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2011年4月3日日曜日

バナナフィッシュ

「キリマンジャロは、標高6007メートルの雪に覆われた山でアフリカの最高峰である。西側の山頂はマサイ語で「ヌガイェ・ヌガイ(神の家)」と呼ばれている。その「神の家」近くに、一頭の干涸らびた豹の屍が凍りついている。豹が何を求めてこれほどの高地まで来たのか、その理由は誰にも分からない。(Kilimanjaro is a snow-covered mountain 19,710 feet high, and is said to be the highest mountain in Africa. Its western summit is called the Masai "Ngaje Ngai," the House of God. Close to the western summit there is the dried and frozen carcass of a leopard. No one has explained what the leopard was seeking at that altitude.)」

アーネスト・ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」。同じく「死」をテーマにした短編小説では、1948年1月31日に『ザ・ニューヨーカー』誌上で発表されたJ・D・サリンジャーの「A Perfect Day for Bananafish(バナナフィッシュにうってつけの日)」がある。

ここに登場する架空の魚「バナナフィッシュ」は、バナナがどっさり入ってる穴の中に泳いで入って行くという。彼らはそこでバナナを食べ続け、太って二度と穴から出られなる。ついにバナナ熱にかかって死ぬ。まるで、自分の欲望の赴くままに生きて滅びてしまう人間のように。

小説「アフリカの日々」の舞台ケニアで大量死するアフリカ象をドキュメントした写真作品集『THE END OF THE GAME / PETER BEARD』。私の敬愛するピーター・ビアードが1964〜1965年にかけてアフリカのツァヴォ国立公園の動物たちやそこに関わる人間の在り方をフレームに映し出した。

特に、数え切れないほどのアフリカ象の屍には圧倒される。はじめて深く「自然保護」を考えさせられた作品だった。自然に人間が立ち入り、数万年繰り返されてきた大自然の営みを無視した先に、どれほど恐ろしい危機や世界が待っているか。人間の手によって保護された象は増え続け、ついにありとあらゆる木や草を食べ尽くして餓死することになる。広大な国立公園という檻の中に閉じ込めたのは人間だが、まるでバナナフィッシュのように、自らの生命と営みによって大量死する時を迎える。

ひとたび人間が手をつけたら、永遠に、神にでもなったつもりで介入し、管理し続けなければならなくなる。際限のない欲望を抑えられない命は、動物であれ、人間であれ、自壊のカウントダウンが始まっていることに気づかない。西欧の神も、アジアの神々も、それを教えてくれていない。森羅万象の中にある人間を、謙虚に、明らかに、大きな宇宙と小さな人間の関係と、その他の生命たちとのつながりを教えてくれたのが仏陀だった。残念ながら、人々は、その教えの真相に注意を払わなくなってしまっていた。

これからの人類は、仏陀の説いた法と教えを、注意深く、奥深く、訪ねてもらいたいと願う。政治家や権力者の話ではなく、一人ひとり、私たち一人ひとり、ごく普通に暮らす、一人ひとりが、本来あるべき人間の生き方や、地球や自然や生命たちとの輪の中にいる自分たちの在り方に気づいていけば、世界は変わる。むしろ、政治や経済を動かそうとしている人には、分からない、分かれないのではないか、と思う。あまりにも、泥に足を取られて。

一人で見る夢はただの夢だけど、みんなで見れば現実になると聞いてから、本当に、そう思う。

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