妙深寺が考えているご奉公と深く関係しています。現実に、この社会の中で、私たちが為すべきご奉公が見えてくるはずです。
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2010年1月31日日曜日
運動場の土の上
お看経が始まってから終わるまで、奧さまが泣き続けておられ、深恭師も涙を流されていて、ご宝前に向かって、深く、深く、御礼とご挨拶とご祈願、ご回向をさせていただきました。
本門佛立宗のご信心を知らない、地域の方々や縁のある方々が、たくさんお参詣してくださっていました。ご宝前のお部屋が一杯の総勢50名。緊張しましたが、精一杯の御題目をお唱えさせていただきました。
独立され、遠くにお住まいの立派なご子息が2人、ご長男の奥さまもお参詣くださっており、はじめてお会い出来たので、本当に素晴らしい時間となりました。まだ、それぞれのお宅には御本尊さまを護持されていないということでしたので、近日中にご奉安されるようにお勧めしました。
お母さまが伝えてくださっていたようで、私のブログを見てくれていたと聞き、嬉しくなりました。これからメールで連絡を取り合う約束をして、ご長男のご夫妻は横浜の妙深寺まで来てくださるとのこと。次男の方のお宅は海外ですが、必ずご本尊のご奉安に伺います。本当に、ありがたいことでした。
思いは通じます。思えば通じます。思わなければ通じません。とにかく、偉大な教育者であったお父さまの意志をお伝えし、その思いを受け継いでいただけるようにしたいと思います。
ご信心をされていない方々との出会い、対話も貴重なものでした。本当に、勉強になりました。
教育者であったお父さまが、如何に子どもたちと向き合っていたか、別の学校で校長先生をされていた方からお話をお聞きしました。
学校の校長であるにもかかわらず、問題を抱えた生徒を見つけては、運動場にむしろをひいて座らせ、自分も同じむしろの上に座って、真剣に生徒の話を聞き、真剣に生徒に話をしていたそうです。
その学校を訪れ、その姿を実際に見たということですが、近づいて行っても、真剣に生徒と話をしているので、自分が後ろに来たのも気づかない。それほど、とにかく、子どもたちの気持ちを第一に考えておられたということでした。
病気になられ、病院にお見舞いに行った時も、「何をしに来たんだ。子どもたちのところに帰れ」と言われたと、涙ながらに話をしてくださいました。「教育者の鏡だ。教育者の神さまのように、私たちは思っていた」と仰っておられました。何と素晴らしいことでしょうか。
私は、教育者の鏡というだけではなく、佛立信者の鏡だと思います。
奥さまは、今回の法要の準備をしていた時、はじめてご主人の書斎から自筆のノートを見つけました。その書斎を使わせていただいていたので、私にも見せてくれました。分厚いノートでした。
そのノートは、お祖師さまの最重要御書である「観心本尊抄」の概要、由来、要点を、本門佛立宗の「信徒教範」から抜き出して、ご自身で書き直されていたものでした。地道にご奉公もされていたとお聞きしていましたが、ここまで深くお祖師さまの御意をいただこうとされていたとは、私の想像を超えていました。
奥さまが、「とにかく主人は日蓮聖人を敬って敬って、あのような方はいない、何があっても絶対に負けない、真実を貫く、といつも言って、心から敬っていました。」と仰っておられました。本棚には、教育関係の書籍と、ご信心の書物がずらっと並んでいました。
そのノートには、行を変えて、より力強い筆致で、「本尊抄をはらわたとし、四五抄の如く信じ、修行抄のとおりに行ずべし」とありました。これは最も大切な御指南です。佛立教講の、人生の、ご信心の、まさに指針です。何という、尊いご信心だったのでしょう。本物中の本物です。
子どもたちを第一に考え、生徒が苦しみ悩んでいる場所まで下りていって、一緒に土の上に座り、同じ気持ちを共有していた生き様。社会の中で、お祖師さまの教えを体現してくださっていました。本当に、尊いことです。頭が下がります。
いま、私たちはどうか。口先では何とでも言えます。この御指南を「知っている人」はいるでしょう。しかし、それを、体現できているかどうか。あなたの姿や生き方を見ていて、お祖師さまの教えが見えるかどうか。むしろ、見えなくしているのではないか。私は、まず教務として猛省します。
お寺の中だけ、仲のいい人同士だけ、というのではいけません。社会の中、人の渦の中で、土の上に座り、そこまで下りていって、ご奉公しているのかどうか。できているかどうか。身体から、にじみ出るほどの慈悲、信心、思いやり、いたわり、愛、これこそ大切ではないか。デモンストレーションでもジェスチャーでもノルマでもなく、全身から出てくる真実、ご信心、言行一致のご奉公、生きる姿が必要だと思います。
