今月は先住の祥月ご命日。忘れもしない8年前の6月14日早朝、先住はご遷化になられた。家族が枕頭を囲み、清康の剃髪をも行われ、先住(父でもあった)は私の腕に抱かれて息を引き取られた。今思えば、大変見事であり、羨ましくもある。自分が死を迎える時、息子に抱かれて死ぬことができたら、これほど嬉しいことはないと思うが、それはさておいても、今月は祥月ご命日なのである。あの日の私の慟哭は、病院からお寺を結ぶ道路に刻まれていると思う。そんな見事なご遷化であったにもかかわらず、あふれ出す涙を止めることも出来ず、お寺まで帰った。あれから8年。
それにしても、今月、このタイミングで、つくづく、いま、お看経の有難さを感じさせていただいていることが有難い。やはり、御法さまのご采配、先住のご指導によるものだろうか。有難い。自分なりに考えるに、やはり先住の祥月ご命日ということと、あの「佛立魂」から15年目のご奉公をさせていただくからであろうと思う。今月、14日の先住祥月ご命日に併せて「佛立魂から15年 一万遍口唱会」を開催させていただく。その前に、このような「気づき」をたくさんいただいて、ありがたいと、謙虚に、素直に、思えた。妙深寺の教講は、あの現証を目の当たりに出来たのだから、本当に幸せだ。あの出来事を忘れてはならない、思い返そうというご奉公が一万遍口唱会。ありがたい。
6月は特別な月。しっかり、噛みしめて過ごしたい。
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