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2007年7月27日金曜日

宗教票と利害票

 今週末は選挙。みなさんは、選挙に行くだろうか。私は国民の義務として選挙には必ず行かなければならないと思う。

 そう思うようになったのはごく最近のことで、20代前半の愚かな私は投票に行かないことすら肯定していたように思う。だから偉そうなことは言えないのだが、「国民の義務」ということとは別に、少し視点を変えて自分の一票・意思表明に対する責任を考えてみてもらいたい。

 連日連夜、報道されている今週末に行われる参議院選挙。その争点は「年金」「政治と金の問題」などが挙げられている。閣僚による相次ぐ不適切な発言などもあって、与党側である自民党と公明党には相当の逆風が吹いていると言われ、民主党をはじめとする野党の支持率が上がっているようだ。

 それは、ある意味で当然だろう。これだけの材料が揃っていて野党の支持率が上がらなければ恐ろしい。逆に、これだけ野党が大勝する予測が出続けると、大衆の均衡を保つ心理が働いて与党に支持が戻るものだ。どういう結果になるか、どの「程度」の結果になるかに注視したいと思う。

 個人的には、どうやら与党側の思惑はもっと先にあるように思う。自民党の掲げるマニュフェスト(この言葉を聞くと、どうしても神への契約を想起してしまう。「マニュフェスト・デステニー」)の冒頭は憲法改正であるのだから。参院選で一喜一憂せず、参議院選挙の先を見越してその後の政局を睨んでいるはず。参院選で大勝した後、野党側が勝っても政権担当能力は何ら無いとネガティブ・キャンペーンを張って、衆議院選挙と憲法改正論議に持って行くのだろうか。いずれにしても、政治というのは闘争や妥協の連続であるのだろうから、恐ろしい思惑や利害、党利党略や個々の欲望が交錯しているのだろう。

 いずれにしても、選挙権を持つ全ての人は選挙には行かなければならない。行くべきだと思う。当たり前のことだが、本門佛立宗は集団的な選挙活動をしない。支持政党も持たない。どんな思想の持ち主、支持政党が異なっていても、ご信心をされている人がいる。いつか日本の首相や国会議員の方々がご信者(本当の仏教徒)になっていただきたいとは思っているが、政治が闘争や妥協、利害や欲望の集積されているものだとしたら、「組織は必ず腐敗する」という普遍的な言葉の通り、宗教が一つの政治団体を持ったり、宗教団体のトップなどが政治と密接に関係を作れば、いくつかのプラスはあるかもしれないが様々な問題を引き起こしていくとも考えられる。その宗教の掲げる「教え」が曲がっていくことも考えられるし、そういうメリットを追求していけば宗教活動が戦略的になって宗教本来の意義を失い、目的とは裏腹に「宗教を利用した政治団体」の烙印を押されかねない。私は、一人の宗教指導者としてそう感じている。末法の宗教指導者は、自戒しなければならないことが多くあると思うのだ。

 しかし、『宗教票』は、実際に世界の政治を左右している。アメリカを筆頭にして、キリスト教宗教右派は保守票として8000万票を動かしていると言われているし、欧州でも同様の様相があり、イスラム教国家では宗教を外して政治は無い。この票田を無視した選挙は考えられないというのが実際であり、この票田を獲得するために政治は様々な配慮をしている。特に、労組の結束が失われつつある現代では「投票行動」については、宗教(特に新興・新々宗教)は着実な票田と見込まれているのではないか。

 民主主義のリーダーを自認するアメリカが、過去の2回の大統領選挙と先日の中間選挙で選挙の公平性を疑問視されていることほど恐ろしいものはないと思う。ウクライナの大統領選が混乱し、その公平性が疑われた時、当時国務長官だったパウエル氏はワシントンポスト紙に対して、「国際標準(international standards)を満たしておらず、 不正選挙が横行している信頼性の高い報告があるにも関わらず、調査が行われていない」「ウクライナの指導者達には、民主主義を尊重するか否か、民衆の意思を尊重するか否かを、決断すべき時だ」と語った。

 しかし、当時お膝元のアメリカは、その前日に米下院がアメリカ大統領選挙の調査を開始すると発表したばかりで、世界中の人が「選挙不正は許さない!、、、アメリカ以外はな!」と言っているのと同じだと受け取り嘲笑したものだ。不正選挙とまでは断言できないが、「選挙とは、投票者ではなく、投票集計者が決めるものだ」とうそぶいたスターリンの言葉を地でいくような感は否めない。様々な選挙の操作が行われたのではないかという疑問を世界中が抱いてしまった。