これほどの思いをもってご信心をされ、社会の中で実践しておられた方のお話を聞くことができて、本当に幸せでした。本物です。ありがたいです。
しっかりと、その思いを受け継ぎ、皆さんにお伝えしてゆきたいと思います。
これから、一人で電車に乗って帰ります。八王子経由。そこからは横浜線ですね。分かるかな。あまり乗ったことがありません(汗)。
明日から2月。6時半から月始総講(がっしそうこう)です。原稿ギリギリですいませんでした(汗)。今朝、何とか書き上げてメールしました。まだ印刷中かな。申し訳ない。
窓の外は暗くなりました。でも、心はあたたかく、本当に幸せです。ご奉公させていただき、ありがとうございました。
哀しみも、あります。いま、横浜には、私の大切な方が待ってくださっています。29日、帰寂されました。私の家族一同、大恩のある方でした。もう少しで戻ります。待っていてください。
ありがとうございます。
2010年1月30日土曜日
あったかい
寒い中、宿の外で石田さんと篠原さんが待っていてくださいました(涙)。申し訳ないです。
部屋に入る時に紙袋を渡され、「着替えてください」と言われました。中を見てみると、保温用の下着でした。本当に、本当に、ありがとうございます。こうした真心からのご奉公に、ただただ感激し、感謝いたします(涙)。あまり、こうしたご奉公、あるようで、ありません。本当に、ありがたいのです。もう、来させていただいて、本当によかったと感激しています。
あったかい。ありがとうございます。
春日井で火事?
これから春日井を通ります。少し渋滞しているようですが、無事に通過できるなら有難いこと。何があるか分からない。本当に、「まさか」が起こる。それが末法の世であり、私たちの人生なのですね。
昔、可愛がっていた後輩がいました。海で出会った頃、彼はまだ高校生でした。それから数年後、彼はプロのレーサーになりました。サーキットで走る彼を見たことはありませんでしたが、本当に、かわいい後輩でした。何度も電話をくれたり、人なつこい男でした。
その彼が、名神で、交通事故で亡くなりました。まさか、彼が、と、信じられませんでした。お通夜に行きましたが、それでも信じられなかった。
今、彼を思い出しました。彼が、思い出せと言ってるのかな。そうなんだと思います。
思い出したよ。思い出した。お前も思い出してくれたのかな。なら、ついてこい(涙)。
これから
横浜から堤深恭師も伏見妙福寺の法要にお呼びいただいていたので、一緒に車で行くことにしました。ありがたいです。
3時間半から4時間くらいで着くと深恭師は言っておられます(笑)。ほんまかいな(汗)。
喉のコリ
「喉のコリ」というのは表現が難しいのですが、ずっと前から「自分にとって一番気持ちのいい声が出なくなった」と悩んでいたのです。それが、17時間を過ぎて出るようになりました。これも不思議でした。単なるお看経不足だったのですね。
それからは、不思議と声が出るのです。24時間、自分では声が出続けていたと思います。
藤本淳度師が後ろについてお看経してくださいました。その姿も、写真に撮っていてくれました。また、いつも淳度師と夕看経の後でお看経してくださっている学生師も一緒にお看経してくださいました。本当に、嬉しかったです。ありがとうございました。
イモ虫
本山でのお看経は、本当に有難く、言葉にならないほどでした。24時間テレビのイモトさん(好き)のマラソンではありませんが、本山での24時間お看経は、眠ることもなく走り続けるように御題目を唱えさせていただくことが出来ました。極めて貴重な機会を与えていただいたと、本当に有難く、感謝しか浮かびません。
学生師がいろいろと配慮してくださり、暖かいカーペットを用意してくださいました。後で思い知りましたが、身体の芯から冷え込みますから、寒さとの戦いでした。私も本山での修行中に経験していたはずでしたが、あらためて痛感しました。
今日の妙福寺の準備ご奉公があるのに、22時から24時まで現薫師が加わってくれました。真夜中、一人でのお看経は、あっという間に時間が経ちました。
途中、号泣したりもしましたが、とにかく、有難く、これからのご奉公、これからの生き方、覚悟を教えていただき、まだまだ、少しだけですが、信心を改良できたように思います。
