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2010年10月5日火曜日

班長さんへの手紙 平成22年10月1日

ありがとうございます。
秋が、人間の営みを追い越す勢いで駆け抜けてゆきます。四季は日本の素晴らしい人や文化を育んできました。季節の移ろいから学ぼうとする時、人は謙虚な詩人にもなれます。春の緑に秋の落ち葉、夏の暑さと冬の厳しさ。それぞれを人生やご奉公に重ねて、粘り強い精神力や不屈の菩薩心を育んでいただきたいと思います。

さて、「口は禍のもと」と言いますが、もっと深いところに「もと」があります。それは他ならぬ「心」です。全ては「心」が根っこにあります。上辺をなんとか取り繕って口を慎もうと思っても、きっかけがあれば「本音」がポロッと出てしまいます。きっと表情にも本音が見え隠れしていて、周りも薄々気づきます。そして、人は人生に失敗したり、孤独になったりするのです。

つまり、「口が禍のもと」ではなくて、「心こそ禍のもと」です。ですから、心を育み、心を改め、心を整え、心を鍛えなければなりません。そのことを、本門佛立宗のご信者は教えていただいているのです。

残念ですが、時々ご信心から外れた驚くような言葉をご信者さんから聞くことがあります。末法では、そうしたことが頻繁に起こるものですから、驚いていてはいけないのですが、やはりガッカリしてしまいます。ここでも「口は禍のもと」ではなく、やはり常日頃のご信心が、いざという時の言動や表情や態度に表れるだけなのです。

ご信心とは「心」そのものです。先述のとおり、心を育み、心を改め、心を整え、心を鍛える最良の道がご信心のはずです。ご信心しているのに、心を磨くことが疎かになっていては意味がありません。四季のある美しい国に生まれても季節の移ろいに学べない人は多くいます。しかし、佛立信者がそうなってはいけません。御法門は常に説かれているのに、上辺だけで流していれば、いざという時に「禍」が襲います。

心を改めるには、お互いにお折伏し合うことが大切です。気づけないことに気づく、分からないことを分かるようにするには、お折伏が大切です。

いま、みなさんはお折伏をし合っているでしょうか?最近、あなたは誰かにお折伏をしましたか?考えてみてください。

何も「お折伏」とは上段に構えて厳しく指導するという意味ではありません。そう思うこと自体が誤解で、お折伏をしにくくしているように思います。

私は、まず一人一人の人と、真っ正面に向き合っていただきたいと思います。向き合うことで、お教化もご弘通も始まります。実際、人と向き合っていなければ、お教化も、お助行も、お折伏も、菩薩行も、出来ないのです。出来ていないはずなのです。
人と向き合うことが苦手な人もいると思いますが、そこは「向き合うことが修行なのだ」と思って、心を改めてゆくことが大切です。人と真っ正面から向き合うことでしか、ご奉公の成就はないのですから。
色々な場面で色々な人と出会っていても、そうしているだけでは心は通いません。しかし、多くの現代人は、人と真正面から向き合うことを避けています。それこそが弘通衰退の原因です。お折伏できない理由です。
誰とも向き合わない一人信心に陥ってしまうことがあります。そうなると、自己満足の世界に迷い込んでしまったということですから、心が磨けなくなるのです。
そういう人を一人でも作らないために、お互いにお折伏し合う、真っ正面から向き合って話をしてみてください。
お会式のご披露や普段の会話でも、目をゆっくり見て、話をしてみてください。

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