ページ

2008年12月8日月曜日

出来た!新しい御戒壇! ひろし君の御講

 全く、ブログ更新できなかった。

 いや、ちょっとM先生の、最高の言葉を、ずっと長く掲載しておきたかったから更新する気が起きなかった(汗)。いや、そんな言い訳したらいけないかな。それにしても、本当に、素晴らしい家庭内の会話。

 飾った言葉や変に賢そうな言葉なんて、伝わらない。このご信心の味わい、お看経の味わい、おはからいを、そのままストレートに表現してくれていて、どんな人でも、読んだらお看経したくなる。それこそ、菩薩の声だと思う。ありがたい。

 更新しなかったのは、インターネットの回線の調子がむちゃくちゃ悪いからということもある。週末になると光回線が止まってしまう。ランプが消える。誰か近所の方が利用し出すと、こっちまで回線がまわってこないかのように、週末や夜中になるとインターネットが使えなくなる。もう、2度も修理や点検、復旧にきてくれているのに、ダメ。なんで?NTTとYahoo BBで、うまくお仕事が出来ていないのかしら?あるいは、回線が追いついていないのに売ってしまっているのかしら?本当に、困ってしまいます。

 それと、やはりご奉公が過密でした。それも、内容の濃ーいご奉公が続いた。6日から今日の8日夕方までで、御講席が8席(その内の1席は壮年会住職御講)、布教区の会議、お通夜のご奉公が一座。もう、御講席(ご信者さまのお宅)から御講席へと移動して、ご奉公していくのでグルグル。有難いが、PCに向かう時間がなくなってしまった。しかも、壮年会の住職御講では御法門の勉強をさせていただかなければならないし。Y先生と同じくらい、しなければならないことに追われてしまいました(汗)。

 一つ一つのご奉公の内容が濃いということが有難い。本来、教務のご奉公が「浅い」ということなどあり得ない。例月の御講ですら、ルーティーンのご奉公ではないからだ。ご信者の皆さんに「志が大事」とお話ししているのだから、何あろう「志」で奉修される御講であり、その他のご奉公なのだから、「浅い」ことなど一つもない。

 今月、田代君の御講も特別なものだった。まだ20代であるにもかかわらず、教区御講の願主。これもすごい。さらに、彼は新居を購入する際、「教区御講の奉修できる住まいを」と御宝前の間とリビングの広い、お参詣者にとってお参詣しやすい家を探して購入したという。その最初の御講が今月奉修された。まごころのこもった、素晴らしい御講席となった。

 なにせ、奥さんのまゆみちゃんがエライ!まゆみちゃんは、本当にご信心への想いが強く、彼をリードしてくれている。来年からまゆみちゃんは臨海教区の教区長へ。なんと、20代の教区長が誕生する。すごいことだ。彼女だから出来る。お母さんの姿を見てくれていたのだなぁ。

 そして、また今月は、この上なく有難く、嬉しい出来事があった。それは、神港教区の御講席だったのだが、何と、はじめて、あのひろし君が席主となり、ひろし君の自宅で教区御講が奉修されたのだった。さらに、さらに、その御講は、御本尊奉迎の御礼御講と、御戒壇の建立御礼御講が併せて奉修されたのだった。こんなに嬉しいことはないなぁ。有難かった。ひろし君の家は広いリビングがあるのだが、大勢のお参詣者を迎えて、立派に奉修された。

 御本尊さまは、ひろし君が教化誓願を果たし、約8ヶ月で36人もの方々をお教化されたことから、授与させていただいた。当初、私は、御宝前にそんな大それた誓願を立てるべきではないと思っていたし、無理なことだと思っていた。だから、「もし、この誓願が成就されたら、護持御本尊を授与させていただく」と、なかば無理なことを想定してお話しした。護持御本尊とは、御導師から特別に拝受いただく護持者の名前を御染筆いただいた御本尊である。

 ひろし君の御宝前に立てた誓いは見事に達成され、多くの方がご信心にお出値いできたことを喜んでおられる。ここに、長松家が護持させていただいてきた開導聖人御真筆の護持御本尊を御修復させていただき、彼に授与させていただくこととなった。明治10年に御染筆された御本尊で、妙深寺の本堂の大御本尊と護持者も同じ真継徳太郎氏、年月もわずか半年しか違わない。本当に、尊く、有難い。

 御戒壇は、実は9月から本門屋さんの的場にお願いして、新しいデザインで作っていただいていた。私がイタリアでご奉公させていただいていて、何度か眼にした斬新な御戒壇。それらは、洋風のリビングにマッチしていて、実に「佛立的」だった。左の写真は、その一つでミルトが建立した御戒壇だが、本当に彼らのくらしの中に溶け込んでいて、有難かった。お看経もよくあげるミルトご夫妻。こうした御戒壇に、私は開導聖人のスピリット、イズムを感じた。

