空飛ぶお坊さん・長松清潤のブログ / 新しい時代の生きた仏教を世界へ
ありがとうございますどうか皆さんで考えていただけませんでしょうか。http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1194094406/http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1195284320/なぜ、このようなことになったのか? どこで、このようになったのか? なにが原因で、このようになったのか? これから、どうしなければいけないのか? どうすることが、御法のご本意にかなうのか? 佛立宗全体が、教務も講務も全ての方々が、 信者の全ての方々が、改良できるよい機会なのではないのかと、 日扇聖人が寂光で仰っているように感じます。
リンク、少し拝見しました。 インターネットの悪い面、匿名の人たちが、確証のない議論に時間を費しているように思います。2ちゃんねるなどの掲示板では、問題の真相や本質について理解するどころか歪曲して永遠に理解できないと考えます。客観性と透明性は大切ですが、こうした掲示板での議論は「ミイラ取りがミイラ」になってしまう。真実を知りたいと議論を重ねても、匿名の人による会話はマイナスにしかならないと思うのです。 こうした問題を語るにしても、私はいつも「果報」を考えます。私はこの問題を知る「果報」もないし、答える「果報」もない。ただ、現在の自分の「果報」の中で、精一杯使命を果たすことを考えています。この問題を処理すべき「果報」のある方々が、御本意に叶うようにご奉公くださるようにと願うばかりです。 篤信の方々、憂宗や護法愛宗の念のある方も、このような匿名による検証を経ていない情報に惑わされぬようなことがないようにと思います。 hageさんの仰る「なぜ」「どこで」「原因は?」「これから」「御本意は?」「改良を」という点については、よく考えなければならないと思います。有難い示唆です。 とにかく、御本意に叶うようご弘通ご奉公に気張るしかないと踏ん張ります。
ありがとうございます。コメントいただき有り難く存じます。また、多くのサイトに書込みした件、皆様には大変ご迷惑をお掛けしましたこと、お詫びいたします。申し訳ありませんでした。私も現在の自分の「果報」の中で、精一杯使命を果たすことに励みたいと思います。本当にありがとうございました。
ありがとうございます。「私はこの問題を知る「果報」もないし、答える「果報」もない。」 この御発言には、はっきり申しまして、憤りさえ感じました。 同じ佛立宗の信者さんが、信心を失うかもしれないというのに、 よく、このような事が言えるなと・・・ 同じ佛立宗で同じ御題目をお唱えされている方の問題であり 充分に「果報」として関わりあっていく「縁」があるのではないでしょうか? 信心を失うということは、不治の病にかかるより恐ろしいことではないのですか?? どうか『サイン』を読み取っていただきたいのです。
仰るとおり、信心を失うことは不治の病にかかるよりも恐ろしいことです。その「信心」は「御本意」に叶わなければなりません。私の意図するところが伝わらず申し訳なく思います。今一度書きます。私は、開導聖人が「我等軸出ていふともかひなしとなげくのみ」とお戒めのように、問題があっても何も言わない、見ない、ご奉公しないと申しているのではありません。御本意に叶うように「ご奉公」させていただきたいと思っています。これまでも、私なりに皆さまが取り上げている問題について、直接、あるいは間接的に理解しようと努め、全てを把握できているわけではありませんが、その内容を妙深寺の幹部会でご披露し、事態の推移を見守ろうと話し合いました。そして、こうした事態だからこそ私たちの信行ご奉公はこうあるべきだというお話もいたしました。私が『私はこの問題を知る「果報」もないし、答える「果報」もない』と言及したのは、私には本件について全てを知り得る任も権限もないということを指します。中途半端な理解では判断のしようがありません。答えることも出来ません。現在、その任に当たられている方がおられると思いますし、その方が全貌を承知した上でご指導や結論を導かれると信じます。それまでの類推や憶測、立場を弁えない発言は、ご信心の世界で戒められる「筋を外した言動」とも言えますし、混乱を増すだけとも考えます。その「任」にないという意味に於いて、「果報」と申しました。ご指摘の『果報として関わり合っていく「縁」』ですが、私にとってそれこそが、本件について言及することではなく、自分の果報の中で全身全霊の御弘通ご奉公を実践することだと考えているのです。その成果をあげること、佛立信心本来の信行ご奉公の喜びを語り、そうした人をたくさん生み出していくことと確信しています。その成果の中でしか、本質的な問題の「解決」も「改良」も出来ないのではないか、と。私の近くにおられるご信者さんだけを何とかすれば良いと考えているはずがありません。そうであるなら私は生きる価値を失います。ただ、菩薩行の何たるかも知らず、人を一人も助けないような人間に発言権はないし、御本意を語る資格もない、本当の「折伏」は「言葉」や「理屈」ではなく、圧倒的な実践のご奉公ではないかと考えます。いずれにしても、今の妙深寺でのご奉公も、京都・長松寺でのご奉公も、HBS NETWORKやブログなどインターネットのご奉公も、スリランカやイタリア、ブラジルでの海外ご奉公も、「信心を失うかもしれない人」に何とか今一度佛立信心の喜びをお伝えするご奉公、そうでなければならないと信じて、全身全霊で取り組んでいます。「本件」によって「信心を失うかもしれない人」に、私の中途半端な知識で「本件」について答えることではないと考えているということです。大きな問題や課題は別のところにあると信じてご奉公してきました。それは「佛立魂」という本に書かせていただいたつもりです。いずれにしても、このような返信をした以上、hageさんに限らず疑問がある方は直接お会いしてお話したいと思います。
ありがとうございます
返信削除どうか皆さんで考えていただけませんでしょうか。
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1194094406/
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1195284320/
なぜ、このようなことになったのか?
