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2007年9月20日木曜日

お見舞い、

 昨日、ある方の病院に行かせていただいた。食道癌の末期、ステージはⅠでもⅡでもⅢでもⅣでもなく、さらにその上のステージ。71才になられるが、元船乗りで海の男。もの静かだが、とても親しみやすく、私は大好きな方だった。
 ほんの数年前に船から降りられた。そして、最近のことだが御講参詣などをしてくださるようになり、御講席ではお迎えのご奉公もしてくださるようになっていた。4月の御講。駅までお迎えに来てくださった際、その方がコンコンされている咳が気になり、至急病院に行ってくださいとお話をした。
 6月、また駅までお迎えに来てくださった。「病院に行ってくれましたか?」と聞くと、「いや、町医者には行きました」と仰っていたので、「大きなところで見に行ってもらいたい」とお話しした。御講席でご供養をいただいている時、私がお席主の方とお話をしている横で、咳をしてむせておられたのが気になった。お見送りをいただいたのだが、やはり病院に行ってくださいとお話しして別れた。
 8月末だっただろうか、9月に入ってからだろうか。深恭師から突然の報告があり、上記のように末期の進行性食道癌とのこと。やりきれなくなった。しかし、へこたれていても仕方がない。早速、御祈願を始めさせていただいた。
 昨日、御講席の帰りに病院に寄らせていただいた。奥さまが玄関で待っていてくださり、二人で病室へ。ベッドの上に座って待っていてくださった。見たところ、病人とは思えないほど元気な様子だ。しかし、声は枯れていて、喉にはマジックで線が引かれていた。
 悲壮な雰囲気など全くない。聞くと、『佛立魂』を病室で読み返したという。そして、「勇気をもらっています。がんばります」と仰った。ベッドの上には診断書。「ここまで告知して良いのか」と思うほど、全てを本人に説明している。ステージ、治療法、、、、。
 冗談を交えて笑いながら、身体は病気になっても、心だけは決して負けることの無いようにとお話しする。決して諦めず、お供水をいただき、御題目をいただき、御法さまのお導きとお見守りといただけるように、と。
 最後は抱き合いながら背中をさすり、御題目をお唱えして二人で泣いた。御祈願に気張らせていただこう。ご本人も、ご家族も、みんなが御祈願をされている。
 一人で駅まで送っていただいて、電車まで時間があったのでコーヒーを飲んだ。そこでも泣けてきた。私は弱い。信心も弱い。御法さまにお縋りするしかないと分かっているのに、あまりの無常、そして何より病室にいるみんなの思いに心が締め付けられる。
 もっと重篤な方のお見舞いにも何度も行かせていただいてきた。それは私の使命でもある。その方の人生を締めくくる最期の言葉が、私への「ありがとうございます」だったということも何度かあった。意識の朦朧とする死の直前の病室。末期癌の方の足をさすり、御題目をお唱えする病室の中。ご家族と一緒に過ごす、重たい空気。その全てが私たちのご奉公であり、私たちの責務だと思う。しかし、このようなご奉公の後は、心が動かなくなるほどになる。そう、そうした時にこそ、御題目、お看経しかない。
 必ず御法さまの御力がいただける。200才まで生きる人間はいないが、御題目にお縋りした時、必ず『何かが起こる』。それこそ『現証の御利益』である。絶対に、戦う前から諦めることはしない。

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