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2010年6月22日火曜日

真実の道を真実に

今日。貴重な一生の中で、二度とない一日。

御法さまの、恐ろしいほど綿密なご采配、冥の照覧、点と点が、音が聞こえるほど強い勢いで結ばれてゆくのです。

「近き現証を引きて、遠き信を取るべし」

お祖師さまの御妙判。私たち凡夫は、どうしても近くしか見れない。だから、因果の道理や冥の照覧も信じられない。

真面目にやってても意味がない、バレなきゃ大丈夫、と思う。死んだらオシマイ、今さえ良ければいい、楽しくやろう、と。

御法さまの存在を疑い、疑うから侮り、身勝手に振る舞うようになる。冥の照覧も、関係なくなる。

しかし、それは最も愚かな生き方で、良きは良く、悪いことは悪く、必ず報いを受けなければならない。すべての言動は、目には見えない「SEED(種)」なのだ。種次第で、実る物は異なる。当たり前のことだが、これが分からないで、後で自分が嘆くような種まきばかりしている人がいる。恐ろしく愚かだ。

宇宙誕生以来、真実は負けたことがない。負けたことがないのだから、安心して、真っ直ぐに行きてゆけばいい。しかし、それが凡夫にはなかなか難しい。

だから、目の前に顕れる現証のご利益を見て、その、凡夫の癖としては、信じ難い、フォローしにくい、従いにくい御法さまの教えを、信じる。それなら、信じることができるだろう、と。

そう、最近の現証のご利益は、凡夫の了見をはるかに超えている。ご信心以外の、例えば自然科学などでは、何も説明がつかない。これほどまで。

だから、信じられます、この尊い教えを。フォローできます、どうなろうとも。目先のことで一喜一憂する生き方から、いい種まきにシフトチェンジする。

すぐに芽は出ないかもしれないが、いつか、必ず、芽は出る。それを楽しみに生きる、それを楽しみに苦労を厭わない。

とにかく、いい種まきに励む。真実の道を真実に。

だから、清々しく、穏やかに、しかし、力強く、生きられます。

負けん気と、根気と、慈悲を抱いて。自屈で、上慢で、二乗心の者では、本化門下の不純物と言われてしまう。

とにかく、恐ろしいほどのご采配、現証のご利益に鳥肌が立ちます。やはり、御法さまは、生きてまします。見てまします。聞いてまします。

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