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2007年7月31日火曜日

教務部の御供養当番

 夏期参詣も中盤。今日は7月最後の日。今年の天気はすっきりしない。関東ではまだ梅雨明けにならないのだから。昨夜はカミナリが鳴り続いていたし、台風も発生しているようだ。
 妙深寺はちょっと変わっている。いろいろな意味で、ご弘通ご奉公を模索しているし、教務とご信者の間の絆や距離を考えて、「ご奉公をみんなでさせていただく」という雰囲気づくりに力を入れている。
 中でも最もユニークだと思うのが、寒夏の参詣中に1日だけさせていただく「教務部の御供養当番」だ。その日は、本堂から教務部が調理場に降りて、御供養を作り、お出しするのだ。この写真でも割烹着を着て御供養をお出ししているの住職の私。食器を洗うために後ろに立っておられるのは日博上人のお弟子で三代の住職にお仕えくださっている名執事長の正教師だ。
 とにかく、今日31日は、教務部の御供養当番。私は導師座でご奉公するが、教務部は9時まで調理場でご奉公する。ちょっと変わっているが、ご信者さんも楽しみにしてくださっている。

2007年7月30日月曜日

親からの宗旨を変えて

 昨夜は参議院選挙だった。テレビ各局は選挙結果についての報道に終始していた。

 私はといえば、相模原・妙現寺の開導会にお参詣させていただき、夕方帰山をして選挙に行った。妻や子どもたちが同伴してくれた。少しの時間、家族と久しぶりの散歩。投票所まで。

 深夜、神奈川では水戸まさしさんに当確が出た。嬉しかった。

 私が出掛けている間に、ローマからゆりさんがお参詣くださったという。残念ながらお会いすることは出来なかった。夏期休暇で日本に戻っておられたのだ。麻樹ちゃんが帰ってこられたことは知っていたのだが、ゆりさんもローマから帰国されていたのだ。ゆりさんはイタリアの方と結婚され、20年近くイタリアに住んでおられる。ゆりさんご自身も素敵な方だが、3人の元気で素敵なお子さん方に恵まれ、麻樹ちゃんのお勧めでご信心をされるようになった。

 私もローマに行った際には、お助行をさせていただいた。最近は麻樹ちゃんのお宅で週に一回口唱会が行われており、そこにゆりさんも、時にはお子さんもお参詣されていると聞いた。ゆりさんの家は、まるで美術館のようだった。なぜなら、ゆりさんは家具を作るという豊かな趣味を持っておられて、素晴らしいデザインの椅子やテーブルが随所に置かれていた。家そのものがゆりさんの作品。

 日本に帰国される度に、横浜・妙深寺にもお参詣くださり、昨日も20分くらい本堂で一人でお看経されていたという。お会いできなかったのは残念だが、昨日は私の母と育児のことなどを話して盛り上がっていたのだそうだ。お参詣をいただき、楽しく、豊かな時間を過ごしてくださった。ありがたい。

 妙現寺での開導会。鈴江御導師の御法門は、心に染みるものだった。

御教歌「親からの宗旨をすてゝ孝行の とむらひとなる妙な法哉」

 世間の人は、親の言いつけを守る、受け継ぐことが親孝行だと思う。それは当然で、尊いことだ。しかし、ご信心の面では違う。親からの宗旨を変えることや親不孝だと思う人が多いかも知れないが、法華経本門の教え、上行所伝の御題目は、その逆であり、親の宗旨を捨てて本当のご回向ができる、孝行が出来るということを知らなければならない、と。

 お祖師さまの御妙判にある「烏龍」と「遺龍」のお話を引かれて、分かりやすくお説きいただいた。親である烏龍は大変な書家であったが、同時に儒教をこの上なく敬い、決して仏教仏典を書いてはならぬと息子の遺龍に遺言した。

 遺龍は父の言葉を固く守って、決して仏典を書くことはしなかった。しかし、ある時宮廷に呼ばれて、仏教を書くことを強要される。重ねて断るが、父も私の家来であり、その家来の言葉を聞いて皇帝の申しつけを聞けぬというのは本末転倒である、書け、書かぬと首を刎ねる、と言われて、泣く泣く仏典の中身ではなく、法華経の最初にある語、即ち題目のみ書いたという。

 家に戻って父の霊前に懺悔し、泣き伏せていると、彼の前に雲の上から天人の降りてくる気配。どのような奇瑞、どなたであろうかと思っていると、何とその尊い天人は父である烏龍であった。その烏龍の言葉を聞くと、自分の書いた書の功徳によって、大変な果報をいただいた、私が間違っていたという。重ねて、お前が私の誤った申しつけを守るのではなく、法華経の題目ばかりを書いてくれたお陰なのだ、と。

 こうした御法門を聴聞させていただき、私たち凡夫の情愛の中だけでは見えてこない御仏の教え、因果の通り、三世を超えた功徳の回し向かせる方法を知る。

2007年7月29日日曜日

夏期参詣、延べ1000名の参詣者増加

 昨夜、22:10に新横浜へ到着。新大阪のホームも猛烈な暑さだったが、新横浜に降り立っても同じ暑さを実感。迎えに来てくれた清康に聞くと、昼間は35度近く温度が上がったという。22時を過ぎているのに車載の温度計は30度を差していた。

 24日から京都でのご奉公。27日には明石大橋を渡って淡路島。28日は大阪。昨夕は清風寺の開導会にお参詣させていただき、大きな本堂で御法門を拝見させていただいた。ご奉公を終えてから新幹線に飛び乗って横浜へ帰ってきた次第。

 お寺では薫化会(お寺の子供会)がお泊まりキャンプをやっていた。子どもたちの笑い声が大広間から響いていた。聞いてみるとゴキブリが出たそうで、「キャー!」と大騒ぎになったという。日曜日の朝は青年会が御供養のお当番に当たっており、青年会の方々も泊まり込んでくれている。有難いことだ。お寺にこれだけ大勢の若い人たちが泊まってくれているとは。

 長く留守をした夏期参詣だが、昨年と比べると延べ1000名の参詣者増加との報告。一日に換算すると30~40名の参詣数の増加。嬉しい報告にホッとする。大変残念なことだが、妙深寺を支えてくださってきた方々は高齢になってきており、そうして夏期参詣に気張ってこられた方の参詣は年々減っている。寂しいかな、そうした家庭内でのご信心のリーダーが亡くなられると、夏期参詣のような厳しい修行が続かない。篤いご信心の高齢者がお一人亡くなると、家族全員のご信心がスーッと落ちてしまうことがある。当然ながら、参詣数も家族ごと減る。

 何度かご披露をしているが、先代の御住職が御遷化(高僧が亡くなられることを、このように言います)になられてから約200名の方が帰寂(亡くなられること)され、お葬式を出させていただいてきた。その方々の多くはご信心の強い方々。少子高齢化の時代、住職としては前年のお参詣者数が維持できるだけでも大変なことだと痛感する。明らかにご信心の強い方々が帰寂されてゆくのだから。

 そのような状況の中で、日々にお参詣される方が増えていることは大変に有難い。内憂外患とも言える社会の中で、お参詣をしながら我が身を省みて、そして他の人を思いやるという人が増えているということであり、朝参詣をすれば苦しみ悩んでいる方々に対する御祈願やお助行があり、世界の平和を祈り、テロや紛争や災害に苦悩する方々の平和や復興のための祈りがある。そういう方が増えているということなのだ。

 温暖化、環境問題のことについても、「来年が、確かに来るのだろうか」という、背筋の寒くなるような思いもする。私の妻の故郷、欧州の母からの電話では50度近い熱波が襲っており、家の外に出られないと言っていたからだ。一度失われた永久凍土や溶けてゆく氷河が元に戻るには想像を絶する時間がかかる。ある地域は海に沈み、ある地域では砂漠化が進むといわれる。雨が降れば良いということではなく、永久凍土や氷河に依存している人間や動植物が生きるための「水」が急速に失われていることは間違いない。古代の都市が環境破壊によって都市機能を失い、古代の人々が都市そのものを捨てたように、私たちもそうなるのだろうか。しかし、その際にはどこに逃げる場所があるというのだろう。

 とにかく、朝お参詣される方が増えていることは有難い。

 今日、朝のお参詣ではYaccoさんの体験談発表があった。泣けた。涙、涙だった。

 これから相模原・妙現寺の開導会と、奥さまの第七回忌の法要にお参詣させていただく。ありがたい。

2007年7月27日金曜日

宗教票と利害票

 今週末は選挙。みなさんは、選挙に行くだろうか。私は国民の義務として選挙には必ず行かなければならないと思う。

 そう思うようになったのはごく最近のことで、20代前半の愚かな私は投票に行かないことすら肯定していたように思う。だから偉そうなことは言えないのだが、「国民の義務」ということとは別に、少し視点を変えて自分の一票・意思表明に対する責任を考えてみてもらいたい。

 連日連夜、報道されている今週末に行われる参議院選挙。その争点は「年金」「政治と金の問題」などが挙げられている。閣僚による相次ぐ不適切な発言などもあって、与党側である自民党と公明党には相当の逆風が吹いていると言われ、民主党をはじめとする野党の支持率が上がっているようだ。

 それは、ある意味で当然だろう。これだけの材料が揃っていて野党の支持率が上がらなければ恐ろしい。逆に、これだけ野党が大勝する予測が出続けると、大衆の均衡を保つ心理が働いて与党に支持が戻るものだ。どういう結果になるか、どの「程度」の結果になるかに注視したいと思う。

 個人的には、どうやら与党側の思惑はもっと先にあるように思う。自民党の掲げるマニュフェスト(この言葉を聞くと、どうしても神への契約を想起してしまう。「マニュフェスト・デステニー」)の冒頭は憲法改正であるのだから。参院選で一喜一憂せず、参議院選挙の先を見越してその後の政局を睨んでいるはず。参院選で大勝した後、野党側が勝っても政権担当能力は何ら無いとネガティブ・キャンペーンを張って、衆議院選挙と憲法改正論議に持って行くのだろうか。いずれにしても、政治というのは闘争や妥協の連続であるのだろうから、恐ろしい思惑や利害、党利党略や個々の欲望が交錯しているのだろう。

 いずれにしても、選挙権を持つ全ての人は選挙には行かなければならない。行くべきだと思う。当たり前のことだが、本門佛立宗は集団的な選挙活動をしない。支持政党も持たない。どんな思想の持ち主、支持政党が異なっていても、ご信心をされている人がいる。いつか日本の首相や国会議員の方々がご信者(本当の仏教徒)になっていただきたいとは思っているが、政治が闘争や妥協、利害や欲望の集積されているものだとしたら、「組織は必ず腐敗する」という普遍的な言葉の通り、宗教が一つの政治団体を持ったり、宗教団体のトップなどが政治と密接に関係を作れば、いくつかのプラスはあるかもしれないが様々な問題を引き起こしていくとも考えられる。その宗教の掲げる「教え」が曲がっていくことも考えられるし、そういうメリットを追求していけば宗教活動が戦略的になって宗教本来の意義を失い、目的とは裏腹に「宗教を利用した政治団体」の烙印を押されかねない。私は、一人の宗教指導者としてそう感じている。末法の宗教指導者は、自戒しなければならないことが多くあると思うのだ。

 しかし、『宗教票』は、実際に世界の政治を左右している。アメリカを筆頭にして、キリスト教宗教右派は保守票として8000万票を動かしていると言われているし、欧州でも同様の様相があり、イスラム教国家では宗教を外して政治は無い。この票田を無視した選挙は考えられないというのが実際であり、この票田を獲得するために政治は様々な配慮をしている。特に、労組の結束が失われつつある現代では「投票行動」については、宗教(特に新興・新々宗教)は着実な票田と見込まれているのではないか。

 民主主義のリーダーを自認するアメリカが、過去の2回の大統領選挙と先日の中間選挙で選挙の公平性を疑問視されていることほど恐ろしいものはないと思う。ウクライナの大統領選が混乱し、その公平性が疑われた時、当時国務長官だったパウエル氏はワシントンポスト紙に対して、「国際標準(international standards)を満たしておらず、 不正選挙が横行している信頼性の高い報告があるにも関わらず、調査が行われていない」「ウクライナの指導者達には、民主主義を尊重するか否か、民衆の意思を尊重するか否かを、決断すべき時だ」と語った。

 しかし、当時お膝元のアメリカは、その前日に米下院がアメリカ大統領選挙の調査を開始すると発表したばかりで、世界中の人が「選挙不正は許さない!、、、アメリカ以外はな!」と言っているのと同じだと受け取り嘲笑したものだ。不正選挙とまでは断言できないが、「選挙とは、投票者ではなく、投票集計者が決めるものだ」とうそぶいたスターリンの言葉を地でいくような感は否めない。様々な選挙の操作が行われたのではないかという疑問を世界中が抱いてしまった。

 フランスは国家の威信を賭けて「アメリカのようにならないように」と大統領選挙の選挙管理や公平性を保つことに躍起だったはずだ。

 コラムニストの船橋洋一氏は、大統領選挙当時の様子を書いているが、カーネギー国際平和財団のジェシカ・マシューズ理事長に電話すると、「いま、オハイオの友達から電話が入ったけど、あちらは大雨ですって。投票まで4時間、行列に並んだそうよ」と言っていたというエピソードを書いている。

 これだけの時間をかけて、どんな人が選挙のために待ち続けるだろう。ブッシュ氏を大統領にした選挙では、6時間も待たないと投票できなかったという投票所が南部を中心にいくつもあった。選挙に対する理解、思いの薄い「浮遊票」などは投票所の前で何時間も待つことなどしない。待って30分ではないか。ディズニー・ランドのアトラクションを待っているのではないのだ。それでも1時間ちょっとが限界ではないか。それが何と4時間から6時間待つとは。

 しかし、待てる人がいるのである。それは、私が言うのもおかしいが、『宗教』であろう。宗教票というのは明確な「意志」を持っており、信仰の裏付けの下に行動しようと考えている人たちであるから、それが「モラル」の問題であれ何であれ、何時間も待ち続けて使命を果たそうと考える。耐えに耐えて、彼らは投票に臨むだろうと考える。

 日本でも、こうした投票に情熱を燃やす宗教が活発に活動していると聞く。投票日前には友人を連れ、手を引きながら不在者投票に行くという。それを宗教的使命と考えているのだろう。私はそれを怖く思うし、未来を憂えている。

 選挙結果が直接自分の利害に及ぶと考えている人々は躍起になって選挙に足を運ぶだろう。それが大きな企業であれ、第三セクターであれ、役所に勤める方であれ、家族も親族も誘って支持を請うに違いない。

 宗教や信仰を持たない人も、持つ人であっても、直接の利害を感じられない人であっても、自分の見識によって、とにかく投票行動だけは起してもらいたいと思う。わざわざ4時間も待たせる投票所を作って、保守票を獲得しようとするような政治的な選挙妨害が起こったとしても、行動を起こしていなければ何の文句も言えない。日本は何とか選挙がしやすいようにしてくれたのだから、それを活用して是非とも選挙に行っていただきたい。

 私はといえば、随分前に一緒に鍋をつついた水戸まさしさんが神奈川で参議院選挙に出馬したので応援しようと考えている。お子さんが3人おられる方で、鍋を食べながら家族のことなどを話して楽しかった。神奈川県の松沢知事も支持してくださっているようなので健闘を期待している。

 どなたも、率直な自分の意見を表明するために、投票に行っていただきたいと思う。

2007年7月26日木曜日

コレイア御導師のご奉公

 ブラジルのコレイア御導師ほど、私が敬愛する人はいない。目指しているご奉公、方向、感性が同じであり、今生のご奉公が終わる前に、ボロボロになっていても本山の御宝前に御礼のお参詣を一緒にさせていただこうと約束している。

 本当に、そのご奉公には頭が下がる。尊敬している。破天荒な側面を持ちつつも、ど根性の菩薩。これからも、さらにさらに活躍されると思うが、命がいくつあっても足りないと思うようなご奉公をされているので、私はコレイア御導師の身体健全と災難除滅を御祈願している。

 そのコレイア御導師からいただいた最近のメールを少々ご紹介したい。日本の多くのお坊さんと比較してみてもらいたい。本当に泣ける。ありがたい。もぅ、拝むぅー!

