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2007年12月31日月曜日

腫瘍が小さくなった!!


 昨日の夜、思わず電話を投げ出して、その場に突っ伏してしまったことがあった。
 それは、深恭師からのメールだった。携帯電話に入っていた。題名は「ありがたいです」。内容は「ありがとうございます。今、音美さんから連絡がありました。和長さん癌が小さくなっているとのことです。」とあった。
 もう、何より、何より、有難い。年末になり、ご家族はどのようにお過ごしなのだろうか、大丈夫だろうか、と思っていた。和長さんの調子が悪くなり、年末にかけて入院したと報告を聞いていたからだった。
 しかし、この報告。何と嬉しいことだろう。年の瀬にあって、ご家族にとってどれだけ嬉しいニュースだろう。これをお計らいと言わずして何というだろう。ありがたい、ありがたい。思わず、携帯のメールを読んだ瞬間に投げ出してしまった。突っ伏してしまった。
 ただ、先程来、報告があり、京都の高校生の男の子、具合が悪いと病院に行き検査をすると、肝臓に腫瘍があると言われた、と。しかも、悪性との診断だった、との連絡。すぐにお助行を開始するしかないと淳慧師から連絡を受けた。先ほど17時からの御礼のお看経にてご祈願を開始。
 それぞれの年の瀬。それぞれのお正月。とにかく、御法さまのお見守りとお導きがありますように。

お題目ストリート

 ひろし君のお友だちで、11月にご信心を始められ、そこから朝参詣を続けてこられた方がいる。社会的に有名なお方なので実名は載せないが、本当に真摯で素敵な方で、お参詣を続け、御題目をお唱えする姿に、心から随喜していた。
 朝参詣の後、本堂を振り返るとその方がおられる。深々とご挨拶をくださる。ご信心を始められて、ほんの数週間。本当に有難い。
 お忙しい方で、スタジオに入ってお仕事をされている時は、一睡もせずにお寺までお参詣される。職場もお住まいも東京。横浜の妙深寺までお参詣するのには、いつも第三京浜を使われる。そして、その方が命名した第三京浜の別名が、この記事の題名にもさせてもらった「お題目ストリート」という名前なのである。
 そんな言葉に、心から感激していた。その方からのメールには、ご信心に出会えた喜びが満ちていて、「御題目ロード」についても明記されている。ぜひ抜粋したものをご紹介したい。
 「ありがとうございます。出来る限り、朝、自宅から、第三京浜を通りお寺まで、、、私のお題目ストリート、、でお寺に行けるよう日々がんばっています。本当にありがとうございます。真の仏教に出会えた喜びは、本当に、ヒロシに感謝です。そして、御住職、、、感謝しています」
 こんなメールをいただいて、胸が熱くなる。本当にありがたい(涙)。
 12月29日、お餅つきのご奉公があった。その機会に、この方はご長男と実のお母さまをお連れになった。お母さまは神経痛などで苦しんでおられ、「朝念仏・夕題目」ではないが、仏壇に手を合わせているが、仏教的な知識が雑然としていて、「ナムアミダブツ」と唱えたり、「ナムミョウホウレンゲキョウ」と唱えたり、般若心経を唱えたりしているという。対象も、仏壇の中央には日蓮宗の方からいただいた「仏画」があってそれを拝まれたり、観音像を置いて拝んだりしてきたという。
 普通の方はこのような状態で仕方がないと思う。いろいろな人から良いと言われたことを全て受け入れていくと、そうなってしまう。しかし、どこかの誰かから「仏さまにお願いごとをしてはいけない」と教えられたそうで、仏壇では全くお願い事をしない。神経痛がひどいので、毎日毎晩「早く迎えにきてくれ」ということばかりを思い、憤懣やるかたない気持ちを抱いていたという。
 お参詣をはじめられたその方は、そんなお母さまを心配になって、正しいご信心の仕方をたくさんお話されていたようだ。29日、お餅つきの合間にお会いしてお話をすると、その場で「今日から南無妙法蓮華経のご信心一筋でいかせてください」とお母さま。御本尊の拝受願いをお認めになり、ご奉安のお教化となった。ありがたい。
 何より有難いのは、「お題目ストリート」を駈けてお参詣して下さる、そのお方本人である。既にご信心のお話をたくさんの人にされ、随喜を増しておられる。有難いこと極まりない。
 お母さまの教化親にはひろし君にご奉公していただくこととなった。年末、年の瀬を間近に控えているが、このような嬉しいご奉公が続く。
 今日は、31日。大晦日。今年も終わろうとしている。

2007年12月27日木曜日

妙深寺報 平成20年1月号 出稿

 今朝、何とか「妙深寺報 平成20年1月号」が出稿した。本当に、今度こそはダメかと思ったが、特に清従師のど根性によって出稿。有難かった。

 今朝9時、少々永田さんをお待たせしたが、印刷所に全原稿が回った。29日の夕方には出来上がってくる。その後、妙深寺内での配布と御縁の深い全国各地の寺院へ発送を行う。

 また、韓国、ブラジル、ドイツ、イタリアにも寺報を送付させていただいている。少々配送費などお値段は高いが、海外弘通の一助になるという思いでさせていただいている。スリランカには日本語の分かる人が皆無であるため、送っていない。しかし、半年に一度くらいの割合で持って行くことにしている。写真だけでも楽しめるだろうと思って。

 今月も20ページのボリュームとなった。これでも取り上げられない記事で溢れている。妙深寺報は余り統一感がなく、企画記事というものは極めて少ない。ただただ、ご信者さんの生の声をお伝えしようとしている。何かを考える時期かも知れないが、一ヶ月間で起きるドキュメントの記録。こんな会話、こういうお話が出ている「お寺」ということを知っていただくだけでも良い。劇的なドラマが毎日のようにあるということ。

 とにかく、今朝は満足した。これから初総講の御法門を作らせていただかなければならない。また、明日は妙深寺の大掃除だ。明後日は9時から大鏡餅つき。

 ありがたい。

2007年12月26日水曜日

明日、寺報の出稿

 明日、寺報の出稿期限。もう、時間がない。今日は朝からボロボロ。寝不足。過密。山積。原稿を明日の朝までに書き上げなければ。妙深寺報の1月号は年賀状の意味もあるのだから。頑張らないと。

 写真は横浜の繁華街。教講納会の夜に撮影したらしい。
 年の瀬の横浜。


 それにしても、今日もたくさんのことをブログに書きたかったのだが、こうして時間だけが過ぎていく。

10大ニュース

 今年の10大ニュース。例年、ご奉公の中での10大ニュースを発表している。今年は盛りだくさんで、当てるのも大変だと思う。
 年頭からのスケジュールを見返しても、過密なスケジュールの中で既に忘れていることも多いと気づく。「あれは今年だったかな」と、右から左へ受け流し(笑)てしまうこともあるから、「10大ニュース」と区切って考えることも大事だろう。
 2月2日から電撃的にスリランカを訪問した。このご奉公は、特に福岡御導師とスリランカ大統領との邂逅を実現するためのものだった。アヌラダープラでの大きなセッションは永遠に忘れられない。目の前に「天空の城・ラピュタ」が出現したかと思った。また、旧国会議事堂の正面の階段から、独立記念日のパレードを眺めたことも、大統領官邸での対談も忘れがたいご奉公となった。
 続いて、2月15日から18日間の海外出張ご奉公があった。ブラジル、イタリアでのご奉公だった。特に、ブラジルでのご奉公は、100周年を目前にしたブラジルの盛り上がりを目の当たりにし、私自身も27年ぶりとなるブラジルの空気、雰囲気、斉藤御導師や高崎御導師、コレイア御導師、その他のご信者方との再会など、大変に有難かった。サンパウロやリンス、アラサツーバ、クリチーバやモジダスクールゼスでの出会い、会話、笑顔、忘れられない。
 ブラジルからミュンヘンに飛んで、ミュンヘンからフィレンツェへ直接入った。フィレンツェでの御講、お役中に「ディフェンダーレ」とイタリア語を教えてもらって話し合いを行ったこと。ひろし君のスピーチ。ピサからの新しいご信者方との出会い。これも有難かった。
 1月から3月だけでもこの勢いだったのだが、これを後で書き足さないといけない。ブラジルでのご奉公とイタリアでのご奉公、そして韓国の姜ご住職との出会いは、今後のご弘通ご奉公にとって大きな意味を持つと考える。それを書き足したい。
 来年も、1月24日からスリランカ。2月14日からイタリア。3月20日からブラジル本門佛立宗100周年記念ご奉公のために離日する。妙深寺、大丈夫かな????

2007年12月23日日曜日

明けの鐘の音

 このブログ、このままでは見捨てられてしまうかも知れない。更新できてないから。すいません。
 今日は本年最後の門祖総講。9:30からの奉修。この門祖総講では、通常来年度の受持発表などを行う。しか~し、残念ながら今回は間に合わなかった。資料を集め、吟味しようと数週間調整してきたのだが、その資料の到着も間に合わず、吟味も出来ず、仕方なく「受持御講師の発表」は数日遅らせることにした。申し訳ない限り。
 門祖総講では本年最後となる御法門。
御教歌は、
「世の中はまだしづかなり長きよの 心晴ゆく あけのかねのね」
といただいた。この御教歌は、平成19年の初総講と1月の教区御講で拝見し、説かせていただいたものであった。
 佛立開講150年の奉賛ご奉公を終えて迎えた平成19年。「結前生後」と題して、奉賛ご奉公によって生み出された喜びの波を、どのように実感できるか、結実させ育てられるかを問う一年間であったと思う。
 一方、世は混迷を深めたように思う。経済は、地雷を踏まないように足踏みしているような状態のようだ。偽装や偽造事件は増加の一途をだどり、私たちが抱いている「食の安全」という前提は崩れてしまった。新聞には「親殺し、子殺しの時代」と烙印を押されてしまった。
 その一年の中、私たちは「明けの鐘の音」を聞いて、「心晴れやか」になれただろうか。いや、私たちは、そうならなければならない、と教えていただくのだ。末法の長い闇の世にあっても、私たちは、さらに晴れやかに生き抜こうと決意する。しかも、まだ闇の世にあって眠っている人、暗闇に迷う人の支えとなり、励ましとなる生き方を志す。
 誰が聞いても、ふさぎ込みたくなるニュース。平成19年は1月1日から3日までの間だけで以下のような事件があった。
・長男火付け自宅全焼、78歳父遺体で 茨城1月1日配信 毎日新聞
・母親刺殺、長男を逮捕=「なじられ恨み」-神奈川県警1月1日配信 時事通信
・母が包丁で1歳長女切りつけ逮捕 千葉市1月1日配信 毎日新聞
・72歳父、酒に酔い41歳息子を刺殺…東京・東大和1月2日配信 読売新聞
・小2二男殴るける、1週間のけがさせた父親逮捕…姫路1月3日配信 読売新聞
・父親に殴られた1歳男児、死亡 千葉・市原1月3日配信 毎日新聞
・女子短大生の切断遺体 渋谷 自宅でポリ袋に入れられ発見。弟逮捕。1月3日配信 産経新聞
・倉敷の4歳児虐待死:暴行容疑で母親送検 二男の死因は七味吸入。岡山1月3日配信 毎日新聞
 こうした事件を聞いて、イヤな気分にならない人はいない。ふさぎ込む。自分の母親が幼い子どもの口に七味唐辛子を詰め込んで殺している。今年のお正月、僅か3日間でこれだけの事件が起きていた。平成20年のお正月は大丈夫だと、誰が言えるだろうか。
 しかし、私たちは「明けの鐘の音」を聞いていることを自覚しなければならない。その「鐘の音」を以て、暗闇に怯え、苦しんだり、迷ったりしている人の、何とか力になろうと努力しなければならない。走り回って、「起きて」「起きて」と呼びかけてもいい。
 アトピーが増え、ぜんそくはこの10年で倍、幼児虐待はこの6年で2.5倍。先住がご遷化になられてからの僅か6年間で倍以上になっているということだ。そして、いつもの通り、「原因は特定できない」「分からない」と結ばれる。
 七五三の時のブログにも発表したが、この10年来、日本の学校での障害児増加は著しい。神奈川では、養護学校の在籍児童数は毎年2校分に匹敵する200~300名のペースで増え続けている。小・中学校の特殊学級はさらにハイペースで、その学級の在籍児数は10年前に比べて2倍近く増加している。そして、結びはこうだ、「原因は特定できません」。
 まさに、長い暗闇。便利になった、社会は発展した、豊かになったと言いながら、薬の数だけ病気が増えている。戦争も起きてないし、爆弾も使っていないのに、イラク戦争の死者に匹敵する35000人が毎年自殺するような日本。何かが間違っているし、何かが欠けている。
 こうしたことを御教歌をいただいて、説かせていただいた。これから、平成19年度の「教幹納会」にッ向かう。平成20年にむけて「結実と飛躍」を誓うと企画してくれた。振り返ってみても、例年以上に今年は「鐘の音」が強く聞こえた年だった。本当に有難い。有難いとつくづく思う。百本祈願の流行しているお寺。多くの人が御題目口唱を喜び、御利益を感得している。有難い。

