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2008年7月29日火曜日

雷鳴の響き

 自然は突如として牙をむき、人間の命さえ奪ってしまう。昨日、神戸市で幼い子どもやご親族の方々が鉄砲水に押し流され、尊い命を落とされてしまった。金沢でも浸水した家々がテレビに映し出され、途方に暮れるご家族の方々に心が痛くなる。
 遠い地方の話ではなく、今日のお昼過ぎ、横浜にも雷鳴が轟いた。恐ろしいほどの稲妻が天空を縦横無尽に走り、子どもたちも耳を覆うほどの重たい爆発音が地響きとともに家の中を揺らした。これほどの雷雨は久しぶりだ。先住のご病気の際、あれは1999年だっただろうか、三ツ沢墓地に次々と落ちる雷を見たことがあるが、ここ最近の全国規模の被害状況は異常としか思えない。
 ジェットスキーでミシシッピ川を源流からメキシコ湾まで縦断したことがある。テレビ番組の撮影のためだったが、その際アメリカの中央付近、セントルイスの近くだったと思うが、恐ろしい雷を見た。まるで蜘蛛の巣のように空全体を稲妻が走っていた。あれは、「落ちる」というよりも、まさに「走る」だった。この世の終わりを感じさせるような雷雨。
 同じように、ブッディスト・トランス・アメリカでL.A.からニューヨークまでアメリカを縦断した際、ダラスの手前で恐ろしい竜巻のような積乱雲を見た。日本で体験したことのないような大粒の雨がフロントガラスに落ちてきたかと思うと、車に平行して、真っ黒で、生き物のようにうごめく雲が走っていた。サイドミラーに映る空はまだ明るいのに、雲の下はまるで暗黒の世界。暗闇に吸い込まれていくように不気味だった。
 先日、新聞に「なぜ、近年日本に大地震が続いているか」という記事があった。専門家が登場し、いろいろなことを述べていたが、結局は「それほど驚くべきことではない」「そういう時期なのだろう」とのこと。なんとも頼りない見解で、笑ってしまった。
 仏教では、私たちが認識している「自」「他」の境界が無いことを教えてくださる。個人個人、人間だけに限らず、人間と動物、植物の境界、人間と自然界など、あらゆるものが「つながっている」ことを教えてくださっている。
 そして、万物の霊長である人間の心が、他のものに与える影響について教えられ、人間の心が曲がれば自然界も曲がっていくという、とても現代の科学では捉えられない壮大な「心」のつながりを説くのである。人間の心がそれほどの影響力をもって自然界が反応しているなど、信じられない人の方が多いと思うが、そうではないと仏教徒である私は思う。
 いま、人間たちの心が、いつにも増して荒廃し、御仏の正しい教えから離れていることから、自然界が警鐘を鳴らし、身もだえしながら悲鳴をあげているとは考えられないだろうか。

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