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 Arigatougozaimassu.
 ブラジル信者との初の交流。如蓮寺のSutra 組元組長がイタリア・フィレンツェの道場に参詣してくださった。嬉しい、ありがたい。

 最近は会議ばかりですが、必ず抜け出します。今からちょっと家庭内暴力の連絡が入って、和解に出掛けます。男が女をなぐり、女(ご信者)が出て行ったら殺す、と脅迫しているらしい。女性は冬季参詣に一生懸命ですからご利益をいただいてほしい。

 今日は朝からこんなんです。三界は火宅の如し、、、、
 また書きます。
Correia.

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 ありがとうございます。

 無事に離婚させてきました。殺しあいそうになっていた夫婦を。

 昨日は旦那と3時間お話。今日は二人と話して又2時間。初めてです。本人たちは一週間別居していましたが、でっかい旦那で、しきりに「殺す」「殺す」というのです。今度は鉄砲ではなく、包丁まで見せてくれた。そんなにやりたいなら俺をやってもいいし、又いくら殺ってもきりがないぞ。

 女はいくらでもいる。但しそんなあんたについていける女を探せ。こっちも、半狂いだし、相手は何だこいつはと思っている。

 気違い度で勝った。俺は毎日拝んでるからいいけどあんたは死んだら、後がないぞ、、、等々。
 取りあえず二人の命は取り留めることができた。そして、おまけに(言い方が変だが)懐中ご本尊を授けてきました。何回か御まいりしたことがあったから、ご縁があったし、どんなことがあっても、わしらふたりは一緒だ、といい、拝むのは死ぬまでだといい、ご縁を結んだ。無茶苦茶ですが縁は縁、結んだが最後。

 いささか緊張(ちゃんばらもんみたいでした)したが、楽しかった。一日が一生とこの前書いたばかりですが、本当にそれを生きています。「あほの長生き娑婆ふざけ」って、今日で分かった気がした。飛行機で落ちて死ぬのはごめん。やはり面当向かって生きて、正面からぶつっかて生きたい。どんなに代償が大きくても。肌に感じるからいい。即座に蘇生できることはまちがいない。

**添付は来月発行のLotusの表紙です。妙清師のありがたい手(法明師のも)です。あの時は皆で泣いていました。信仰師と私が両側から泣きながら撮った写真です。問答無用。伝授。一体。世代交代。合意。付属。相続。謙虚。感謝。慈悲。助け合いとでも、、、いろいろな取り方のできる場面です。最高でした。

 妙深寺で夜桜を小椅子に座って(陶酔して)、夜中4時まで味わったのは私独りよがりでも、同じくこの日(Myousei-Shi~無駄口をたたかないお方~)と出会った日 でした。周りの若奥さん方も美しく見えました。

 できあがれば信仰師と妙清師に贈ります。勿論清潤氏にも、、、。日水上人のDVD(泣ける)も来週中に送ります。泉洋師と清潤師には大恩報謝です。

 今日はこの辺で。
 まだ、、、

 ありがとうございました。

Correia.

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Arigatougozaimassu。
 ありがとうございます。

 昨日はよかった。久しぶり日曜日にお寺にいたのでご信者誕生日Festaへ招かれていった。その方の弟がFesta の席で涙を流しながら、あなた方の牧場の一匹(キリスト教的な入信の頼み方)にしてくれませんでしょうか。と願ってこられた。2年前からのご祈願がかなった。涙を流しながら、互いに抱き合って、入信証を象徴した。

 今日はまたたいへんでした。電話がなり、あるご信者の友達が昨日息子を殺されたのです。一家全員が大変なので本門佛立宗のお話をきいて心落ち着かせようとご信者のお勧めであった。明日、御厨子をお供して、お伺いすることになった。

 大変ありがたいが、本当に末法です。

 先電話が入ったが、お父さんの妹が文章(信者ではないが、年寄りを讃える文章)大会で20万人の中から選ばれ、400万円をもらった。これはわれわれ皆がGoriyaku(御利益)、O itadakimashita(を、いただきました), 助かりました。経済的に困り皆が援助していたからです

 他に喜びは、寒参詣達成者が昨年は37名でした。今月は40名でした。Yesです。

 先ほども電話が鳴り、明日、お話、拝みに行きますと、約束を結んだところです。塵のような出来事かもわかりませんが、塵点の塵と思えば有難くて仕方がありません。

 又書きます。

 ありがとうございました。

Correia.
Shashin wa Nyorenji no guenzai no minarai tati desu. Totemo tanoshii desu.....manandeimasu.
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 コレイア御導師の壮絶なご奉公と、そのご信心が分かりませんか。私は、本当に有難いと思う。

 おちおちしていられない、負けていられない。
 本当のご奉公がしたい。本物になりたい。

スリランカへの招待状

 スリランカへの招待状を作成している。今年の10月、本山宥清寺での高祖日蓮大菩薩御正当会式に併せて海外特別委員会と全世界地域代表者会議を開催する。そこにスリランカを代表してAbey氏とGamage氏を招待することになっているからだ。

 この写真は、私が清顕と二人でスリランカのご奉公に行かせていただいた時の、最終日に撮影したもの。私の隣におられるのがAbey氏で黄色いシャツを着られているのがGamage氏。お二人とも本当に頭の下がる情熱的なご奉公をされており、この日などは5時間くらい運転した後の笑顔の写真である。

 スリランカの南部。カタラガマから国立公園を横切って帰ってきたところ。カタラガマはスリランカの人々が信奉する聖地。そこには、ありとあらゆる願い事を叶えてくれるというヒンドゥーの神が住んでいると信じられている。通常、ヒンドゥーを信じているのはタミル人。仏教徒はシンハラ人考えられている。外国から見ていると、そのタミル人とシンハラ人の抗争がスリランカの悩みの種であるテロを誘発していると単純化して理解してしまう。

 しかし、本当はそうではないし、テロを起こしているグループはタミル人の中のほんの一部の狂信的なリーダーに率いられた人たちであり、タミル人の方々はコロンボにもたくさんいる。そして、おおらかな人たちが多いのだから、対立することもなく共に暮らしているのである。このカタラガマもヒンドゥーの聖地といわれるが、実際には仏教の聖地としても有名な場所であり、混在しながら一大宗教都市として民族の枠を超えて信仰されている。スリランカ全土から熱心に巡礼者を集めるカタラガマ。コロンボからの道は無いと言われていたが、最近は道が良くなり、コロンボから5時間ちょっとで行けると言われた。

 しかし、その道は最後の最後にはジャングルの中に突入し、驚くことになったのだが。いずれにしても、こうした僻地や聖地にまで御弘通が進展していることがすごい。

 一人で数千軒のお教化をされているお二人。貧しい人から病気の方、あらゆる分野の方々にご信心の大切さを説いておられる。お二人は、法華経への信仰、日蓮聖人の御書についての理解が大変に深い。そして、上行所伝の御題目の確かな御力、息吹を感じておられる。また、当然ながら小乗仏教の説く教えに対しても理解が深く、その小乗仏教の僧侶の方にまで法華経の精神、お祖師さまの教えを伝えようとされている。
 私は、このカタラガマで最も大きく、スリランカ全土から尊敬を集めているといわれる寺院に連れて行かれた(言い方が悪い?)。その場所を借りてセレモニーを行ったのだ。この時も、お二人からの説明はそこそこで、「では、ここでセレモニーを行うので、よろしくお願いします」と。Gamage氏が英語からシンハラ語に通訳してくれたので、現地の方々(何でも願いが叶うという聖地に巡礼したり、住んでいる方々)に対してスピーチをさせていただいた。彼らのプロフィールを考えても、大変に難しい御法門、ご奉公だった。

 ただ、リーダーであるお二人のご信心が、本当に強く、素晴らしいので、私のご信心も燃える。高まる。ブッダが法華経で何を説かれたか、ブッダの教えの根本は何か、その尊い御力について、それを手にすると何か変わるのか。お二人は、本門佛立宗のご信心を弘めることによって、人々の暮らしが良くなり、生き方がネガティブからポジティブになり、国も良くなると確信しているのだ。本来、その天についての揺るぎない思いが、お祖師さまの教えを本当に理解したということなのだから。
 私は、スリランカの国教とも言える小乗仏教の僧侶とお会いする時、敬意を払いながら対話するようにしている。そのように福岡御導師にご指導いただいているし、実際に「謗法の僧だ」と決めつけて(実際はそうに違いないが)、文化や伝統を頭ごなしに否定するようなことが「折伏」だとは思わない。単純に、お教化する気持ちでご奉公するだけだ。開導聖人は「獅子武者は嫌い」と仰せであるし、「アレルギー性謗法症」のようでは御弘通など出来っこない。ただただ、上行所伝の御題目をお伝えする、流布するというご奉公。

 このカタラガマの御住職はすごかったー(笑)。怖かったぁー(笑)。ホント。セレモニーの前、ご挨拶に行ったのだが、応接間には大統領の写真が大きく飾ってあった。お二人から「この場所には大統領が必ず参拝することになっています。それほどの聖地であり、ここの御住職はスリランカ仏教界の中でも大変な力を持っているのです」と聞いた。

「あぁ、どんな人かなぁ」と思って待っていると、マーロン・ブランドのような、もの凄くコワイ顔の御住職が入ってこられた。しかもすごく不機嫌そう。「あー、どーしよ」と思っていたのだが、お二人もそそくさと部屋を出て行ってしまう。会場の準備があるとか言って。セレモニーの前に、私とその方、二人だけになってしまった。なんで?あれ?

 しかし、しょーがないので、スイッチを入れて次から次へと話をさせていただいた。私がお会いした他のスリランカの僧侶の方の名刺を出したら、「これは私の勉強の師だ」と言い、少し心を開いてくださった。「うわっ、よかったぁ」と思いつつ、ちょっと心の鍵を見つけたように思えた。

 立て続けに私がセレモニーの中でお話をしようと思っていた写真を次々に出した。もちろん、父の怪我の時の写真など。その写真には、コワイ御住職のスイッチも完全に入ってくださった。ありがたーい。「なるほど、うわー、これはキミのお父さんかね」「はい」「このような事故は私も知っている。そこから回復したのかね」などなど。

 続いて、本門佛立宗のお話。日本の宗派の中でも決して大きくないということ(私はこれを誇りに思っている)、決して巨額の資金を投資して発展途上国に入り込もうなどという日本の新興宗教ではないし、同時に政治活動などをする団体ではないということをお話しした。すると、そうした日本の宗派をよく知っているらしく、いろいろな意見交換をさせていただけた。

 ご機嫌が良くなった御住職は、当初は「お客さまが来るので、私は参加できない」と言っておられたが、なんと会場にも来られて、ふんぞり返りつつもイスに腰を下ろして 私の話を聞いておられた。私は、その前でスピーチすることになったのだから、とても緊張したが、そこは持ち前の図々しさで、「まっ、しょーがない」と覚悟してご奉公させていただいた。緊張しても仕方ない。そういう時は、御法さまとお参詣されているご信者さん、縁者の方々のことだけを考えて、見て、自分にできる精一杯のご奉公をさせていただくしかないのだから。背伸びをしても意味はないし、卑下しても、緊張しても仕方ない。

 ご信者方は大変に随喜してくださった。同時に、若い僧侶の方は「私も御題目口唱の修行をさせていただきたい」と言われた。彼はとても綺麗な眼をしていて、この前のアヌラダープラの法要でも再会することが出来た。不思議なご縁である。

 御住職はといえば、お客さまが来られたと言うことで途中で退座された。私は「機嫌を損ねたかな?」と心配したのだが、控え室に戻ると顔を出してくださって、開口一番「ナムミョウホウレンゲキョー」と何度も何度も私の顔を見て唱えてくださった。「君の話は素晴らしかった」と言ってくださって、大安心。ありがたかったぁ。

 こうした綱渡りのようなご奉公をさせていただいて、失敗を繰り返しながら少しづつ成長させてもらっているというのが実状。

 とにかく、こうしたご奉公の中心的お二人が10月に日本に来られる。素晴らしい交流を期待している。

2007年7月24日火曜日

幸せを呼ぶ言葉

 京都。夏の京都。じっとりと暑い。

 「ありがたい」という言葉は幸せを呼ぶ言葉。幼い頃から「ありがとうございます」をご挨拶の言葉としてきたのだが、私はようやく最近になってこの言葉の本当の意味を知ることが出来たのだと思う。

 開導聖人の御指南である「有難う存じますると口癖のように申せ」と仰っている深い深い意味を知る。誰彼と無く、また良いことも悪いことも含めて、「ありがたい」と口にする。最初は冗談のように受け取られていたし、自分でさえそうだった。気恥ずかしい気持ちもしていたし、どうしても笑顔になるので冗談半分だったように思う。

 しかし、口に出すようになってから一年近く経つだろうか。今では本当に、何事に対しても感謝の心が湧いてくる。声に出すようになってから、周りの人までが「ありがたい」「ありがたい」と言ってくれる。相手も最初は冗談半分。「ありがたーい(笑)」と私の顔を見る度に言う。この前も書いたが、京都の木屋町にオープンした友人のお店でも、私を知らないスタッフの方までが口々に言ってくれる。「実は、長松さんが帰った後、スタッフの女の子が口々に『ありがたーい』を連発しているんです」と言ってくれた。嬉しい限り。また、先月パブロというロスから来たバイオリニストと会って意気投合したのだが、私の顔を見ると即座に「ありがたーい」と言う。初対面の時、すぐに打ち解け合って、笑いながらいろいろなことを話した。なんと彼は仏教のことではなく、「日本で彼女を作りたいんだけど、どうしたら良い?」と私に聞いたので、私は「パブロ、素敵な呪文があるよ。日本で最も綺麗な言葉なんだ。それは『ありがとう』という言葉。女性に会って、何かある度に『ありがたーい』って言えばいいのさ」と言った。彼は真面目にそれを聞いていて、私の顔を見ると「ありがたーい」と言うわけだ。

 もちろん、イヤなことや不都合なこともある。ムカっとすることもあるし、思惑が外れて落胆することだってある。でも、『ありがたーい』なのだ。そう言える、思える自分。これも有難い。そう、生きているのだから。そう、何が問題というわけじゃない。自分が未熟だ、まだまだ成長しろ、勉強しろ、変われ、と言い聞かせて、イヤなことでも『ありがたーい』になる。