2007年12月19日水曜日

12月19日 京都


 12月19日の早朝、京都に戻った。今月は4度目の往復。昨日は13時からの新横浜教区の教区御講だった。とんぼ返り。素晴らしい御講だった。
 明日、京都での締めくくりのご奉公。次の日は本年最後の清和会御講があり、そして最終年末の御総講へと向かう。今年も本当に年の瀬。どんな一年だっただろう。来年はどんな一年になるだろう。
 何度も言っているが、佛立信者の年末に思うことは2つ。「感謝」と「御懺悔」。
 「ありがたい」ということに気づかなければならない。一年を振り返って。そして、「よい事をして懺悔をばしたるかな~」で、普通は良いことをしたら「御礼を言われて当たり前」となるところだが、佛立信者は振り返って「良いことをしたつもりだけど、その中でも反省点がなかったか」と振り返る。そういう意味に於いて、感謝と御懺悔が大事だと思う。
 そして、佛立信者は知っている。こうした締めくくりが出来ない限り、良い年など来るはずがない。正月に、ちょろっと神社や仏閣に詣って、賽銭箱に小銭を投げ入れても、良い年になるはずなどない。そんなことがあるわけない。あったとしても因果から外れているから後が怖い。
 とにかく、一年を振り返れば途中で失速したようにも思うし、反省点も多々ある。来年はさらに決死の覚悟で、全身全霊で御弘通に挺身しなければならないと反省している。
 妙深寺のご奉公では感謝感謝しか浮かばない。本当に多くの変化の菩薩方が現れてくださったと思う。本当に充実の一年だった。多くのご信者さんに支えられ、盛り上げていただき、お教化も育成も大躍進を遂げた一年だった。特に、今年お寺にお参詣するようになった方々、新教化の方々は「花の19年組」と謳われる。ありがたい。老いも若きも、和気藹々の雰囲気を楽しんだ。先日のひろし君の部御講には、他の教区長もお参詣くださって、初心のご信心を分かち合ったという。まさに、変化の菩薩方に支えられた一年だった。
 開導聖人の御指南、
「衰える時分時分には、地涌の大士、立ちかはり、入れかはりに出世ありて御弘通絶えることなし。弟子となり師匠となり、旦那となり無令断絶、疑いなきこと也」
を実感した。必ず、出てきてくださるんだなぁ、と。「衰える時分」が今だと言う気はないし、昨年までの妙深寺が「衰えていた」と言うつもりはないが、それでも問題や課題はたくさんあった。横浜という範囲に限定して「衰える」ということではないのだろう。この時期に、こんなに多くの菩薩方が誕生して、集まってくださっていることに、感謝感謝。必ず全世界に還元しなくては。
 ネットの中で色々なマイナスの話が出ているようだし、そういう意味で「衰える時分」と言えるのかもしれない。そこにフォーカスしても本当の問題は見えない。こうしてご弘通させていただく中に答えがある。果報の中で精一杯のご奉公をさせていただき、現証の御利益を顕してゆくしかない。それがお導きなのだ。私にはいくつかポリシーがあるが、その一つが「悪い話は、もし聞いても自分で止める。良い話は世界中にご披露する」だ。佛立信者とは、そういう人だと思う。だから、佛立信者は世界の浄水器のようなものだと信じている。
 「よの人のさがなしごとをまた人に つたへてわれに罪なつくりそ」
 御教歌をいただけば、自分の生き方、佛立信者らしいスタンスが分かる。まさに、自分の果報の中で精一杯のご奉公をさせていただきたい。その中で、こんなに素晴らしい方々に囲まれていることを、素直に喜びたい。
 「弟子となり師匠となり、旦那となり無令断絶、疑いなきこと也」
 本当に、実感させていただく。ありがたい。

2007年12月14日金曜日

改めまして 『Moment』

 動作がうまくいかなかった田口くんの作品。再アップしてくれたので、改めて紹介する。「世紀のダ・ビンチを探せ!国際アートトリエンナーレ2007」のグランプリ作品。ありがたーい。

 『Moment』


行弘くんからのメール

 まだ京都。今回の京都は天気がすぐれない。今朝もどんよりと曇っていて、雨がパラパラと落ちてきている。麩屋町から北野に向かう車のフロントガラスに冷たい雨の粒。

 冬の京都は冷え込む。身体の芯まで冷えるような寒さがある。まだ、冬は本番を迎えてはいない。今日などは温かい方だろう。お正月を迎えて、1月から2月になると、信じられないほど寒くなる。そんな京都の冬は、つくづく春が待ち遠しくなる。

 京都から田口くんについて第二回目のブログをアップした。今朝、メールをチェックしたら本人からメールが来ていた。ありがたい。それを紹介したいと思う。

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清潤御導師、

 ありがとうございます。

 日本では短期間の帰国にも関わらず、長松寺を参詣させて頂き、御導師に再会できた事をありがたく思います。

 先日の御導師のブログ、拝見させて頂きました。たくさんお褒めのお言葉を頂きありがとうございます。少々、照れくさいです(笑)。

 しかしながら、今回の受賞は、当然のことながら、決して僕一人の力で頂いたものではありません。それは、もちろん、母、父、家族、友人の支えがあり、いろんな人から頂いた力(知恵)の一つの結果だと確信しております。

 毎月、妙深寺様から送ってくださる寺報には、御導師をはじめとする、御信者様などが書かれた言葉に知恵が多く詰まっております。それも御導師がおっしゃる、「サイン」だと思っています。

 僕はそれを美術の世界で実行、行動に移したまでに過ぎません。ちなみに、御導師がイタリアで色々と話してくださった中で「負を取れ」という話が分かりやすく非常に印象深く、それを実行させて頂く為に、御宝前にお願いさせて頂いております。

 その他、もちろん、様々な方々の助言や出会いで、今の僕に至ると考えております。

 そういう思いから、今回、受賞で頂いた賞金を僕を育ててくれている縁のあるお寺(本成寺、遠妙寺、妙深寺)に御有志させて頂きました。
 こんな時しか、まともに御有志させて頂けないということがまだまだ未熟ではありますが・・・

 また、今回の受賞は勿論、ありがたい事ですが、一つのステップだと思っております。跳び箱で言うならば、踏み台のようなものだと思います。
 これから、もっとデカイ跳び箱を跳ぶために、御信心を絶やさず、精進させますので今後もよろしく御願いいたします。

 妙深寺の御教務様、毎月かかさず寺報を送ってくださる事務の方、御信者様によろしくと御伝えください。

 ありがとうございます。

 合掌、

 行弘拝、

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 う~ん、立派なメールを書くようになった(涙)。ありがたい(涙)。

 そして、続いて彼から追伸メールが来た。田口くんがインタビューを受けた内容が掲載されている。彼の制作スタンスが分かると思うので、是非読んでいただきたい。すごい。

 東京アートビートに紹介された「関係の発生」を、ここに紹介する。

2007年12月13日木曜日

アッシジでの水彩画

 アッシジは、チベットのポタラ宮を思わせるような岩山にそびえ立つ大聖堂。ここは、聖フランチェスコの生まれた街。彼はシエナのカタリナと共に、イタリアの守護聖人になっている。

 アッシジや聖フランチェスコを知らない人でも、アメリカの「サンフランシスコ」という都市の名前は知っているだろう。名曲「慕情」の舞台にもなっているアメリカ西海岸の「サンフランシスコ」もブラジルの「サンフランシスコ川」も、彼の名前にちなんでいる。マザー・テレサも彼の生涯を知って修道女になることを決めたといわれるし、それほどキリスト教世界、カトリックでは有名なのが、このアッシジ出身の聖フランチェスコだ。

 キリスト者ではない仏教徒の私から「フランチェスコ」を見ると、彼は所謂それまでの「カトリック」を否定し、カトリックの教義に大転換を迫った存在であったと思う。厳格な教義の解釈よりも霊的な啓示によって多くを感じ指導する「密教的」な側面を強く持ち、人々の生活から乖離した教会とキリスト教を復興させようとした。当時のカトリック教会は保守的で、多くの信仰復活運動を弾圧したが、ローマは当時からアッシジのフランチェスコ派を利用して再生を目指していくことになった。

 それにしても、キリスト教の教会、特にアッシジはおっそろしい教会だった。もう、その教会の内部は表現しかねるほど重たい空気だった。フランチェスコの遺体は今でも教会の下部に埋葬された棺の中にある。その棺は階段を下りて来た者は見ることが出来る。私たちの団体では数人の女性の気分が悪くなり、教会内部に入ることは出来なかった。本当に恐ろしいほど重たい空気だった。

 聖堂の内部にはジョットによるフランチェスコの生涯を描いたフレスコ画がある。1997年9月26日に発生したウンブリア・マルケ地震でフレスコ画と丸天井が崩落して大事故となり、数名が死亡した。それだけでも恐ろしい。「世界の衝撃映像」などのテレビ番組で、この丸天井崩落の衝撃的な映像を見た方もいると思う。現在は、極めて精力的な修復工事によってほぼ元通りになった。

 重たい空気の教会内部とは裏腹に、6月のアッシジの空は澄み渡っていた。教会の中を柔らかい光が包んでいて、鳩が日だまりの中を歩いていた。田口くんは、この場所でもたくさんのデッサンを描いてくれていた。

