引退をされたことは知っていたし、身心の不調を訴えておられたと報道程度で聞いてはいたのだが、こうして命を終えてしまうとは。世間はクリスマスイブで賑やかにしているだろうに、あまりにも淋しい死ではないか。
1999年の12月。しかも、ちょうどクリスマスイブの夜だった。私はお世話になっているタレントの方の事務所を訪れていた。事務所の地下に降りていくと、お世話になっている方と一緒に飯島さんがおられた。仏教徒であるからと笑って、クリスマスイブという世間の喧噪も関係なく、世間話をしながら楽しく過ごした。飯島さんはとても気さくな方で、親しみやすく人当たりのやわらかい方だった。
事務所の地下で話をしていたのだが、何か買いに行ってくることになり、一人で事務所を出た。すると飯島さんが付いてきてくれて、一緒に買い物をした。ほんの短い時間だが、一緒に歩きながら腕を組んでこられ、何か淋しそうな言葉を言ったのを覚えている。その言葉がどんな言葉だったか覚えていない。でも、淋しい言葉を言う人だなぁと思った。
その後、「プラトニック・セックス」という本を出版し、大変な人気を博した。テレビで活躍する姿を見ていたが、それ以来お会いすることもなかった。ただ、「袖触り合うも多生の縁」と言う。引退し、心身の不調を訴えていた飯島さんが、一緒に青山通りを、腕を組んで歩いた9年後の同じ日の夜、訃報として自分の耳に飛び込んでくるとは。御縁があったのに、何もできなかった。
東京という都会、人間関係の中で、彼女は苦悩を抱えて、出口が見えなくなってしまったのだろうか。自分の心がどうしようもなくなり、コントロールできなくなり、感情に支配され、苦しんでいたのだろうか。
何とも言えない口惜しさが、胸にこみ上げてきた。いろいろな御縁をいただき、たくさんの方と出会わせていただき、言葉を交わす。しかし、何を伝えられているだろう。
口先だけ、上辺の楽しい話だけ、何か踏み込めていない。もちろん、それぞれ自分なりに模索しておられるから、私の言うことなど余計なお世話と思われるかも知れないが、そうではないと思う。私は、もっと自分のできることを探して、自覚して、信じて、声なき悲鳴に耳を傾けたり、もっと人の心の傍に寄り添って、辛い時に、あいつに相談しようかな、話を聞いてもらおうかな、という御縁としていなければならなかった。そうでなければいけなかった。
とにかく、飯島さんの死についてショックを受けた。不思議に、飯島さんという方との思い出がピンポイントで一致していて。無力な自分を反省する。
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&v=zQoWygPa1ns
返信削除中島みゆきの「エレーン」という曲です。飯島愛さんという女性のことを、わたしはよく知りませんが、その死を聞いたとき、ふとこの曲をおもいだしました。
わたしの長姉も「常懐悲感心遂醒悟」に至れず、ひとり寂しく逝ってしまいました。ほんとはもっと生きたかったとおもいます。できれば生き直したかったのだと、おもいます。合掌