 僕はこれを「幸せを呼ぶ言葉」だとつくづく思う。もちろん、上行所伝の御題目と正しい信仰がなければ、本当の本当にその境地には至れないと思うし、私もまだ入り口に立っているだけだ。

 ただ、御教歌には「何もよし人と生れて要法に あひし縁しは有難の身や」とある。有難い身の上だ。この御教歌の最後、「有難のみや」を「有難いのみ」と読み返して、「ありがたのーみやー」とひろし君とは言い合っている。本当に、「何が起きても、ありがたよね」「ありがたのみだな」と。

 本当にありがたい。

2007年7月23日月曜日

インド弘通紀のダイジェスト

 昨日の開導会。横浜では濃霧が発生していて、9時の時点では視界が3キロもなかったという。御導師も仰っていたが、ホテルの外の景色が全く見えなかったそうだ。ランドマーク・タワーも観覧車も見えないくらい、霧が濃く、ミストのような雨が降っていたという。

 妙深寺のある三ツ沢は、横浜の他の地域で雨が降っていなくても、三ツ沢だけは雨が降ると言われていた。港からの風が最初に当たる丘の上にあるからだろうか、そう言われていたのだが、最近は三ツ沢だけ雨が降らないということが多くある(臨港地区に出来た高層マンションのお陰かな?いや、これは御法さまのお陰なのだ(笑))。有難いことだ。

 昨日、奉修中に電話があったという。「反町駅がどしゃ降りでお参詣に行けないかも」という連絡。それが本当かは分からないが、反町駅は妙深寺から一番近い東横線の駅。そんな筈はない。三ツ沢は雨が降っていないのだから。教務室で「なんか、変な宗教やってんじゃないのー(笑)」と笑っていた。本当にお計らいを感得できることが有難いではないか。

 お会式の準備ご奉公のご挨拶で、私は皆さんに申し上げた。「この天気予報はお計らいです」と。先週、本山で台風が軌道を逸れて雨が一滴も降らないということを見せていただいた。今日も大丈夫、今回も大丈夫と安心していたらご信心ではない。週末に傘マークが付いていることが有難いではないか、と。「しかも、いま妙深寺のあちこちで良い話、嬉しい話がある。しかし、私はこうした時だからこそ、落とし穴があるのではないかと思い、細心の注意でお寺の中を見渡しております。夏期参詣がはじまった日にもブログに『お寺は修羅場』と書かせていただいた。油断をしてはいけないということです」とお話を申し上げた。そうした細心の注意、皆さまのご信心の甲斐があって盛大に奉修させていただけたのだと思う。

 この開導会では、昨日も書いたが様々な工夫をこらした。奉修前に「開導会とは如何なる法要であるか」を司会者が説明するようにしているのも工夫の一つ。はじめての参詣者、奉修の意義を忘れているような方に、奉修前に思いを新たにしていただきたいという思いから発案されている。

 また、奉修御導師のご紹介もさせていただくようにしている。今回は福岡御導師なので、インドのビデオをダイジェストで流させていただこうということになった。約5分にまとめたビデオなので、You Tubeにを通じてブログを見ている方にもご覧いただきたいと思う。

 ダライ・ラマ氏とのセッションの模様、御題目口唱、その後の大会オーガナイザーからの言葉に注目していただきたいと思う。

 ありがたい。

2007年7月22日日曜日

会心の開導会

 有難いことに、会心の開導会のご奉公となった。
 多くのお参詣者、新しい顔ぶれの方々も一緒になって頑張ってくださったご奉公、そして福岡御導師の御法門。

 この度も随所に工夫をこらして、如何に開導聖人への大恩に報いることが出来るかと考えに考えて奉修させていただいた。
 お参詣者の流れ、「開導会」についてのご説明、途中で退堂される方がいないようにとの式次第への配慮、分かりやすい言上文。どれを取っても工夫していただいた。

 なかなか本来の「御会式」に近づくためには時間がかかるかも知れない。つまり、本門佛立宗のご信心について余り知らない方が多いという前提で、こうしたご奉公をさせていただいているのだから。本来の「御会式」とは、三祖(高祖日蓮聖人、日隆聖人、日扇聖人)の御意を体して各地で菩薩行に精進した者が、三祖の祥月ご命日に当たって一同に会する、集うという意味がある。そうした意味では、私たちはご信心の入り口に立ったばかりの方々を想定して、今回も福岡御導師に無理に「誰でも分かるブッダの教え」というテーマで御唱導をお願いした。そして、御導師から本当に分かりやすい御法門を頂戴し、多くの初心のご信者方が喜ばれただろう。誠に有難かった。

 今回のお参詣の方々の中には、はじめてお寺に来られるという方もおられた。なかなか仏教に対する固定概念があるから自分考えから抜け出せないかもしれないが、それでも大変なご縁。佛立信心、本当の仏教がどういうものかを感じられたのではないだろうか。

 土曜日の朝、雨が降っていた。朝のお看経をあげさせていただきながら、雨の止むのを御祈願していたのだが、第一座の開始前にはすっかりと上がっていて清々しく奉修させていただいた。
 今朝もミストのような雨が降っていたのだが、先週と同じように天気予報を覆して第二座が始まると同時に快晴へ。梅雨明けではないでしょうかという声があちこちから聞こえるほど、素晴らしい天気になってしまった。
 週末の予定を開導会に。雨の予報が幸いしたのか、1340名の参詣目標も達成し、来てみれば素晴らしいお天気。本堂に足を踏み入れれば、必ず何らかの気づきがある。まさに会心の開導会となった。有難いことだ。

 何より、ご奉公をしていただいた方々に御礼したい。準備ご奉公から連日のご奉公。しかも、新しい顔ぶれの方々と和気藹々、有難い。
 遠く、北海道や京都、大阪からのお参詣に頭が下がる。飛行機や夜行バスで横浜まで来てくださった。お声をお掛けしているわけではないのだが、有難いお参詣でした。

 ありがとうございます。

2007年7月20日金曜日

明日から開導会

 明日は妙深寺の開導会。21日、土曜日の朝9:30から第一座が奉修され、22日、日曜日の9:30から第二座、11時から第三座が奉修される。
 一座は私が勤めさせていただき、二座と三座は神戸・香風寺の福岡日雙上人に御唱導いただくこととなっている。福岡御導師に御唱導いただくとあって、近隣のお寺のご信者さんからも問い合わせがある。御導師のお徳の高さに驚くばかり。妙深寺のご信者さま方も首を長くしてお待ちしていたので、日曜日が来るのを楽しみにしている方も多いだろう。
 明日、御導師には横浜の夜景を楽しんでいただきたいと思って、いつもお取りしているホテルを予約した。一泊であるからゆっくりすることは出来ないと思うのだが、少しだけでもお給仕させていただきたい。何せ、御導師と海外に行ってもスケジュールは朝ホテルを出て夜中になるまで帰ってこれないのが普通なのだから。横浜に来ていただいた時くらいは、少しでもお休みいただきたい。
 先日、御導師は本を出版された。今回の開導会でも300冊を注文し、お求めいただけるようにしている。出来れば著者である御導師からサインをいただきたかったのだが、「それだけはご容赦」と逃げられてしまった(笑)。しかしながら、しつこい私は、「では落款だけでも」と追いすがり、当日は福岡御導師の落款(印)を押した本を購入できるようにしたのだった(これは貴重です!)。
 ようやく御法門も完成し、明日の第一座を待つのみとなった。
 ありがたい。

中越沖地震とサンパウロの航空機事故

 中越沖地震の被災者の方々のために何かさせていただきたいと思っている。思っているだけで何も出来ないのは申し訳ない。
 この週末にも、多くの方がボランティアで現地に入るようだ。渋滞で柏崎市は自粛要請までしているという。有難い悲鳴といえようか。
 関東近郊でも、今夜は伊豆方面で地震が続いている。あるいは太平洋側のプレートにも今回の地震の影響が出始めたのだろうか。今後が心配。いつ我が身のこととなるか分からない。週末にかけて、雨が続くというから、被災地の方々にとっては大変なことだろう。何とか支援させていただきたい。

 サンパウロでも2月に私たちが使った国内線の飛行場でブラジル航空機事故史上最大という事故が起きた。早速現地に問い合わせをした。御導師、御講師方、ご信者方は大丈夫だろうか、と。

 すると、コレイア教伯御導師から返信があった。ご無事で何よりだった。また、被害者の方々のご回向に奔走されるという。ありがたい。

コレイア師から、
「ありがとうございます。
 本当に大変です。ブラジル航空事故史上最大のものになってしまいました。私も御助行の帰りで先々月まで乗っていた飛行機です。こんどはまた御助行に行くことになっていますが清潤師からいただいた例の順子さん(恒梁師紹介の)の住んでいるPorto Alegreから出発した飛行機でした。
 最近はまさかと思うことが大変多く起こっています。私はSão Pauloの400キロ南部いますが、São Pauloのご信者さんたちがご回向にいってくださるといいです。
 来年100周年でブラジルに団参があるので皆さんが怖がらなければいいのですが。今朝は朝参詣で早速ご回向させていただきました。
 これから先はどうなるか、いい見通しはないようですが、任せたる身は安心。一日一日が一生だと思い、御すがり、お任せするほかはなさそうです。
 また書きます。どうかおげんきで。
 ありがとうございました。Correia」

2007年7月18日水曜日

秀さんと私、涙、、、、、

 もう一つ古い写真が出てきたので、載せてみる。今回の話と関係するので。
 この写真は、前回載せたものと同じ日に撮られたもので、ワールドカップに出場した時の写真。ホームストレートに出る最終コーナーを曲がっている時の写真だと思う(いや~、格好良いなぁ~、フフフ)。
 私の学生時代は、このスポーツばかりしていた。しかも、このスポーツではお金がかかるからアルバイトに精を出さなければならず、学校にもろくに行かないという生活だった。だから大学を留年した。しかも、私は悪知恵ばかり働いていたから、苦し紛れに誰彼と無く代返(教室で出席を取る時、欠席した学生に代わって返事をすること)をお願いしていた有様。最低です。その被害に遭われた方々には、本当に申し訳ないと思う。
 プロになってからは、自分のマシン(エンジン)もウェットスーツも、レース会場への渡航費や滞在費もスポンサーが提供してくれるようになったので、とても楽になった。決してメジャーなスポーツではなかったから、メディアに出てお金が入るということは希だったが、それでも楽にはなった。しかし、それまでの私はどうしようもなかった。
 プロになる以前、どうしようもない時のこと。私を見守って、可愛がってくれた人がいた。その頃は葉山の長者ヶ崎近くの海で練習をするようになっていたのだが、その海岸でこのスポーツを楽しんでおられるたくさんの年上の先輩たちに出会った。特に、「秀さん」は私たちにとって特別な存在で、学生である私たちを可愛がるというか育てるというか、まるで芸術家をサポートするパトロンのように支援してくれていた。冬の海で練習している時などはガソリンを買って与えてくれる、お昼ごはんや練習が終わった後の夕食にも連れて行ってくれた。若いのは何人もいたから、それこそたいへんな金額だったと思う。
 それだけではない。夏の間、秀さんは私たちの海岸で「シエスタ」という海の家を開いていた(「開いていた」というよりも、「開いてくれた」かもしれない)のだが、そこで私たちを働かせてくれた。これは、一石二鳥というもので、インストラクターをしながらアルバイトとしてお金がもらえるし、夕方以降は練習もできるのだから何より有難かった。ガソリンは買ってもらえるし、食事は食べさせてくれるし、練習も出来て、お金ももらえるなんて、信じられないくらいだった。さらに、夏の間は働いている私たちのために、裕次郎灯台の目の前、森戸の海岸沿いに家まで借りてくれていた。
 そんな秀さん。私が大学の卒業と同時にスポーツを辞め、本山に行く際にもお寺まで来てくださった。アホな私の姿をたくさん見てきた秀さんだから、どんなものになるのやらと思っていたはず。私の長く伸びた髪の毛を切ってくれた秀さん。そんなお付き合いがあった。
 しかし、ご恩を忘れていたわけではないのだが、しばらくの間は連絡をすることも、していただくこともなく時が経ってしまった。ごくごく希に連絡があっても、電話で話をする程度。そして、あの当時からすれば15年以上も経った久しぶりの電話は、『秀さんが倒れた』というものだった。今から2年前だったと思う。病院に駆けつけた。秀さんへの恩返しをしたいと思っていたのに、それもしないで時間が過ぎてしまい、久しぶりの再会が病院の中とは。やはり私は恩知らずだった。
 その時から、もう一度ご連絡をさせていただいたり、連絡を下さるようになった。病気のことで妙深寺の瓜生さんがアドバイスやサポートをしてくれたこともあり、その秀さんが何度かお寺にお参詣してくださるようにもなった。そして、秀さんはお寺に来てくださる度に、丁寧に私にご挨拶をくださったり、私の話を聞いてくださるのだった。あれだけ、若い頃の、私のヤンチャさを知っているのに。私も、秀さんのお話をお聞きしながら、ご信心のお話、ご自宅で手を合わせる場所、ご回向について、お墓についてなど、聞かれるままにお話をさせていただいた。
 そして、一昨日。秀さんがご夫婦でお寺に来られた。前日に「お願いがある」と電話があったので、何かと思っていたのだが、冒頭に秀さんから「させてもらいます」と、丁寧にハンコの押された御本尊拝受願いをテーブルの上に出された。御本尊を奉安し、ご信心をされるということだった。私は、ただただ、ただただ有難く、「これで、ご恩返しが出来る」と思った。
 次の日の朝、秀さんの御本尊拝受願いを言上をさせていただき、はじめて御塔婆を立て、ご回向をさせていただいた。来週の月曜日に御本尊奉安のご奉公をさせていただく。私は、言葉を失っている。そのくらい、有難いのだ。涙が出る。青春時代の、最もお世話になった方の一人、秀さんがご信心をされるとは。本当に有難くて、有難くて、今日は新幹線の中で思い出して涙が出た。
 一生懸命にご奉公させていただきます。
 ありがとうございます。

京都、日帰り

 今日は京都へ日帰り。研究所の会議にてご奉公をさせていただいている。

 朝、本堂での夏期参詣を終えて新幹線に飛び乗った。和美ちゃんが毎日毎日東京の中野からお参詣してくださり、有難い。ここには書ききれないことが、毎日毎日起こる。

 そして、今朝は秀さんの御本尊拝受願いの言上をさせていただいた。また、あとで書かせてもらいたいと思う。

2007年7月17日火曜日

マサノブからのメール

 妙深寺の青年会長、マサノブ君からメールをもらった。3:38の送信メール。昨日、京都から自宅に付いたのは10時か11時くらいだったと思うので、夜中になってしまったのだろう。彼のご奉公によって、たくさんの青年会員を引率してくれて、楽しい雰囲気をつくり安全に横浜に戻ることが出来た。本当に有難かった。

 そのマサノブ君からのメール。個人名をちょっと直して掲載させてもらいたい。それと、ちょっとだけ私を誉めすぎているところがあって、恥ずかしいのでそこだけ削除させていただいた。でも、彼の息吹が感じられるようなメールなので、載せさせていただく。

 トラブルを乗り越えて青少年の一座にお参詣され、その上で感じたこと、みんなが感じてくれたことを報告してくださり、これからの未来に向けた希望を伝えてくれている。台風のこと、新幹線が遅れたことなどを、自分たちの「信心改良」に結びつけてくれており、それでもなお全員がご信心増進されている姿。それこそ、佛立青年の姿、姿勢、人間性。本当に有難いと思う。

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ご住職

 ありがとうございます。正暢です。
 ご報告、遅くなりましたが、本日、妙深寺青年会、法深寺青年会一同、無事に帰山させていただきました。一時は大変なことになり、大変ご迷惑をお掛け致しましたが、本当に、何から何までありがとうございました。本当に、本当に、有り難かったです!