現薫師が学生師として本山にいた頃、藤本御導師が三日四晩の百本祈願をされていたのを拝見したと聞きました。「ちょうど、その場所です」と言われ、私は聞いたことはあっても拝見したけとはなかったので驚きました。ちょうど同じ季節で、毛布にくるまり、ダウンジャケットを羽織り、ボストンバックにゼリーのような栄養剤をたくさん入れて、お看経をされていたと聞きました。本当に、ありがたかった(涙)。不思議ですね。僕も、完全にイモ虫のようになって、毛布にくるまっていました。写真は20時間を過ぎた頃だと思いますが、午後からお看経に加わってくれたご信者さんが撮っていたようで、送ってくださいました。
差し入れをいただいたり、お助行をいただいたり、感謝、感謝です。
また、させていただきたいと思いました。お線香は、ぴったり30本でした。砂押さんのご祈願、鈴木久子さん、前川さん、岡田さん、矢部さん、貴子ちゃん、澤田さん、ジャンナ、チャンダナンダさん、ガブリエレ、ラーニ、チャンダララタ、アンドレア、釣谷さんも久保姉のことも、古屋さん、綱一くん、中多さん、芽衣ちゃん、環ちゃん、吏絵ちゃん、あいらちゃん、たくさんの方々がいて全て書き切れませんが、いつもご祈願させていただいている方々一人一人を思い浮かべながら、お看経させていただきました。
不思議と眠くならない、終わった後も、なぜか元気で自分でも驚きました。結局38時間くらい寝ていないのに、麸屋町に帰ってからも目が冴えていました。淳度師のお陰かなと思っています。
やはり、基本中の基本ですが、お看経です。お看経が基本です。藤本御導師、ありがとうございました。しっかり、教えていただきました。
本当に、ありがとうございます(涙)。
2010年1月29日金曜日
2010年1月28日木曜日
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今日は研究所の会議でした。土曜日は伏見妙福寺で松本日操上人のご年回の法要があります。これから横浜に戻ることも出来るのですが、また一日で京都に戻るよりも、この一日を、本山のご宝前でのお看経にあてさせていただきたいのです。妙深寺の寒参詣もありますが、どうかお許しいただきたい。
昨年12月31日にご遷化をされた藤本御導師を想い、大本山のご宝前で、何としてもお看経させていただきたい。私は、藤本御導師の足下にも及ばぬ臆病者、不信心者ですが、藤本御導師にお看経の仕方を教えていただき、生き方をお教えいただきたいと思います。
この場所で、教えていただきたい。これからどうやってご奉公したらいいか、どう生きたらいいか。そうしなければ、まだ分からないように思います。
藤本御導師、宜しくお願いいたします。
男子のお数珠
今日は、会議の後で中郷数珠店という京都でも老舗のお数珠屋さんに寄りました。中郷さんのお祖母さまは古くからのご信者さんで、御総講には麸屋町へいつもお参詣くださっています。
今日中郷さんに寄らせていただいたのは、肉食系男子の友人の中でも、百獣の王のライオンみたいな友人のお数珠の直しを受け取るためでした。
彼がご本尊をお迎えになる時、志を立ててもらい、彼に見合う最高のお数珠を選ばせていただきました。
また、素晴らしいお数珠になりました。ありがたいです。
2010年1月27日水曜日
未来宅急便
10年前に出した宅急便が昨日届いたということです。小さかったご長男の宗之くんが書いたものや作ったもの、お祖母さまやお母さんが書いたお手紙が届くなんて、あまりに素敵です。
宗之くん、感激しただろうなぁ。照れていたかなぁ。それでも、なにか、あったかいものが心に生まれたんじゃないかなぁ。園美さんは、素晴らしいお母さんですね。
時間は、素晴らしい薬です。時間は、素晴らしい先生にもなります。取り戻せないから、時間は、圧倒的な力を持って、私たちに教えてくれることがあります。
最近、人間とは、つくづく、「今」が、見えないものだ、と思います。「今」とは、感情や立場や状況によって影響を受け、左右され、情報も限られていて、「真実」や「真理」「真相」が見えなくなるものです。時間が経たなければ、「真実」は見えません。それこそ、人間の、最も愚かで、哀れなことだと思います。私たちが、「仏」と最も遠くなってしまうのは、こうしたことが理由ではないでしょうか。
今、政治の世界で大変な騒動が起きていますが、誰にも真実や真相が分かりません。真実を明らかにするはずの検察も、政治的な意図が見え隠れして、情けなくなります。小沢一郎氏も、断片的な説明に終始していますから、何らかの問題があったに違いありません。
しかし、今回の騒動で、「国民の知る権利」を果たそうとする記者の存在やその取材が、真相を明らかにするどころか、世論を操作するためだけに機能しているようで、また情けなくなります。「記者クラブ」というシステムの悪弊か、過熱する視聴率競争の結果でしょうか。明らかに、取材ではなく、意図的な情報のリーク、つまりメディアを使った世論の操作が、平然と、公然と、行われているようです。なぜでしょうか。
