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2011年4月2日土曜日

お母さん

福島第一原発から30キロ、自主避難勧告圏内のご宝前でお看経をさせていただいた後、お母さんは涙を流されました。綺麗な、穏やかな、御題目でした。

私がいつもお供しているお数珠をお渡ししました。お数珠が、必要とのことで。

ご近所の方にも支援物資をお分けしました。「この前ね水戸のご住職に続いて、今度は横浜の住職さんからよ」と、やさしく、明るく、まだこの場所に残って住んでおられるご近所の奥さんにお話していました。

一人息子さんが4才の時にご主人が亡くなり、以来、女手一つで息子さんを育てられたのだそうです。現場も母一人、子一人であることに配慮して、一時帰宅を許可してくださったそうです。

原発事故については「自分の口から出たことが誤解を生んではいけないから」と何も話さず、お母さんの手料理をご飯もお味噌汁も二杯ずつ食べられた、と。

戦争に我が子を送り出す親のように、息子さんを見送られたのですね。

私たちに何ができるか。遠く離れていても、ご祈願させていただける。有難いことです。しかし、今回だけは、あの現場の一番近くにあるご宝前、自主避難勧告圏内にあるお母さんのご宝前で、覚悟をもって復旧作業を続ける東京電力の関係者や、自衛隊、消防、警察、米軍の方々の、身体の健全、災難除滅、任務の完遂を、ご祈願させていただきたかった。

また、被災地の様々な場所や状況で生活されている方々の、心を支えるご奉公が、私たちの責務。地震、津波、原発事故による放射性物質の飛散、さらに愛する我が子を危険な原発事故の現場へと送り出しているお母さんの心を、少しでも支えられたなら、本当に、有難い。

涙を忘れません。

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