クボヨウコさんの御祈願をいただき、ありがとうございます。
たくさんの方が、こうしてブログに書いただけで御祈願をしていただけることに、心から感謝しています(涙)。妙深寺だけではなく、遠くのお寺の方にまで(涙)。きっと、病床の彼女に届いている。そう確信しています。
名前を呼び、御題目をお唱えする。このことしかできない状況です。昨日、その連絡があって、急遽お寺に戻り、14時からお看経をさせていただきました。ずっと御題目をお唱えしている中で、元気な頃の姿が頭に浮かびました。昨日は、ヨウコさんのご主人が夢に出てきました。
僕は、一時期お寺を離れました。どうしても社会で学ばなければならないことがあると感じて、御住職と執事長に無理をお願いをして、なかば強引に、それでも温かく見守っていただいて、お許しを得て社会に出たのです。会社を経営されている方からの言葉。「清潤師、僕たちは社会でギリギリのところで生活している。ご信心、ご信心と言うが、仕事は仕事、信心は信心なんだ」。
そう言われて、私は圧倒的なショックを受けました。スポーツの世界でプロとなり、いろいろな経験を積んできたと思っていたが、すでにご信者さんと教務さんの間に大きな溝が出来ているのではないかと思ったのでした。いろいろなご利益談を聞いているが、実際には、今はお教務さんはお教務さん、ご信者さんはご信者さんというような、暗黙の溝があるのではないか、と。
ここで書くようなことではないけれど、私は教務として「信心は社会でこそ活かすもの」ということを証明したくて、御住職にお話しをして、仕事をさせていただくようになりました。先輩を頼り、友人に頼み、横浜駅近くの小さなオフィスで、小さなデスクに向かい、見よう見まねで企画書を書き、少しだけ伸びてきた髪の毛のまま、営業に出掛けたのでした。忘れもしないのは、企画書を書いて、飛び込みでランドマークタワーにあった三菱地所まで営業に行ったこと。途方もないことでした。
結局、最初こそコンビニのおにぎりを食べ続けていた貧乏生活でしたが、年末にフジテレビの正月特別番組の仕事を取ることが出来て、そこから怒濤のようにお仕事をいただけるようになり、不思議な御縁をいただいて、あっという間に仕事は増え続けました。あらゆる分野の方とお仕事をさせていただくようになり、不思議な御縁に恵まれていたことに今でも毎日感謝しています。本当に、恵まれていました。
横浜の小さなオフィスにいた頃。コンビニ弁当を食べ続けて、夜は徹夜で仕事をして、何とか仕事を手にしようとしていた時、右も左も分からない馬鹿な坊主に、お弁当を作ってきてくれて励ましてくれたのが和姉。その和姉のお友だちの一人がヨウコさんで、今回の御祈願の連絡をいただいたのも和姉からでした。
会社が順調に滑り出して、年を経るごとに事業の規模が大きくなっていく中、伊藤忠商事との大きな共同プロジェクトが始まりました。スポーツ専門テレビ局での仕事。そこに至るまで、すでに事業の規模は広がり続けていましたが、決定的な仕事になることは間違いなく、そこに全てを注力しようということになりました。青山にある伊藤忠商事の本社、その二階での仕事がはじまり、翌年には新会社を立ち上げ、新社屋に移転し、遙かに大きな規模で事業を開始することになりました。その前後、前田会長の旧知の久保さん、そして奥さまのヨウコさんが、この事業に加わってくれることになったのです。多くの大切な、そして優秀な方々も、ここで一緒に仕事をすることになりました。
あの頃の御縁、そこで一緒に時間を過ごし、一緒に仕事をしてくれた方々。ヨウコさんは会社の経理をしてくださっており、本当にいつもやさしい笑顔で迎えてくれました。実際、私は仕事を辞め、お寺に戻った後でも、それは変わらなかった。何かの用事で会社に顔を出すことがあっても、ヨウコさんはいつもと変わらない笑顔で迎えてくれました。そんなことを思い返して、本当に久しぶりに思い返して、ヨウコさんの回復を祈って、お看経をさせていただいていました。
すいません、いろいろなことを書きましたが、とにかく、いまヨウコさんには生きて欲しい。なんとか、生きて欲しい。御祈願、本当にありがとうございます。よろしくお願います。
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