小沢氏をかばうつもりなど毛頭ありません。彼に限らず、今はまだ、政治がそれほどクリーンに行われているとは思えません。しかし、こうした政争や権力闘争の中で、政治的な意図によって、「今」を操作しようとする、操作しようとするだけではなく操作できてしまうこの国に、危機感を持つのです。恐ろしいし、愚かで、情けない。今回の騒動は、日本という国の断末魔のように感じます。
新聞は、また信じられないレベルまで堕ちてしまいました。テレビは言うに及びません。報道番組は観るに耐えない。メディアシンジケートの悪循環、巨大化した複合メディア企業の政治的な偏りは一層顕著です。そこから配信される情報は劣化し、信じるに値もしない。情けない限りです。
「ブッシュの戦争」で経験した悪夢のようなメディア戦略や世論操作で、誰もが気づき、反省したと思っていましたが、違うのでしょうか。「小泉劇場」のように、またヒステリーか一時的な熱狂か、幕末の「ええじゃないか」と踊り狂う不安に満ちた民衆のように、一方に走り出しかねないと心配です。
「今」を見ようと思っても見えない。見えないようにしている、いや、政治的な意図によって、あるいはメディアのマネジメントにある人、資金や権力を持つ人や団体の、思想や信条によって、一方しか見せなくする。こうしたことによって、私たちは混乱を深めます。もちろん、見なくてもいいこと、知らなくてもいいこともあります。しかし、メディアの立場、国家権力とメディアの関係において、こうした意図的な操作があるとしたら、本当に不幸なことです。「狂人走、不狂人走」となるのも容易になります。
国家の繁栄と人々の幸せを希求するのは誰しも同じです。しかし、そこに保守と呼ばれる方々や団体、右翼の方々も、社会主義と呼ばれる方々も、左翼の方々もいます。在日と呼ばれる方々もいます。日本は、いま、大きく二極化しながら闘争を激化させているのでしょうか。その裏舞台は分かりません。しかし、表舞台で、正々堂々と議論を重ねていただきたい。意図的な情報のリーク、世論の操作なと、暗澹たる気持ちになります。こうしたことが国民の精神を蝕んでいると思います。
いずれにしても、つくづく、私たちには「今」を見る力が欠落していると痛感します。テレビに出ているコメンテーターも、雇われの身。何かを期待しても無理なように思います。本当のジャーナリストは、独立系メディアの中にしかいないのではないか。記者クラブから追放されたり、省庁出入り禁止措置を受ければ取材できませんが、本当のジャーナリズムを追求するなら覚悟しなければならないのではないかと思います。
つまり、私たちは、時間が経たなければ、真実が分からないと思うのです。「いつか、真実は明らかになる」とは、こうした意味ではないでしょうか。
過去ばかり見ているのは良くありませんが、そこから見渡せば、きっと真実が見えてきます。「今」だけで生きている人は、どこか薄くなります。「今」を、どうにかして誤魔化しても、必ず真実は明らかになる、明らかになってしまうことを知らなければなりません。
開導聖人は、「辛抱せよ まことはつひにあらはれん しれずにしまふ 悪はなき世に」と御教歌をお遺しくださっていますし、日聞上人は「置いて見よ」とお示しです。一度、置いてからでないと、分からないことがあります。いろいろな物事を、「置いてから見てごらんなさい」と教えてくださっています。「御利益は三年経って振り返れ」とも言います。「今」は、分からない。まだ、分からないことがある、と。
未来宅急便、いいですね。僕も、子どもたちに手紙とプレゼントを送っておこうかな。大切なことを伝えたいし。自分に何かあって、10年後にこの世にいなくなっていても、未来宅急便が父親から届くなんて、本当に素敵です。ご信心のことやご奉公のことを教えたいし、父の思いを伝えておきたい。未来宅急便なら、伝えられるし、伝わりそうです。
妙深寺にも、未来宅急便を送ってみたいです。どこまでご弘通が進みましたか?異体同心でご奉公できていますか?とか。でも、僕がいなくなって次のご住職がご奉公されていたら、ちょっとご迷惑かもしれません(汗)。そんなことを、園美さんの掲示板を読んで考えさせていただきました。
とにかく、「未来からの眼」、「過去からの真実」を意識して、「今」を、精一杯、生きてゆきたいものです。未来の人に、誤魔化しはきかないでしょうから。宗門のご弘通が衰えていれば、未来の人から、「あの時代は暗黒の時代」と言われたり、今はおだてられていても「暗黒の時代の教務さん」と責任を問われるかもしれません。未来が楽しみです(笑)。