 フランスは国家の威信を賭けて「アメリカのようにならないように」と大統領選挙の選挙管理や公平性を保つことに躍起だったはずだ。

 コラムニストの船橋洋一氏は、大統領選挙当時の様子を書いているが、カーネギー国際平和財団のジェシカ・マシューズ理事長に電話すると、「いま、オハイオの友達から電話が入ったけど、あちらは大雨ですって。投票まで4時間、行列に並んだそうよ」と言っていたというエピソードを書いている。

 これだけの時間をかけて、どんな人が選挙のために待ち続けるだろう。ブッシュ氏を大統領にした選挙では、6時間も待たないと投票できなかったという投票所が南部を中心にいくつもあった。選挙に対する理解、思いの薄い「浮遊票」などは投票所の前で何時間も待つことなどしない。待って30分ではないか。ディズニー・ランドのアトラクションを待っているのではないのだ。それでも1時間ちょっとが限界ではないか。それが何と4時間から6時間待つとは。

 しかし、待てる人がいるのである。それは、私が言うのもおかしいが、『宗教』であろう。宗教票というのは明確な「意志」を持っており、信仰の裏付けの下に行動しようと考えている人たちであるから、それが「モラル」の問題であれ何であれ、何時間も待ち続けて使命を果たそうと考える。耐えに耐えて、彼らは投票に臨むだろうと考える。

 日本でも、こうした投票に情熱を燃やす宗教が活発に活動していると聞く。投票日前には友人を連れ、手を引きながら不在者投票に行くという。それを宗教的使命と考えているのだろう。私はそれを怖く思うし、未来を憂えている。

 選挙結果が直接自分の利害に及ぶと考えている人々は躍起になって選挙に足を運ぶだろう。それが大きな企業であれ、第三セクターであれ、役所に勤める方であれ、家族も親族も誘って支持を請うに違いない。

 宗教や信仰を持たない人も、持つ人であっても、直接の利害を感じられない人であっても、自分の見識によって、とにかく投票行動だけは起してもらいたいと思う。わざわざ4時間も待たせる投票所を作って、保守票を獲得しようとするような政治的な選挙妨害が起こったとしても、行動を起こしていなければ何の文句も言えない。日本は何とか選挙がしやすいようにしてくれたのだから、それを活用して是非とも選挙に行っていただきたい。

 私はといえば、随分前に一緒に鍋をつついた水戸まさしさんが神奈川で参議院選挙に出馬したので応援しようと考えている。お子さんが3人おられる方で、鍋を食べながら家族のことなどを話して楽しかった。神奈川県の松沢知事も支持してくださっているようなので健闘を期待している。

 どなたも、率直な自分の意見を表明するために、投票に行っていただきたいと思う。

2 件のコメント:

  1. ありがとうございます。
    選挙活動に宗教を絶対に利用しない
    ”佛立宗”に一票!(笑)
    話はかわりますが、
    ご住職のブログにコメント載せてくださる方があまりいませんよね。
    どうしてだろうと今朝の御供養で聞いてみました。
    「恐れ多くてコメントできないよ~」
    との意見でした。
    やはり私のようにまだ状況把握出来ていない立場は得なんですね。(笑)
    それにご住職の名刺を持っている私はスーパースターです。軽く自慢できますよ。
    今度、機会があれば私の教化親にプレゼントしてあげて下さい。(笑)

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  2. ありがとうございます!

    かなり前の話ですが、仙台の飲み屋の親方がが「俺は選挙に必ず行く!それは昔、選挙権を勝ち取るために血を流した人たちがいるからだ。そういう人たちの志を無駄にしてはいけない」と…

    その話を聞いて26歳の私は初めて自分の意志で選挙に行こう!と決めました(それまでは
    親に言われて1度行ったきり…)

    民衆のために行動を起こしてくれて方々に敬意を払わず、選挙の日を遊んで過ごしている
    今の日本人。

    政治に国に文句ばかり言って、何も学ぼうとしない客のような国民が住んでいるこの土地の未来を変えるのは、やはりここに住んでる私たちしかいないのだから…

    誰にも入れたくなかったら、無記名でもいいんですよ。それが意志として票に出るわけですから。それにそういう行動が出来る人、すごく素敵だと思う…

    とこの場をお借りして熱く語ってしまいました(御住職、すみません!)

    すべては因果応報。
    明日を変えるのは私たちなんですよね。

    Yacco拝

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