 貴重なご住職のお時間を頂戴し、本当に尊く有り難い時間を過ごさせて頂きました。

 青少年の一座にお参詣することができなかったのは大変申し訳ありませんでした。 事前のご祈願が足りなかったのだと、ご奉公の厳しさを教えていただきました。

 特にお役をいただいている僕は、ただただ反省、改良しかありません。 ご奉公不成就になってしまい、本当に申し訳なく、お懺悔、反省改良を重ねさせていただきます。

 その反省を含め、青年会のみんなで、「百本口唱」を、この夏期参詣中、サマーセミナーまでの間にさせていただきたいという話に発展しました。

 というのも、今回は、①台風のこと、②ご住職から伺った不軽寺さんのご利益談(ご祈願によって、家を出ていた方が電話をしたというお話)の二つのことによって、

『ご祈願とお看経をしっかりさせて頂くことの大事』

を痛感させていただきました。そこがブレては絶対ダメだと。

 ですので、これから一ヶ月間、サマーセミナーの無事晴天盛大奉修と、いま苦しんでいる青年会員の周りの人たちのご祈願をしっかりみんなで共有し、させていただき、人を助くる菩薩行をさせていただきたいと。みんなで力をあわせて通算で100本のお看経をさせていただこうと、自然にみんなが思うようになったんです。

 これは、台風のことなどの災難があったからこそ気付かせていただき、学んで得られたものかもしれません。Be Bodhisattvaを目指して、これをきっかけに一丸となって励ませていただきたいと思います。

 様々な反省は前提ですが、参加者の面々は喜びに満ち溢れていました。これが大変有り難いです。

 特に、美奈子さんは、長松寺の夜のお総講とその後の交流会にも感激され、朝のご住職のお話、そして淳慧師からのご遺品のご説明の折には、開導聖人のお人柄や生き様に感涙されていました。それを見て周りの僕らも本当に純粋にありがたく、尊く感じました。
帰りのバスの中でもさっそくご教歌を自分なりにノートにまとめてらっしゃいました!

 直ちゃんのお友達のきょうこさんも飛び入り参加なのに「ありがたーい」輪の中で、何かピンとくるものがあったようです。直ちゃんの思い切りもすごいですし、あの長松寺でみんなの醸していた雰囲気が大変に尊い、ありがたいなぁと感じました。

 また、関西の青年会の方々やたくさんの方々とふれあい、中井くんも、
「たくさんのお寺の人たちと知り合えて話せるのは、自分にとって何よりの喜びって感じです。青年会に出ることが将来の自分の糧になると感じました。」
と言ってくれていました。

 お金が足りず、必至にバイトをして、携帯電話の修理をするところをセメダインで応急処置し(!)、何とか京都に来てくれた中井くんですが、本当に活き活きとしてたくさんのことを感得されていた様子がとても頼もしく思いました。
 絶対に彼には妙深寺の将来を支えていくご信者として成長してほしいので、ともに頑張ってまいります。

 また、恭子さんも、初めて会うメンバーも多い中、たくさんのことを感じ、長松寺の雰囲気を大変気に入って感じ入っていましたし、原さんのお兄さんや博美さんも終始笑顔で、「ありがたーい」雰囲気を満喫されていました。

 これはひとえに、ご住職はじめ、淳慧師、博子さん、千延リーダー、あらゆる方々のご慈悲、ご尽力のお陰です。
 本当にありがたい環境に包まれている妙深寺のぼくらは、恩返しのご弘通ご奉公を必至にさせていただきたいと感じました。

 こんなに恵まれている妙深寺の中の僕らは、これから何ができるのか。
 開導会の時期に長松寺に宿泊させていただき、それを改めて問われていると思います。

 長松寺に一日滞在させていただき、開導聖人が実際にいらっしゃった場所に立ち、言葉にできない感覚にとらわれました。
 あの長松寺で、ご住職から直々に開導聖人のお話を伺うと、まさに
「どこにもいかぬ ここにおるぞよ」
と開導聖人が仰っているような感覚に包まれ、身動きができなくなりました。

 失礼なのかどうか分かりませんが、開導聖人のお写真を拝見し、すごく感じていました。

 ご遺品を拝見し、ルーツを知れば知るほど、今のご住職、そして妙深寺はじめ、ご活躍されている若いお講師方は、開導聖人のご意志と寸分もブレていないんだと感じます。そんなご住職やお講師方と日頃から接していられるんだという感激に包まれました。佛立はこんなに苦しみの多い現代においてこそ、ブレない正しさを証明しつづけるからこそ佛立なんだと感得しました。

 いま妙深寺でも、博さんや憲史さんや美奈子さん方のまっすぐなご信心前に随喜させていただき、刺激を受け、二代目三代目の信者一同が刺激を受け、自分自身を見直している時期であると見受けられます。

 新しい、ありがたい風が吹いているように感じます。
 僕を含め、みんなの意識が変わってきているように思います。

 話は変わりますが、こんなことがありました。
 先日、お寺にも連れてきたことのある友人(家族が創価学会員で、それをこっぴどく嫌っている)と信仰の話になり、
「お寺の人は良い人だが、やはり自己満足に見えることもある」
「人助けというなら、なぜ夜回り先生みたいなことをしないのか。医学やカウンセリングなどの専門知識を勉強した上で、お坊さんは信心を伝えた方がいいんじゃないの」
「なぜ信仰をしている人は他の宗教や宗派の人たちを認めず、選民のような考えをするのか」
など、たくさんの意見をもらいました。
 しっかりと友人を納得させるような答えをできない自分が情けなく、理屈ではないんだ、と伝えながらも、「ご信心」という観点からしっかりと伝えられなかったことが悔しかったです。ちょっと前の僕だったら、ひ弱でへこんでいるだけだったと思います。

 ですが、伝えられないながらも、その日その友人にはたくさんの感謝の意だけは伝えられました。自分にはない視点をくれてありがとう、こうやって言われることで自分も改良できると思ったんです。

 自分にはない視点、ついつい忘れてしまう「俯瞰で見ること」を意識させてくれました。
 そして、これらの指摘は、大多数の人々が、信仰を持っている人に対して抱いているイメージなのではないかと思います。
 中途半端にへーすごいねーというだけの友人ならこんな気付きは得られません。

 ですので、こういうこと自体、「試されているんだ」、と感じ、そのこともありがたいです。 世間の人たちの大多数がこのような考えに対し、どのような接し方をしていけばよいか。弱い信心前ではつぶされてしまうと思えば、頑張るしかありません。
 ご住職の昨夜のご法門の通り、「いかなる困難もありがたい」という境地に至るまで、逃げずにありがたく、試練をお受けしていこうと思います。

 そして、この友人がもしご信心に目覚めたら、それほどありがたいことはないだろうと想像します。「下種」の大事は常々清顕師から伺っているので、しっかりご信心を伝えさせていただけるよう、ご奉公させていただきます。

 大変長くなってしまいました。ご住職の貴重なお時間を頂戴してしまいました。
 その分、ご奉公に気張らせていただきます。

 早く「さすが長松ご住職のところの青年会だ」と言われるように、厳しく自分たちを見詰めて、ありがたくご奉公させていただく仲間を増やしていきたいと思います。

 それでは失礼致します。ありがとうございます。

            合掌、
            正暢
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 このようなメールをいただいた。マサノブ君のご信心的な感性が、これほど豊かであるということに感謝したい。頑張ってお参詣したのに、冷や水を浴びせるようなことは言いたくない。しかし、彼のご信心前、豊かな感性によって、自らのご信心の反省し、みんながご信心の改良を誓ってくれていることが有難いではないか。

 御教歌「よい事を して懺悔をばしたるかな 今は心に くるしみもなし」

 本当にマサノブ、ありがとう。ありがとうございました。

2007年7月16日月曜日

園美さんの書き込み

 大阪・本泉寺の橋本園美さんは、橋本御住職の奥さま。本当に尊敬させていただいている。 昨日も本山の開導会・青少年の一座から長松寺までお参詣してくださり、さまざまなご奉公や御利益のお話を通じて、励ましていただける。ありがたい。

 その園美さんが、青少年の一座の感想などを本泉寺の掲示板に載せられていた。本泉寺は、今回のシンポジウムで体験談を発表された夕香菜ちゃんのお寺であり、あのお助行のお寺である。園美さんの文章に感激したので、ここに掲載させていただきたい。

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 昨日になってしまいましたが青少年の一座に参加し、無事に青年会の発表も出来て、また長松寺での妙深寺青年会さんとの交流もできて、私たちも長松お導師とおなじように心地よい疲れを感じています。

 台風直撃の予報で嵐覚悟していたのに、行きしなの車の中から雨雲が割れ、京都方面に広がる青空に向かって走りました。

 本山で梶本ご講尊の、いま悩み苦しみ悲しみの中にいる人達を救うために祈ります、という言上のあとのお看経中、まばゆいばかりに日の光が差し込み、私もたった今も苦しみの真っ只中にいる愛する人達の為に祈りました、一千人のお題目に一体となり、涙があふれてとまらなかった、隣を見ると堀川さんがボロボロと涙流して泣いていました。

 堀川さんには、今私が助けなくてはいけない人に会って頂き、その苦しみを理解し、励まして頂いていて、彼女もそのことを祈って泣いてくれていました。

 私は今日も本山にいけないと思っていました、まだまだ助けたい人から目も離せず、気も抜けない状況でしたから、諦めかけていましたが、青年会や一緒に行って下さる方のことも気にかかり、友人を前日一日かけて力付け、あなたの為に祈ってくるからどうか一日頑張ってとお願いして、後ろ髪ひかれる思いで京都に来ました。

 でもお参詣、シンポジウムが無事おわり、次の長松寺へ行く前の食事をしているときに思いがけず、入院中の彼女からメールが入り、同室のおばあちゃんの言葉を聞いて、自分に重ね合わせ、何かを感じて劇的に立ち直り、もう馬鹿なことはしない、自分が強くなる、しっかり寿命まで生きる、橋本さんに会っていなかったら今の私はない、ありがとうと、本当にうれしいメールが入ったのです。

 思い切ってお参詣し、祈り、その間わたしのかわりに同室のチエちゃんというおばあちゃんを変化の菩薩としてご法様が彼女を守り、励まして下さったとありがたくてうれしくて。すばらしい感応道交、いただきました。

 他にも感動することたくさんありましたが書き切れません。ありがたーい、と私も思います。明日から、またがんばります。

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 本当に有難い。きっと園美さんが携帯電話で撮った写真だと思うが、京都の方向だけ青空が出ているのが分かる。有難い。

 それにしても、感性豊かな園美さんは、いつか本門佛立宗の誇るエッセイストになると思う。本人にもそう言っているのだが、ハートの熱い、そして行動力があり、その気持ちを文章にして表現してくれる園美さんには、まことに頭が下がるのだった。

 有難い。

大屋根にかかる虹

 ありがたい。

 今朝、京都から戻り、13時から高橋さまのご回向。これも尊いご奉公だった。仮眠仮眠で過ごしたので、本当に倒れそうなのだが、心地良い疲れ。

 昨夜は本山開導会・青少年の一座が終わって、長松寺に戻り1時間弱休んで長松寺での御総講。御総講には横浜妙深寺からのお参詣者や大阪近郊の若いお参詣者で素晴らしい交流が出来て、有難かった。でも、少々バテたようだ。

 本山宥清寺での開導会、第四座の青少年の一座は、大成功に終わった(いや、終わったと思う。こちら側の自己満足ではいけないが、それでも素晴らしいご奉公になったと思う)。

 何より、この一週間心配に心配していた台風が完全に軌道を曲げ、一滴の雨も降らなかった。ここに掲載した写真は14日の予報天気図。観測史上7月の台風で最も強い勢力という台風4号は、間違いなく日本列島を縦断し、「週末は大荒れ」と発表されていた。誰もがほぼ確実に雨と暴風だと予想していた。土曜日の準備ご奉公でも、強い雨が降り続いていた。

 この一週間、このお天気のことがご奉公者のメールに溢れていた。ただ、私は妙深寺での行事でもそうだが天気のことだけを考えるのはいやだ。必ず必ずお計らいをいただける、とにかく雨が降ろうが槍が降ろうがブレずにご奉公するしかないと思うようにしている。今回も、こんなに一生懸命にご奉公をしてくださり、たくさんのお参詣者が志を立てていることを考えれば、「詮するところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期とせん」との御妙判をいただいて、何があっても御法さまへのご信心とご弘通への思いを前面に出してご奉公させていただくしかない、と。あとは、「道遠く雨降時の参詣は 信心つよきしるし也けり」で、「試されてる」と思うしかない。このように覚悟したなら絶対に御利益を感得できる。試されている、頑張ろう、と励まし合って。

 大混乱の暴風雨も予想された中、台風は京都に来なかった。一滴の雨も降らなかった。

 北九州の不軽寺の方々は、中止をしようと思っていた矢先に、「けいいち君」の熱意によって再度お参詣を決断。この彼のご弘通への思いは凄かった。体験もすごい。実は、不軽寺は予約していた船が欠航していたために新幹線でのお参詣を断行した。夕方の出発だったが泊まるところがない。祇園祭で京都のホテルなどどこもない。そこで登光師が長松寺に連絡し、宿泊させていただきたい、と。もちろん、長松寺は彼らを受け入れた。けいいち君を含めて、総勢26名の方々が長松寺にお参詣し、宿泊された(そして4時まで語り合っていた。そこで「けいいち君」の口から壮絶な体験談をお聞きした。でも、これは効いたー。次の朝も早いのにぃー) 。

 結果として、この不軽寺のお参詣の決断を皮切りに、九州の方々はお参詣を敢行した。続々とキャンセルの連絡が入っていた寺院から「やはり京都に向かいます」という連絡が入ってきた。神奈川布教区の大会の時もそうだったが、グランデ・ファミリアの時のように、天気も何もかも、すべて試され、気づかされるために動いていく。

 何と台風は、進路を変えていた。朝、起きてみると雨が降っていない。信じられないことだったが、ご信心をしていれば信じられる。妙不可思議なことに、京都はその後一滴の雨も降らなかった。各地から届く台風被害の報道も、京都にいた私たちに限っては感じられなかった。全く別世界のようだった。台風の進路を見てみると、京都の下へ、下へと、台風の進路が変わっていっている。本当に有難い。

 しかし、交通は寸断。台風の爪痕は、7月としては史上最大の勢力といわれただけあって、大変なものだった。

 そのような状況の中、結果として全国から約1200名の若い方々がお参詣された。台風の影響なのか最初の出足こそ少なく思えたが、本山・宥清寺の開導会、「青少年の一座」である第四座はお参詣者で溢れ返った。私は、席上係のようなもので、法悦殿に待機してくださっていた方々を本堂にお送りするご奉公だった。本堂にご案内しようとしても席がない。座るスペースが全くない。既に回廊も溢れており、お供水をいただく場所を詰めに詰めてお座りいただくしかなかった。それにしても、いつも妙深寺でご奉公下さっている席上係や内務ご奉公の方々のことを思い返せて、それも良かった。いつも、本当にありがとうございます。法悦殿の出口で800回くらい「ありがとうございます」「ありがたーい」と声を掛けさせていただいたが、みんなの顔が輝いていたと感じた。

