佛立信心の醍醐味とは、現証の御利益に違いない。人は、現証の御利益で信仰心を起こし、現証の御利益で信心を育み、人をも救う菩薩へと昇華できる。
「ナムミョウホウレンゲキョウ」。
その「音声」「振動」は、通常では考えられない「力」を導き出して、疑念が強く頑迷な私たちの現前に御利益を顕してくださる。今なお御仏は生きておられる、私たちの苦悩を知り、切なる願いに応えて、救いの手を差しのべてくださると実感できる。それが、上行所伝の御題目をお唱えする者が感得する「現証の御利益」「御利生」である。
御仏は永遠の生命であることを言明された。しかし、今その御姿を拝見することは出来ない。どれほど人々が迷い、苦しみ、答えを見出そうとしても、私たちは仏に直接お会いすることは叶わない。しかし、御仏は法華経本門の中で、唯一御仏に出値う術を説かれた。
御仏は、御仏の生命そのものを、ある「法」の中に全てこめられて、上行菩薩を筆頭とする本化の菩薩たちに託された。但し法華経には、その「法」の本体が如何なるものかは明らかにされていなかった。
上行菩薩は、極東の島国・日本に日蓮と名乗られてご出現になり、その「法」を私たちに授けられた。それは、永遠の生命である御仏が、宇宙の原初から存在し続けている真理と一体であることを証明する、生きた「音声」であった。 「ナムミョウホウレンゲキョウ」。その「音声」は文字に起こされて「南無妙法蓮華経」となる。この御題目は、日本語でも中国語でもない。久遠から流れ続け、生きた生命そのもの。人種も国境も地球も、時間も空間も超えた「言語」であると知らなければならない。
本化の仏教とは、ここに極まる。唱える声が御本尊。御本尊さまに御題目をお唱えして御仏に出値う。
御仏と本化の菩薩方との関係、上行菩薩の御出現という事実から見返せば、真実の仏教が分かり、永遠の生命である「御法」が何か明らかになる。上行菩薩所伝の、「ナムミョウホウレンゲキョウ」にこそ、生きた御仏のエネルギーが込められている。御仏はここに、生きておられる。
御題目をお唱えする。あくまでごく簡単極まりない修行である。しかし、御宝前に向かって真剣に、切なる願いを込めて御題目を唱え重ねてゆけば、必ず妙不可思議な現証の御利益が顕れる。これこそ、「あぁ、御法さまは生きている」「御仏がそこにおられる」と感得できる「現証の御利益」である。
効果の期待できないことに精力を注ぐ人はない。効果が実証され、効果を期待するからこそ、多くの人がそれに努力を傾ける。化粧品でもダイエット食品でも、多くはモニターの意見に触発される。
御題目口唱は、多くの人が効果を実証している極めて尊い修行。偽りの宣伝文句で顧客を募る商売とは決定的に異なる。効果は実証され、効用は限定されてもいない。
御本尊を奉安し、御題目を声に出して唱え重ねれば、願いの厚さ薄さにはよるが、現証の御利益は顕れるのである。疑念があっても唱え重ねて、多くの人が妙法の妙たることを知るのである。
私に本当の信心が起きたのも、愛する父・先住が、医者すら手を離す絶体絶命の状態に陥った時のことだった。頭蓋骨骨折、脳挫傷、頭蓋底骨折、硬膜下血腫、右肋骨骨折、外傷性気胸との診断で危篤。一ヶ月以上意識不明の状態だった。私たち家族には為す術もなかった。ただただ御法さまにお縋りするより外になかった。日々のお助行に励まされ、愛する父の意識回復を願い、ひたすら「助けてください」と御題目をお唱えした。
周知の通り、意識不明となって四十九日目、父の意識は回復した。担当医から看護士の方々までもが「奇跡」と声を揃えた。私たちは、まさに「現証の御利益」を見せていただいたと狂喜した。
その喜びから二年後。私はこの現証の御利益の凄まじさを今一度間近に見た。今でも忘れられない。
その日、板倉章子さんが友人の岩本弘子さんをお寺にお連れした。事情を聞いてみると、息子さんが交通事故で意識不明となっており、頭蓋骨骨折、脳挫傷等と診断され、先住と同じような状態であるとのことだった。ただ、先住と異なるのは、既に意識不明になってから数ヶ月が経過していた。
家族の苦しみは同じ。この状態がいつまで続くのか、元気だったその人は戻ってきてくれるのか、家族は不安を抱えながら、ベッドの側で見守るしかない。岩本さんは憔悴しきっていた。いろいろな事情はあるものの、現証の御利益をいただきましょう、と伝えた。岩本さんはこのご信心を始めます、と「御本尊拝受願」をお書きに なられた。
私は忘れられない。中央連合の御講で、矢部さんのお席だった。御住職が意識不明の岩本龍二くんの入信を言上し、続けて定業能転、御利益感得、とご祈願をされた。ちょうど、その日のことだった。信じ難いかもしれないが龍二くんの意識は回復した。数ヶ月も意識のなかった龍二くんが、その日に目覚めたのである。涙が溢れた。
お祖師さまの御妙判の通り。
「妙とは、蘇生の義なり。蘇生と申すはよみがへる義なり」
先月、岩本家に立派な御戒壇が建立されたと聞き、心から嬉しくなった。岩本弘子さんは法城護持のご奉公にも励まれ、龍二くんは仕事に精を出し、参詣されている。もちろん、人生は簡単ではない。これまでに辛い出来事もあったが、助けていただいた命を大切にして、何より年々信心を強くされている。本当に、ありがたい。
現証の御利益は、特定の人だけがいただいたり、感得したりするものではない。御本尊に向かって、「ナムミョウホウレンゲキョウ」と唱える人であれば誰でも授かる、感得できるものなのである。
御仏は、法華経で宣言された。
「我常に此に住すれども諸の神通力を以て顛倒の衆生をして近しと雖も而も見ざらしむ」
「我諸の衆生を見れば苦海に没在せり。故に為に身を現ぜずして 其れをして渇仰を生ぜしむ。其の心恋慕するに因って、乃ち出でて為に法を説く。神通力是の如し」
現証の御利益を知って、見て、体験して欲しい。そのためにすることは、この御題目を唱え重ねることのみ。苦しい、辛い、不安だ、こうしたい、こうなって欲しい、という思いそのままをぶつけて、真剣に御題目を唱えてみて欲しい。必ず、現証の御利益は顕れる。
0 件のコメント:
コメントを投稿