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2011年3月20日日曜日

夢想

臨海教区・齋藤さんのご厚意により、軽油500リットルを確保することができました。支援活動の往復には最低でも200〜300リットルの燃料が自分自身に必要です。県外車がガソリンスタンドに並んでいたら支援活動も出来ないし、現地の方にも迷惑がかかる。

夢想しました。4トントラックを数台チャーターして支援物資を東北地方に運ぶと共に、バスをチャーターして子どもたちだけでも、原発の冷却システムの復旧が成功するまで関東以西のお寺に避難しておいてもらう。「春休み・子ども合宿」とでも名付けて。関西以西のお寺の青年会や薫化会のリーダーに依頼して、子どもたちのケアをお願いする。原発で何もなかったら、帰宅すればいいのだから。

すでに青年教務会が準備を進めておられ、指示待ちの状態と思いますが、志願者のみ自給自足を前提に被災地のお寺に入り、ご住職や担当お講師の指示をいただきながら、お掃除や復旧作業だけではなく、教務・僧侶本来のご奉公をしていただく。すでに、「戒名も宗派も関係ないから、とにかく発見された遺体を拝んでやってください」という声が上がっており、岡山師も声をかけられて現場にかけつけて御題目をお唱えしたと仰っておられ、その他の地域でも「日蓮門下で団結して葬送に当たろう」という声が出ているそうです。各地で、求められること。

また、現地では思わぬお金が出続けていることでしょう。今の段階で、各地の責任者に現金を届ける。大きな団体は義援金がなくても動けます。必要なのは「今」の「現場」。大きな団体への寄付も大切ですが、大きな団体は「今」でなくても動ける。寄付金の表明合戦をしても必要な時に届かなければ。昨日、そうしたことを想定して義援金をお届けしました。しかし、それもあっという間に消えるはず。消えて良いのです。それが支援。宗門として、各寺院の責任者に現金を届けられたらいいのですが。

佛立のお寺が建っている街。佛立の教務がいる街。佛立菩薩のいる街。それは、本当に尊いことであり、「つながっている」「一人じゃない」「無縁社会などではない」ということの確証、実証なのだと。その実感を、近隣に住む方々にも感じていただきたい。有縁社会の中心に、本当の、生きたお寺が必要だということ。

だからこそ、心と心を、確かに結びつけた支援、お寺だけにする支援ではなくて、そこに住むすべての人を支援することが私たちの支援活動であると言えるのだと思います。ここで真価が問われると、私は夢想していました。

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