 全く上手に描いてくれている。穏やかな田園地帯の空気まで表現してくれているように思う。ありがたい。天才や。

 実は、私だけこのアッシジに庭を見て、一人だけ思うところがあった。2002年1月24日、バチカンのヨハネ・パウロ二世の呼びかけで「世界宗教者による平和の祈りの集い」が、このアッシジで開催された。聖堂前の庭にはその時の植樹が残されていた。

 私は、この「世界宗教者による平和の祈りの集い」のニュース映像を見て、一人イスラエルに行くことを決意した。平和に対する願いがあるのは分かる。人類の希求するところだ。誰もが平和を望み、戦争や紛争を嫌う。しかし、戦争や紛争は後を絶たない。だから、異なる宗教が対話を重ねていくことは大切だと思う。しかし、あの時、ニューヨークでの同時多発テロ、アフガン侵攻、イラク戦争の流れの中で、アッシジに集う聖職者たちを見ていて、何故か強い嫌悪を覚えたのだ。「呑気なもんだ」と思えて仕方がなかった。

 同じ聖書をルーツとしているユダヤ教、キリスト教、イスラム教と全く異なる視点を「仏教」が提示しなければならない。単純に、「手を取り合いましょう」ではなく、真実の仏教・本門佛立宗の私たちは、それを提示する使命がある、そう思っていた。そして、聖書を手にエルサレムに行き、ユダヤ・キリスト・イスラムの聖地を訪ねながら、仏教の使命に思いを馳せた。

 アッシジのフランチェスコが評価されるのは、「キリスト教」という枠を飛び越えた普遍性を持っていたからだと言われている。つまり、そこが「キリスト教を越えた」「キリスト教を変革させた」と言われる所以である。そう考えれば考えるほど、仏教の「普遍性」を彼らに提示したいと思う。彼らが飛び越えたくて飛び越えられなかった壁を、キリスト教というドグマを外すことによって得られる法華経の普遍的な世界を提示したいと思ったのだった。

 2009年、海外弘通は新たな局面を迎えるだろう。

ダ・ヴィンチのデッサン

 「世紀のダ・ビンチを探せ!国際アートトリエンナーレ2007」でグランプリを取った田口くん。彼と共に廻った2005年6月のイタリア。フィレンツェで合流し、ローマまで一緒に移動して過ごした。

 この田口くんの快挙を妙深寺のご信者さんにご披露したところ、大変な反応があった。イタリアに行った人たちは彼のことをずっと覚えていたらしい。

 そう、前回は書いていないが、ローマのカンツォーネ・ディナーの時、オランダから来た他のテーブルの観光客の方々がダンスをしはじめて、私たちも川上さんご夫妻を筆頭にダンスを披露してくれた。

 その時、田口くんも一肌脱いで「剣舞」のような独演をみんなに披露してくれたのだった。拍手喝采だった。それにしても、この時の田口くんがとても「貧しそう(笑)」だったので、ダンスの後に田口くんの被っていた「麦わら帽子」を回して、みんなが帽子の中に「チップ」を入れてくれた。このエピソードを私は忘れていたのだが、12月の御講で田口くんの話を聞き、瓜生さんが感激して教えてくれた。「彼の踊りが素晴らしくて、そのチップを集めて彼に渡したんですよねー」って。そんなことまでしてたんだなぁ。彼は幸せ者。そんな彼がグランプリを獲ったなんて、みんなにとっても大変な喜びであり、驚きなのだ。

 今回、このブログで大切にしていた田口くんのデッサンを載せちゃおうと思う。本当に素敵だ。彼がTシャツに短パン、麦わら帽子にリュックサックという姿で現れた時は「なんじゃー?」と思ったが、食事代として書かせた絵を見てうなった。本当に素晴らしい。ぜひ、見てもらいたい。ダウンロードして壁に掛けていただいても良い。いや~、価値があると思うなぁ~。

 最初の絵はフィレンツェの中心、アルノ川に掛かるポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)である。水彩画で色をつけてくれた。本当に素敵な画。僕はこの画が大好きだ。右側の絵は、まさに鉛筆によるデッサン。フィレンツェの街角から見えるサンタ・マリア・デル・フィオーレ寺院である。この大聖堂は140年をかけて建設された。フィレンツェの代表的な建築物であり、中世のキリスト教勢力の強大さを痛感させられる。天井画の地獄図は「恋人たちのドゥオモ」には似つかわない恐ろしいものだが、それでもフィレンツェに君臨する中心的存在になっている。フィレンツェでは、どの街角からもこの大きな円屋根が見える。

 それにしても、140年かけて寺院を造るというのは素晴らしいことではないか。東大寺の大仏の鋳造と大仏殿の建設の期間は、大仏造立の詔が発せられた743年から竣工の758年までなので約15年。スケールが違う。もう、ある意味で君主制や強固な封建制でもない時代には、そんな大寺院建立という大事業は不可能だと思うが、こういう長い時間をかけるという考え方は勉強になるなぁ。

 いつも考えているのだが、私の住職の代では、どんなに老朽化が進んでも、出来る限り昭和47年に建立された現在の妙深寺本堂でご弘通させていただきたい。手狭になっても、それも喜んで使わせていただけるだけ使わせていただきたい。新本堂の建立という大事業は、私が住職をしている時ではなく、次のご住職にしていただきたいと思う。それまでは、とにかく一人でも多くの人にご信心をお伝えし、支え、ご信心の喜びを感得していただきたい。

 そして、次のご住職とその時代のご信者さんには「千年本堂」を建立してもらいたいなぁ。私は一人でイスラエルを旅したが、彼の地にも1000年以上の歴史を経て、なお人々の尊崇する寺院がある。ローマやフィレンツェでもそうだ。多機能な建造物であると無理かも知れないが、せっかく建立したのに数10年で立て直しを迫られるようでは哀しい。シンプルでも、1000年以上護持させていただけるような本堂を三ツ沢の丘に建立してはどうかと思う。最初に御有志される方々は、結局完成した本堂を見ることは出来ないのだが、100年かけて建設しても1000年以上信仰の中心地になると考えれば本望ではないか。

 彼が書いてくれたデッサンの総数は、10点にも上る。私は鉛筆の濃淡だけで書いてくれたデッサン画を本当に気に入っている。フィレンツェの街は非常に入り組んだ路地が張り巡らされている。石畳、そして両側の家々、路地の上に見える空、、、、。それを鉛筆の濃淡で表現してくれている。

 凡庸な私たちからすると突拍子もないパフォーマンスをする彼だが、さすがは芸術家としての基本を習得しているということだ。これほどセンスがよく、綺麗に、デッサンが描けるのだから。

 今年の2月、フィレンツェのご奉公にひろし君が合流した。親会場でご奉公させていただいた次の日の朝、2人でジョギングをした。フィレンツェの町中を抜けてパラッツォ・ヴェッキオ、ウフィツィ美術館の中央をダ・ヴィンチやラファエロ、ミケランジェロの銅像に見下ろされながらアルノ川沿いに出てポンテ・ヴェッキオへ。橋を渡ったら少しだけ左に折れて坂を上った。坂の両側は大きなお屋敷が続く。高い塀に囲まれた坂道を駆け上がると、トスカーナの丘の上に出る。旧市街の塀を見ることも出来る。気持ちの良い風に吹かれて、気持ちの良い朝だった。

 ここに挙げたデッサンを見ていただいても、彼の素晴らしいセンスが分かるのではないだろうか。このオリジナルを持っているのだから、将来がたのしみ~。もし彼がピカソやダ・ヴィンチのような偉大な芸術家の卵だとしたら、このデッサンの価値は大変なものだ。それこそ、「千年本堂」の資金になるなぁ(笑)。

 次には、フィレンツェを南下して、彼がアッシジで描いたデッサン、水彩画を紹介しようと思う。アッシジは聖フランチェスコが生まれ育った街であり、サン・フランチェスコ聖堂がある。私たちはこの街によって、昼食を取り、この聖堂を訪れた。

 この街を訪れるに当たっては、その前後で私からアッシジやカトリックというキリスト教、聖フランチェスコについて説明した。その上で、私たちがこれを見て、どのようにキリスト教を捉え、ご弘通を考えていくかをお話しさせていただいた。

2007年12月11日火曜日

世紀のダ・ビンチを探せ!

 こんなに嬉しいことは無い。こんなことがあるんだ。すごい、すごいことだなぁ。

 満を持して書かせてもらおう。
 12月4日18時。何が嬉しかったって、田口行弘くんがベルリンからわざわざ京都・麩屋町の長松寺までお参詣してくれた。しかも、完全なる凱旋帰国!もう、嬉しくて嬉しくて、感激した。

 もはや、世界的な芸術家となった田口くんのことを書くのは少々気が引ける。しかし、書かずにはいられないので、一気に書いてしまおうと思う。彼と出会ったのは何年前だっただろう、3年近く前だろうか。お母さんからのご紹介で連絡を取り、お会いしたのが最初だった。

 私は毎月2度ほど京都・長松寺でご奉公させていただく。通常は4日と16日、7月の祇園祭と8月の大文字の時だけが混雑するために15日になっているが、ほとんど欠かさずに京都に帰って18時からの御総講のご奉公に当たる。

 この3年間ほど、大阪から足繁くお参詣してくださるご婦人。優しい笑顔の田口さん。毎月二回、大阪から京都までお参詣に通い続けてくださっている。並大抵のことではない。本当に有難い。

 その田口さんから息子さんを紹介していただいた。いや、「いただいた」というよりも、ご苦労を重ねてきた田口さんが東京で芸術を志して生活している息子さんに、何とか立派になってもらいたい、ご信心も相続してもらいたい、という思いだったと思う。たぶん、長松寺だと思ったが、私は初めて彼に出逢った。行弘くん、東京芸大に通う芸術家の卵だ。

 私は、ご苦労を重ねて行弘君を育ててきたお母さまを見ていたので、芸術家を志すといっても、さぞお母さんにとってはその生き方が不安であろうと感じていた。いつになったらお母さんを支えられるか。そういう息子になれるか。芸術家を目指す者などごまんといる。いくら感性が豊かで、アートやクリエイティブなことが好きでも、そんな若者は数え切れないほどいる。そして、女手一つで行弘君を育ててきたお母さん。うーん、と考えていた。

 だから、最初に会った日、私は彼にお話しした。とにかく、左側の脳で芸術なんてできないのが良く知っているだろう、もっともっと根っこの、右の脳、もっと言ったら心の奥の奥から湧いてくるインスピレーションの世界だ。だからこそ、信心をしっかりして、御題目をお唱えしてくれ、その部分を磨いてくれ、と言った。それが最初の出会いだったと思う。

 それから、メールを交換したりするようになって、彼はベルリンに旅立った。またまたお母さんを不安にするように、彼はドイツのベルリンで生活することにしたのだ。私は、とにかく彼を送り出すことが心配で、朝夕のお看経の時に、「弘通の器となさしめ給え」と言上し、ご祈願するように勧めた。自己満足の芸術家になるのではなく、何とか「人を救えるような芸術家」になってもらいたい、と。そういう思いを持ってくれたら、御法さまがもっともっと行弘君を応援してくれるのではないか、と思ったのだ。