 本堂内では吏絵ちゃんのお母さんとお兄さんが体験談を発表。その後の言上は口語体でしていただき、お聞きしていて涙が溢れた。有難かった。

 シンポジウムでは、様々なトラブルからお父さんを殺そうと100本祈願したという壮絶な体験談をお持ちの方のお話や自殺未遂をしてた過去があったが今は人を助ける側にまわって頑張っている秦くんのお話。この秦くんについては、ここに書ききれない深い深いストーリーがある。鎌倉から向かっていた秦くんが京都に間に合わないことを知り、英ちゃんやご信心の仲間が泣きながら一致協力。電話で声をマイクで拾い、そうして会場に体験談を流した。僕は急遽司会のサポートに入っていた。シナリオの順序が入れ替わり、急遽秦くんの声を受ける携帯電話とマイクを持つことになった。最後には手がプルプルと震えて汗が滝のように流れた。切れないことが不思議だった。途切れることもなかった。すべてがお計らいだった。

 また、今年の1月4日、トラックと正面衝突して顎を複雑骨折、3日目の診断では「脳挫傷」「良くても後遺症は残る」と担当医から言われた夕香菜ちゃん。しかし、その後のお助行でお寺が一体となり、結果としてお寺も夕香菜ちゃんもお助行したみんなも救われたというお話。大変な御利益を現していただき、事故にあったことすら分からない夕香菜ちゃん。ダンスのプロを目指し、ロスへの留学を考えているとのこと。幸いなことに彼女の事故前後から知っていて、お助行もさせていただいたので、喜びはひとしおだった。完璧な御利益。そして、彼女は「今度は苦しんでいる人を救いたい」と言った。有難い。

 最後の最後に、ご奉公を終えて本山を後にしたのだが、振り返ると、本山の大屋根に大きな虹がかかっていた。本当に妙不可思議、御法さまのご褒美だと思い、ひそかに胸が熱くなった。大御利益を感得した。(この写真で虹が見えますか?頑張って撮ったのですが)

 今回、企画のご奉公をされたのは、全国から弘通局に集まった若い御講師方だった。特に、松本現薫師と小野山淳鷲師は、シナリオの製作から細かい配慮まで、本当に素晴らしいご奉公をされていた。こうした思い、ご奉公は積み重なって、今回の成功になったのだと思う。また、これも何としても書きたいのだが、総合司会を務めた二人、遠藤さんと石井くんは素晴らしかった。臨機応変の対応、突然のシナリオの変更にも何のためらいもなく、嫌がりもせずに全て受けてくれた。何という仲間、ご信者だろう。世間とは全く違う。プライドもパワー・ゲームも無い。普通のイベントだったら、押し引きがたくさんあって、それだけで疲れてしまうのに。

 そう、驚いたのは、法悦殿の中でご挨拶していると、多くの方から「ブログ、見てます。○○寺の○○です」という声を掛けていただいた。恥ずかしいやら「やばい」と思うやら、複雑。

 それはさておき。あつい慈悲、菩薩の心、お助行の和。ご信者さんの活き活きとした顔。それを感激して奨励する教務。これが理想。今の妙深寺も目指している姿。それが大本山の開導会・青少年の一座で見せていただけて、私の信心改良、信行増進になった。本門佛立宗のご信者さん、みんなが求めていたことは、やはりこれなのだと思えたのだ。何より、初発心の随喜なのだ。それも実感した。

 色々なトラブルもあった。しかし、「ありがたーい」を口々に、本当に何もかもが有難かったと思える。 汗をダラダラかきながら、舞台裏でスイッチングを担当してくれていたひろし君も、ずっと「ありがたーい」と言ってご奉公くださっていた。この「ありがたーい!」という言葉。大会後の別れ際、九州のご信者さんをはじめ、みんなで「ありがたーい!これ、いただきました!」と言って笑い合った。ブームの予感(笑)!本当にありがたーい。

 ちなみに、ひろし君は体験談を発表した夕香菜ちゃんに「ずっとずっと、お会いしたかったんです」と言われて有頂天になっていた。ロスに留学することが夢なので、ロスで仕事をしているひろし君に相談したいというものだった。ひろし君も「1000%、応援するからね」と返事していた。ありがたい。

 この神奈川布教区の代表、秦くんの体験談は、まさに完璧だった。 大御利益、本当に奇跡的なご奉公になった。彼の声が会場に響き渡り、みんな静かに聞いてくれていた。オープニングだったので厳しいと思っていたが、終わった後は大喝采だった。森山くん、麻美ちゃん、杉崎さんが、彼のリハーサルや準備段階からご奉公してくださり、当日も新幹線の運転見合わせということで、みんなで泣いて悔しがっていたのだと後で聞いた。その思いを何とかしたいと思い、諦めずに電話での中継を選択して良かった。新横浜駅から近い妙深寺に行き、そこから念のため有線電話で通話することにした。その時、何とあの憲史くんがちょうどご奉公しており、「こんなこともあろうかと準備してました」と調子の良いことを言いつつ(笑)、瓜生さんや清康師のサポートをもらって、完璧になったというのだ。私も帰山後に聞いたのだが、本当にありがたかった。やっぱり、最高のチームだ。

 妙深寺のお参詣者は新横浜駅に7時過ぎに集合し、新幹線の運転再開を待った。1時間、2時間、3時間と過ぎ、妙深寺のJTBに勤める田代くんの助けもあって、何とか再開された新幹線に乗ったのは集合から6時間後。それでも田代君がいたから乗れたのだそうだ。そして、15時に京都へ到着。そのまま本山へと向かってくれた。9時間かけてお参詣したことになる。そして、妙深寺チーム24名はエンディングで会場に到着。アナウンスが入って、「こんな天気の中、来てくれたんだね!」という全国の佛立青年たちの声! その後にお参詣下さった長松寺の御総講でも盛り上がった。口々に「中止にしないで良かった」との声。誉めてあげたい。

 横浜の妙深寺では、今週末の開導会の準備ご奉公だった。特に、ガラスみがきのご奉公があったのだが、なんと50名のご奉公者が集まってくださったと聞いた。50名?ガラスみがきのご奉公に?今まで聞いたこともない。今回、そのご奉公に参加した方の中でも、20名がはじめてのガラスみがきとのこと。うれしさが言葉にならない。

 青少年の一座の内容は、後ほどDVDにまとめられる。ひろし君のスイッチング(2台以上のカメラの映像をリミックスして送出すること)が見物。汗だくでやっていた成果が見れる。

 ほんとーに、ありがたーい。

2年越しで恋人に出会えた

 涙、涙だった。
 週末、ブログの更新もメールのチェックも出来なかった。パソコンを触ることもなかった。慌ただしい、寝る間もないご奉公だった。疲れ果てているが、心地よい疲れだ。
 本山宥清寺に於いて、佛立開導日扇聖人の祥月ご命日に併せて、その第四座に『青少年の一座 ~人間 生きる、生かされる命~』が遂に奉修された。素晴らしいご奉公、有難いご奉公だった。それは別のページで書きたいと思う。
 奉修前日、土曜日の午後に京都に入り、準備ご奉公をさせていただいたのだが、その時に、その時に、その時に、な、な、なんと、私としては嬉しい嬉しい出会いがあったから。
 その理由。それは、吏絵ちゃんに会えたからだった。
 今回の本山開導会、青少年の一座にはテーマがあった。既に書いたが、『~人間 生きる、生かされる命~』だ。いま、若い人たちは、いじめや自殺などの社会問題に取り巻かれて生きている。自分では聞きたくなくても、そうしたニュースを耳にせざるを得ないし、自分の身の回りでも多かれ少なかれ様々な家庭の問題や人間関係での問題、苦しみや悩みを抱えた人の話を耳にしているはず。そういう時代に生きている本門佛立宗のご信者が、何を感じ、何を学び、どう行動し、どのように生きていくべきか。それをみんなで考える絶好の機会にしたいと会議が重ねられてきた。
 それは「学ぶ」ではなくて「共感」でなければならないと思ったし、「共感」から実際の行動に移せるような機会でなければならないと考えて、青少年の一座は形づくられてきた。開導会第四座という法要と、法要後にはシンポジウムを行った。その両方で、吏絵ちゃんのご家族からお話をしていただいたのだった。
 吏絵ちゃんは14才。2年前に白血病を発病した。それまでは大きな病気もせず(幼児期にぜんそくではあったが)、学校は皆勤というほど健康で、ソフトテニス部に入り大会で素晴らしい成績を残すくらい活発な、ごく普通の女の子だった。
 テニスの日焼けで真っ黒になっていたという2年前の7月。身体がだるいと言って、少し熱があり、風邪かと思っていたのだが、病院に行ってみて血液検査をすると(この段階でももっと濃い内容があるのだが)数値がおかしい。大きな病院で白血病と診断されたという。
 私は小学校の先生をされているお父さまのお話でボロボロに泣いてしまった。まず、お父さんはシンポジウムで「いま、みなさんにとって一番大切な人のことを考えてくれますか」と仰った。すぐに私の頭の中に自分の子どもが浮かんだ。続けて、「その自分にとって一番大切な人が、大変な病気です、と言われたら、みなさんならどう思われますか。私にとって、吏絵は、一番大切な人だったんです」と仰った。その瞬間、私は司会台の後ろで嗚咽した。そうだ、そのくらいの苦しみを、このご家族は抱えられたのだと、あらためて感じた。
 白血病と診断され、「いいですか、白血病という病気は、治療しなければ100%死ぬ病です」と言われ、「なんてことを言うんだ」と涙した、と。そして、治療承諾のサインをする途中、涙が出て止まらなくなり、途中で書けなくなった。妻にペンを支えてもらって、やっとのことで書けたのです、と仰った。
 絶望の中、お父さまは奥さまの実家から本門佛立宗のご信心、お寺にお参詣してみないかとお話をいただいた。そこで「もう、祈るしかない」と思って、お参詣、ご信心をされるようになったのだという。お助行がはじまり、本山の、吏絵ちゃんのことを知らない人までが祈ってくださる姿を見て、お看経中に泣けて泣けて仕方がなかった、と。
 ちょうどその頃、長松寺の御総講で同じ連合の神田さんからお助行のお話をお聞きした。学生師としてご奉公していた清康師は、そのお助行にも参加しており、その場のお話に随喜して、みんなで御祈願をさせていただこう、お助行させていただこう、というお話になったのだ。
 横浜で吏絵ちゃんへの御祈願がはじまった。毎朝、吏絵ちゃんの言上をあげさせていただくようになった。ロスに出張だったひろし君にもメールで早速このことを伝えた。ホテルの部屋で御題目をお唱えする時、吏絵ちゃんの御祈願もしてもらいたい、と。ひろし君はそのメールを見て、ホテルの部屋で一人で泣いたという。そして、返信をもらった。「絶対にさせていただきたい、させていただきます」と。
 スリランカの皆さん、特にイタリアではマッシーや麻樹ちゃん、ダニエレ良誓師やティッツィアーノさん、ミルトやエンリーカ、ベルリンの行弘くん、ロンドンのヴァネッサ、ブラジルでも多くの方々にご披露すると、みんなが吏絵ちゃんの御祈願をしてくれるようになった。世界中が吏絵ちゃんで結ばれたように思えた。
 お父さんから聞くと、吏絵ちゃんは小学生の頃は自分の病気の大変さを、感じてはいても本当のところ分かっていなかったという。しかし、多感な時期を迎え、ごく最近になって亡くなった本田美奈子さんやカンニングの方と同じ病気だということを知って、いろいろなことを考えているのだと思うと教えていただいた。
 吏絵ちゃんは辛い治療を乗り越えた。病気の治療が成功したことはもちろん、治療中に熱が出たり、感染症にならないで、すべてが順調にいったことなど、たくさんの現証の御利益を感得されたという。6月末で、全ての治療が終わって、もう入院して治療することは無いというところまで来たのだという。本当に、吏絵ちゃんのご家族の愛情、ご信心と、世界中の方々の御祈願のおかげではないだろうか。有難い。
 私は、約2年間、吏絵ちゃんの御祈願をさせていただいてきた。しかし、私は会ったことがなかったのだ。ご家族であるお祖父さまとはいつもお会いしていたが、辛い治療をしていることもあって、なかなか吏絵ちゃんにお会いするチャンスはなかった。
 しかし、その吏絵ちゃんのご家族に、この「人間~生きる、生かされる命~」をテーマにしたご奉公の中心的なご奉公をになっていただこうというお話になり、世界中の方へ御礼をさせてもらいたいというご家族のお気持ちをいただいて、快くご奉公をお受けいただき、その打ち合わせのために、土曜日の午後、吏絵ちゃんとご両親が来てくださった。そして、そこで私ははじめて吏絵ちゃんに会えたのだ。
 嬉しかった。嬉しかったなぁ。本当に、思い続けた恋人にやっとの思いで会えたような気持ちだった。笑いながら吏絵ちゃんにもそのことを伝えた。8月、吏絵ちゃんご家族は横浜に来ていただける。その時には僕が案内するからね!と吏絵ちゃんに伝えて、楽しい時間だった。そして、お目当てのアイドルにお願いするように、写真を撮らせてもらったのだ。うれしー。ちょっと、こんなおじさんに言われても吏絵ちゃんにとってはいい迷惑だろうが、やさしい吏絵ちゃんは笑顔で応えてくれたのだった。ピース!
 本当に本当に嬉しかった。上手に書けないが、嬉しかった。

2007年7月13日金曜日

お寺は修羅場

 ちょっと書いておく。

 これから1ヶ月、お寺にお参詣されることが多くなるので、野暮や無粋かも知れないが、老婆心とて書いておこうと思うことがある。

 私は、先代の御住職から「お寺は修羅場だぞ」と教えていただいたことがある。その教えは、簡単な会話の中で出てきたのではなく、厳命のように重く伝えていただいた。たぶん、私のお気楽な考えを心配してくださってのお言葉だと思う。

 私は、妙深寺の住職として、今のお寺にお参詣くださる方々を心から尊重し、尊敬し、感謝し、共に菩薩行をさせていただく同志と考えさせていただいている。そして、今の妙深寺には思いやりと慈しみを持った方々が集まってきてくださっていると思うし、そういう輪が広がっていると思う。

 しかし、先住は仰った。「お寺は修羅場だぞ」と。それは、やはりお互いは三毒強盛の凡夫であるということを忘れないこと、一癖も二癖もある凡夫が集っているという自覚。諦めではないが、お互いは凡夫であるということを弁えないと、期待ばかりが膨らんで、ご信者同士の感情のもつれや気持ちの行き違い、時には険悪な雰囲気や恐ろしい言葉に戸惑ってしまう。それでご信心が落ちるようでは仕方がないと教えてくださっているのだ。

