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2009年5月23日土曜日

横浜から神戸へ

 三都物語。京都、神戸、大阪。この3つの都市は「三都」と呼ばれて、観光を呼びかけている。
 神戸も港町。横浜も港町。昨日は、午前中は横浜で教区御講のご奉公。初めて伺うお席で、お母さまからのご信心を受け継ぎ、しっかりと御戒壇を建立された方。お孫さんと一緒に「折り鶴」を作ってご供養のお膳に乗せてくださっていた。そのお志が嬉しい。
 御講席から戻り、支度をして京都、大阪へ。大阪から20時過ぎに名古屋。そのまま名古屋に宿泊させていただいて翌日早朝に佛立寺へお参詣。今日は、朝から佛立研究所主催の公開講演会。新潟大学大学院の阿保徹教授に講師をお願いして、健康と免疫、人はなぜ病気になるか、どうすれば病を防げるか、病に打ち克つ方法とは、をお聞きし、私たちのご信心に照らして、学ばせていただこうという講演会を開催させていただいた。多くの方に参加をいただいて、大変盛況だった。
  講演会が終了すると在来線で名古屋駅へ。そこから神戸に向かう。明日は福岡御導師から神戸香風寺の奉修導師のご奉公を仰せつかっており、緊張の中ご奉公をさせていただかなければならぬ。慌ただしいスケジュールであるが、何とか精一杯ご奉公させていただきたい。新型インフルエンザの渦中、妙深寺からも団参者30名が神戸に向かっている。世間は神戸を避けるが、立正安国論上奏750年御正当の年、いろいろある。それに負けてはならぬ。
 一昨日、横浜の港の近くでご奉公だった。神戸の港もいいが、横浜の港で感慨深く、山下公園まで歩いてみた。
 横浜では、いま新型インフルエンザ発生の影響で集客が心配されているが、開港150周年の記念イベントが行われている。その一事業として進められていた「横浜マリンタワー」の改装工事が終わり、23日からの開業を目前に控えている。装い新たなマリンタワーは、外装を銀色とブラウンオリーブのシックな色合いに化粧直し。僕らが見て育った赤と白じゃないけど、まぁ、残ってくれたのだから文句は言うまい。
 このマリンタワーは、1959年(昭和34年)の開港100周年記念事業として建設された。61年にオープンして横浜港の名所の一つとなった。中学生だったか、高校生だったか、僕も上った。友だちと山下公園、マリンタワー、港の見える丘公園で遊んだ。元町は、ちょっと大人の雰囲気で、敷居が高かった。大学に入ってから、元町の裏側でたむろするようになったが。
 このマリンタワーは、みなとみらいが出来てからは観光客が遠のき、入場者が減少した。廃業、取り壊しの声もあったが2007年に横浜市が買い取り、昨年3月から改装を進めていた。きれいになってうれしい。横浜。
 この前、京都で過ごしている時、映画『蒲田行進曲』を観た。もう、大好きな映画。日本最高の映画じゃないかな。懐かしくて、懐かしくて、資料づくりを中断して思わず全部観てしまった。
 銀ちゃん、いいなぁ。やんちゃな頃の自分をフッと思い出す。いや、今でも、時々、あんな理不尽なこと言ってるかも。調子に乗りやすいし、孤独だし。
 ヤス。彼は、もう最高だ。「コレが、コレなもんでぇ。」このセリフは高校時代に流行った。あの田舎に小夏さんを連れて帰るシーン。忘れられない。
 その優しいヤスが結婚して変わっていって、階段落ちを受けることになって部屋で暴れる。理不尽に暴れ続けて、愛する小夏さんを泣かせる。泣かせて、自分も泣いて、ボロボロになって言うセリフ。
 「前はね 平気だったのよ。何言われてもね。ヘラヘラヘラヘラ笑ってやってきたのよ。それが どうしちまったんだろうね 俺・・。・・・お前の事をね…、好きになればなるほどね…、悲しいんだよなぁ、この心が・・・。お前とね、一緒に生きていこうと思えば思うほどね、切ないんだよなぁ、この胸が・・・。お前とね、離れられなくなればなるほどね、苦しいんだよなぁ、身体中が・・・。どうしちまったんだろうね、俺・・・。ほんとに・・・。」
 もう、永遠の名台詞。忘れられない。「わかぁるぅ」と叫び続けていた。変な住職だが、本当に大切な何かを言い得ている。松坂慶子さんも素敵。声が本当に素敵。この蒲田行進曲を観ていると、思わず小夏さんの姿に涙してしまう。
 で、この蒲田行進曲で使われていた曲が、桑田佳祐作詞・作曲の『恋人も濡れる街角』。そう、横浜をテーマにした歌。マリンタワーを見ながら、思わずその曲を口ずさんでいた。「横浜じゃいまぁ~」とか「港の街にぃ~」、「あぁ~、時折雨の降るぅ~、馬車道あたりで待っているぅ~」とか。ありがたい。

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