未来宅急便、本当に素敵です。私は、今から約20年前、開導聖人100回御遠忌の時、「未来へのメッセージを残そう!」という企画で、父が書いてくれた小さな石のプレートを大切にしています。
そこには、「息子よ、頼むぞ!未来に輝く佛立のために」と書いてありました。大切な、父からの未来宅急便です。そこに書かれた父からのメッセージを胸に刻んで、生きていきたいです。
さて、今度は私から息子たちへのメッセージ。何を書こうかな。
2010年1月26日火曜日
夜明けの街に
今日は藤本御導師の四七日忌のお逮夜です。月日は容赦なく過ぎてゆきます。昨夜、ブラジルのリオデジャネイロでも、藤本御導師のご回向の法要が営まれたと晶ちゃんが教えてくれました。普段はお寺にお参詣されない方々まで来られて、藤本御導師の偉大さを感じたと教えてくれました。ありがたいです。
藤本御導師から、毎日お看経のご指導を、手取り足取り教えていただいているように感じています。日に日に、その存在が大きくなってゆき、信心改良させていただいています。
2010年1月25日月曜日
未来少年コナン
その後、慌ただしくてゆっくり話をすることも出来ていなかったので、久しぶりに二人だけで夕食へ。とても貴重な時間でした。
今朝は月曜日ですが、寒参詣も3分の1を過ぎて、少しお参詣が少なかったように思います。月曜日は、お参詣しにくいのか、寒参詣も後半に入って気がゆるむのか分かりませんが、何とか、心機一転、気合いを入れ直して、一年を無事に過ごすための寒仕込みの寒参詣に挑戦していただきたいと思います。
長男と同じように次男にも「未来少年 コナン」を観せています。無理やり観せているわけではありませんが、自分が大好きだったアニメです。コナンは、小学校3年生の時の担任の先生から観るように勧められました。面白い先生でした。
当時、NHKで放送されていたのですが、夢中になって観ました。少年の純粋さ、少年と海、少年の行動力、たくさんのメッセージをコナンから受け取りました。コナンみたいになりたい、と子どもの頃は思っていました。
一人の人を守る勇気、みんなへの思いやり、そして、愛するもののために、戦い続けるコナン。彼の敵も、いつしか彼に魅せられて変わってゆきます。
子どもたちも、こうしたアニメから何かを学んでくれたらいいな。僕たちの子どもの頃は、スケールの大きいアニメがたくさんあったのに、今はどんなアニメがあって、どんなメッセージがあるのかな。
宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999、すごいスケールとテーマでした。ガンダムもいいけど、ちょっと違います。「みんなの期待を背負い、危険な旅をしながらも、何とか僕たちが地球を守る、みんなを救わなきゃならない」と、真面目に訴えてくれるアニメでした。そんなアニメに囲まれていた子ども時代は幸せだったのではないかと思います。
子どもたちは、スケール大きく空想を広げて、いい夢を見てもらいたい。いつの間にか、子どもの頃アニメで見た悪者、人数やお金や地位にものを言わせて邪魔ばかりする悪役、意地悪、いじめっ子に、なってしまっているなんて、哀し過ぎます。
子どもに夢を見せたいです。
2010年1月24日日曜日
蕾
私は、あまり賢くないし、植物学者でもないし、現代っ子の都会っ子ですから、「なにをいまさら」と想われるかもしれませんが、これが素直な、等身大の感想です。こうした季節の営み、こうした命の営みから、ようやく、一つ一つ、御法門を学ばせていただいています。学生時代、なんの興味もなかった。
大介くんと由香ちゃん
昨日、15時からの第二本堂。厳粛な中でもアットホームな結婚言上式を挙げさせていただいた。ガラスの上に認められた御本尊、凛とした空気の中に清従師の声が響き、結婚の言上式が始まった。参列はなく、二人だけがご宝前に緊張した面持ちで座っている。正式な結婚式と全く同じように、丁寧に言上させていただき、二人が結ばれたことをご宝前にご報告申し上げた。
振り返って、二人で誓いの言葉を読み上げ、誓詞への署名、私からの訓辞。私の訓辞では、お祖師さまのお手紙の一節をお伝えした。
「生生世世の間ちぎり(契)し夫は大海のいさご(沙)のかずよりもをゝくこそをはしまし候けん。今度のちぎりこそまことのちぎりのをとこ(夫)よ。そのゆへはをとこのすゝめ(勧)によりて、法華経の行者とならせ給へば佛とをがませ(拝)給べし。」
私たちには、長い命と短い命がある。短い命、今回の短い一生の中で、二人は今日結ばれた。しかし、このお手紙で教えていただくように、生まれ変わり、死に変わりしてきた私たちの長い命に着目して考えれば、生々世々、人間か動物か、他の想像を超えた生命体かは分からないにせよ、いろいろな縁で結ばれ、契りを交わしてきたかもしれない。今回の宇宙で考えても、138億年±2億年の長い間の話。それは、きっと海の砂の数よりも多く、いろいろなものと結ばれ、「契り」を交わしてきたのだろう、と。
