29日早朝、寺報がギリギリで出稿した。3月号は厳しかったぁ。
今月は何と言っても『門祖会』の報告記事が中心の構成になっている。しばらくこのブログではイタリアの報告を中心にしていたので、23日、24日に奉修された妙深寺の門祖会の記事を書くことができずにきてしまった。妙深寺にとっては一年で最も大きな行事の一つであるのに(汗)。
今回の門祖会は、「感動あるお会式づくり企画チーム(現在は名前が変わって部になりました)」が検討してくれて、『時代は仏教!佛立宗!』をテーマに奉修させていただいた。何とも面白いテーマだが、率直に感じたご信心の喜びをテーマにして、毎回分かりやすく付けてくれているのである。
イタリアのご奉公中も、この門祖会の御法門のことが頭から離れず、ホテルで遅くまで勉強をし続けた。少し「考え過ぎたなぁ」と思うほどだった(反省)。なぜなら、この門祖会は、歌舞伎の何とか興行ではないが、妙深寺の住職が一人で一座、二座、三座と、全ての座の奉修導師を勤めさせていただくことになっているからだった。自ずから大変なプレッシャー、責任になる。イタリアから帰ってきてからほんの数日しかなかったので、時差ボケもあったが、緊張で眠れなかったのかも知れない。
しかし、そんな中、寺報のタイトルにもあるとおり、『みんなで作った門祖会』ということで、妙深寺のご信者さん一人一人が力を出して、その力を結集して、この門祖会を作ってくださった。その模様を、第二弘通部の広報部の黒崎さんが、門祖会の奉修中に丁寧に写真を撮ってくれており、準備ご奉公から当日のご奉公まで、みんなが活き活きと、和気藹々にご奉公くださっていることが分かった。その写真を多く使って、3月号の寺報は完成した。
何よりも有難いことは、全ご奉公部署に新しい人を配置できていることである。ご接待をくださった婦人会の方々を見ても、全く初めてのご奉公という方を三人以上も作ってくれていた。ご接待ご奉公は着物を着てのご奉公なので大変なのだが、それでもこの勢い。
さらに、御宝前係にしても、ビデオや書籍の販売部署にしても、駐車場の整備から何まで、みんなが『ご奉公させていただこう』という気持ちに溢れて、実際にその部署についてくださっていた。これはスゴイことだ。
妙深寺では、三大会を奉修するに当たり「人事打ち合わせ会議」と「総打ち合わせ会議」という二つの会合を持ってご奉公に当たる。そして、その中で各部署の参与・責任者の会議などをしてくださって、細かい打ち合わせをしてくださる。今回も、総打ち合わせ会議の中で、若い人から「御会式などで献血車を呼べないだろうか」などと意見があり、幹部の方々も刺激されて大いに議論しているところだ。こういう、前向きな姿勢が集まって、今回の『みんなで作った門祖会』と掲げられるのだろう。これこそ「ご信心」だと思う。
うっかりすると、ご奉公も億劫になる。マンネリ化もする。 考えようによっては「いつもの門祖会」「いつもの三大会」である。
しかし、いつも言うが、建国寺の日建上人が仰っていたように、「昨年と同じご奉公はするな」なのである。少しでも工夫を心がけないと、全ては「易き(安き)」に流れるのだ。あらゆる意味で保守化するのが分かるからこそ、「工夫」をこらし、心を使うのである。
教務から幹部まで、この意識で「ご奉公」させていただこうとすると、「いつもの」が「特別の」に変わってくる。今回も、御法門の後のご挨拶で、私はお参詣の方にお話しした。
「今日を特別な日にしてください。気持ち一つで、今日は特別な日になります。今日からこうしようと思った、今日からこうした、今日を境に、こうするんだって思えたら、今日は特別な日になります。妙深寺の門祖会にお参詣し、御法門を聴聞してくださった。なんてことのない日だった、なんてしてしまうことも出来るけど、考えようによっては特別な日にできるんです。幸せになるための特別な日にしてください。そうできるはずです。今日から、ご信心を、思い新たに、しっかりとさせていただくぞ、って思ってくれれば、この門祖会、今日が、特別な日になりますね」
3月号の寺報も、会心の出来なのである。
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