 そうした御戒壇に魅せられて、ひろし君であれば私が次世代を志向してデザインした御戒壇を受け入れてくれるだろうと、日本に帰国してから的場さんに無理をお願いしてデザインしていただいてきた。的場さんは庫裡の御戒壇の御修復などをしていただいたこともあり、いつも無理なお願いを聞いてくださってきたから甘えてしまった。

 スリランカの御戒壇も素晴らしい。彼らが独自にデザインしており、彼らの手によって製作されている。右の写真は川辺の工場で量産されている御戒壇だが、こうして21世紀の本門佛立の御戒壇が製作されてようとしていると思うと身震いするほど感動する。金色に塗られ、仏丸の刻まれたシンプルな御戒壇を、数多くの方々がお宅に奉安されている。

 スリランカでは、シニア・メンバーになると日本のご信者方ですら驚くような立派な御戒壇を建立されている。ただ、やはり経済的にも恵まれていない方が多く、こうして「佛立宗であれば」「開導聖人ならば」という考えから、御戒壇のデザインをし、一人でも多くの人が御本尊を奉安し、ご信心ができるようにと進めておられるのだ。

  開導聖人は、麩屋町の法宅に本門佛立宗にとって第一号となる御戒壇を建立された。他の仏教諸宗では「仏壇」と呼んでおられたのを、本来の意味に戻して一線を画し、「御戒壇」とお呼びするようにされた。

 その御戒壇は、「三方開き」という独特のデザインを用いられた。昔からの「仏壇」は、お御簾があったり、金襴の天蓋があったりして、その中の御本尊や御尊像が見えにくかった。今でも「仏壇」といえば、中をのぞき込まないと何が安置されているのかすら見えないものだが、本門の御戒壇はどちらからも御本尊や御尊像が拝見できるように、正面だけではなく、右も、左も、グッと側面が奥に引っ込められるようになっていて、「三方」に開く。つまり、どこからも、よく見えるのである。とにかく、より多くのお参詣者にとって、お看経しやすいようになっているのだ。「○△年に一度のご開帳~」と言っているのとは全く異なるのだ。

 ひろし君のお宅でデザインさせていただいたものは、全くシンプル極まりないもので、イタリアで拝見したものを基礎にさせていただいた。彼の家は外人さん向けの大きなマンションで、和室はない。完全な洋風のリビングで、とにかくお看経が出来て、多くのお参詣者をいただいて御講も出来る、斬新な新しい佛立の御戒壇として建立させていただいた。

 ちょっと斬新すぎて、神港教区の名物教区長である勝子さんは、はじめて見た時に「あらぁ?えぇ??」と仰ったそうだが無理もない。シンプル過ぎると思われたのではないだろうか。しかし、それも後から分かってくださると思う。だって、教区御講で「え?って思ったでしょ?」とお聞きしたら、「いや、ぇえぇ~、そんなぁ~」と微妙に否定しておられた。そして、やはり拝見させていただいて、有難いと思った。

 当然ながら、開導聖人が入られた当時の旧・宥清寺ですら法華宗の本堂の様式を踏襲されていた。それらは伝統的な本堂様式なのである。しかし、私は佛立第一号の御戒壇を建立された開導聖人の御意こそ大切にすべきだと思う。佛立は、御法門だけではなく余宗余門と天地水火の違目があるのだから。

 最近は「現代仏壇」という新しい時代の仏壇が考案され、実際に売上をあげているようだが、やはりお客さまの時には閉める「家具」のようなものや「ピアノ」のようなものが多い。「閉める」という概念が、ちょっと佛立らしくないと思う。どなたにも、誰にでも、お看経がさせていただける、お話が出来る御戒壇がいい、と思っていた。

 御講も、素晴らしい御講だった。笑いもあり、涙もあり、いつも、こうした御講席が持てることが嬉しい。ひろし君も大感激しておられた。これも、嬉しい。

 お参詣者は、40名だった。当初、お参詣の確認をとってみたところ30名くらいというお話だったので、40名分のご供養を用意された。当日、ぴったり40名のお参詣だったということで、本当に有難いと言っておられた。

 とにかく、開導聖人の御真筆御本尊を拝受して、この御戒壇に御奉安させていただいた。日夜朝暮に御題目をお唱えして、これまで以上に、人間の本業を貫いていただきたい。また、御講を奉修した、その日に、またお仕事で大変素晴らしい御縁をいただいたと、夜にいただいた御礼メールに書いてくれていた。そのタイミング、そのおはからいの速やかなることは、本当に恐ろしくなるほどだ。

 冗談のように、「懈怠したり、ご信心をやめたくなったら、御本尊はお戻しください」とお伝えした。いや、半分冗談ではないかな。御本尊は護持御本尊であっても御宝前からお借りしている。何かあれば、お寺に戻していただかなければならない。特に、開導聖人の御真筆御本尊をいただかれた以上、ひろし君に懈怠も許されない。少しでも気を抜かないようにと、こうしてお話しした。「絶対に、そんなことはあり得ません」と、力強くお話くださった。本当に、有難い御講席だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