 彼がベルリンに住むようになって、吏絵ちゃんの白血病のご祈願も始まった。私は彼にご祈願してくれるようにお願いをし、彼もベルリンでご祈願してくださるようになった。彼はしっかりとベルリンからご祈願してくれていたと思う。懐中御本尊の御不敬、そして新しい懐中御本尊の拝受など、いろいろなこともあった。大学時代に所属し、ご指導をいただいていた遠妙寺の御導師にお願いして御染筆いただいた懐中御本尊をベルリンで護持して、お看経してくれていたと思う。

 しかし、うだつの上がらない貧乏芸術家。サラエボなどの紛争地域に出掛けて、先鋭的な芸術家の仲間たちと何か活動していることを彼のブログで見たり、ベルリンの街中をビニール袋をかぶって歩いたり。こっちの感覚ではよく分からない「芸術(?)」に戸惑ったりしていたが、それでも彼からのメールに喜んだりしていた。ヨーロッパで活動している間にいただいた御利益などを報告してくれたり。

 2005年6月、フィレンツェに行った際には、ベルリンから駆けつけた。「駆けつけた」と言っても泊まる場所も決めていないし、どうやって行動するかも決めておらず、ただ「合流」。団参の行く先々に彼を連れて行くことにした。もちろん、食事も1セット追加。

 フィレンツェからローマまで連れて行って、最後はカンツォーネのディナーまで一緒にした。裸足でサンダル、麦わら帽子というスタイル。まぁ、変わった奴だったから、妙深寺のご信者さんもビックリしてた。でも、愛されるキャラで、みんなの人気者になっていた。(左の写真は、カンツォーネを歌ってくれるレストランだが、右側でピンク色のTシャツを着ているのが行弘君である)

 その「うだつのあがらない」「貧乏」芸術家の行弘君。お金が無くて日本に帰ってくれないはずだったが、11月末から凱旋帰国。そして、12月4日に長松寺にお参詣してくれた。それは、何と「世紀のダ・ビンチを探せ!国際アートトリエンナーレ2007」というコンクールがあって、その授賞式に出席するとのことだった。しかも、渡航費は主催者が出してくれたって。な、な、なんと、行弘君は、この「世紀のダ・ビンチを探せ!」というコンクールの最高賞であるグランプリを受賞したのであった!

 どんだけー!である。もう、信じられなかった。感激した。これまでのことを思い出したし、何よりお母さんの顔、嬉しそうな顔、もう最高だった。

 このコンクール、大阪芸術大学が主催しているのだが、名前がスゴイ。「ダ・ヴィンチを探せ!」って。レオナルド・ダ・ヴィンチは知っての通りルネッサンスの巨匠で、絵画から彫刻、建築や自然科学、音楽にまで通じた大天才。 「万能の人」「普遍人」とも呼ばれている。(私としては、ダ・ヴィンチが1年だけ仕えたチェザーレ・ボルジア、その父の法王アレッサンドロ6世、彼らと交渉したフィレンツェの役人・マキアヴェッリ、アレッサンドロ6世と対峙した説教師サボナローラ等々、『ダ・ヴィンチ』を聞いただけで興奮してしまう)

 その題名の通り、この「世紀のダ・ヴィンチを探せ!」という企画は、世界規模で作品を公募し、「世紀のダ・ヴィンチを探そう」とする国際アートトリエンナーレとのこと。志が大きい。すごい。ホームページを見てみると、『表現とメディアが急激に変化し、 様々な表現領域が複雑に交差する中で、今世紀の芸術はどこへいくのでしょうか。伝統と革新の対立と融合、地域間の葛藤と共生、そうした問題をあたらしい表現活動はどのように解決し、再生していくのでしょうか。この公募展を契機に、この会場、大阪から新しい世紀の「ルネッサンス」が期待されます。 「世紀のダ・ヴィンチ」、 それはあなたです』と書いてある。

 おいおい、その『ダ・ヴィンチ』のグランプリに行弘君が選ばれたなんて。いや、選んでくださったなんて。すっごーい。すっごーい。すっごーい。

 もうね、感激で泣けますわ。しかも、長松寺で行弘君、僕に封筒を出した。「なんやこれ?」とお預かりすると、「海外弘通御有志 行弘」って。もう、どんだけー!や。余りにもひもじそうでお小遣いを渡したこともあったし、フィレンツェではあれだけ食わして、「こりゃ、永遠に返ってこんな」と思っていたのに、まさかこんなに早く(涙)。しかも、この封筒、分厚い。「おう、おい、これ500円札か?」って思わず冗談でまぎらわした。ありがたい。ありがたいではないか。

 人は成長する。どんな時でも、御法さまを信じて、自分の道を歩んで努力すれば、「冬は必ず春となる」だ。いつも目先のことばっかりを見て、それで人を判断していると何も得られない。受け入れて、信じて、待って、祈って、願っていると、こういう日が来るんだなぁと思って。嬉しい、嬉しいなぁ。

 もう、「世界のタグチ」になっちゃった。NHKにも取材されて、お昼前にテレビに出てた。新聞にも紹介されていたし、これからが勝負ではあるけれど、彼のキャリアの一つとして輝くだろう。

 世界的に活躍しているYukihiro Taguchiの公式ブログサイト「dirmission」は英語のみになっているが、日本語のブログ「spazieren」もあるので紹介しておく。応援してあげてもらいたい。

 最後に、今回受賞した作品がYou Tubeに出ているので、ここに貼り付けようと思う。私は、最高に、素晴らしい作品だと思う。今まで彼の作品は、何をどう見てもさっぱりわからなかったが、今回の作品は本当に見れば見るほど色々なことを考えさせられた。「時間」と「空間」、「人」「場」「縁」「刹那」、、、、、。


 それと、もう一つ。ウッシッシということを。(ちょっと今、上の作品が見れないようだ。12秒くらいで映像が止まってしまう。残念)

 実は、イタリアで一緒に過ごしていた時、「おい、お前さ、タダでご飯とか食べてるんだから、フィレンツェの街とかをデッサンしてよ。それをもらって帰るから」と言った。彼は真面目だから、フィレンツェの街並を「さすが東京芸大!」と思わずうなるくらい素敵な鉛筆によるデッサンを何枚か描いてくれたのだ。

 僕は、それを持っているのである。ヘヘヘ。彼がこのままホンマに「ダ・ヴィンチ」になってくれたら、このデッサンは高く売れるやろ~な~(笑)。これで本堂建てられるかな(笑)。ピカソでも、駆け出しの頃の作品でも高く売れるもんなぁ~(笑)。

 いやいや、まだまだ。これからが芸術家としての本番。このコンクールなんて、本人も言っているし、彼のブログにもあるが、一つの通過点にしか過ぎない。彼の中では、本当に大した意味を持っていないのかもしれない。もっと大きなものを見ている。

 そう、それでいい。「弘通の器」になることが大事。最高に大きな「夢」を持って、それに向かって頑張ってもらいたい。お母さん孝行も忘れずに。ベルリンに行っている間は、月に二回、僕がお母さんに会って元気づけようと思う。心配するな。

 だから、頑張れよ。Keep chanting!!

2007年12月10日月曜日

はやて君、和長さん、

 週末の日曜日、朝から新幹線に乗って長野に向かった。日曜日の東京駅は各地からの観光客でごった返していた。

 お寺を出て約3時間で長野駅のホーム。早い!今日は平成19年度を締めくくる御講席。石田さんのお宅にはたくさんのご信者さんがお参詣くださっていた。そのお参詣者の中に、この数ヶ月、ずっと御祈願させていただいてきたご家族がいた。

 生後11ヶ月の岡田はやて君。はやて君は長野でご奉公してくださっている岡田さんの三番目のお孫さん。以前から息子さんやお嫁さん、2人のお孫さんたちとお会いしていた。幸せそうなご家族、立派な息子さん、素直で綺麗なお嫁さん、そして活発な二人のお孫さん。そして、今年の1月、はやて君が誕生。私は7月にはじめてはやて君に会った。

 今年の秋、深恭師からの報告で、そのはやて君が数日間の高熱にうなされ、非常に危険な状態であると知った。入院、検査。そして、御祈願がはじまった。40度の高熱が続き、両手のひら、両足の裏側まで皮膚がめくれてしまったという。原因不明の病気、ただ血管の病気であると言われた。同時に肝臓にもダメージを受けていて、その数値次第とのこと。

 いつも書いていることだが、私たちは医者でも何でもないし、まして家族でもない。ただ、こうした出来事があった際に、同じご信心をしている者同士で「ご祈願」をさせていただく。祈りの力を信じ、御題目の御力を信じ、必ず、はやて君や看病しているご家族に届き、支えられる、と。

 教区の方々をはじめ、妙深寺の朝のお参詣とお助行でも、すぐさま「はやて君」への御祈願が始まった。これが「菩薩の誓い」をしている妙深寺の連係プレーで、お助行の輪、心のネットワークが困っているご家族をサポートしようと動き出してくれる。

 私も毎朝はやて君の「当病平癒、検査結果良好」の御祈願を続けさせていただいた。本当にご家族の献身的な看病と、もちろん岡田さんのお祖父さんはじめ、みんなのお助行と御祈願によって、お医者さまが言っておられたことよりも早く退院、そして元気に御講席にお参詣してくれた。ありがたい。

 そして、何よりも有難いことは、この「はやて君」の突然の病気を通じて、家族がもっともっと一つになり、二人の兄弟もお母さんをサポートしようと賢くなり、もっと言えば、ご信心にも御法さまにもご両親の心が向いたということだ。そう考えれば、「はやて君」は、ご家族にとっての「菩薩」なのである。見方を変えれば、ご家族のために身を挺して何かを教えてくれたことになる。私たちはそう受け取るのである。

 だから、「病は成仏の仲人」という教えがある。「菩薩の病は大悲より起こる」とも「衆生病む故に菩薩また病む」と教えていただくのである。

 それにしても、苦しかったのは「はやて君」だ。小さな身体で治療や検査によく耐えた。お注射や点滴をする時に、どうしてもお医者さんたちがはやて君を押さえる。赤ちゃんにとっては身体を抑え込まれるなんて、大変な苦痛だ。それ以来、ちょっと対人恐怖症のようになってしまったと奥さんが言っておられた。

 しかし、この日は素晴らしい笑顔でだっこさせてくれた。元気も元気、何でも食べる。原因不明といわれた病気は、おそらく「川崎病」であるとのころ。確かに川崎病の原因は特定されていない。感染性の病とも言われている。しかし、いずれにしても、川崎病であったら、妙深寺の執事長の次女、私の幼なじみでもあるはるのちゃんも川崎病と言われた。はるのちゃんは、川崎病であったことなど微塵も分からない。完治して、現在は元気はつらつの2人の子どものお母さんになっている。全く問題ない。当然だが、はやて君も必ず御利益をいただける。ありがたい。御講席の最後には、「お父さんは女の子が欲しいでしょうね。じゃぁ、4人目に挑戦だー」と笑って話をしていたほど。有難いことだ。本当に、ご信心を教えてくださるための出来事であったようにも思える。

