週末の土曜日と日曜日にかけて、妙深寺の施設部の方々が法城護持のご奉公をしてくださった。
「法城護持」とは、お寺という御法さまの「お城」をお守りし、維持するというご奉公のこと。本門佛立宗のお寺は、御法さまのお寺であり、私たち信者全員で建立されたものであるから、日々にご信者の皆さまがご奉公に当たってくださっている。
開導聖人の御教歌には、
「我物の ひとの物のと いふものゝ
佛立講は 祖師の講也」
とお示しになられている。自分の物だ、他人の物だということを非常に戒められている。
観光寺院として拝観料を取っているわけでもないし、物を売っているわけでもない。葬祭場経営や墓地開発や販売で生計を立てているお寺でもない。そういう世間一般に多いお寺では、「お寺は住職のもの」と勘違いをしていたり、責任役員も全員が親族でサイド・ビジネスをしているとも聞く。そうした「宗教法人」が多いから、性善説的に成立している「宗教法人法」の改正が議論されているくらい。インターネットでは経営(?)の成り立たなくなった「宗教法人」が「法人格」として「買いませんか?」と売り出されているし、脱税の隠れ蓑として「宗教法人格」を悪用している人もいるらしい。
悪いことをする人は大勢いるのだから仕方が無いとも言えるだろうが、そもそも多くの「お寺」が仏教の使命や教えを忘れているとしたら、そちらの方が罪だと思う。つまり、「我物」だと勘違いしている「僧侶」が一番悪い。本門佛立宗は決して大きな宗派でもないし、妙深寺より大きなお寺もあるだろうし、「戒名料」や「葬儀料」「墓地販売」で裕福なお寺もあるだろうが、とにかくご信者さん全員で御法さまの住んでおられる「お寺」を守ってくださる「法城護持」に頑張ってくださる方々がいることが有難い。何よりも有難い。本来のお寺、本当のお寺。言い方を変えれば「普通のお寺」。
日曜日。講演を終えてお寺に戻らせていただくと、炎天下の中で法城護持のご奉公をしてくださる施設部の方々が汗をかきながら古くなった竹垣を作ってくださっていた。手作りの竹垣。原さんのお兄ちゃんまでご奉公に参加してくださっている。名前を書かせていただけば切りがないので止めておくが、「妙深寺は幸せなお寺だなぁ」と頭が下がった。本当に有難い、ありがとうございます。
そう、時の権力者が作った庭園があるわけではない。拝観料を取って有名な庭師に手入れをしてもらって参拝者に見せることもない。ただただ、お寺に、御法さまにお縋りし、祈り、願い、頼り、求めて、お寺の土を踏み、お寺にお参詣される方々のために、ご信者さんによって手入れされているのが私たちの「法城」の庭なのである。どれだけ有難いことだろう。この庭を見て、本堂から下りてきた方々が心を癒され、心を和ませ、風が木々の間を通り抜ける音、小鳥たちのさえずりを聞き、他のご信者さんの手によって整えられた庭を、その心を、心静かに見ていただけたら何と有難いことだろう。私は、どんなに有名な庭園よりも、妙深寺の庭が素敵だと思うし、境内の四季を彩る木々や花々が好きだ。人間と自然のお付き合いの手本を、小さなお寺の境内で表現してくれているのだから。
これから妙深寺にお参詣される方は、ぜひ本堂正面の右側に完成した竹垣を見ていただきたい。施設部長である刑部さんを筆頭にして、この30度を超える炎天下の中で工夫しながら作ってくださった竹垣。心のこもった、法城護持のお手本。その有難さを感じていただきたい。それは、仏教の在るべき姿、お寺の在るべき姿まで現しているのだから。
毎朝、朝参詣の後に法城護持のご奉公に精を出してくださる方々。そして、汗をかきながら一日中ご奉公してくださった施設部の方々。本当にありがたい、ありがとうございます。
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