どこで、このようになったのか?
なにが原因で、このようになったのか?
これから、どうしなければいけないのか?
どうすることが、御法のご本意にかなうのか?
佛立宗全体が、教務も講務も全ての方々が、
信者の全ての方々が、改良できるよい機会なのではないのかと、
日扇聖人が寂光で仰っているように感じます。
リンク、少し拝見しました。
返信削除インターネットの悪い面、匿名の人たちが、確証のない議論に時間を費しているように思います。2ちゃんねるなどの掲示板では、問題の真相や本質について理解するどころか歪曲して永遠に理解できないと考えます。客観性と透明性は大切ですが、こうした掲示板での議論は「ミイラ取りがミイラ」になってしまう。真実を知りたいと議論を重ねても、匿名の人による会話はマイナスにしかならないと思うのです。
こうした問題を語るにしても、私はいつも「果報」を考えます。私はこの問題を知る「果報」もないし、答える「果報」もない。ただ、現在の自分の「果報」の中で、精一杯使命を果たすことを考えています。この問題を処理すべき「果報」のある方々が、御本意に叶うようにご奉公くださるようにと願うばかりです。
篤信の方々、憂宗や護法愛宗の念のある方も、このような匿名による検証を経ていない情報に惑わされぬようなことがないようにと思います。
hageさんの仰る「なぜ」「どこで」「原因は?」「これから」「御本意は?」「改良を」という点については、よく考えなければならないと思います。有難い示唆です。
とにかく、御本意に叶うようご弘通ご奉公に気張るしかないと踏ん張ります。
ありがとうございます。
返信削除コメントいただき有り難く存じます。
また、多くのサイトに書込みした件、皆様には大変ご迷惑をお掛けしましたこと、お詫びいたします。申し訳ありませんでした。
私も現在の自分の「果報」の中で、精一杯使命を果たすことに励みたいと思います。
本当にありがとうございました。
ありがとうございます。
返信削除「私はこの問題を知る「果報」もないし、答える「果報」もない。」
この御発言には、はっきり申しまして、憤りさえ感じました。
同じ佛立宗の信者さんが、信心を失うかもしれないというのに、
よく、このような事が言えるなと・・・
同じ佛立宗で同じ御題目をお唱えされている方の問題であり
充分に「果報」として関わりあっていく「縁」があるのではないでしょうか?
信心を失うということは、不治の病にかかるより恐ろしいことではないのですか??
どうか『サイン』を読み取っていただきたいのです。
仰るとおり、信心を失うことは不治の病にかかるよりも恐ろしいことです。その「信心」は「御本意」に叶わなければなりません。
返信削除私の意図するところが伝わらず申し訳なく思います。今一度書きます。
私は、開導聖人が「我等軸出ていふともかひなしとなげくのみ」とお戒めのように、問題があっても何も言わない、見ない、ご奉公しないと申しているのではありません。御本意に叶うように「ご奉公」させていただきたいと思っています。
これまでも、私なりに皆さまが取り上げている問題について、直接、あるいは間接的に理解しようと努め、全てを把握できているわけではありませんが、その内容を妙深寺の幹部会でご披露し、事態の推移を見守ろうと話し合いました。そして、こうした事態だからこそ私たちの信行ご奉公はこうあるべきだというお話もいたしました。
私が『私はこの問題を知る「果報」もないし、答える「果報」もない』と言及したのは、私には本件について全てを知り得る任も権限もないということを指します。中途半端な理解では判断のしようがありません。答えることも出来ません。現在、その任に当たられている方がおられると思いますし、その方が全貌を承知した上でご指導や結論を導かれると信じます。それまでの類推や憶測、立場を弁えない発言は、ご信心の世界で戒められる「筋を外した言動」とも言えますし、混乱を増すだけとも考えます。その「任」にないという意味に於いて、「果報」と申しました。
ご指摘の『果報として関わり合っていく「縁」』ですが、私にとってそれこそが、本件について言及することではなく、自分の果報の中で全身全霊の御弘通ご奉公を実践することだと考えているのです。その成果をあげること、佛立信心本来の信行ご奉公の喜びを語り、そうした人をたくさん生み出していくことと確信しています。その成果の中でしか、本質的な問題の「解決」も「改良」も出来ないのではないか、と。
私の近くにおられるご信者さんだけを何とかすれば良いと考えているはずがありません。そうであるなら私は生きる価値を失います。ただ、菩薩行の何たるかも知らず、人を一人も助けないような人間に発言権はないし、御本意を語る資格もない、本当の「折伏」は「言葉」や「理屈」ではなく、圧倒的な実践のご奉公ではないかと考えます。
いずれにしても、今の妙深寺でのご奉公も、京都・長松寺でのご奉公も、HBS NETWORKやブログなどインターネットのご奉公も、スリランカやイタリア、ブラジルでの海外ご奉公も、「信心を失うかもしれない人」に何とか今一度佛立信心の喜びをお伝えするご奉公、そうでなければならないと信じて、全身全霊で取り組んでいます。「本件」によって「信心を失うかもしれない人」に、私の中途半端な知識で「本件」について答えることではないと考えているということです。
大きな問題や課題は別のところにあると信じてご奉公してきました。それは「佛立魂」という本に書かせていただいたつもりです。
いずれにしても、このような返信をした以上、hageさんに限らず疑問がある方は直接お会いしてお話したいと思います。