 子どもの頃、私は一人でバスに乗っていた。妙深寺は神大寺か中丸で降りるのだが、反町あたりでご信者さんが乗ってこられた。いつもお寺で見かける優しい優しいおばさんだった。ところが、そのバスの中では、すっごく険しい顔で、その態度も子どもながらにとても不快に思うものだった。結局、バスの中で気づいてご挨拶したのだが、その時の顔の変化は今でも忘れられない。「なんで?お寺であんなに良い人なのに?」「裏と表がこんなに?」と思って、父に話をしたものだ。子どもだったから、その印象も強烈だったのだと思う。

 私たちは凡夫。三毒という「貪欲」「瞋恚」「愚癡」が、毒にも似て自分を苦しめる。私たちは三毒が強く盛んであり、なかなかこれを解毒できずにいる。だから、お寺の中は修羅場のように「言いたいことを言える場所だ」と思って乱暴な口ぶりをする人があるかもしれないし、「お寺なんでしょ!いいじゃない!」と言って甘えてわがままになる人もいるかもしれない。あるいは、お寺の中の役職や信歴を盾にして言葉や態度が不遜になってしまう人がいるかもしれない。それもこれも含めて、末法であり、末法のご奉公なのだ。

 そういうことも、先代の御住職の教えをいただいて、私は何とかバランスを取りたいと思っているし、凡夫丸出しの方にはしっかりとお折伏させていただきたいと思う。
 いくら、今の妙深寺が素晴らしいといっても、時にはトラブルやガッカリすることもある。その時にも、ご信心の腹で、ご法さまを見据えて、「本来はそうではない、凡夫のなせる業」という気持ちを持ってもらいたいと思う。

 開導聖人は数多くの御教歌で、こうしたご信者の生き方、所作振舞、信者間の問題についてお示しになられている。

「言の葉と身の不行儀をたしなめば それで世間の常の人なり」
「よの人のさがなしごとをまた人に つたへてわれに罪なつくりそ」
「十悪は殺盗婬に貪瞋痴 妄語と綺語と悪口両舌」
「こゝろせよ自屈上慢二乗心 これは信者の中のかすなり」
「信者をば十人よせてながむれば 八人までは不の字つくなり」
「まなほなるよき信者をば軽しめて 無智とあざけるものしらずかな」

 ちょっと、野暮かもしれないが、とても大切なことなので、夏期参詣の初日に当たって書いてみた。

お中元のご挨拶

 いよいよ夏期参詣がはじまった。開門参詣者の多さに私の母も感激していた。いつもよりも大きなお看経の音、御題目の声が本堂に響いていて、わくわくしながら本堂に上がった。
 朝、4時に起きてきたという和美ちゃん。中野からだから遠いのに、本当に頑張ってお参詣したね。ありがたい。鬱を患っていた彼女は10キロも痩せてしまっていたけれど、こうしてお参詣をし、朝のご供養をいただけば、どんどん身も心も体力が回復するはずだ。そして、周りには本当の家族以上に思いやりのあるご信者さんが揃ってくださっている。とし子さんも「遠いから私の家にお泊まりしようね」と声をかけてくれているし、教区長や高島さんも「うれしいわ」と優しい声をかけて、もう家族のように暖かい会話が交わされていた。夏期参詣、本当に有難い。
 今日はお祖師さまのご命日で、御総講を奉修させていただいた。新しい部が生まれたので記念品(御法門台と打ち掛け。そこには「弘通広宣・折伏成就」と書かせていただいた)を贈呈し、新事務局員の追加辞令の下付、エレベーター設置委員会の辞令下付などもあった。とても大事なご奉公がスタートしている。
 また、妙深寺では夏期参詣の初日にお中元のご挨拶をいただく。しかし、こんなことをここに書いて良いのか分からないが、実は妙深寺では中元とお歳暮のご挨拶を廃止した。これには恥ずかしい理由があった。熟慮に熟慮を重ねて、私の判断で廃止に至った。
 お寺でのお中元とは、妙深寺では古くから常日頃の感謝を込めて、御導師や御講師に対してご信者さんがしてきてくださったものだ。「上半期のご教導、ありがとうございます」と丁寧にご挨拶をいただき、志篤くしてくださっていた。本当に、そのお気持ちは尊く、有難かった。
 いつの頃からか、そのお中元も教区や部でまとめてしてくださるようになった。そして、物品ではなく、お包み(お金をお包みくださる)として私たちにご挨拶してくださるようになっていた。これは随分と前から伝統になっていたのだが、「ご供養に代えて」というお心として包んでくださっていた。
 しかし、日本の社会全般と同じように、お寺の中でもご信者さんの高齢化が進んだ。特に、家庭の中でしっかりと、ご信心を親から子へ、子から孫へと上手に受け継げているかどうかが大変な課題となっていた。強いご信心を持っておられた親の代から、子や孫の代へと変わってきたのだ。それに対する指導、対応が私の時代の責務だと考えてきた。
 代は変わっても、一度はじめた制度というものは簡単に変えられない。必要に迫られたり、当時の方々の思いが詰まって生まれたシステムだから、それは残っていくのである。つまり、こうしたお中元やお歳暮の「お包み」は、代を経ても変わらずに続いていた。
 考えてみれば分かるように、ご信心のことを余り分からない、お寺のことも良く知らないという人に対しても、システムだけが残されて、「ご信心」以前にその「システム」が先に受け継がれてしまうことになる。親から子、子から孫に移行する間に、残念ながらご信心は落ちていってしまって、「心」の重みは違うけれど「形だけで何とか続けている」「何とかご信心している」という家庭が多くなった。そうした現実がある。
 そういうご家庭に、何とかご信心をお伝えしたい、親がされていたご信心はこれだけ素晴らしいものだったのだということをお伝えしたい、と。それを大命題としてご奉公をしているのに、私たちですら分からなくなるほど細分化された「ご奉公(そのシステム)」が目の前にあって、それを遮ってしまっているように思えたのだった。
「ご信心はお金が掛かる」。
 これは、佛立宗ではあってはならない言葉だ。佛立信心とはその逆だ。しかし、「ご信心」が何たるかを知らない人が「システム」だけを受け継いだら、こういう言葉が出てしまうだろう。ご信心を有難いと思っていない、思えてないのに、次から次へと納入袋や御有志帳が回ってくるというだけなら、伝統仏教の寺院と変わらず、意味を伝えないでお金だけ集めているということになってしまう。
 そういうことを逡巡と考え重ね、考え抜いてきた。
 確かに、妙深寺のご奉公の中でも、細分化に細分化してしまったものがたくさんあった。毎月、義納金、御講のかかり、弘通車費、教養薫化会賛助金、愛の花束、妙深寺本堂荘厳建立費、御初穂料、御初灯明料(この尊い御有志も毎月納めさせていただくことになっていた)などなど、ご奉公される方々も細かな分類は分からないほどの項目になってしまっていた。あくまでも、こうしたご奉公は大切なことであり、先代、先々代からのご信者方が自発的に始めてくださっていたご奉公であった。ただし、その意味をしっかりと伝えていくことは容易ではない。
 恥ずかしい話ということはこの点で、何とかご信心の本質をお伝えしようとしているお宅に伺って、お参詣やご奉公の功徳を伝えようとしたり、今月特に志を立てていただきたい御有志などについて教え、お折伏やお勧め、ご説明しようと思っても、「で?結局、まとめていくら?」というようなことになってやしないか、と考え重ねたのであった。実際、聞き取りをしてみると、そのような実状が浮かび上がった。
 このままでは大事な大事な佛立信心が地に落ちてしまう。恥ずかしながらそのように感じて、住職から教務に伝え、まず真っ先にお中元・お歳暮の廃止を決定したのだった。これも後で分かったことだが、その意味が上手に伝わっておらず、問題の根は深かった。早く手を付けてよかったと今では思っているのだが。
 そうして、現在はお中元というお包みやお品物はいただかなくなった。ただ、上半期のご奉公、御弘通の状況について本堂の裏にある「御控之間(住職室)」に教区と部のご信者が来てくださって、ご報告を受け、私から思うところをお話するようになった。今日も、全教区のご挨拶は約1時間、教区毎にご挨拶を受け、お話をして下半期の御弘通ご奉公への指針を示させていただいたのであった(そんな格好いいものじゃないが)。
 こうした恥ずかしいお話も、実際のお寺の御弘通には大変に重要である。功徳を積むということは何より大切であり、ご法さまへの御有志、御導師・御講師方へのお布施・ご供養は必ず我が身に返ってくる。しかし、こうした尊い教えも、時を経てくマンネリ化してしまっていると意図が伝わらず、「システム」としてだけ一人歩きしてしまう。そこを「もう一度丁寧に教えよう」ということも大事なのだが、それは何度か挑戦したが本当に難しい。そのさじ加減、私は「ご弘通の機微」と呼んでいるが、それこそ住職である私の最大の努めであると思う。だからこそ、こうしたことを判断をさせていただいたのだった。
 この数年、様々な改良を行った。お中元・お歳暮の廃止、特別御講での教務へのご供養(お包み)の廃止、妙深寺本堂建立荘厳費の廃止、御初灯明料を年末のご奉公へと改良し月々の奉納を廃止、義納金の年間奉納の開始。それぞれ、お寺や住職、教務にとっては真っ青なことである。何より大切な妙深寺という法城の護持が出来なくなってしまう可能性もある。しかも、それは現実であった。現実に、今の妙深寺の実状は厳しい。
 しかし、これは功徳の積み方を変更させていただいたということであり、「廃止」といっても「統廃合」という意味である。むしろ、違う形での御有志は増えている、というか多くお包みくださるようになっている。ご弘通への『覚悟』がなければなかなか出来ないし、これだけがご弘通に大切というわけではなく、総合的な問題なのだが、恥ずかしながら妙深寺にとっては大切なことだった。
 大変な痛みを伴ったが、当然ながら意味をしっかりと噛みしめた上での「御有志」は、その御有志した本人が御利益を実感できる。自動システムで御有志している(「させられている」と思っている人が多かった)のとはレベルが全く違って、どんどん出てくる仕事や商売での御利益、そうした体験談の多さに驚くほどである。
 こんなことを書くつもりではなかったが、こういうご奉公の積み重ねで今の妙深寺があるのだなぁ、と今朝のご挨拶をいただきながら思った。もう「御弘通」の一点だけを考えていく。みんなの眼がキラキラしている。有難い。
 歴史を重ねれば重ねるほど、草創期にあるスリランカやイタリアとは違った意味の嬉しさや難しさが出てくる。しかし、どちらにしてもご信心の本質を失わないようにご奉公させていただきたい。つくづくありがたいと思う。

横浜の夏 妙深寺の夏期参詣

 さぁ、今日から妙深寺では夏期参詣である。今日から32日間、8月13日まで朝参詣が続く。

 夏期参詣は「耐熱参詣」「耐暑参詣」とも言う。一年で最も暑い期間、朝早くに起きてお参詣をさせていただく。気合いが入る。

 妙深寺では、開門が6時、お看経の開始が6時30分。7時と8時に御法門がある。朝のご供養は、婦人会さんが交代で泊まり込み、平日は6時から9時まで、御総講の日、土日祝日は10時までいただくことが出来る。

 よっしゃ、頑張ろう!

2007年7月11日水曜日

妙深寺のチラシ

 今日、無事に横浜地域での教区御講が全て終了した。梅雨の真っ直中であったこともあり、お天気を心配していたが、お計らいをいただいて雨の合間に奉修させていただくことができた。有難いことだと思う。行き帰りに雨に濡れた方もいると思うが、「道遠く 雨降時の参詣は 信心つよき しるし也けり」と教えていただく。毎朝、開門参詣に励んでおられるYaccoさんや美奈子さんのことを思えば、快晴も雨降りの中でもお参詣させていただかないでどうするという気持ちもある。御講の中では、多くの方から「いま、お寺に行ってみてください。何とも有難いエネルギーをもらえる。新しい方々が頑張ってお参詣されているのですよ」とご披露が続いた。本当に有難いことだ。

 しかし、それは有難いのだが、時間が無くてブログの更新が思うように出来なかった。メールの返信も滞ってしまった。応援のメールをいただくので、何とか更新したいのだが。思っている半分も書けていない。ここに書きたいことが山のようにあるのに。

 昨夜は御講の後で建国寺から石川清優師がご挨拶に来てくださっており、久しぶりにゆっくりとお話しすることも出来た。清優師は私からしても鬼気迫るほどご弘通を真剣に考えている。私はそんな彼が大好きである。会えば「アホ」「バカ」と励ましたり冗談を言ったりして過ごすのだが、お互いに1年365日24時間、ご弘通のことを考えに考えていることでは同じ。非常に励みにもなり、建国寺の石川御導師のご指導やご弘通の方策なども学べるから貴重な時間だ。また、色々なヒントをいただいた。

 妙深寺では、最近チラシを作った。これは、チカちゃんが下種結縁のご奉公をする際、「何かお配りできるようなものがあったら良いのに」ということから作られた。その内容も、ほぼチカちゃんが作った。新設された第二弘通部の広報部長である黒崎さんがパッパッパッと体裁を整えてくださり、清従師がブラッシュアップして出来た。それにしても、ご信者さんの手作りというのが有難い。私の頭や感性では思いつかないような視点で作ってくれている。

 そう、最近は妙深寺教務部全員の写真も撮った。これは、あるご信者さんから大変な御有志をお預かりして、「御導師、御講師の御供養に」とのことだったが、食べ供養にさせていただいて終わってしまうのは勿体ないと思い、考えに考えた末に「ご弘通に役立つように使わせていただこう」と考えさせてもらって、プロの写真館に教務部全員で行って撮影したのだった。

 というのも、私はいつも寺報などでも教務を後ろに下げるように下げるようにしてきた。なぜなら、あまりにも今までのお寺の出版物には教務さんが前に出ていて、一面も二面もお教務さんの顔ばかりで、それに対する反発というか、それではいけないと感じてきた。だからこそ寺報では「ご信者さんの数だけヒーローがいる」と口を酸っぱくして言い続け、記事も写真もご信者さんを前面に出してきた。

 しかし、先日の第二弘通部での会議で、そのことを指摘されてしまった。素敵なお寺だと興味を持ってくれたとしても、どんな人に相談するのか、どんな人が相談に乗ってくださるのか見えなかったらコワイ、という。「妙深寺はこんなにイケメン教務さんばかりがいるのだから、ぜひ顔を出して」ということで(笑)、私の監修の下、教務さんに無理矢理笑わせたりしながら、写真を撮ったというわけである。私は特に写真が大嫌いなのだが、お弟子方に言った手前、仕方ないので撮った。しかし、やはり教務さんの中で私の写真が一番イケテいないと思った。

 それはともかく、チラシである。表紙は、地下鉄の看板と同じように作ってくれていた。

 専用ダイヤルも掲載しており、大変に有難い。このチラシは開導会の前後までしか使えないということで、各教区にも波及して、将引や下種結縁(御題目やご信心を知らない方にそれをお伝えする。御題目という素晴らしい種を下して縁を結ぶという意)のご奉公で使っていただきたいとご披露されていた。