今日、こうして、この一生では特別の「契り」を交わし、そのことをご宝前に言上させていただいた。だとすれば、「この度の契りこそ、まことの契り」と言えるような、素晴らしい家庭を築いてもらいたい。そのためには、どうすればよいか。それが、「信」のある家庭、「信」のある生き方を二人でするということ。「法華経の行者とならせ給へ」と仰せであることは、自分だけ、自分の家族だけ、という生き方ではなく、法華経の教えをいただいて、菩薩の誓いを実践する二人になること。これが、永遠の時間の中でも、二度とない真実の「契り」「夫婦」であるといえるのだ、と教えていただく。
そうでなければ、やはり、深い意味において「真実ではない」ということになる。どれほど愛していても、生々世々に様々な他の者と契りを交わしてきたことを思えば、今日結ばれることが、いささか軽くなってしまう。どうか、この度こそ、真実の契りへ。ご信心をさせていただいて、二人が永久に結びついていられるように。
それにしても、素敵な二人だ。みんな、若くて、希望に満ちてる。未来は明るい。
2010年1月23日土曜日
信じ合い、愛し合うこと
火伏せの御祈願
朝、6時18分、婦人会でご奉公くださっている小泉さんからお寺に連絡が入った。「隣の家が火事で、何を持って出たらいいでしょうか?」との連絡だったという。すぐに「御本尊と御尊体をお供してください」と伝えたというが、こちらも何が何だか分からない状態。「まさか」が起こると昨日の御法門でも説かせていただいたが、また「まさか」か、と。
この報を受けて、正直動転した。すぐに教務にご自宅へ駆けつけるように指示して本堂に上がった。本堂手前で電話を受けた清仁に話を聞いた。「パニック状態でした」とのこと。さらに心配が募った。
急いで本堂の導師座に上がり、そのまま口語体で言上した。「いま、小泉姉からこのような連絡が入りました、御本尊、御尊体をお供いたしますが、どうか、災難除滅を」と。
開門参詣の方々は驚かれたと思うが、そのまま火伏せのご祈願である。昔、このご祈願、このご利益談をお聞きした。臨港教区の鴇田さんのお宅のことである。隣家が火事になり、火が壁まで迫った。ゴウゴウと音を立てて迫る炎を見つめるしかなかったが、その時、一塵の風が吹いた。必死に御題目をお唱えする。火が迫っているのに、自分の家に燃え移らない。結局、燃え移らずに済んで、大変な御利益と評判になった。
既にご高齢になられたが、鴇田さんはこの時の現証の御利益を今でも忘れず、臨港教区で御講となるとお参詣に励んでおられる。これほどの御利益だから、忘れられようはずがない。「火は、全部持って行ってしまう」と昔から言う。本当に、おそろしい。
開導聖人の御本尊にも、火伏せの御本尊さまがある。清雄寺に護持されているとお聞きしている。
今日、そのままご宝前に向かい、お看経させていただきながら、「どのような状況か分からないが、どうか火が御本尊を護持されている当山のご信者、小泉家に燃え移らないように、いや、燃え移らない、どうか、どうか」と御祈願させていただいた。「信ずるならば疑わざれ。疑うならば信ぜざれ」だと決定し、一点の曇りもなく御願いさせていただいた。
6時50分、清仁から導師座に報告。無事に鎮火したとのこと。ご宝前で、この報に接した時、ガクッと崩れるように安堵した。ありがたかった。火事となった隣家は不幸なことに違いないが、その被害が近隣に及ばずに済んでよかった。小泉家に火が及ぶことはなかったのだ。本当に、よかった。
聞くところによると、家の背後二軒目のお宅が火事だったということだった。消防士から「すぐに家から出て非難してください」という退避勧告を受けてパニックになったという。そんなことを言われれば誰でもパニックになる。しかし、小泉さんのお宅は屋根が濡れたくらいで済んだ。背後の家は少し被害が出ている、ということだった。
何が起こるか分からない今、ご信心は本当に有難い。緊張の中の火伏せのご祈願、また有難かった。重ねて、火事に遭われた方々、被害に遭われた方々をお見舞いしたいが、せめて小泉さんの家に燃え移らないでよかった。
今日は、午前中は総合企画室の会議、午後は2つの結婚式、17時から口唱体験会、19時からロータス・バー。妙深寺の土曜日。有難い。
2010年1月22日金曜日
人を見る
電車での移動では、当たり前ですが、たくさんの人とすれ違います。お仕事に忙しく移動されている方もいれば、旅行に出掛けている方々もいます。そうした方々とすれ違いながら、いろいろなことを考えることや気づくことが出来ます。