 そして、私はそのまま長野から深恭師の車で40分ほど走り、和長さんのお宅にお助行に行かせていただいた。和長さんは、8月~9月にかけて検査を受け、末期の食道癌と診断された。私は、和長さんの体調の変化を春頃から感じていて、だからその状態を聞いた時には本当に悔しかった。

 駅までお迎えに来てくれた和長さんに、何度も病院に行くことを勧めた。どうしても「咳」が気になっていたのだ。次の時に、御講席後のご供養の際に、むせるようにして立ち上がられた。その時には、本当に病院に精密検査に行ってくれるようにお願いした。和長さんのお仕事は「船乗り」だったのだ。海の男、病院は大嫌いなのだろう。それでも、行ってくれて、そして、病名が分かった。

 本人もよく知っておられるので、ここに書かせていただくが、診断されたステージは「Ⅰ」でも「Ⅱ」でも「Ⅲ」でも「Ⅳ」でもなく、「Ⅳ」の上の「b」であった。ご本人も奥さまの音美さんも愕然としたと思うが、私たちも本当に愕然とした。しかし、その後で、「いや、そんなことでへこたれていても仕方がない」と思い直し、深恭師のお助行もあって、ご家族は全員が前向きに、特に根性の座った和長さんが一番前向きだった。

 9月19日、私は最初の治療を行うために入院していた和長さんをお見舞いした。病院の玄関に音美さんが迎えてくださった。病室のベッドの上に和長さんが座っておられた。病状を説明した紙がベッドの上のテーブルに置かれていて、進行性の癌であることと、ステージについても読ませていただいた。

 「やるしかない」。和長さんは、淡々としておられた。首には放射線治療用のサインがマジックで書かれていた。そう、そこから治療がスタートしたのだ。帰り際、抱き合って、少しだけ泣いた。

 そして、11月。和長さんは元気に御講席にお参詣、そして体験談の発表。てっきり、お助行していた全員がげっそりと痩せて元気のない和長さんを想像していたのだが、元気に、それは見事に、治療の経過報告と、お助行してくださる皆さんへの感謝の言葉、そしてこれからのことを話してくださった。隣で岡田さんが泣いていた。

 その御講席の後でも、和長さんのお宅にお助行に寄せていただいた。また、新しい治療が始まるということだったし、何としてもお宅で御題目をお唱えさせていただきたいと思って。1本のお線香、お看経させていただいて、記念写真をパチリ。何か、一番私が緊張しているようだ。顔がこわばってる。

 12月の御講には和長さんはお参詣出来なかったのだが、日曜日だったのでサプライズお助行。突如現れた僕たちにビックリ。ごめんなさい、和長さん。元気な和長さんは玄関先で灯油を移し替えていたのだが、「ビックリしてこぼしちゃった」と言っておられた。ごめーん、灯油高くなってるのに~(笑)。

 でも、本当に元気そうで有難かった。「髪の毛が薬で抜けてきたー」って言っておられたけど、元気元気。一緒に1本のお看経、元気に出来たもんね。ありがたい。

 そう、この時、お看経を終えて携帯電話を見ると京都からメール。「自分で命を絶ちたいと予告メールが入ったので、大至急連絡下さい」と。なんのことだが分からなかったのだが、和長さんとお話しする間もなく、そのまま電話させていただいた。いま、命を絶とうとしている人の方を優先。もしかすると、一刻一秒を争うかも知れないし。それにしても、癌という恐ろしい病気と闘う人を応援するご奉公もあれば、自分から命を絶ちたいという人を押し止めるご奉公もある。それが同時にあるというのは何とも複雑だ。

 そのお電話が終わると、もう新幹線の時間。全く和長さんとお話しできなかった。この自殺の予告メールの件については淳慧師にご奉公していただいて、完全対応。すぐに、その方の家まで飛んでくれた。ありがたい。すごい、地球防衛軍は。

 そして、玄関先で写真を撮るのを忘れていたので、素敵な和長さんと音美さんご夫婦をパチリと写した。元気そう。帽子、似合うよ、和長さん。

 慌ただしいご奉公で申し訳ない。ブログの更新もままならぬ。

 でも、本当に有難かった。これからもご祈願を続けます。頑張ろうね、和長さん、音美さん。

2007年12月8日土曜日

John Winston Ono Lennon

 今日は彼の祥月命日。そう、1980年12月8日に逝ってしまったJohn Winston Ono Lennonの。

 実は、最近毎年オノ・ヨーコさんが提唱してライブが開催されている。今年は12月8日の命日に開催されることになった。この「Dream Power ジョン・レノンスーパー・ライヴ」は、ジョンが歌った音楽を中心に、ジョンが残したメッセージ、愛と平和のスピリットを受け継ぎ、それを次の世代に伝えていこうとするイベント。コンサートの売上は、アジア、アフリカの子どもたちの学校建設資金になるという。

 そう、このブログでも何度か書いてきたが、私はジョンが大好きだ。といっても、私からするとジョンは何世代も前の人。だから、実は最初彼の音楽に惹かれたというよりも、最初から違う角度から彼に惹かれていったのだった。

 ラジオやテレビで彼の曲を何度か耳にしていて、どこか心に残っていた。先輩に教えてもらって聞いたこともあった。しかし、それはそれで、そのままに終わっていた。幼かった自分にとって、ビートルズもイーグルスも、いやモンキーズも、大した違いがあるように思えなかった。しかも、英語力が全くなかったのだから、歌詞の意味も分からなくて、日本の歌の方が親しめた。そういう音楽センスしか持ち合わせていなかったのだ。

 ところが、ある時「どんな人だったのだろう」と、ふと彼について調べたくなったことがあった。そして、自分なりに色々な本を読み、彼のメッセージや生き様、彼が目指した平和、宗教に向き合う姿勢、宗教(宗教のもたらす弊害)への批判と希望について知るようになって、「何てスゴイ人だったのだろう」と感銘したのだ。

 今日は、その彼の祥月命日。Yaccoさんはジョンの映画のチケットを2枚もプレゼントしてくれた。ありがやい。Yaccoさんもジョンを心から敬愛している。明日はヨーコさんが舞台挨拶するステージにも行くそうである。

 その映画は、「PEACE BED ~アメリカ vs ジョン・レノン~ 」というもので、彼の端的なメッセージ「もし変えようと思うなら。本当に変えようと思うなら。世界は変えられる。」とチケットに寄せられている。もう、今なお語り継がれる彼の表現者としての強いメッセージは、羨ましい気持ちすらする。是非、横浜か京都で時間をつくって観に行きたい。

 2005年、私はロスからアメリカを横断してニューヨークにたどり着いた。そして、真っ先にセントラルパークの西側にあるダゴダハウスを訪れた。1980年12月8日に、ジョンが凶弾に倒れた場所である。私たちは、このアメリカ横断の途中で、キング牧師の暗殺されたロレイン・モーテルを訪れ、JFKの暗殺されたダラスを訪れ、ワシントンではJFKの墓地にも寄った。暗殺という恐ろしい凶行が、何ものにも代え難い命を奪い、人類がより良く変革を遂げてゆく可能性まで奪ってしまうことを思い知った。

 ガンジーは、悪しき者は必ず負けると語った。真実は負けたことがないと言うのだ。彼の身近にいる者が反論した。「何を言うんです。歴史を振り返れば、邪な人間や勢力が勝っているではないですか」と。すると、ガンジーは答えたという。「そのようにお前たちが言っていることを聞いても、悪が負けているという証明だ。悪は、必ず悪であることを世に知られ、真実は必ず真実であること知られる」

 時間軸をもっと永くすれば、真実は勝ち、悪は負けるということだろうか。そう、ガンジーの言葉というよりも、ブッダが示した世の見方、生き方である。

 愚かな人間の恐ろしい凶行によって、人類の可能性を引き出せるような、尊い「存在」が失われても、それで尊い存在が悪しき存在や力に負けたということではない。それで全てが終わりということでは決してないものだ。

 結局、真実の道を歩もうと、他の者を思いやり、平和を希求し、恐れもせずに努力して生きてゆくという「生き様」があれば、その「生き様」は永遠に「生き続ける」ということだろう。本当の命は死なない、いや実はさらに輝きを増すのだ。

 開導聖人は、「辛抱せよ まことはつひに あらはれん しれずにしまふ 悪はなき世に」と御教歌にお示しくださっている。真実は真実。必ず顕れる、との姿勢が大切。ブレていては仕方がない。

 ジョンのことを語っていると朝が来る。明日は朝から新線に乗って移動しなければならない。ジョンの祥月命日に、一言だけのつもりが、少し書きすぎた。


2007年12月7日金曜日

心の中の大掃除

 昨夜、京都から横浜へ移動。

 今日から12月の教区御講がスタートした。平成19年の締めくくり。ここから全教区の席主のお宅にお伺いし、御講を奉修する。お看経と御法門。今日は天気も良かったが、お参詣者の顔が明るい。有難いことだ。

 実は、妙深寺は寺内だけの変更を行った。通常、宗門の弘通年度は11月で締められ、12月に新弘通年度がスタートする。しかし、これもレベルの高いご信者や役中陣が揃っていれば頭の切り替えも出来るのだろうが、今の妙深寺でそれを理解できる人は少ない。12月が「新弘通年度」、1月が「新年」、4月が「新年度」と。指導がままならず、非常に複雑に受け取られてしまった。そう考えに考えて、12月で締め、1月の元旦をスタートとした。

 だから、正真正銘の締めくくりが12月。大いに1年を振り返り、ご信心・ご奉公の面、家庭や社会生活の面に於いても振り返ってお懺悔をさせていただく。「心の中の大掃除」をして、越年迎春を期していただきたい。

 写真は12月2日の朝の横浜。本当に朝焼けが綺麗だ。

2007年12月3日月曜日

堀田さんのご信心

 妙深寺の堀田さんは、長年東京都庁に勤務され、重要な職務を歴任されてこられた。この度、その功績が認められるところとなり、《瑞宝小授章》を受賞された。奥さまは戸塚教区四部で部長のご奉公をされており、長女の薫さんは青年会の会長のご奉公をしてくださったこともある。堀田さんご自身も評議員として妙深寺の中核を支えてくださっている。
 その堀田さんが、皇居から妙深寺へお参詣くださり、御宝前に御礼の言上をされた。ちょうど私も本堂に行かせていただいて、堀田さんにお会いすることが出来た。本堂の御宝前に向かって正座をされ、深々とご挨拶される堀田さんと奥さま。その姿勢、ご信心を、ぜひ学ばせていただきたいと思った。
 今月の妙深寺報には詳しくご本人が感得されていることが掲載されている。このような受賞を通して、それを御宝前のご加護、お導きと受け取っておられるところに随喜させていただく。生い立ちからお母さまのご信心、そして奥さま、ご家族への感謝。
 加えて、その心境を御教歌をいただきながら説明してくださっていた。
 第一には、
「うたがひて見んと思へど疑へぬ 信じて利益かうむりし身は」
との御教歌であり、現在の堀田さんの心境であるという。御利益を実感した、体感された方だけが分かるご信心の心境。いつでも、どこでも御法さまに見守られているということ。
第二には、勲章の伝達を受ける前にお参詣された折、正教師が御法門された御教歌。
「世の中の苦楽は夢のしばしなり 御法にあいし大事忘るな」
 この御教歌をいただき、ご本人は『堀田さん、勲章をもらったといって浮かれちゃだめですよ、夢のようなものかもしれませんよ、もっと大事なことがたくさんありますから、しっかりご信心に励んでください』と言われたような気がしたという。これもまた感服。ありがたいではないか。
 私たちは、社会人として生きている。その責任を、それぞれの職場の中で果たさなければならない。それは大切なことだ。しかし、その上で、さらに人生の先輩である堀田さんのように、もう一つ上の心境、ご信心に向かう姿勢ができれば有難いと思う。

