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2007年6月14日木曜日

長松清凉師について

 長松清凉とは、妙深寺の先代ご住職のお名前である。

 平成12年6月14日にご遷化になられてから、「松風院日爽上人」とお呼びしているが、「長松清凉」とお呼びした方がまだ分かりやすい方々がおられると思う。私とて同じだ。

 先代のご住職は、私の父でもあった。佛立宗とは本来世襲制ではないのだが、私が次の住職になってしまった。もう7年も経つのだろうか。あの頃のノートを見ても、恐ろしい重責に押しつぶされそうになっているのが分かる。

 若い頃からヤンチャで、特に「親の七光り」というものから逃げよう逃げようとしていたように思う。小さな世界だが、お寺の中だけでは「ご住職の息子」といわれて、そのままではバカでもチョンでも関係ないような気持ちがして恥ずかしかったのだ。だから、まずは中学時代、甘えてグレたのだろう。そのままだったらアホの極みだが、その後にジェットスキーというスポーツと出会えたことで救われた。

 なぜ、このスポーツを選んだかと話し出せば長くなるのでここでは止めておくが、私はそれに没頭した。友だちと10人で友人の父親(花屋さんの社長だった)に頭を下げ、みんなで誓約書を書いてお父さんへのローンを組んでジェットスキーを2台買った(結局、約束を守れない友だちもいて、お父さんには迷惑をかけてしまった)。
 夏も冬も、みんなで交代で練習した。夏はよかったのだが冬になり、私たちはお金が無くて冬用のウェットスーツを買えなかった。だから、母がトイレ掃除に使うゴム手袋を、ショートジョンという半袖半ズボンのウェットスーツにガムテープで縛り付けて、母のストッキングを履いて、雪の降る江戸川で練習した。

 とにかく、スポーツの世界、私の場合にはレースの世界だが、親だの何だのは関係なくなる。実力の世界であり、自分のセンスや練習の積み重ねを全国・全世界の人と対比し、勝負するのであるから、まさに求めていたものだと思えた。東日本選手権、西日本選手権、ノービス・クラスからエキスパート・クラスと駆け上がることが出来た。そして、全日本選手権で優勝してアマチュアとして年間チャンピオンのタイトルを取った後、プロテストを受けた。

 私のプロテストにはお寺まで密着取材が入って、取材する人が家に泊まるという騒ぎだった。何とかプロテストに合格した後、父に報告に行った。その頃は、全く師弟関係という以前の単なる親子だったのだが、

「オヤジ、プロになったよ」
と庫裡の二階で報告すると(忘れもしない、階段を上がって左側の部屋だった)、
「はん、なんだ、お前はやっとジェットのプロか。俺は人間のプロだ。悔しかったらなってみろ」

と言われた。その当時、何で息子がスポーツで成長していくのを喜んでくれないのかと口惜しく思っていたのだが、その後に痛いほど父の気持ちが分かるようになった。
 
 とにかく、普通では考えられないような悲喜こもごもの果てに、今があると思っている。

 先住は平成12年6月14日、今日から丸7年前にご遷化された。ご遷化の後、父の書斎から一枚の写真と、私に宛てた手紙のようなメッセージのような紙切れが出てきた。

 私は、それを見て、嗚咽して泣いたのを覚えている。普通の父と息子以上に近く、そういう関係を作ってくださった中で、普通以上に愚かで、ヤンチャで、どこへ飛んでいってしまうか分からないような息子を育ててくださった。そして、最後の最後に、メッセージを残してくださった。
 しかも、それは、闘病で、もはや筆を持つこともままならない中で、敢えて最後の力を振り絞って書いてくださった文面、筆致だった。

 文面には、いくつか間違いがある。「なやみまま」「したたが」と。それほど、気力、体力ともに衰えていた中で、私に宛ててくださったのだった。

 そして、その横に置いてくださっていた写真は、名古屋の清優に宛てた手紙と同じ写真。一番、自然な優しい、哀れさや慈しみを感じさせる写真だった。「苦難を乗り越えなくては、末法のご弘通はさせていただけません」、「そう教えたんだぞ」「苦難をものともするな」「苦難をむしろ当たり前だと思え」と。

「苦難」であって「困難」ではない。きっと「困る」という程度ではなくて、「苦しい」のだろう。そういう「難」「難しいこと」「状況」が、この世界の中で御仏の教えを奉じて生きていく、ご奉公させていただこうとすればあるのだろう。 そのことを教えてくださったのだ。

 父の教えてくれた最後の手紙である。恥じないように頑張りたい。

 祥月ご命日の夜に。
 先住、ありがとうございます。

1 件のコメント:

  1. 今週末は父の日ですね。
    私はまだ両親が健在で
    仲良く元気に暮らしています。

    私は自分の両親を選んで生まれてきたんだと
    小さい頃から思っていたくらい、本当に尊敬できる二人です。

    そんな両親をもったのにも関わらず、
    今まで散々迷惑や心配をかけてきました。
    本当にただ甘えていたんだと思います。
    情けないですね~

    だからあと折り返しの半生は
    人間のプロのなれるように
    感謝の気持ちで何か人のために生きれる自分でありたいと思っています。

    日曜日は父に感謝の言葉を伝えたいと思っています。有難うと…

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