東名高速で、往復14時間もかけて、日帰りで横浜の妙深寺までお参詣してくださったことに、計り知れない思いが込められていて、それにお応えできたか、どうか。笑顔で帰途につかれたことが嬉しかった。
さて、先日来、ブログにコメントをいただいており、なかなかご返事を書かせていただくことが出来なかった。コメント欄に小さく返事する内容でもないので、ここで、あらためてご返事して、ご披露したいと思う。スリランカでの難民キャンプについての記事に対してコメントをいただいた。書き込んでいただいたコメントは下記の通り。
以上のような内容だった。なかなかご返事できなかったのは、読んでみて、「?????」と思ったのも半分。そのようなことが話題になっているんだ。「耳に挟んだ」と書かれているので、話題になっているのだろう。そういうことに詳しい方もいて、スリランカご奉公などをご覧になっているのだろう。お袈裟の色についての話題は、ついぞ聞いたことがないので驚いた。「規定から外れた型(色)のお袈裟を着ておられたという話を耳に挟みました」とあるから、よく思っておられない方なのだと思うが。情けなく思いつつ、あまり気にしていなかったが、心外なのでご返事したいと思う。
国内の自坊でも、先住ご遷化後からずっと同じお袈裟、お衣も同じものを着けさせていただいている。先住ご遷化後、弟子の一人に加えていただいた相模原妙現寺の鈴江日原上人から9年前に頂戴したお袈裟を、大切に、大切に着けさせていただいて、当時の僧階に合わせて、私は余り詳しくないが二等講師としての五条と略五条とのこと。5年前に僧階が上がったが、お師匠さまにいただいたお袈裟を着けさせていただいてご奉公させていただいている。これでも、分不相応に、綺麗に、特別にお作りいただいた。この9年間、妙深寺の全てのご奉公で着けさせていただいたので、生涯私にとって特別なお袈裟であると思う。
その後、一人でご奉公をさせていただくようになって、私が導師役を勤めることになってからも自坊で着けさせていただいている白い紗の本衣とお師匠さまからいただいたお袈裟を着けてご奉公させていただいている。過去も、今でも。それ以外のお袈裟などを着けたことはない。ご質問の、「お袈裟」については、ここに書いたとおり。
御衣も、それ以外になにがあるの?と考え込んでしまう。「黒?」「赤?」?????。といっても、赤い御衣など、先住も持っておられない。残念ながら、あれほどご弘通されたのに権僧正に上がられることなく先住はご遷化されてしまったので、お寺にも庫裡にも、そんな赤い御衣など無い。あったとしても、私が着たらチンドン屋さんになる(笑)。
ここまで書いてご理解いただけただろうか。つまり、お袈裟でご心配をいただくことはない。こんなことが話題になっているとは、本当に、平和だ。
それは、まさにそうだった。私の名前も知らない、どこそこの住職の息子だとか、お寺はどこだとか、そのお寺が大きいとか、小さいとか、そんなことは一切関係ない場所。私の名前も、プロフィールも、そして、お袈裟の色も僧階も知らない、初対面の人との対話、ご弘通ご奉公は、虚飾を削りに削って磨き出される自分自身の「信心」が明らかになるような思いがした。その中で、それを重ねていくことによって、自分がどれほど様々な守られてきたか、守られているか、思い知る。そして、もちろん、改良服も、御衣も失礼がないように着けさせていただくが、それでも、ご信心のみ、裸でいるようなつもりで、上行所伝の御題目、その尊さ、有難さを伝える。ここで、本当にいろいろなことを学ばせていただくことができた。ここで、三祖のご奉公や開導聖人の御指南の真意を、思い知るような気持ちにならせていただいた。
歴史の中でシステムが生まれてきた。そのルールを守ることは大切で、守らなければルール違反になる。ただし、お袈裟や御衣で御利益はいただけない。そこにこだわっていたら本質を見失う。そうしたことを嫌われ、戒められたのが開導聖人であり、佛立のアイデンティティ、イズムだと思う。
お祖師さまは「権実雑乱の砌なり」と如説修行抄でお諭しになられた。「権」とは、簡単に言えば「仮」とか「偽」という意味で、「実」とは言うまでもなく「真実」である。真実ではないことと真実を織り交ぜて、それがゴチャゴチャに混ざって乱れていくのが末法、つまり現代だというのだから気をつけなければならないと思う。
御法門ですら、「己の遺恨を差しはさむ法門は謗法に同ず」とお戒めになられている。教務が、「嫌いなあの人に説いてやる」などと思ったら謗法なだとお戒めだ。人は、それが真実か、真実ではないか、ちょっとは躊躇しながら、気づかいながら、口を開き、文字を綴る。面と向かって気づかうのと同じくらい、テクノロジーが進化したために生まれた匿名の世界でも注意が必要だ。言論の自由、あるいは「折伏」と言っても、何でも言って良い、書いて良いわけなどない。まして、人の傷つくことや、真実ではないことなど。
ご奉公は、本当に有難い。今回のスリランカのご奉公でも、御法さまがおられればこそ、佛立ならばこそ、と感激しながらご奉公させていただいた。こうして、勉強させていただき、信心を改良させていただけることが嬉しい。本当に、感謝させていただいている。
いずれにしても、いろいろなことが語られる世の中、関心を持ってくださっているのだろう。本当に、今回は教えてくださって、ありがとうございました。
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