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2009年9月27日日曜日

タミルの挨拶 「ワナッカム」

 難民キャンプとは、如何なるものか。ここに、何度か「想像を絶していた」と書いたのは誇張ではない。70000世帯のテントが立ち並ぶ光景は、本当に言葉を失った。
 戦争地域を車で走りながら、何度か検問を抜けて、道路のアスファルトも剥げてくると、両側にテントが見えてきた。行けども行けども、テントが立ち並ぶ。そして、鉄条網に洗濯物を干す人や、子どもたちが遊んでいる姿も見えてきた。
 現在、287000人が暮らす難民キャンプ。世界でも最大規模ではなかろうか。渡航前は「セクター2」と行っていたキャンプの正式名は「セッティクラム(Settikulam)」というエリアらしい。今日、ドクター・ゴタムネに聞いてみたら、このようなキャンプが大きく分けて3ヶ所があるらしい。ゴタムネは永くスリランカ軍で働いているドクター。実態に詳しかった。
 実際、これらの難民キャンプに外国人が入るのは極めて難しい。海外からの義援金(Donation)はコロンボの事務所に一括してまとめられる。それを、救済事業ということでコロンボの政府主導で行っているとのこと。私たちは、アマル氏やその他の協力を得て、こうした直接的な支援活動を行えることになった。とにかく、深い御縁のあるスリランカで、本門佛立宗として、まごころのご奉公をさせていただきたいという主旨で、日本全国の多くの方々から志をお預かりし、お届けするミッション、プログラムが組まれた。
 最初のチェックポイントはマダワッチという名。いま、キャンプの中に同居しているLTTEの構成員と支持者、その家族について説明を受けた。「マハーウィル」という意味は、「ヒーローの家族」という意味だという。この戦争で命を落としたことを、民族のための「ヒーロー」としていて、その「家族」であることを賞賛している。分離独立のために命を捧げた人、その家族と呼ばれる人々が、この難民キャンプには住んでいる。言葉は同じでもパレスチナのそれとは事情は異なるが。
 なぜ、外国人を難民キャンプに入れないのか。そこには重要な理由があるという。海外の支援団体が難民キャンプの解放を求めていて、そのNGOやNPOがLTTEの「マハーウィル」側に「支援物資」と言いながらトランシーバーや携帯電話などを持ち込んでいたという。そのマハーウィルは、キャンプ内で活発に活動しており、先日も「シンハラ人の血でプラバカラン議長の銅像を造りましょう」とポスターを貼っていた。
 外国人のあるグループは、積極的にLTTEを支援している。これは極めて難しい問題で、「人道的支援」がこの状況下でどこまで当てはまるのか考えねばならない。30年ちかく、教育も受けられず、学校にも行かせてもらえず、極端な思想だけを植え付けられた子どもたちや青年たちがいる。この人たちに、どう接していくことが妥当であり、効果的なのか。彼らの人道を、本当の意味で守る道は、どのようなものか。
 外国人支援者がビデオを撮り、英国で発表したという。その影響を知り、スリランカ政府はナーバスになっている。政府がタミル人を刑務所のようなところに押し込んでいる、と一方的な報道が為されたという。ユダヤ人を押し込めたゲットー、強制収容所のような劣悪な環境下にタミル人を押し込んでいると、映像を使いながら説明したらしい。「冗談じゃない」とスリランカ政府の人はいう。数十年間も血を流して、しかも、先方は、勝つためならば惜しみなく自分に従う市民を殺し、洗脳を行っていた地域と人々。これから、先が見えなくなる。気が遠くなるような問題に直面しているのがスリランカではないか。「人道」という言葉で片付けられない、「人間」というものの存在そのものが問い直されているような気がする。そこに生きる人々、双方に、私たちは、何をもたらすことができるか。
 スリランカ政府は、出来る限りのサポートをしているという。コロンボでも貧困にあえいでいる人もいる。このタミル人の地域だけ苦しんでいるわけではない。それなのに、こうして難民キャンプを設けて、彼らに一般的な教育の機会を与えることなどに努力している。そのことを理解して欲しいという。
 このキャンプにテラワダの僧侶はいない。「なぜいないのか」と聞いた。「いや、いないのだ」という答え。タミルには仏教は説けなくても、シンハラの兵士たちには説いたらどうか?いや、タミルにこそ仏教を説くべきではないか。仏教国で起きている内戦なのだから、その僧侶には責任があると思う。しかし、彼らはそれをしない。上座部仏教だからである。日本で、上座部仏教に興味を持っている人は、こういう現実を知った方がいい。限界がある。越えられない。口当たり、耳当たりの良いことを並べても、結局は真新しいだけで、真実や普遍性がないということになる。そこに耐えるのが、本門佛立宗の、真実の仏教だと思う。テラワダとマハヤナ、上座部仏教と大乗仏教の違いを思い知る。やはり、本門佛立宗だ。
 しかし、キリスト教は、こういう場所では元気というか、威力を発揮する。活動は活発。何が彼らをかき立てているか、今度ゆっくりと書きたいが、それでも、目立つ。タミルは20%はキリスト教だと聞くが、そうなのだなぁ。とにかく、ここで、セッションを行った。
 タミルの言葉では、「こんにちわ」を「ワナッカム」と言う。一生懸命に覚えて、最初は2歳~5歳までの子どもたちが待ってくれている場所に向かった。ここで、今回のおまけのように購入させていただいたおもちゃを、お渡しすることになっている。それぞれ、ご主人が、この難民キャンプを抜け出すために、志願して職業訓練のプログラムに申し込んだ人たちである。奥さまも前向きなのだろう。子どもたちを見ていると、何とも言えない気持ちになり、涙が溢れてくる。
 その後、会場を移して、その職業訓練校で学んでいる人たちのクラスを廻った。黒板にローマ字で御題目を書き、それをタミル語にしてもらった。少しだけ練習すると、みんなで御題目をお唱えできるようになった。メモを取ってくれている人もたくさんいた。スピーチでは、いろいろなことをお話ししたが、それも次回に譲る。
 本当に、ありがたかった。

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