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2011年1月7日金曜日

問い合わせメール

海外の方々からの問い合わせが増えています。原稿の筆も進まぬまま、膨大な量のメールと矢継ぎ早に送られてくる質問への対応に追われています。

予想はしていたことですが、インターネットがスマートフォンや電子書籍デバイスの普及によって身近になり、世界中で日蓮仏教のコミュニティが誕生して活発に議論が交わされている。インターネットの性質上、入り口にはなっても正確な情報は少ないわけで、もっと本門佛立宗について
知りたくなった人から直接質問が飛んでくるわけです。

それにしても、国内でもそうなのですか、本門佛立宗の教えの核を、体系的に、しかも簡潔にまとめたものが少なく、申し訳ない思いがします。宗門関係でも様々な本を出版しているのですが、内向きの、個人の研究発表や専門書が多く、佛立宗に関心を持った人にお渡しできる本が少ない。そういう声をよく聞きます。何とかしなければなりません。

内向きでは仕方ない。教えを消化できていないから内向きになるのかしら。とにかく、普遍性のある、要点をまとめた冊子を作らなければなりません。

私たちのあいだでだけ通じる言葉ではなく、世界中の人々に、いろいろなタイプやレベルの人に伝えられるように想定して作らなければならないと思います。無信仰者、仏教以外の宗教を信奉する人、仏教徒、日蓮門下の信徒など。

奥深いけれどシンプルで、論理的で、首尾一貫した真実の仏教。しっかり、はっきり、お伝えしたい。

しかし、冊子を作って迷わせたら意味がありません。あるいは、知的好奇心を刺激しても、永遠の探求者、つまりは信心のない学者を作っても意味がありません。

佛立が、なぜ学問よりもご信心、御題目口唱と現証の御利益を大事とするかも、整然と説き明かすべきでしょう。

雑学ではなく要学。専門用語を使っても、せめて自分が消化してから使わないと全く伝わりません。

思考を停止させずに、教化の現場に身を置き続けて、そこから、いま何をすべきか、何が必要か、何を伝えるべきか、どのように伝えるべきかを知らなければなりません。

外に向けた努力こそ、結果として内側を強く育みます。内向きの内向きな姿勢では、いつしか言葉は溢れていてもアイデンティティを見失う。お山の大将にはなりたくありませんし、なってはいけないのだから。

大至急の課題です。今は海外の方々からの問い合わせに対応する受け皿もないので、その問い合わせメールに返信するだけで時間が過ぎてしまいます(涙)。

やること、たくさん、ですね。

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