本山でのご奉公中、廊下で見事な、きれいな、ポスター、全国の各お寺や布教区で作られた傑作が張り出されていて、とても感動した。
特に、目を見張ったのは、関越布教区のくんげ会(お寺の子どもたちの会)のポスター。サマーキャンプのポスターのようだが、その見事なデザイン、モチーフ、テーマ、見ていて参加したくなるようなポスターに、ちょっと言葉を失った。
私は勝手に「佛立イズム」と呼んでいるが、本門佛立宗は開導聖人のスピリットを受け継いで、何を「イズム」にしたらいいか、よく考えるべきだと思っている。それは、たとえば「佛立は徹底的に僧俗一体(在家主義の本当の意義を実践する)」とか、「御講中心」とか、いろいろと思い浮かぶが、もっと身近にあるのは「センスの良さ」ではないかと思う。
こう書いたら、何か軽薄なように思われるかもしれないが、開導聖人をルーツに持っているのならば、お金をかけるよりもセンスの良さで勝負、ということになるのではないだろうか。巨大な新興宗教の教団もあるし、政治活動を主にしている宗教団体もある。現代の宗教は、そうした資金力や政治力を背景に、一種のプロバガンダと思われても仕方ないような広告や資料を用意する。反面、私たちは派手な広報活動などしておらず、彼らからすれば素人っぽいし、「下手」だとも言える。
しかし、開導聖人は、そんな資金力や政治力など持っていなくても、強いご信心と、ご弘通に対する情熱、その繊細な感覚から生まれ育まれた感性によって、他に類のないご奉公を進められた。二世日聞上人や三世日随上人、四世日教上人に代表されるように、開導聖人の進取の気風、ずば抜けたセンスは受け継がれ、本門佛立講の教務は既成教団の僧侶らとは一線を画して、信心強盛、慈悲も、気骨も、行動力も、そして、それまでの僧侶らには無かったセンスも持ち合わせておられた。講務・ご信者の方々も、在家根性(御教歌:衣着てわれは出家とほこるなよ それを在家の根性といふ)で創意溢れたご奉公を進め、佛立信徒としての誇りと自覚に満ちておられたはずである。
佛立教講は、この開導聖人の気風を学ばせていただいて、せめてご信心とご弘通ご奉公に傾ける情熱によって、創意工夫に溢れた「デザイン力」を持つべきだと思う。センスが無ければ佛立ではない、くらいに思ってもいいのではないか。センスがなければ開導聖人の気風に合わぬ、とも言えるのではないか。なにか、軽薄かな。いや、本気でそう思うのだが。佛立は、お金をかけるよりもセンスで勝負、って思う。本当に、貴重な浄財だからお金などかけられないし。
つまり、話が脱線したが、これらのポスターには、開導聖人の気風が感じられて、感動した、嬉しかったということである。その他のポスターも、書き手の子どもたちや見守る大人の方々のご信心が表れていて、いいなぁ、と。
妙深寺でも、そういう気風を感じてくださってか、最近の広報部のデザイン、ご奉公はすごい。黒崎部長が頑張ってくださっている。写真にしても、ビデオにしても、ポスターにしても、センスがあるんだよなぁ。黒崎さんは、原水爆禁止2008年・世界大会の公式ポスターに採用されるほどのデザイン力のある方だから、そのセンス、実力は本物。すごい。まさに、佛立イズム!美しいポスター、ありがたい。
さて、妙深寺は、いよいよ高祖会ウィーク。準備もギリギリのところまで来た。韓国の方々の来日や離日の時間に変更があり、対応に追われているようだが、それでもキッチリとご奉公してくださっているから有難い。
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