 裏表紙には丁寧に、そしてご信者さんらしい言葉づかいで妙深寺を説明してくれていた。有難い。


2007年7月10日火曜日

うつ病を乗り越えて

 昨日は教区御講(導師御講)。夜は事務局運営会議で、新事務局が発足して間もないため、新しいメンバーによる新しい視点の提案が出され、非常に内容の濃い会議となった。深夜までのご奉公、ありがとうございます。
 教区御講では、各教区の受持御講師と教区を代表するご信者さまがお寺までお迎えに来てくださって、奉修するお宅(お席)まで伺う。車の中ではお迎えの方と僅かな時間だがいろいろなお話ができる。
 昨日は小山さん(女性)がお迎えに来てくださっていた。車中、いろいろとお話を聞く。驚いたのは、私としたことが今まで気づかなかったのだが、彼女は『うつ病』を患っておられたという。3年前が一番苦しかったということだった。自分の中で、表現の仕様のない不安と恐怖が渦巻いて、電車にも乗れなくなってしまったというのだった。
 しかし、お話をしていてフッと気づいた。小山さんがご信心に前向きとなり、お参詣やご奉公をされるようになったのは、ちょうど4年前くらいだった。確か、宇田さんのお席にご夫妻でお参詣されるおり、私は今までお会いしたことのない方であったためにご挨拶をさせていただいた。その後、しばらくしてその奥さまである小山さんがお参詣をされるようになった。その教区はお年寄りが多かったために、3年ほど前から50代の小山さんに「部長」というお役を受けていただいたのであった。逆算してみると、一番苦しい時期に「部長」というご奉公をお受けになったということになる。
 小山さんは「電車に乗ること、車に乗ること、そういうことが全部怖くなってしまって、どんどん怖くなってしまった」と言われた。そう、うつ病の方は、いろいろなことが重なり、心が満タンになってしまって、違う考えが引っ張り合う。引っ張り合って、分かっていてもどんどん悪い方向に考えが行ってしまって、そしてそれが増幅してしまう。小山さんもそうであったと聞き、みるみる痩せてしまったというのだ。
 私は今まで、幸いなことにこうしたご奉公をずっとさせていただいてきた。それは「心の病」とも言って良いのだが、あまりにそうしたご奉公が多かった。「統合失調症(数年前まで分裂病と呼ばれていた)」、さまざまな「神経症」、特にうつ病。自殺未遂や登校拒否という症状、世間的には「憑依」といわれるような状態のご奉公もさせていただいてきた。自分なりにこうしたご奉公を通じて、御題目の尊さを実感させていただけたこともあるが、同時にそうした問題を抱えている人へのアンテナや対処を心懸けていたつもりだが、小山さんの場合は全く気づかなかった。
 いつも、こうした状況を聞く時には、ゆっくりと、そしてあっけらかんとお話しするようにしているのだが、「死にたいと思ったことはあったの?」と聞くと、「はい、何度もありました。何度もこのまま電車に飛び込んでしまおうと思っていたんです。だから怖かったんです」と答えられた。
 ほんの数日前も小田原駅で新幹線への飛び込み自殺があり、昨夜は母と幼い子が電車に飛び込んで二人とも死亡したと報道があったばかりだが、同じように心に悪循環を抱えて、いわば「心の病」で苦しみ、死を選択する、死の誘惑に負ける、という人がたくさんいる。数年前の小山さんも同じ状況だったということだが、私には全く気づけなかった。
 「ご奉公をさせていただいて、普通の人は6年も7年も苦しまれるというのに、私の場合はこんなに早く良くならせていただけて、本当に嬉しいです。太ってきてしまいましたー(笑)」と笑って話をしてくれる。「本当だね、有難いね。本当に有難い。ご信心のおかげ、御題目・ご奉公のおかげだね、間違いないよ、小山さんのお話をお聞きして、それが証明できた」と。
 本当だ。一番辛い時にこそ、何の迷いもなく「お寺に行く」「御法さまに助けてもらう」という純粋な気持ち、行動だけしっかりと持っておく。何も人を信じろと言っているわけじゃない。御法さまを信じる。そして、実際に「行動」する、「行動せざるを得ない」というご奉公を自分なりにしてみる。プレッシャーに感じるのではなく、そういう一切の思惑を捨てて「させていただく」という中に深い闇からの出口がある。本当にそれを証明してくださっている。
 うつ病の方から感じるのだが、一度うつ病になると、心の中から「信」という一点が抜け落ちてしまう。何も信じられない。誰も信じられない。自分も信じられない。過去も、今も、未来も信じられないという状態になってしまう、そうなっていると思える。そして、「信じる」という機能は完全に停止しているのだが、「考える」という機能は普通の人の何倍も動き続け、働き続けていると思う。頭の中には、ニュースの声、誰かの会話、ずっと以前に誰かから言われた言葉、自分が言った言葉などが、消えることなくグルグルグルグルと渦巻いて、どんどん膨らんでいく。そういう状態を消し去るには「信を取り戻すことだ」とアドバイスするのだが、「信じろ」と言って信じられる人などいない。だから、出口が見えない。
 小山さんは恥ずかしがりながら、「佐々木さんや、たくさんの方に支えてもらったからこそ、こうして良くなれたんです」と仰った。ありがたい。妙深寺の方々は菩薩だ。有難い。
 こうして、一人一人に、正しい「信」を取り戻して、うつ病という現代病とも言える苦しい病を乗り越えてもらいたい。妙深寺は「駆け込み寺」でも良い、そうした方々を一人でも多くお救いしたい。

2007年7月9日月曜日

美奈子さんからのメール、

 毎日毎日、有難いことばかり。御法さまに感謝しても足りない。有難い、有難いと思う。
 横浜の朝。清々しい港からの風。 そんな気持ちの良い風を、世界中の人が感じられるようにしたい。イラクではテロが相次ぎ、パレスチナにも暗雲が垂れ込めている。アフリカでは子どもたちが食べ物を取り合うために殴り合い、幼く弱い子どもたちを優しく庇う人もいない。何としても、大きく、暖かく、力強い菩薩心を共に育み、世界中の人に伝えたい。その渦を、妙深寺の皆さまと作り上げていきたいと思う。

 昨夜、このブログの「清耀師とMさん」のタイトルで書いたMさんからメールをいただいた。今月の1日にご信心をされるようになり、まだ10日に満たない彼女は、毎日毎日開門参詣を続けておられる。
 私はいろいろと考えながら、彼女を「Mさん」と仮名を使ってご紹介したのだが、彼女自身から、ご信心への思い、清耀師のご奉公、そして仮名を使わずに堂々とさせていただいているので、全く気にしないで欲しいという内容のメールをいただいた。私は本当に有難く、尊く、感激した。
 今朝は、そのメールをご紹介したい。でも、やっぱりフルネームだとインターネットなので何があるか分からないから、名前のみにする。
===================
 ありがとうございます。
 美奈子です。
 ブログに登場できて嬉しかったです。気を使っていただきイニシャルにして頂きましたが、もう私は正々堂々とご信心させて頂いていますので、大丈夫です。
 私は、今世でご信心に出会わせて頂き、本当に幸せなんです。私が今まで望んでいた事、す べてが今お寺の中にあります。
例えば、お寺の中では皆さん例外なく『ありがとうございます』と挨拶を交わします。普段の生活ではそれが出来ず、いつもウズウズしていました。お寺の中では、どなたとも挨拶を交わせるので幸せを感じられるんです。
 次に100%の人間関係です。ご信者さんどうし本気で助け合っています。私にもそうしてくださいます。熱いですね。そういう所が大好きです。
 次に事がスピーディーということです。即実行なんですね。「じゃあそのうち、、、」ではなく、「じゃあ何時にしよう!誰と誰にも連絡して、、、」と、どんどん事が進んで行くんですね。みんなで協力する姿勢。私の理想そのものです。
 次に開門参詣です。私は兼ねてから早起きするためのラジオ体操的なことを探していました。朝が弱い私にとって、朝から出かけられる場所を与えて頂けたこと、これだけでも幸せなんです。
 そして、何よりも御法様にお出会い出来たことが最大の幸せです。人の為に祈る対照があると言う幸せ。毎日のように『サイン』を頂き、自然に私に出来る菩薩行を導いていただける。がむしゃらに頑張るのではなく、喜んで動ける幸せ。それに響き合うお題目に包まれる幸せ感。
 言い出しては切りがありませんが望んでいたことすべてがお寺にあるんです。すべてです。
 もともとは私の母方の祖父母がご信心を始めたのですが、私が生まれる前に亡くなってしまいました。祖母の一周忌の時、私は母のお腹の中にい ました。その時、御奉公された御導師がなんとスリランカで御弘通されている福岡御導師だったんです。私はお腹の中から御導師の御法門聴聞していたんですね。この事実は最近わかったことです。母は信心していませんが。ただ母がその時の話を私によくしていました。
 その甥っ子さんである清耀師が熱心にご信心に導いて下さいました。ご縁ですよね。2ヶ月間ですがとてつもなく長い時間を過ごした気がします。あの方は本当に素晴らしい方です。いろいろな事を教えてくださいました。本当にいろいろです。メールの文章の長さは半端じゃないです。あの方のお人柄が素晴らしかったから、私は御法さまを受け入れることが出来たんです。感謝しても仕切れません。
 京都から横浜まで私を妙深寺に案内してくださるだけのためにお越し下さった時、タクシーの中で清耀師がこうおっしゃっていまた。
「以前、私にも夢がありました。でも今の夢はご信者さんの夢が私の夢なんです。」
 私はその深い意味がわかりませんでした。でも、妙深寺で2週間御参詣させていただいた今はわかります。私も佛立信者になれたこと、この短期間ですが誇りに思います。きっと、私は生まれる前から早くこの時を待ち望んでいたのだと思います。この地球宇宙、すべての母が神様なんだろうなと自分の中でいつも思っていました。でも、それが何なのかわからなく、ムズムズしていたんです。これからはお題目がある。御法さまと繋がっている。こんな幸せはやはり弘めなければならないという使命。有難くてしかたがありません。
 妙深寺のお教務さん方は、私が毎日開門参詣させて頂いていることを驚いていらっしゃるそうですが、入信すると一か月開門参詣するものだと勝手に思い込んいました。辛くなんてありません。ケンジくんのおっしゃっていた意味がわかりました。でも、参詣させて頂けることが有難くて幸せなだけなんです。本当にご信心させて頂くことになり、すべてのご縁に感謝しています。
 私は、助けなければならない人を確信をもって救う努力ができること。今、初めて『人』になれた気がします。たとえ、くじけそうになったとしても、私には妙深寺の御講師、沢山の信友が100%の力で支えてくれるという安心感。これからは自分も役に立とうと心に誓いました。
 冗談で私のご信心はロケット発射で、ついていけない、とある方から言われてしまいましたが、その時周りが見えていなかった自分が恥ずかしかったです。でも、今はそうは思いません。私には今、痛くて苦しんでいる病人がいるのですから。農薬被害で苦しんでいる農民が世界にはいるんです。私に出来ることは一滴かもしれませんが、必ず協力者の輪が広がると信じて、走るしかないんです。だから、ついてきて下さらないと困ります。置いて行きますよ!そのくらいな気持ちでいます。
 そして、長松御導師率いる妙深寺と、沢山の菩薩方に出会えたご縁が本当に有難いです。
 南無妙法蓮華経
 ありがとうございます。

 美奈子
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 このようなメールをいただいて感激しない人はいない。佛立教務、佛立宗のご信者であったら、誰もが感激するに違いない。
 清耀師、本当に素晴らしいご奉公をしてくださった。彼は良い教務になる(もう教務だったな)。ガンバレ。美奈子さん、本当に暖かく、尊いメールを有難う。美奈子さんの思いは絶対に忘れません。お互いに、少しでも人のために、世のために生きていけるように、みんなで支え合いたい。
 ありがとうございます。

2007年7月8日日曜日

タクシーの方々から

 妙深寺はタクシーの方に人気があるのである。ウッシッシ。

 実は、数ヶ月前になるだろうか。あるご信者さんから、タクシーに乗って「妙深寺にお願いします」と言ったら、その運転手さんから「いやー、妙深寺って御利益があるんですってねー」と言われたと私に教えてくれたのである。何と有難いことだろう、とお寺の中でもご披露していたのである。

 そして、約2ヶ月前。私は事務局に新設された「総合企画室」の発足会合のために夜の横浜駅に久しぶり行ったのである。そして、みんなで楽しい会合を終えて、私はタクシーに乗らせてもらって(実は、最近は地下鉄の三ツ沢上町の駅に、妙深寺の大きな看板を出したので、帰る時には地下鉄を使っていることが多いのだ。そして、三ツ沢上町の駅で看板を眺めながら、一人でウッシッシと笑っているのである。気持ちわるー)、「三ツ沢墓地までお願いします」と言った。「妙深寺」とは言わず、控えめに「三ツ沢墓地」と言ってしまったのである。

 すると、運転手さんから、「あぁ、妙深寺さんですか」と言うではないか。ビックリした。
 私は、「あぁ、ご存じですか?」と聞き返したのだが、何と何と「いや~、運転手仲間では有名ですよ」と答える。重ねてびっくり仰天した。「えー」。「ありがたーい」と言いつつも、ヤバイ、私が住職だと分かったら恥ずかしー。僕がイメージダウンさせたら困るなぁ~、と思わず身体をシートに沈めた(笑)。

 そして、先日一本の電話があったと清水清康師から報告を受けた。それはタクシーの運転手の方だったという。

 その運転手さんは横浜駅で妙深寺のご信者さんを乗せた際、少しの会話だっただろうが、最後にご信者さんから「あなた、何か悩みを抱えてません?悩み事があるなら妙深寺のお坊さんに相談すると良いわよ!」と言われたという。それで妙深寺に電話をしてきた。たまたま、そこで電話を受けたのが清康師だった。

 「7日にお寺に来てくださいます」と清康から聞いていたのだが、その前の5日にお寺に見えたという。

 清康は、丁寧にタクシーの運転手をされている方とその奥さま、また一緒にお寺に来たご友人のお話を聞いてくれた。それぞれに悩んでいることがあられるということ。ここでは書くことは出来ないが、いずれにしてもご信心をさせていただいて、諸縁を能く転じることが大事である、と。正しく仏教を持(たも)ち、修行することが大切、と。そして、必ず『サイン』、御利益があることを。

 また、お連れの人の悩みまでお聞きしたという。そして、最後にはその3人から「御本尊をいただき、是非ご信心をさせていただきたい」という答えが返ってきたというから有難い。

 今朝の御法門で、清康からこれらの一部始終についてご披露があった。帰り際、清康は彼らを本堂にご案内したというのだが、その時の3人の反応がすごかった。御本尊を目の当たりにして、「うわぁー!」と思わず声を漏らされ、自然と合掌して、清康が教える前から御題目を唱えて下さっていたという。

 タクシーの中で、この方にお話ししたのが誰なのか未だに分からない。清康が「お名前は聞いていないのですか?」と運転手さんに聞いてみたらしいのだが、その女性は「お寺でメガネをかけたおばちゃんて言えば分かるわよ」と答えたらしい。私はこの話を聞いて大爆笑した。本当に面白い。だって、そういう方は今の妙深寺にはたくさんいすぎて分からないよー(笑)。おーい(笑)。

 もう本当に面白い、有難い。どんだけー!ありがたーい!