2007年12月2日日曜日

トルンに感激! 小栗久美子さんの演奏会

 12月2日14時から壮年会の住職御講が奉修された。
 壮年会というのは、妙深寺の男子信徒の方々で構成される会のこと。今年から新しい会長に野崎さんが就任していただいて、また新たに屈強な方々が役員になってくださり、ご奉公が進められている。その新会長の下、最初の住職御講が今回。忙しい野崎会長をサポートして、みんなでご奉公を分担されていて、内容はとても充実していた。
 その住職御講の第一部は、お看経と住職からの御法門。それはともかく、、、、精一杯させていただいた(汗)。ちなみに、壮年会さんは固い、いや真面目と言うべきか。昨日の月始総講のお参詣者は、良い意味で非常に柔らかくて、反応が大きかったが、壮年会さんは「ここだ」と思う部分でも、「シーン」って。とっても緊張した(汗)。だって、子どもの頃からお世話になってきたおじさんやお兄さんばっかりだから。野崎さんだって、私がボーイスカウトに入った頃は横浜35団のボス猿のような存在だったのだから、やりにくい(笑)。
 それはともかく。いや~、今回は素敵な企画があった。奥山さんからのご紹介をいただき、そのご尽力が実って、トルン演奏家の小栗久美子さんをお迎えしてミニ・コンサートを行っていただいた。もう、それはそれは素敵な演奏、音色で、本当に大感激。
 トルンというのは、ベトナムの楽器。歴史を紐解くと数千年前にまで遡るという。最初は農作業をする人たちが作物を鳥などから守るために自然に発生したらしい。竹を切って筒状にし、音によって鳥たちを追い払っていたのだろうか。それが、少数民族に受け継がれてきて、今世紀に入ってベトナムの都会に出てきた。そこで音楽家たちの目にとまって発展を遂げてきたのだという。
 演奏家の小栗久美子先生は、東京外国語大学のベトナム語学科、その後は大学院まで卒業された。元々はマリンバをされていて、その師範として教室もされている。2000年にこのトルンと出会い、ベトナムに1年間留学までして研鑽を重ね、今では日本第一人者となったとのこと。今回、男性信徒に女性まで加わって、興味津々の観客を前に演奏してくださった。
 その音色は本当に不思議なもので、なにか「懐かしさ」を感じる。「トルン、トルン、ポロン、ポロン、、、、」と、スーッと心に音が入ってくる。
 眼を閉じながら、ゆっくり、ほっこり、まったりとなれる。それでいて、眼を閉じて聞いていると、何とも不思議なことに、目の前に草原を渡る風が感じられたり、木々や枝が風に揺れている風景が見えてきた。え~、なんで!と思った。すると、小栗さんからの説明で、鳥のさえずりや水の音を感じられるはずです、と。確かに、鳥のさえずりや水の流れる音まで聞こえた。すごい、おそるべし、トルン。
 それにしても、この小栗久美子先生は、すごい美人でございまして、、、、、。最後に締めくくりの挨拶をしなさいと言われて立ち上がり、演奏についての感想を真面目に述べていたのだが、途中から暴走。「いや~、それにしても先生が素敵すぎて、参りました(笑)。演奏もいいけど、思わず先生の素敵さを見てしまいましたよねー(笑)。なんか、仲間由紀恵さんをもっと綺麗にしたようなんですもん(笑)」って、それが私の締めのご挨拶。御法門よりも盛り上がりました。拍手喝采。きっと、壮年会の方々も同じことを思ってくださっていたのだと思います。
 しかし、それにしても、このケルンは一度聞いてみてください。どうしたら聞けるのかな?先生のホームページがあるので、ぜひ訪ねてみてください。「Bamboo Note ♪」っていうタイトルのホームページです。って、ゲゲ、先生のブログを拝見していたら、すでに妙深寺の記事が!しかも、僕の写真まで!やばい、すいません。何だか分からないけれど、謝っとこ。
 とにかく、トルンの演奏は一度聴いてみていただきたい。本当に素晴らしいから。つい先週も、ベトナムのグエン・ミン・チェット国家主席の来日レセプションで演奏されたと書いてあった。秋篠宮さまや小泉元首相の前で演奏されたというのだから、すごい。そんな方が妙深寺に来て演奏していただけたなんて、大変に光栄。ありがたい。私は、一気に小栗先生の大ファンになりました。
 やはり、音楽はいいなぁ。音、旋律、バイブレーション、ユニゾン、シンフォニー、、、、。その全てが大切なブッダの教え。だから、音楽が大好き。今日は、本当に良い経験をさせていただいた。トルン、心が包み込まれるような音、太古からきっと聞いていた音。ありがたい。

『本当の宝物』 高祖会の御法門

『信心の 起こるばかりの 御利益は 世にたとへなき たから也けり』
(妙深寺住職 高祖会第一座御法門)
 私たちにとって、最たる現証の御利益は、迷い多き我が身、我が心に、「ご信心をいただけた」ということ。その尊さ、ありがたさ、喜びを感じなさい。そして、だからこそこの御題目ご信心という万病に効く「お薬」を、今苦しみ悩む人に伝えなさい、手渡しなさいとお教えいただく御教歌です。
 ご信心をさせていただく。御宝前に向かい御題目をお唱えして必死にお願いをすると、必ず、現証の御利益をいただきます。ダメなものがダメではなくなる、真っ暗な中に光が見えてくる。「もう、ここはお看経しかない、おすがりするしかない」と思って、御題目をお唱えしたその瞬間から、必ず「サイン」…身の回りで不思議なことが起こってくる。何も起こらないことは断固としてない。それが妙不可思議の、私たちのご信心。御仏が、大慈大悲の全て、御力の全てを込めてくださった、尊い言葉「ナムミョウホウレンゲキョウ」こそ、万法具足のお薬ですから、服用すれば必ず変化、効果が出てきます。
 このお薬を私たちに届けるために、お祖師さまはご苦労くださいました。大難四ヶ度小難数を知らずのご奉公は、ただ一点、このお薬を世界中の人々の口の中に入れさせてもらって、その人が抱えている背負っているあらゆる苦しみや悩み、痛みを取り除こう、というご覚悟のご奉公です。
「信心のおこるばかりの御利益は 世にたとへなきたから也けり」
 御利益をいただいた人の、その瞬間の顔を思い浮かべていただきたい。それは本当に素晴らしいものです。悩みを抱え、誰にも相談できず、一人で苦しんできた。しかし、御宝前に座ってお看経し、泣きながら、おすがりしながら、ご祈願させていただく。そして、御題目というお薬の御力で、ダメなものがダメではなくなった。その、どうしようもなかったことが解決される瞬間に立ち会う。それは何ものにも代え難いありがたい体験です。
 「現証の御利益」の「現証」とは「御題目の尊さを現前に証明していただく」ということです。「やっぱり、お祖師さまの仰っていたことは本当だった」とそれは、自分で体験しなければ分かりません。「現証」とは「実体験・事実」のことです。御題目をお唱えして、確かに目の前に現れる。家庭内の問題、仕事上の切羽詰まった問題、心と身体の病気、ガンとか、深刻な怪我、世間でいう心霊現象や超常現象といわれる分野でも、本当にたくさんの現証の御利益を見せていただきました。
 しかし私は、この「現証の御利益」をいただいた人の、その瞬間の顔を見させていただく度に、その奥にある「本当の現証の御利益」を感じます。御利益をいただいた人の、その後の生き方、その人の心に生まれたものが何なのか。病気がよくなる、ダメだと思っていたことがダメじゃなくなるという出来事そのものも大変な御利益ですけれども、その出来事を通じて芽生えた「喜び」「笑顔」「感動」そして「ご信心」。「信の一字」さえ生まれれば、厳しい世の中にあっても、その人がブレずに、悩まず、迷わずに、本当の人生を歩める。「何てありがたいことだろう、また御法さまが御力を顕されたのだ」と感動するのです。
 もともと、私はアホな息子だったわけで、先住のお怪我がなければ間違いなく今ここにおりません。本堂の玄関先で先住が六メートル近くの崖から転落して、頭蓋骨骨折、頭蓋邸骨折、脳挫傷、脳内浮腫と、とんでもない状況になりまして、お医者さんも何もできませんと。そこで御題目をお唱えするしかなくなって、「現証」を見せていただいて、あの危機的な状況から一〇〇%の回復をされた。四十九日間、意識不明で間違いなく後遺症が残ると言われていたのに、回復して、歩く、走る、喋る、車も運転する、ご奉公も完全復帰された。あのとき「御題目のお力はこんなに凄いんだ」ということを分からせていただいた。「信心」を芽生えさせていただいた。どうしようもなかった人間が、今、こうして苦しんでいる人のためになんとか力にならせていただきたいと思える人生を選べたということ、それが何物にも代え難い「現証の御利益」でした。
 「佛立の現証」とは、単なる「奇跡」ではありません。お金を借りるんだって、サラ金、ヤミ金、銀行までいろいろあります。へたなところから借りたら後で大変な目に遭う。変な占いや超能力者に命を助けられたり、お金がもうかった、仕事が上手くいったと喜んでも、そこが「不幸のはじまり」になるでしょう。そうであるなら、それは「薬」などではなく「猛毒」「麻薬」です。
 佛立の「現証」というのは、最大の不幸を最高の幸せに転じます。そこをきっかけにして「幸せの始まり」。信心で御利益をいただいて、さらに信心が生まれるということです。
 妙深寺の兼子清顕師。大学の在学中に、ご信者さんの家庭から得度を決意してくれました。今ではスリランカにも一人でご奉公に行くほど一生懸命にご弘通に気張ってくれています。その清顕師が得度する前、隆二君だった頃にいただいた「現証の御利益」は、今でも鮮明に記憶に残っています。
 深夜〇時を過ぎた頃、受持の信仰師から連絡があり、兼子家の九十歳になるおじいちゃんが夕方から行方不明だというのです。探し回ったが近所にもいない、警察にも連絡した、神奈川県下の病院に運ばれていないかも確認した。もう六時間近くたち、寒くなってどこかで倒れていたら命が危ない。どうしたらいいかわからない。
 そこですぐに行って泣きながらみんなでお看経しました。何とぞ、お助けいただきたい。おじいさまは大変にご奉公された方です。もし万が一のことがあっても、これではおじいさまのご生涯と一致しない、お願いします、と。
 それで一座のお看経が終わり、外に出ますと、外を探していたお父さんが帰ってこられた。その時、隆二君が、フラフラ~っと歩き始めた。それで、私たちが話をしていると、遠くから「いた!」という声が聞こえまして、「え~!」と言って声のする方に走っていきますと、道から離れた田んぼの際に、おじいちゃんが倒れていた。こんなところに! と、もう感激で胸がいっぱいになった。
 何度も探した場所だったのに、しかもお看経の終わったあのタイミングで、隆二君に何でそっちに歩いて行ったんだと聞いても分からない、おじいちゃんに後で聞くと、なぜかあの時だけ隆二君の呼びかけに応えることができた、と。
 その時、隆二の頭を思いっきり叩きまして、「これが現証の御利益だ」と。あれ以来、隆二君は、おじいちゃんが教えてくれた「現証の御利益」で、ご信心をつかみ、得度して、いま一生懸命ご奉公してくれている。
 本当に私たちの頂く現証の御利益というのは、妙不可思議です。これは御題目のお力しかないということがたくさんあります。
 この前スリランカから来たご信者さんも言われていました。私たちの病気は、病院では本当には治りません。もちろん、一般的に考えると「病気」は抗生物質や手術や何かでおさまるかもしれません。しかし、あなたが今辛く、苦しんでいるのは、あなたの業や罪障、生活の積み重ねから出てきた一つの「サイン」(現れ)でしかない。だから、私たちが抱える苦しみの根本的な原因は、「ご信心を素直正直にさせていただく」ことでしか治らない。上行所伝の御題目のご信心をさせていただいたら治る。ブレない。回復に向かうということです。だから、根本的な「現証の御利益」は、病気治しじゃない。その問題解決の奥にある、そこからみんなの心に生まれる「信心」であると教えていただくんです。
 つくづく、このご信心をいただけて有難いと思いませんか。仏教は「癒し」じゃないんです。仏教は「安心」なんです。キリスト教的には、疲れて傷ついた者が、神の前で「癒やされる」と言います。仏教は「安心」です。心にご信心が起こる、ご信心をいただくということができれば、それは「安心」をいただいたということです。もう迷わない。挫けない。一喜一憂しない、ブレることがない。良いことがあっても、悪いことがあっても、若くとも老いていようとも、「安心」をいただいて、ブレずに生きていける。人生でこんなにありがたいことがありますか?
 人生には、様々な出来事があります。良いことも悪いことも起こる。ご信心をいただいても、人間としての業である「生・老・病・死」は訪れますし、愛する人との別れもあります。憎しみや妬みに出会うこともある。ましてや、我が身の罪障を思えば、都合の良いことばかりが起こるはずはありません。しかし、ご信心さえいただいていれば、そんな不安定で厳しい人生であっても、確かに生きていけるんです。もう迷わない、慌てない、嘆かない、ブレない。これが本物の佛立信心なんです。
 開導聖人の御指南をいただきますと、
「信心の起こるばかりの御利益は 世にたとへなきたから也けり また、信心の起こらぬばかりの不幸せはなき也。所願成就、みな此の信の一字より涌出するもの也。故に智慧をえらまず、信の起こるは如来、仏の金言を疑わず、信ぜらるる也。されば、疑いは諸々の罪障の根元也。柔和質直なる人ばかり尊く、めでたく、うるわしきはなき也云々」
かようにお示しでございます。
 もう、信心を起こすということが何ものにも代え難い。信心が起きないことほどの不幸はない。信心が所願成就の根本。疑いは罪障の根源。だから、素直正直にご信心する人ほど尊く、喜ばしく、美しい人はいない。「うるわしい」とは「精神的に豊かで気高く、人に感銘を与えるさま。心あたたまり、うつくしい」という意味です。本当にご信心されている人は素敵じゃないですか。
 さて、いかがでしょうか。本門佛立宗の現証の尊さ、すごさ、その奥にある根っこの「現証の御利益」、私たちの心に信心が起こる、信心が生まれる、ここに気付かせていただけるでしょうか。誰でも、人は弱いものです。孤独です。愚かです。だからこそ、ご信心がなかったら根っこの病気は治らない。 
 最近のお教化では、みんな「とにかくお寺にお連れしよう」って言ってくれているんです。そして、いろんなことで悩んでいる人のお話を親身になって聞いて、ご信心のお話をお伝えする。だけど、その方の抱えている問題が、家庭内のことであれ、人間関係であれ、病気であれ、話で解決することは何もないんです。お寺に来て考え方をちょっと変えて、その程度で解決したと思っても、それは自己満足でしかない。本当の仏教、本門佛立宗の教えは実践なんです。
 だから、最終的にはいつも「本堂へ行って御題目を唱えましょう」と言って、本堂に上がって、「ナムミョウホウレンゲキョウと唱えるんです。これを六ビートで唱えるんです。できれば膝を叩いて、隣の人とタイミングを合わせせ声を重ねてください」って言ってお看経をさせていただくと、ほとんどの方がこの御題目口唱で何かを感じてくださる。そして、「これから一週間お参りしてごらんなさい」とお話ししたり、忙しい方でも、三ヶ月間、週に一度お参詣するように勧める。そうしてみんなお計らいを頂いています。 
 ご信心をいただくということは、断固たる安心の境地の中で、今度は人のため、御仏のために生きていこうと命を輝かせることなんです。次々にサインが現れるということなんです。
 どうか、現証の御利益は、信心から生まれ、信心は現証の御利益によって育つということを忘れずに、そのためにもまず自分が実践して御題目を唱え、苦しみ悩む人のためにも、一心にお唱えさせていただくことが大切。例えようのない宝物がいただけるように、ご奉公させていただくことがありがたいと、感得させていただく御教歌でございます。

