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2009年10月21日水曜日

不覚、しかし、

 昨夜、不覚にも、気づかなかった。携帯電話。メール。22:22分の受信。
 先日、留置場まで面会に行った青年からのメールだった。出てきて、仕事をして、ご家族も決意して御本尊を奉安された。家族で越えねばならない高い壁がある、何としても家族一同で御宝前に座して、御題目を唱える中で乗り越えていただきたいと、ご奉公を進めてきたつもりだった。
 昨夜のメール。気づいたのは1時前。彼からのメールは、また、訳が分からなくなった、親父が分からない、何を考えているのか、何がしたいのか、行けるとこまでいっちゃおうと思っている、覚悟はある、こんな俺を見たくないのは分かってます、でも、聞いてほしかった、とあった。不覚。すでに2時間以上が過ぎている。
 すぐに返信した。どうしたんだ、なんでなんだ、会いたい、親父とお前の人生は別、人のせいにしないと誓ったじゃないか、話を聞きたい、電話してくれ、と。電話番号を書いて、メールした。
 躊躇した。ご家族に連絡することを。しかし、時間が遅いことを承知で連絡。しかし、つながらなかった。不安が募る。何があったのか。
 1時間ほどしてから、彼からの電話。また出てくれるか心配だったが、お金のこともあるのですぐにかけ直すから待ってろと伝え、かけ直した。出てくれた。そこから、彼の、いつものように、丁寧すぎる言葉、声。しかし、その声が、どこか震えていた。「どこだ?」、「街を歩いています」。
 1時間あまり、何が起きたか聞いた。また、馬鹿なことをした。もう、訳が分からない。まったく、分からない。「お看経はしてくれていたのか?」「いや、出来ていなかった」。
 彼は、鋼のような身体をしている。身体を鍛えている。しかし…。
 お前は、でかいエンジンに未熟なドライバーが乗っているのと同じだ、いま、鍛えなければならないのは、お前の心。そんなにエンジンをでかくしても、スピンして、壁にぶつかってばかり。いま、鍛えるのは、心じゃないか。その心を育てること、そのために、俺たちがいるじゃないか。
 訳が分からない、それは分かった。俺は、お前の心の奥が透き通るほど綺麗なのを知っている。でも、きっと、心がインフルエンザにかかったように、病気になってる。分かるか。訳が分からないっていうんだから、そうだよな。その薬は、信心じゃないか、御題目じゃないか、そう言ってきたじゃないか。
 そんな会話を続けた。街から家へ。帰れるか?帰れるのか?帰った後、明日、明後日からまで、具体的にお話しした。こうしよう、こうしてくれ、出来るか。少し、預けて。訳が分からないと言っているのだから、少し、身体を預けてくれ。いいだろう。
 彼は、素直に聞いてくれたが、電話を切ってからも、不安で、心配で、御宝前で、行ったり来たり。気を紛らわすが、4時くらいまで寝れず、何度も目が覚めた。本音。俺は、信心がない。不覚だった。しかし、話ができてよかった。感謝してる。ここからだ。
 朝、頼りになるご信者さん、ご親戚と連絡が取れて、ホッとした。ここから、はじまる。ここから、本当の、御利益、本当の、ご信心ができるように。
 信心でなければ、越えられない。ここなんだ。ここが、壁なんだ。他の、智慧でも、方法でも、違う。信心しかない。御題目しかない。分かって欲しい。

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