また別の友人の話ですが、彼は誰もが認める強烈な個性を持つ経営者。突然電話がかかってきて話を聞くと、いま渋谷にいると言います。なんのために渋谷にいるのか尋ねると、人を見るためだと言います。ずいぶん時間が経ってから電話をした時も、まだ渋谷で行き交う人を見ていました。不思議な行動ですが、分かる気がします。とても勉強になります。
海外弘通の委員会
今期3年間、第1回の海外弘通特別委員会、創設初会合の海外弘通研究委員会の合同会議。いろいろなことを目指さなければなりますんが、とにかく第一歩です。会議に参加していただいた委員の皆さま、本当にありがとうございました。
特別委員会の委員の皆さまは、海外弘通のスペシャリストとも言える御導師や御講師方です。今の日本側としてはブラジル弘通の第一人者である鈴木御導師、言わずとも知れたイタリアやスリランカの開発の師である福岡御導師、北米の田村師や岡居師、流暢な北京語を操る片山師など、海外弘通ご奉公の中核を担っておられる方々で構成されています。
弘通研究委員会の委員の皆さまには、青年教務会の面家会長と高須副会長、抜群の英語力を持つ小林師や萱森師にご就任いただき、ご信者さまを代表して国際感覚や知識が豊かで、語学堪能な方々にお集まりいただきました。Y教授、光子さんとアラスター、祐歌さん、本当にありがとうございます。英語、北京語、ハングル、ポルトガル語、イタリア語、ようやく揃ってきました。
まず、現在の海外弘通の状況をご理解いただき、情報を共有することから始められたらと思います。そして、問題や課題、改良点や可能性を検討してゆきます。実際に、翻訳や細かなご奉公の支援もお願いしてゆきます。
海外弘通は、海外のためだけにあるものではないということは明らかです。国内のご信者の皆さまに広くご披露してゆくことによって必ずいい相乗効果が現れます。誰もが佛立信心のエッセンスに気づくはずです。普段から慣れてしている、あるいは言われている、教えられている、ご奉公やお教化、ご弘通の意義や意味を再発見したり、再認識したりすることができるはずです。これを実現するために、海外との密接な情報交換をしてゆかなければなりません。
また、過去10年で新しい時代の海外弘通へと進化したことを、教務さんもご信者さんも認識し、その認識を共有すべきだと思います。インターネットに象徴されるグローバリズムが、移民や移住した日系人のグループへの出張ご奉公という概念を根本的に変えているということです。海外弘通は、ブラジルでも、韓国でも、イタリアやスリランカはもちろんのことですが、日系人を飛び越えた現地の多様な人種の中に広がっています。そこに生まれている佛立信心を見据え、彼らを教導し、恒久的な組織へと編成し、その国や文化に根付いて浸透してゆくように力を合わせてゆくことが、海外弘通の本質であり、命題なのです。
スタンドプレーだと批判されることもありますが、開拓のご奉公は尊い。同時に、それを如何に宗門全体の資産としてゆくかを考えなければなりません。また、ご弘通は生き物ですから刻々と変化します。ご信者の現勢も変わります。宗門にしても寺院単位にしても、浄財を投じてご奉公させていただく以上は、その弘通の現勢に応じた判断基準を作らなければならないと思います。今までの海外団体参詣の在り方で、本当に各国のご弘通が発展してきたか検証する必要もあります。観光が主たる目的となった海外団参は、時に、現地のご信者さんや現地の組織にとって害悪でしかなくなることも知らなければなりません。海外現地信徒にとっても、日本の信徒にとっても、媚薬のような海外団参の在り方では、行う意味がありません。ご弘通の本質は、もっと違うところにある。
厳しい検証と、いま流行の事業仕分けのようなスタンスで取り組むべき課題もたくさんあるはずです。果たして、これまでのご奉公に、ご弘通の効果があったのか、なかったのか。あるものは残し、なかったもの、それが偏っていたもの、一部分に限定されていたもの、一過性のものなどは、改める。
電車の中なので話がまとまりませんが、委員会に多くの有職者や責任ある役職の方々が入ってくださったことにより、とにかく、より意義のある、夢のある、将来性のある、一貫性のある、海外弘通の在り方が研究されることと思います。そして、当然ながら、経費の削減や効率化に向かいます。国内へ海外弘通の情報が行き渡り、海外の地域同士が有機的に結び付くことでしょう。スケールを大きくして、宗門が真に国際化すれば、「世界平和」の実現や「祖願」の達成は現実味を増します。