百本祈願のススメ

 悪い出来事、不慮の災難や事故、自分や家族に降りかかる突然の病。そうした最悪の事態も仏教的には本人や家族が背負っている大きな『流れ』から出た一つの『サイン』に過ぎないと見て取る。対処療法に終始しているだけでは、根本的な問題は解決しないと考える。

 この『流れ』は『カルマ』『業』と呼ばれるものである。それは、『動き』の積み重ねから生まれる。『動き』は降り続ける雨の一滴のようなものだ。人間は一日だけで八億四千万回以上もの『動き』を為すと考えられるが、それが降り続いて、上流で小さな川となり、河口では大河となって流れ出る。

 過去世からこの一生に至るまで、連綿と積み重ねてきた『動き』が自分の『カルマ』『流れ』となる。いま悪いことが続くのもサインの一つ。病気もサインの一つ。その奥に根本的な何かがあると考える。そこが最も大切な部分なのである。

 好ましくないサインが出たら、『流れ』を変える努力をすべきだ。簡単な工事で川の流れは変えられない。より上流に立ち返ったり、もっと大規模に、もっと本格的に取り組んだりしなければ『流れ』は変わらない。

 大きな動き、尊い動きによって、『流れ』はより良く変わる。その『動き』が『御題目を唱える』ということであり、それは私たちの『動き』に『御題目を添える』ということであろう。無為に過ごす一瞬一瞬の動きを、最も尊い動き、『カルマ』の因である『御題目』にしてしまうことによって、悪い流れは大きく変わってゆく。

 十一月の冒頭、妙深寺の本堂で百本祈願が始まった。「百本祈願」とは、一本四〇分~一時間も点るお線香を百本あげさせていただき、その間、御題目をお唱えし続けること。その百本祈願は、小泉氏が始めたのだった。

 小泉氏は、ご信心をするようになって今年で七年目。といっても、本当にご信心の有難さを実感したのは二年ほど前。以来、開門参詣を通じて御利益を実感し、多くの方々にご信心の素晴らしさを伝え、お教化は二十戸以上にもなった。

 その彼が十一月初頭、仕事上のトラブルにぶつかった。ここでは内容を記せないが、会社の経営が頓挫するような事態だった。当然、出来得る手を全て打ち尽くして、その上で彼は私に言った。
「今回、これまで引きずっていた自分の悪い面を教えていただいた。だから、これで会社が倒産しても仕方ないと思っています。ただ、自分の失敗で御法さまやご信心に傷が付いたら申し訳が立たない。それだけが苦しい。仕事の上では出来ることを全てしたので、後は御法さまにお任せする。ついては、今まで聞いていた『百本祈願』をさせていただきたい」

 深夜の電話。翌日の朝六時過ぎ、小泉氏は妙深寺にお参詣していた。私は、百本と御礼の一本のお線香、合計百一本のお線香を彼に渡した。彼はその朝から百本祈願を始めた。究極の『百本祈願』は三日四晩でするという。私も百本祈願は一度しかしたことがない。

 今回の百本祈願は、十四日間を期限として始められた。その日は朝参詣に引き続いて高祖会の会議があった。小泉の様子を見ようと会議の途中で本堂に行ってみると、彼が私の顔を見つけて小躍りして来てくれた。何とアメリカ側からメールが入り、問題が解決したという。わずか四本目にして現証の御利益をいただいたというのだ。

 私の方が驚いていたのだが、
「こんなに早く現証をいただいて申し訳ない。御法さまとのお約束ですから、百本祈願を続けさせていただきます」
と申し出て、そのまま終日お看経を続けた。以来、出勤前にお寺で三本、会社からお寺にお参詣して七本、仕事が立て込んでいる日は三本しかできないこともあったが、最大で一日二十二本ものお看経をあげさせていただいてカバーをし、十二日間で百本祈願を成就した。これには本当に頭の下がる思いがした。並大抵の覚悟ではない。

 小泉氏の百本祈願中、私も少しお助行させていただいた。深夜の三時過ぎ、本堂内は壮絶だった。眠気と戦い、身体を叩きながらのお看経。ここまで御題目をお唱えした者にしか分からない妙味を、じっくりと味わっていた。この間、彼は三戸のお教化を成就していた。

 開導聖人の御教歌に、

『だいもくは千遍よりは万遍と 唱へかさねて妙をしる也』

とある。御題目は唱え重ねてこそその妙不可思議な味わいを知る。ご信者といえども名前ばかりで、御宝前にはご挨拶しかしていない、御題目をお唱えしても数分だけ、ということでは「妙を知らない」ということになる。勿体ない。

 御指南に、

『口唱の秘訣。百遍は百遍の信心、千遍は千遍の信心也。口唱怠れば罪滅の道ふさがりなん。高祖曰く、声も惜しまず南無妙法蓮華経』

とあることを思えば、ご信心とは結局どれだけ御題目を唱え重ねているかということであると分かる。

 信心を『急』にすれば、大きな願いも『急』に成就する。下記の御指南を吟味していただきたい。

『此の御経に云く、法師品、須臾聞之(しゅゆもんし)即得究竟(そくとくくきょう)とあれば、須臾(しばらく)もこれを聞けば、即ち菩提を成ずる、此れ御経の力なれば、一遍、二遍、乃至五遍、十遍と唱ふるに従ひ、もし病者を祈らば、祈りはじむるより其の病者の罪障消滅して、一遍二遍と漸々(ぜんぜん)に唱ふるに従い、苦悩をやすめて安楽に趣(おもむ)く道理顕然也。
もし唱ふるに、よくもならず、悪しくもならぬならば、御経むなしきに似たり。さることわり(理)あることなし。玉をみがくにいまだ光見えずとも漸々(ぜんぜん)とすれば終に光を発するに至る。井を掘るに、はじめ水なけれども、泥土(でいど)にいたりて水の近きを知るがごとし。水迄の土の厚さには、高原あれば平地あり。罪障の厚薄なり。
されば、祈りてしるしなきは、受くる者の疑心の隔(へだ)つるなり。沓(くつ)をへだてて、かゆきを掻くが如し。病者かくの如し。我が身の罪障を祈らんにも一遍の題目もむなしからぬは、須臾聞之(しゅゆもんし)即得究竟(そくとくくきょう)の御文にて知られたり。
かくのごとく思い定めて、行住坐臥に自他をえらまず口唱すべし。大いなる願はおそくなるべし。されど、信行もし急なれば急に成就すべし。
ただし、弘通を忘れたる願ひは経の御意(みこころ)にあらず。されば、弘通の志(こころざし)だにあらば、口唱するに利益を受けむこと決定(けつじょう)なり。顕に利益を見んと思はん人も、罪障の滅するいとまを待つべし。中途にして怠ることなかれ』

