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2010年3月19日金曜日

涙の理由

ご奉公させていただいていると、たくさんの涙に出会います。

一般的にも、お寺は楽しい時に行くところではないとされています。私たちが、最初にご奉公に動きだすのは、やはり楽しい連絡や報告ではなく、哀しく、辛い出来事がきっかけになります。病院や消防局、お医者さんや弁護士さんも、同じでしょうか。

最初は、人生の浮いてる時ではなく、沈んでいる時の方が多い。それが当然で、それでいい。そこから、いかにして一緒にはい上がっていくかがご奉公になります。

今日の御講席では、午前にも涙があり、午後にも涙がありました。それぞれ、午前の御講が37名、午後が30名のお参詣者でしたが、皆さんの前で、涙ながらにお話してくださいました。妙深寺の御講の、よきスタイルだと思っています。

昨日の御講でも、涙がありました。それほど、私たちが涙に触れる機会は多いのです。

一人一人の涙の理由は違います。しかし、ここで語られるのは、苦しみや哀しみを乗り越えて、御法さまに助けていただいたという、感謝から湧き出る涙です。本当に、ありがたいことです。

皆さん、感謝して流れる涙の温かさをご存じでしょうか。ギスギスして、生きていかなければならないコンベティティブな世界や暮らし。だからこそ、肩を張らずに、人を攻撃せず、互いに感謝して、温かい涙を流したいし、温かい涙を見守り、ってゆきたい

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