感もある御講席となった。

 妙深寺では、教区御講(導師御講)のほかに各受持御講師による部御講があるが、それ以外にも青年会御講や壮年会御講、入信したばかりのお宅に伺って1年間奉修する(1年後には部御講に移行できるようにさせていただく)入信者御講や、家族御講などその方のご信心がしっかりと前に進むようにご奉公させていただいている。

 ひろし君の御講は、お教化をされた方々をお集めして奉修する「入信者御講」でもあり、「妙深寺のアニキ」として若い人がお参詣させてもらったりする御講になっている(いつしか)。

 広いリビングに御宝前をお迎えしており、その前に小さな座布団を用意してお参詣する。そして、お看経、御法門、御供養をいただきながらの質問大会などをさせてもらった。

 さすが、「妙深寺のアニキ分」と勝手に自負しているだけあって、若い人がこんなにお参詣してくれたこともあり、たくさんの御供養を用意してくださっていた。輪を囲んで、御供養をいただきながら、「神さまって、佛立宗ではどう考えるんですか?」「江原さんとは何が違うんですか?」「そもそも『謗法』って何ですか?」などなど、面白い質問が出てきて、楽しい。

 また、最後の質問はお友だちからだったが、とても大切だった。「私の実家では、大地に感謝し、地域の氏神さまに感謝し、周りでもしっかりと助け合いながら、カチッとまとまって生活している。そこに、なんでわざわざ仏さまは本当はこうです、本当の信仰はこうですってやらなきゃいけないのかな、と思って」と。
 私は、感心した。そして、そういう地域があることは、とっても素晴らしいことだと思った。
 「しかし」と話をした。
 「お祖師さま、日蓮聖人も同じようにお考えになり、そして悩まれたと思う。みんなある地域では地域地域の神を敬い、ある地域では真言宗や念仏を信仰して、ある意味ではカチッとまとまっていた。でも、ふと目を転じると自然界が人間界が大変なことになっていて、戦争や紛争もある。子どもたちも家族もとても苦しんでいて、それで『自分の地域だけは大丈夫』と見過ごすのは間違っているのではないかって」

「そして、考えなければならないのは、私なりに言うと『普遍性』だと思う。どんな信仰でも地域でも、その場所だけが良いからとか悪いからではなくて、全世界、全地域、どんな人にとっても欠かせない共通に幸せになれる教えが無ければならない。本来、仏さまの教えは、誰にとっても通じる教え。僕はイスラエル、パレスチナに行って、その場所、その信仰が『謗法!』ということではなくて、そこでも素敵な老婦人に会ったりして、その人はそれで幸せだし、尊敬できる人だなぁと思った。でも、しっかりと勉強していくと、どうしても特定の民族への肩入れが強い宗教だったり、戦争を肯定するような教え、DNAがあると思える教えがあったりする。『それは、その地域はその地域のことだから、ほっといても良いよ』としてしまっていたら、何も変わらないと思うし、結局この世界から戦争や紛争は無くならないし、いつか自分の国や地域まで巻き込まれてしまうと思う。そういう意味で、世界中の誰にでも相通じる教えを仏さまは説かれた。それが法華経であり、それを全世界の人に伝えたい、伝えるべきだと教えていただいたのがお祖師さまだった」

 なかなか難しいが、そういう会話をしつつ、ひろし君の御講は終わった。

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