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2008年7月8日火曜日

本当の、ブラジル移民100周年

 コレイア師からメールが届き、また有難く、感激させていただいた。今日はブラジルとのウェブ会議で、斉藤御導師や高崎御導師、コレイア御導師のお顔を見ることが出来た。みなさん、元気そうで何より。有難い。
 先日来、ブラジルへの日系移民100周年を祝うニュースが各メディアに取り上げられた。皇太子殿下も日本からブラジルに渡られ、 各地でセレモニーにご出席された。実は、今日のウェブ会議で教えていただいたのだが、ブラジル本門佛立宗の教務さんたち約20名は式典の中で皇太子殿下の前に進み出て、一人一人紹介を受けたという。有難い。彼らも感極まっていた。
 2008年6月18日、笠戸丸はサントス港に到着した。それは、今や150万人にまでなった日系移民が最初にブラジルの地を踏んだ記念すべき日だった。その創始者は水野龍(これまで資料に基づいて「竜(りょう)」と書いてきたが、これを改める)、本門佛立宗清雄寺のご信者であった。何度も書いてきたが、その水野氏は「開拓事業に正しい信仰は欠かせないはず」との思いから佛立第4世講有・日教上人に本門佛立宗の僧侶一名の派遣を依頼。日教上人は沈思された後、22才の若き青年僧・茨木現樹(後の日水上人)師を選ばれ、笠戸丸に乗船させた。
 先日来、NHKの人気番組「その時、歴史が動いた」でも水野氏が取り上げられ、ブラジル移民とそのルーツ、経緯について詳しく放映された。これを見た方々からの感銘の声が後を絶たない。理想を掲げ、多くの困難を乗り越えてブラジルへの移民は開始された。そして、ようやく100年前の6月18日に、彼らはブラジルへ足を踏み入れたのである。
 今から100年前、上人らを乗せた笠戸丸はブラジル・サントス港に入港し、ブラジルは彼らを迎え入れたのである。それから100年。遙かな日々ではあるが、確実に日系移民はブラジル社会にとけ込み、今やブラジルという国家で欠くべからざる存在になっている。そのスタート、原点が、そのサントス港にあった。
 私がコレイア御導師からいただいたメールに感激したのは、その明け方のサントス港に、1000キロをバイクで飛ばして、日水上人をお迎えに行ったというのである。ちょうど100年目のサントス港に人影はなかった。日系移民100年を祝う行事は溢れているが、サントス港に、「その時」を祝う人たちはいなかった。
 上にアップした写真は、その時コレイア御導師が撮ったサントス港の写真である。日水上人はコレイア御導師に出迎えられて声を掛けられたに違いない。有難いことだ。その、コレイア師の「思い」に胸を打たれる。ご自身は「日系」ではない。しかし、「仏教」を、「ご信心」を伝えた日水上人、南米に御題目が渡った「その時」に敬意を払い、お迎えにあがろう、立ち会おう、ご奉公させていただこうという「思い」に感激する。
 次の時代を担う方々がいる。もちろん、斉藤御導師や高崎御導師、そしてコレイア御導師をはじめ、20名のブラジル人教務さんたち、そしてご信者の方々、菩薩方、、、。今後も、積極的にご奉公に気張っていただきたい。右の写真は雑誌に取り上げられているコレイア御導師。新たに荘厳されたクリチーバの如蓮寺の御宝前での一枚である。ありがたい。

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