現証主義は現場主義であり、現証勝負とはご奉公勝負です。現場に出なければ現証はありません。現証比べ、現証のご利益で勝負するとは、奇跡談を並べて比べ合うのではなく、ご奉公してるか、していないかという「因」の勝負です。どんなに賢くても、知識があっても、地位が高くても、自坊のご弘通ができていなければ、発言権はありません。
あ、長野に着きます。ありがとうございます。
車窓から見える空
2010年1月21日木曜日
長松寺の寒参詣
今朝は、私が導師でご奉公させていただきましたが、御法門は学生師からいただきました。ありがたい御法門でした。単なる読み上げではなく、しっかり自分のご信心、魂で説いてほしいと、6時前に伝えたのですが、本当にしっかり説いていただきました。感動しました。
少し長くなってしまいましたが、本山からお参詣くださった伊藤局長をはじめ、お参詣の皆さまも、同じように感動されていました。ありがとうございました。
今日は大切な日、重要な会議になります。準備しなければ。
2010年1月20日水曜日
プリン
海外弘通についても同じ。ずいぶん前、日頃からサポートしてくれている海外部のスタッフの方に、プリンを買って慰労していた夢を見た。しかし、当然ながら、夢は夢のままとして、プリンも買わず、そのままご奉公に追われていた。そして、そのまま年を越した。気にもしないで。また次から次へとご奉公飛び回って、それでよしとしていたのだろう。
明日、第1回目の、大変重要な会議、海外弘通特別委員会と海外弘通研究委員会の合同会議が開催される。議事内容、資料の作成、配布、配置、ウェブ会議の設定、進行など、一人ではとてもできない。松本御導師はブラジルに出張中で、明日の朝、関空に到着される。そして、その足で会議室に駆け付けていただくことになっているから打ち合わせの時間もない。
今朝、プリンを買った。食べ物でご奉公していただくわけではないが、とにかくプリンを買って日頃のご奉公に感謝。ありがとうございます。明日はよろしくお願いします。
2010年1月19日火曜日
男
2010年1月18日月曜日
妙深寺の成人式
成人式のやり方を変更することについて、長年言い続けてきたことがやっと実ったと言う感じです。
英ちゃんが作ってくれた資料を拝見しました。英ちゃんは、最先端IT企業のエンジニアとして活躍していますが、社会で培った能力をご奉公で遺憾なく発揮してくださっていて、本当に感激です。他のご奉公でも参考になると思いますので、要点だけ少し紹介したいと思います。こうしてご披露を重ねて、多くのお寺やご奉公に当たる方々の参考になれば英ちゃんのご奉公の功徳が何倍にもなるはずですから。
☆成人者が舞台前の席で孤立してしまう
☆せっかく家族も来られているのに席は別。毎年恒例のインタビューもしにくい
☆青年会以外の人(例えば教区でお世話になった方)と成人者がface to faceで話す機会がない。
☆映像放映など本堂にある設備を生かしきれていない
☆市の成人式とは全く異なる成人者が「主役」の成人式
☆両親始め家族も一緒の成人式!
☆産まれたときから20年間の様子を知っている家族同然のご信者さんの存在がある
☆スクリーンなどを用いてプロ顔負けの映像を作り放映することができる
例年のインタビューに加え、成人者の幼いころの写真をスクリーンに映しながらこれまでのエピソードなどを会場全体で注目する時間。そして、成人者から両親への感謝の言葉などを言ってもらう時間にもする。即ち成人者家族に会場全体がスポットを当てる時間(1家族/5~10分程度)。(実現するには当日で構わないので幼い頃の写真を数枚もってきてもらう必要あり。1部の間スキャン予定)
上記「ご家族タイム」もそうであるが、本堂のスクリーンをフル活用したい。昨年好評を頂いた妙深寺の紹介を始め、産まれた年の出来事、この20年間の出来事などを映像で振り返る時間を設ける(昨年の青年会の記念品も同様に作成し)。ただし、お講師に頼ると教務部への負担増となるので、青年会の柳沢君と山崎君が編集装置の使い方をマスターすることに着手(マスターすれば今後お会式などでもお手伝い可能)。
2010年1月17日日曜日
始まりました
成人式の本堂
良風寺の悦子さんからもメールをいただきました。一生懸命、藤本御導師が子どもたちの成長を願い、特に要くんや他のみんなの成人のお祝いを心待ちにしておられたことを思って、奥さまや悦子さんやご信者の皆さまで本堂を飾り付けして成人式を迎えられているとのこと(涙)。ありがたいことです。本当に、ありがとうございます。
大混雑
妙深寺には駐車場が4ヶ所ありますが、どこもいっぱいになりました。朝参詣から成人式でした。いま、無事終了しました。厳かな式の後は、本堂にR&Bが流れています。変なお寺ですかね(汗)。