山田温泉 風景館と美空ひばり

 昨日、長野から帰ってきたのだが、そこで宿泊させていただいた場所は「山田温泉 風景館」という旅館だった。

 この場所は、40年以上も前に日博上人もご宿泊された由緒ある旅館で、日博上人も大変に感激されたとのこと。そうしたご縁で、ご回向の弔主のご家族がわざわざ予約してくださっていた。

 深い渓谷の中にある旅館で、私はこうした場所に泊まることは余りないので、日本の自然に痛く感激した。濃い緑が眼に優しく、心まで清々しくなる。渓谷の底を流れる水の音が深い緑の中から途切れることなく聞こえてくる。

 お祖師さまの身延山御書の冒頭を思い出す。

「誠に身延の栖は、ちはやふる神もめぐみ(恵)を垂れ、天下りましますらん。心無きしず(賤)の男、しずの女までも心を留めぬべし。哀れを催す秋の暮には、草の庵に露深く、檐にすだく(集多)さゝがに(蜘蛛)の糸玉を連き、峰の紅葉いつしか色深うしてたえだえ(断断)に伝ふ、懸樋の水に影を移(映)せば、名にしおふ龍田河の水上もかくやと疑はれぬ。又後ろには蛾蛾たる深山そびへ(聳)て、梢に一乗の果を結び、下枝に鳴く蝉の音滋く、前には湯湯たる流水湛えて、実相真如の月浮び、無明深重の闇晴て法性の空に雲もなし。かゝる砌なれば、庵の内には昼は終日に一乗妙典の御法を論談し、夜は竟夜要文誦持の声のみす。伝へ聞く釈尊の住み給ひけん鷲峰を我が朝此の砌に移し置きぬ。霧立ち嵐はげし(烈)き折折も山に入りて薪をこり(伐)露深きにも草を分けて深谷に下りて芹をつみ、山河の流もはや(速)き巌瀬に菜をすゝぎ、袂しほれ(濡)て干わぶる思ひは、昔の人丸(麻呂)が詠じける、和歌の浦にもしほ(藻汐)垂つつ世を渡る海士もかくやとぞ思ひ遺る。つくづくと浮身の有様を案ずるに、佛の法を求め給ひしに異ならず」

 まことにお祖師さまの文章は、流れるような文体にて、読ませていただくというよりも「詠む」という風に拝見しても有難い。自分の口から出る「音」が綺麗な「響き」、心地よい「波」を持っていることが不思議になる。

 その山深い身延山にて認められた「身延山御書」の終わりには、

「此等をさまざま思ひつづけて観念のとこの上に夢を結べば、妻恋ふ鹿の音に目をさまし、我身の内に三諦即一、一心三観の月曇りなく澄みけるを、無明深重の雲引覆ひつつ昔より今に至るまで、生死の九界に輪廻すること、此の砌にしられつつ自らかくぞ思ひつづける」

とあり、その深い緑の庵の中で、御仏の教えに思いを巡らせておられたことを拝察できる。そして、その結びとして、一首を詠まれた。

「此等をさまざま思ひつづけて観念のとこの上に夢を結べば、妻恋ふ鹿の音に目をさまし、我身の内に三諦即一、一心三観の月曇りなく澄みけるを、無明深重の雲引覆ひつつ昔より今に至るまで、生死の九界に輪廻すること、此の砌にしられつつ自らかくぞ思ひつづける、、、、、

~立わたる身のうき雲も晴ぬべし たえぬ御法の鷲の山風~」

 有難い。有難くて仕方がない。開導聖人はこの御歌を拝見しつつ詠まれたと思われる、

「うけがたき人の身だにもうれしきに けふきゝそむる鷲の山かぜ」

とお示しになられている。それらのことを思い巡らせていて、やはり夜は更けてしまった。

 朝、朝食をいただく部屋に行くと、写真があった。そこには美空ひばりさんのお写真が置かれていた。美空ひばりさんも、この風景館にご宿泊になり、朝食をいただいた部屋は美空ひばりさんが宿泊された部屋ということだった。緑の渓谷を正面に見る、素晴らしいお部屋だった。それほど、知る人ぞ知る温泉であり、秘湯・名湯なのだろう。私の母も、孫の面倒を見過ぎてか、最近は腰が痛いと言っていたのだが、この温泉に入らせていただいてその痛みが取れたという(母も一緒に来させていただいていた)。すごい。

 この風景館には、私は行けなかったが、「仙人露天岩風呂」という『仙人だけが知りえた秘湯』というものがあるそうだ。風景館から150もの階段を降りて、その絶景の「露天風呂」に行ける。

 その昔、仙人だけが知り得たと伝えられる秘湯中の秘湯の為、別名「仙人風呂」とも言われるらしい。この露天風呂は信州高山温泉郷(森鴎外をはじめ多くの文人墨客が愛した開湯200年の歴史を持つ古湯)の山田温泉に存在する。風景館の地下から露天風呂に続く階段を下る。渓谷の自然に圧倒されながら、松川渓谷の谷底へ。落葉樹が多いので、冬は向かいの山肌を猿が行き来するのが見えるということだが、渓谷を流れる川の音と鳥たちのさえずりを聞きつつ、そこにたどり着けるというのである。

 今度、機会があったら、また行かせていただきたいと思う。

福岡清耀師とMさん、

 今年の2月、スリランカへのご奉公で福岡御導師の甥御さんでもある福岡清耀師が随行されていた。

 この時のご奉公は、世界遺産にも登録されているアヌラダープラ(Anuradhapura)のアヤバギリ・ダゴバ(Abhayagiri Dagoba)の前で行った口唱会(このセッションは全スリランカにテレビ放送された)と、スリランカ大統領との接見だった。非常に重要な機会であり、大変に有難かった。

 その際、随行していた清耀師とはじめてお会いした。背が高く、社会で仕事をしていた時期もあるとのことで、非常に好感を持った。御導師の甥御さんでもあるから将来への期待もある。是非とも良い教務になってもらいたいと思い、「一度、横浜に来て、他寺院のご奉公を勉強したらどうだろう」と話をした。

 帰国後、彼は本当に横浜に修行に来てくれた。ほんの僅かな期間だったが、妙深寺でのご奉公を通じて、みんなが真心から菩薩行に挺身している姿を見て、また何かを感じてくれたと思う。その後、清耀師は佛立教育専門学校(京都本山とそこに隣接する佛立教務の学校。現在は福岡日雙上人が学校長を務めておられる)に入学した。

 しかし、目覚めたる者というのは素晴らしいもので、京都での修行中でも彼はお教化のご奉公をされていた。清耀師のお寺は神戸。その神戸の正法寺でご葬儀があった。その際、そのご葬儀にお参詣されていた横浜在住のMさんとご信心のお話をした。時間が経ってもメールのやりとりをしながら、ご回向の大切さや今の生活の中で御題目をお唱えすることの大切さ、ご信心を心の中に立てるということなど、様々なことを話してくれていたという。

 私は、そのことを清耀師からお聞きして、清耀師のそのご奉公姿勢に感激した。長松寺の開導会の前日、準備ご奉公の後に清耀師から「いよいよ月末、妙深寺の補講にお連れする」と。そして、1週間後の23日の夜、補講の後でMさんとはじめてお会いし、お話をお聞きした。

 さまざまなことをお聞きし、私もお話をしたが、時を置かずにMさんはお参詣をはじめられた。まず、自分で決めて、自分なりにお寺にお参詣させていただきたいということだった。補講の後のバーで、同じ世代の人たちと親しくなったようで、すでに朝参詣でもお互いに励まし合っていたようだ。

 6月30日、ご信心をさせていただきたいという申し出があり、1週間の開門朝参詣の後でもあるので、月始総講で御宝前に言上させていただこうと思っていたのだが、7月1日の6:30、本堂正面玄関の前で偶然彼女に出会った。

 彼女は寂しそうな顔をしていた。お声をお掛けして、どうしてもお話を聞きたいと思い、この僅かな間に彼女に何が起こったか聞いた。少しの心の行き違いだと思うのだが、ご主人にご信心をすることを反対されたとのこと。非常に残念だったが、ご信心に付こうとしたその前後に怨嫉が出ることは御指南、御法門で教えいただくとおり。

 彼女は泣きながら話をしてくださった。涙を眼にいっぱい浮かべて。私から少し思うところをお伝えして、「とにかく、御法さまに全てを御題目に乗せてご相談しよう。お看経が終わって、またお話ししましょう」とお話をした。

 私が不思議に思ったのは、チカちゃんのメール。Mさんがご主人とその話をしていたのは21時頃のことだというが、お話が決裂して「ご信心が出来ない」と思った時、21:20にメールが入ったという。チカはそんな事情は何も知らなかったのだから、まさに同時同刻の現証と言えるではないか。

 その時のメール。
「菩薩行をさせて頂こうとすると怨嫉(おんしつ)がでてきてしまいます。それは菩薩行をさせて頂く妨げになるもので、苦労や困難、自分自身の罪障だったりします。そこを負けずに、「私は菩薩行をさせて頂くんだ」という思いを先に持ち乗り越えることで、菩薩行を成就でき、更に罪障を乗り越える事が出来るのです。もしこの先、困難に出会うことがあった時、罪障消滅と思うことを乗り越える助けとして、前向きに励んで下さったら有難いです。」



 こんなメールが出せるのは、菩薩行を常に心懸けているチカだからこそだと思う。本物だと思った。有難い。

 お看経終了後、Mさんと応接室でお話ししたところ、「ご信心させていただきます。主人もきっと分かってくれる」と。そして、晴れて月始総講で入信の言上となった。御法門中、若い方々が最前列で聴聞してくださっていたが、その列の中にMさんもおられた。涙を流されて御法門聴聞されている姿が眼に焼き付いた。

 その後、ずっと彼女は朝参詣を続けておられる。しかも、自分の身近におられるご病気の方の御祈願をされ、病室にお供水を運ばれ、大菩薩心を起こして助けてあげたい、支えてあげたい、と思っておられる。私は、その彼女の心を、心から有難く思う。そうした彼女を御法さまが見逃されるはずはない。必ず御力をお貸し下さる。

 清耀師のご奉公、その後のメールでのやりとり。全てが重なりあって、Mさんのような素晴らしい方が御法さまとご縁を結ばれた。本当に有難いと思う。そういう方々が、朝参詣でも語り合い、支え合い、大きな、力強い流れを生み出している。今朝も凄かったなぁ。

2007年7月6日金曜日

新横浜駅を素通り

 今は何と長野なのである。

 10時からブラジルとのウェブ会議、11時から海外弘通特別委員会という会議で、長期間の京都でのご奉公を終え、12:40のギリギリまで会議に出席して、走りながら北野からタクシーで京都駅へ。京都駅では博ちゃんが重たい荷物を持ってきてくれていて、それを受け取ってホームへ。小さなお弁当を買って新幹線の中でお昼ご飯を食べた。

 新幹線で新横浜駅を通過。「おーい、子どもたちー!」と思ったが、そのまま東京駅。長い期間のご奉公だったので、バックを3つ持ったまま長野新幹線に乗り換え。17:20に長野駅に着いた。  

 日博上人時代からのご縁の深い、それこそ今の私たちには到底及ばないくらいのご奉公をされた御方のご回向。そのご家族が駅まで迎えに出てくださっており、車で宿泊させていただく旅館へ。

 久しぶりに(いや、昨日の夜はウェブで局長室会をしていたのでお顔は見ていたのだが)妙深寺の局長にもお会いできた。

 明日、ご回向を奉修させていただいてから横浜に戻る。実に5日ぶりとなる。海外に行っていなくてもこのような状態であるのだから、本当に申し訳ない。

2007年7月5日木曜日

長男の誕生日 次男の誕生日

 昨日は長男の誕生日だった。長男は7月4日に生まれた。早いもので5才になった。

 4日という百年以上続いている長松寺の「役一総講」。「役一」というのは、「役中(お役をいただかれた方)」が月一度のお参詣をするという意味で、開導聖人のお母さまのご命日に併せて奉修される御総講で、開導聖人のご在世当時から一度も休まずに続いている例月のご奉公である。もちろん、お正月でも何でも、毎月4日に長松寺は御総講なのだ。

 私は長松寺の住職として、この役一総講のご奉公をさせていただかなければならない。つまり、4日は横浜にはいられないのである。昨夜の長男の誕生日も私だけ京都。母や妻、阿部ちゃんや姉、望が、小さなケーキを買ってきてくれてお祝いをしてくれた。寂しかったが仕方ない。御総講の直前に電話をかけて、「誕生日オメデトウ、Happy Birthday!!!」と伝えた。「ありがと、ありがと」と。寂しいなぁ。
 しかし、昨夜の御総講は百名弱のお参詣があり、他寺院からも10名を超えるお参詣、横浜からもひろし君がお参詣してくださっていて、とても有難い御総講だった。家族には大変に申し訳ないし、これからも長男の誕生日は一緒にいてやれないが、ご奉公をさせていただけることが尊く、有難く、そこに私が生きている意義があるのだから我慢してもらいたい。

 次男は3月14日に生まれた。この日には長松寺の御総講に匹敵する特別なご奉公はないので、一緒にいてやれるかもしれない。すくすくと健康に大きくなってくれていて、心から有難いと思う。「あなたの可愛がり方は5分!」と妻から怒られているし、一緒にいてあげられる時間は少ないけれど、本当にかわいくて、かわいくて、孫を見ているような感覚になる。こうしてあまり家にいなくても育児や家庭の中のことをしっかりとしてくれている妻や母、姉のチノブや望ちゃん、妙深寺の御講師方の奥さまには感謝してもしきれない。本当に有難い。

 次男が生まれる前後、2月から3月は、スリランカ、アメリカ、ブラジル、イタリアと、グルッと世界を回ってご奉公しており、留守ばっかりだったので、名前を選ぶ権利を剥奪された(笑)。いや、それは冗談だが、「もう一人で病院で産むから、あなたは病院にも来なくて良い!」などと言われて(笑)、そうは言ってもそんなことをしたら後が大変だと思って、朝から母やチノブ、望が病院に行ってくれていて、私は教区御講から慌てて駆けつけた。間に合ったので、本当に良かったぁ。最近、長男の写真やビデオがたくさんあるのに、次男の写真は少ないと指摘されていたので、ここに載せたいと思う。

 ここに書いたように長男は、4日生まれ。この日は妙深寺初代ご住職・日博上人のご命日。次男は14日生まれ。この日は私の父、妙深寺先代ご住職である長松清凉御住職・松風院日爽上人のご命日。本当に不思議なことだが、これも『サイン』なのだろう。彼らの人生がこれからどのようになるのかは分からないし、いらぬ期待などしていないが、ただただご弘通の器となれるように御祈願し、しっかりと父として教えていきたいと思う。

 二人の名前は妻のお母さんにつけてもらった。私は何のこだわりもないので、それで良かったと思っている。仏教では、その名前は「俗名」とか「通称」という。それは、世間的に通じているだけの名前で、本当の名前、御仏の教えを信じ、行じて、「本当の名前」「御法に基づく名前」をいただくことが大事だと教えていただく。つまり、それが「法号(世間では「戒名」と言うが)」であり、私たちで言えば「僧名」となる。

 あらぬ期待だが、私としては今の名前は妻のお母さんが付けたわけだが、いつか御法を信じ、人を救うための生き方を志して、『覚悟』のある人間となり、教務になってくれたら有難いと思う。その時に、僧名を拝受して名前を授けられたら良いなぁ。もちろん、ご信者でも構わない。とにかく、ご弘通の器、菩薩になってくれたらこれほど有難いことはない。

 長男の誕生日。ご信心では「誕生自祝」という。今日までの身体健全を自分自身で感謝し、感謝して新しい一年をスタートできるような人間になってもらいたい。家族は大事だ。有難い。