(以下、ブログにのみ口語訳を掲載する。『法師功徳品には、須臾もこれを聞かば、即ち究竟を得ると説かれている。これはほんの少しの間でも法華経を聞くならば、その功徳は成仏に当たるほどのものだと経力の偉大なることを言われた御文である。して見れば、聞くだけでなく信じて唱える功徳はどれほどのものだろう。一遍、二遍、、、、五遍十遍と唱え重ねるところに、病者を祈れば、唱える数に従って漸々に苦しみや辛さを鎮め、安楽に赴く道理である。
唱え重ねて少しの変化もないということは断じてない。たとえば、玉を磨くに、はじめは光沢は見えずとも、度重ねるに従って終に燦然と輝くに到る。井戸を掘るのでも、始めは水は出なくても、泥土を見るに到って、水は近いと知るようなものである。高原と低地では大地の厚みが違うが、地下水は必ず流れているのである。罪障の厚薄はあっても、いつか必ず御利益に達するのである。
この故に、いくら祈っても験(しるし)のない時は、靴の上から掻くように受ける者の疑心が障壁を為していると断ずる他はない。これは病気の方の例を挙げたまでである。
すべて我が身の罪障消滅を祈って諸願を成ずる場合、一遍の御題目口唱の功徳も、虚しくないということは、先ほどの須臾聞之の経文で明らかであろう。
このように思い定めて、如何なる時でも口唱するのが良いのである。大きな御祈願であれば遅くなるけれども、信行がもし急ならば、この常識を破って大きな願も速やかに成就するだろう。
ただし、ご弘通の思いを忘れた人の願いというのは御経の御意に適わない。だから、ご弘通の思いがある人の、ご弘通のための願いであれば、口唱するに願いが叶い、御利益を受けることは決まり切ったこととなる。
しかし、いずれにしても、めざましい御利益を見ようとする者は、見えざる罪障消滅の暇(時間)を待つが良い。途中で止めてはならぬ、中絶して怠ってはならない』)

 いま、妙深寺は百本祈願ブーム。

『妙深寺報』 12月号

 12月号の妙深寺報が完成。実は昨日の月始総講には間に合わなかった。月始総講の後には「役中協議会」といって妙深寺でご奉公くださっている方々が各教区毎に打合せをする。協議会の前後にご信者の皆さまにお配りするものなどを分けたりするから、1日に寺報が間に合わないというのは大変なことなのだが、今月はギブアップ。すいません。

 しかし、今月の寺報の出来には満足。表紙には毎年の越年迎春の模様を捉えた写真を使い、裏表紙は七五三で見られた子どもたちの顔、顔、顔。笑顔が溢れている。内容も高祖会の特集記事で、冒頭に小林御導師の御法門を掲載させていただいた。また、光薫寺の方々からいただいた信行体験談も掲載し、その高祖会の感動を教区御講で語ってくださった方々の声も掲載させていただいた。

 毎月、産みの苦しみはあるが、50年後の人たちにまで届ける、届けたいと思って寺報の編集作業に当たっている。というのは、はるか60年近く前に、この横浜妙深寺から日博上人が発刊していた『一実』誌は、今でも私たちの重要なテキストになっているからだ。発刊から50年以上経っても、若い私たちが読み返し、ご弘通の息吹を感じられる誌面。すごいなぁ、と思う。だから、難しい読み物よりも、生きた、生の、ドキュメントの、息吹、息づかいが伝わるように、何とか編集したいと思っている。そう、50年後に、妙深寺や本門佛立宗を背負う若者たちが見てくれているかもしれないのだから。

 顔写真もたくさん掲載しているので、この七五三の写真に載っている人も楽しんでみてくれないだろうか。50年後は7歳の子も57歳かぁ。「あら、あたしが写ってる」と楽しんでみてくれないだろうか。そうしたら、自分の写真を見ながら掲載されている御法門や巻頭言、体験談も読んでくれるかもしれない。とにかく、今の時代に生きている人だけではなく、50年後の方々のご信心が、少しでも前に進むのであれば嬉しい。そういう意識は、「モノづくり」をする人にとって大切だと思う。

 12月は師匠も走る「師走」。今日は14時から年に一度の壮年会の御講が奉修された。いま、久しぶりに教務室のPCの前にゆっくり座ることができた。

 これから、寺報に掲載された文章などを整理して、更新できなかった分をブログに載せようと思う。

2007年12月1日土曜日

ついに12月に突入

 ついに12月に突入。怒濤の11月末は、徹夜徹夜での寺報編集や住職会、来年度の青少年の一座のご奉公等々、つまりに詰まってブログの更新ままならず。はぁ~、これではいけない。

 12月1日の今日は、月始総講あり、協議会あり、教務会あり、局長室会ありで、まったく怒濤の一日。19時からの局長室会議が少し遅れている。

 それにしても教務会はスゴイ盛り上がり。さすが、仏教界のレアル・マドリッドを目指しているだけある(笑)。若い教務さんは特に気合いが入ってる。「地球防衛軍の会議」とか言って(笑)盛り上がって。
 来年度の弘通方針、ご弘通の方策、誓願、率先して改良に挑まなければならない事項など、アグレッシブに議論が続く。本当に楽しみだ。

2007年11月26日月曜日

歴史に残る七五三

 今年の七五三は、大盛況だった。少子高齢化?どこ吹く風。大勢の子どもたち、ご家族と一緒に、御礼の言上とお祝いのお看経をさせていただいた。
 総勢25組の子どもたちとご家族だったという。これは七五三祝参詣としては最高の参詣数だったと聞いた。スゴイ、ありがたーい。実は、今回の七五三は私の長男も5才で御礼の言上をさせていただいた。さらに、ありがたーい。
 記念日というのは、思い新たに感謝する時だと思う。それが誕生日であれ、年末年始であれ、七五三であれ、それを「節目」することが大切だ。人間の場合、自然と「節」を作って高く伸びていく竹とは違う。精神的に「節目」を付けていかなければならない。もし「節」がなかったら、竹であってもあそこまでは伸びることが出来ないし、風や雪で簡単に倒れてしまうだろう。節があるからこそ、強く、高く伸びられる。
 人間は、その「節」を精神的に作らなければならない。その一つが七五三。普段の忙しい生活の中では感じられないというか忘れてしまっていることを、今日は思い出すのだ。「健康でいてくれてありがとう」「今日まで元気でいてくれてありがとう」「これからも元気でいてください」「これからも、この子をお守りください」と。その節目の数だけ、親も子も強くなれる。
 そういうお話をお祝いの言葉に代えてご家族にお話しした。子どもたちが我慢できないので(それでも今年は優秀で、よく我慢して座っていたが)、手短にお話をした。しかし、本当はもっともっとお伝えしたいことがあったのだ。
 実は、子どもたちの健康や成長を祈り、祝ってさせていただく七五三だが、実際に私たちを取り巻く環境は悪化の一途を辿っている。特に、子どもたちの健康や未来に対する不安、実際の危機は背筋が寒くなるほどだ。
 この十年来、日本では学校での障害児の増加が著しい。妙深寺のある神奈川県の場合、養護学校の在籍児童数は毎年2校分に匹敵する200~300人のペースで増え続けている。小中学校の特殊学級はさらにハイペースで、その学級の在籍児数は十年前に比べて二倍近く増加している。その多くが自閉症、学習障害、多動性、衝動性などの発達障害の特徴を盛る子どもたちだと報告されている。
 こうした子どもたちについての「障害」という考え方は、医学が進歩し、「説明」が細かく出来るようになったために出てきているだけだという見方があったが、現在の状況はそれでは説明が付かなくなった。そのために、環境省が重い腰を上げて来年度から十万人規模の疫学調査を行うことになった。どれだけ成果が上がるか疑問視する声もあるが、それでも近年の子どもの発育の「異変」と「発達障害」、いわゆる「障害児」の急増について社会的要因を探る手始めになる。これは個々では解決や説明がつかない異変の実態に国が重い腰を上げるということだ。
 ヒトの脳は血液脳関門に守られ、大人は血中に有害物質が入ってもすぐ脳には入らない。しかし、胎児や乳児は、この「血液脳関門」が非常に薄く、ごく微量の環境ホルモン(内分泌かく乱物質)や重金属が脳内に進入してしまう。だから、妊娠中や授乳中のアルコールやタバコの摂取を止めるように強く勧める。脳関門の薄い胎児や乳児が直接こうしたものに含まれる微量の有害物質の影響を受けてしまうからである。しかし、これは両親の問題ではなく、明らかに世界的な、社会的な問題であると考える。今までのように家族に問題を押しつけるのは酷だ。その姿勢を「国の重い腰」と言っている。責任の所在を追求せず、家族に押しつけてきたのも問題だと私は考える。
 ラットなどの動物実験では、有害物質の投与で「多動」などの発達障害の特徴をなす行動が見られたと報告がある。微量の環境ホルモン(内分泌かく乱物質)や重金属が体内に入り、自閉症やADHD(注意欠陥多動性障害)などが引き起こされる可能性は否定できない、との指摘も出た。つまり、国を上げて、これらの問題を引き起こす「有害物質」の特定をし、その物質を排除するための速やかな対策を講じなければならないということである。
 子どもたちを取り囲む環境は、一層厳しいものになっていると思う。温暖化から公害の問題に至るまで、それらが「進化」しているために顕在化するまでに時間がかかり、因果関係が掴みにくくなっている。分子レベルで子どもたちに迫る危機。しかし、その有害物質を作り出し、消費しているのも私たちなのだから、何とも形容しがたい矛盾に行き着く。
 こうしたことを考えつつ七五三のご奉公をさせていただくと、人類の未来や子どもたちに対する責任と親としての責任を再認識させられる。経済至上主義ではなく、仏教の教えに基づいた「新しいパラダイム」を社会の基軸にできないだろうかと考えたりする。そして、一番手前のところで、「どうか、いろいろな恐ろしい問題から、子どもたちをお守りください」という御法さまへの御祈願に行き着く。
 そう、どうか、子どもたちをお守りください。そして、同時に一人一人が能動的に行動しなければならない時が迫ってきているとも思う。